3 、 釈 尊 の 本 意 を 経 文 か ら 探 究 す  

 

 

   臨 終 に 現 わ れ る 堕 地 獄 の 相 

 

生命は三世にわたるものです。ですから死によってこの謗法の悪業が消滅するものではありません。謗法の悪業を重ねた者は、死後に“無間地獄に堕ちる”と経文に明確に説かれています。

そしてその現証として、臨終及び遺体に悪相(堕地獄の相)を現ずることが、これも経文に明確に説かれています。死して尚苦悩を感じ、転生後はこの悪相に見られるような業苦を受け、気の遠くなる程の時間を流転し続けていくのです。

なお無間地獄といっても、地獄という別次元の世界があって、死後、そこで鬼に責め苦しめられるというのではありません。

例えば、蒲団の中で寝ているにもかかわらず、悪夢(冥伏していた第七識の発現)にうなされて苦しみを感じることがあります。これと同様に、死後の生命(冥伏していた第八識の発現)は、それまでに自らが積み重ねてきた謗法の悪業によって、厳然と地獄の大苦悩を感ずるといいます。

この大苦悩とは、概していえば、燃え盛る溶岩の中で我が身を焼き尽くされる苦しみ、といわれています。しかも恐ろしいことに、死後の世界は、もはや夢と違って目覚めるということはなく、主体的な意志や行動をもたない受動的存在ですから、自ら積んだ悪業をそのまま感じ続けていくしかなく、身を焼きつくされる地獄の苦しみを感じていても、それから逃れようとする行為すらとれません。

無間地獄(第八の大阿鼻地獄)ですから、この大苦悩を絶え間なく感じ続けていくことになるのです。

この無間地獄については、もし仏がこの地獄の苦悩を具体的に説いたならば、それを聞いた人々は血を吐いて死んでしまうほどなので、詳しくは説かれていないといいます。それほど凄じいものだということを知るべきでしょう。

臨終は、生と死の境、死後への第一歩ですから、臨終の姿は、その人の死後の状態を如実に顕します。そして謗法を重ね、死後、無間地獄に堕ちた人は、必ず、その臨終および遺体に悪相(「堕地獄の相」)を現ずることが経文に説かれているのです。

 

臨 終 に 現 わ れ る 堕 地 獄 の 相 【経文からの要約】

 

1、集まった自分の身内に対しても、険しく猛々しい目つきで睨む。

2、手で空をつかんで、もがき苦しむ。

3、筋道の通った正しい思考を失う。

4、恐怖のあまり、涙を流して泣き叫ぶ。

5、大小便が垂れ流しとなる。

6、苦しみのあまり、目を固く閉じてしまう。

7、苦しみのあまり、手で顔面を覆って悶絶する。

8、異常な食欲が出て、狂ったように飲み食らう。

9、身体や口から腐敗臭が漂い出る。

10、恐怖のあまり、手足を震わせて、怖れおののく。

11、鼻筋が曲がって、凄じい形相となる。

12、白眼をむき出してしまう。

13、眼が血走って真っ赤に変色する。

14、顔面を伏せて、苦しみ、うめく。

15、苦しみのあまり、身体をかがめて悶絶する。

16、破れた皮膚から膿が流れ出したり、全身に熱い汗をかいて苦しむ。

17、狂乱して絶命する。

18、眼、あるいは耳、鼻、口、毛孔などから、血を吹き出す。

19、死後、遺体の色がどす黒く変色し、皮膚が収縮して骨がはっきり顕われる。

20、遺体が固く硬直し、ずっしりと重く感じる。

 

この経文に示された「堕地獄の相」が真実であるか虚妄であるかは、年を経るごとに臨終や遺体と接する機会が多くなる人ほど、現実に引きあててみて納得せざるを得ないようになると思います。

謗法の心が強い人ほど、悪相を現じているのですから。