6 、 文 証 ・ 理 証 ・ 現 証 

 

 

          法 華 講 員 の 体 験 談 ( そ の 2 )

 

 

更賜寿命と成仏を実証した徳永千代美さんの事 最期の願業を成就して霊山へ (内山昇氏)

 

 

平成7年12月2日、午前3時17分、私の義理の姉に当たる、徳永千代美さんが亡くなりました。

第17回総会において、徳永さん自身が体験発表したとおり、徳永さんは、平成5年6月に手術不可能な末期ガンが発見され、しかもガンはリンパ節にも転移して全身に細胞が散ってしまっており、余命2、3ケ月と診断されました。

徳永さんは、この病魔をなんとしても乗り越えるべく、信心に起ち上がり、大草講頭の指導のもと、九州の病院から東京へと転院し、治療を受けながら、毎日、7時間、8時間と南無妙法蓮華経とお題目を唱え、折伏をしていました。

その結果、御本尊様の大功徳は厳然と現われ、最初に発見された末期の子宮ガンがきれいに治ったのです。その後、私の家から東大病院に通院する日々が続きました。

そんななかで、尾てい骨に転移しているガンが見つかり、放射線治療、抗ガン剤治療が始まりました。その際、病院の医師から

「この部分はかなり前からガンが転移していて、放射線治療の結果、わからないうちにガン細胞が死滅していたと思う。今回わかったのはその部分の横であり、この箇所には、放射線を当てていないため、治療は可能です。もし放射線を当てた箇所にガンができていれば、もはや治療は不可能になるところでした」

とのことで、不幸中の幸いであると言われました。

その治療は大変つらそうでしたが、病院、あるいは家においても、一生懸命に南無妙法蓮華経とお題目を唱え、折伏をいていました。私たちと一緒に生活していたわけですが、朝起きてくるときなど、目を真っ赤にしていることも何度かありました。

ある時、千代美さんより

「死を覚悟している」

という旨の話もあったのでした。

さらに、今年11月の診断の結果、肺に転移してるガンがみつかりました。そして再度入院。

振り返って思えば、病気が発見された時、すでにリンパ節転移を起こしていたわけですから、そのころより、ガン細胞は全身至るところに転移し、徐々に大きくなりつつあったのでしょう。しかし、死に直面しながらも、多少の信心の波こそあったものの、動揺したり、愚痴をこぼしたり、ふさぎ込んだりすることはただの一度もなく、徳永さんは、腹の決まった信心を貫いたのです。本人の胸中を察するにあまりあります。

入院中、大草講頭がお見舞いに来てくださり、講頭の指導に触れた徳永さんは、

「このままでは死ねない、子供の法統相続ができないうちは死ねない」

とも話していました。

そして容体の悪化に伴い、両親と千代美さんの子供が上京しました。

本人は意識不明、自力では呼吸ができず、酸素吸入器が設置されました。講頭より

「本人が意識が無くなり、お題目が唱えられなくなっている以上、あとは、家族の信心ですべてが決まる。千代美さんの耳元でしっかりと唱題するように」

との指導をいただき、私はお母さんの信心を励ますと同時に、夜は家内と交代で、お題目を唱えていったのです。

そのような中で、周囲の祈りが確かに御本尊様へ通じるのだ、ということを何度も体験し、確信しました。

たとえば、御住職に当病平癒の御祈念をお願いした11月度の日達上人御報恩御講の日まさに御祈念していただいたその時刻に、それまで下降気味であった血圧の数値が、正常近くまで上がったのです。また、徹夜でお題目を唱えている時、眠さと疲れでこちらの意識が朦朧としてしまったときに、千代美さんの心臓が止まるということもありましたし、血圧の数値が急に下がったときなど、ここでお題目を止めてしまえば、千代美さんを助けることはできないと、自分の信心を振り絞ってお題目を唱えていくと、その数値が上がった、ということもありました。

こうした状況をつぶさに見て、最初は病室内でお題目を唱えることに消極的だったお母さんが、御本尊様にすがって真剣に南無妙法蓮華経と唱題するようになっていました。そしてそれを待っていたかのように、千代美さんは、12月2日の早朝、3時過ぎ・・・・・、ちょうど丑寅勤行の時刻に合わせてお母さんと家内が勤行を行い、唱題に入ったときに、すうっと息を引き取ったのです。

「余命2、3ケ月」と宣告されたのに、1年半も寿命を延ばし、千代美さんは、37歳の生涯をここに閉じたのです。

死亡の原因はガンではなく、むしろガンは抗ガン剤が効いていたのですが、身体が衰えて心臓が持たなかったのだそうです。

大聖人様は、御金言に

「御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし。三世の諸仏の成道はねうしのをはりとらのきざみの成道なり」(御書1361ペ−ジ)

と仰せられています。

佐々木支部長に連絡いたしましたところ、支部長は

「大聖人様が丑寅の刻にお迎えに来てくださったんですね」

と言われました。

私はその言葉に、37歳という若さで亡くなったことに対する忍び難い哀惜の念と共に、成仏させていただけたことに対する有り難さを思わずにいられませんでした。

そして12月3日お通夜、4日告別式に当たり、大草講頭はじめ、多数の妙観講の方々が御参列くださいました。中でも、33支区から、岡野部長をはじめ多くの方が、遠方よりお見送りに来てくださいまして、本人もさぞかし喜んでいたことと思います。

千代美さんの臨終の相はたいへんきれいで、本当に笑っているようで、とてもすがすがしく、さらに、棺を持った岡野部長の話によると、たいへん軽かったそうです。

「まるで人形のようにかわいかった」

と表現した人もいましたが、本当にそんな感じでした。

導師をしてくださった妙乗寺の御住職も、そのような千代美さんの遺体をごらんになって感極まった表情をされ、勤行をするようになった千代美さんの子供に対して、

「お母さんの分まで頑張るように」

との言葉をかけてくださいました。その後、大草講頭は、千代美さんが亡くなったことについて、

「仏法は因果であり、業を作れば、果報は受けなければならない。徳永さんは、業によってガンになり、発見された時は、すでに手遅れの状態であった。しかし、そこから信心を起こして、唱題・折伏に励むなか、御本尊様の大功徳で、一つひとつ病状を克服し、1年半も寿命を延ばしたのである。そして、自分の成仏を自分で勝ち取り、また、さまざまな実証を通じて親や子供に信心の有り難さを教え、最後の願業であった法統相続も成し遂げたのである」

と言われましたが、本当に、最初からの経緯を考えれば、千代美さんは、まさに最善の形で臨終を迎えたのだと思います。(後略)(法華講員の体験集『蒼碧集』4.より)