3 、 釈 尊 の 本 意 を 経 文 か ら 探 究 す る
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法華経が最高真実の経であるという理由(一念三千の法門)
「仏」とか「成仏」という言葉から連想されるのは、例えば時代劇などでよく
「川から仏があがった」
「あいつは仏になった」
とか、また死人に対しては
「迷わず成仏してくれ」
などという台詞が聞かれます。一般的には仏=死人、成仏=迷わず冥土に行く、といったように死と関連づけた認識ではないでしょうか。しかし本来仏法でいう「仏」とは、人間の生命の奥深くに潜在している最高の生命力(常楽我浄に象徴される最高の境涯=仏界)のことなのです。
ですから生きている現世で受けるところの一切皆苦である生死病死、憂悲苦悩を、この力強い仏界という生命力を湧現させて克服していき、現世安穏・後生善処の常楽我浄の境涯を得ることを「成仏」というのです。
したがって仏界=最高の生命力、成仏=現世安穏・後生善処の最高の境涯となります。
我々凡夫の生命の奥底に「仏界」が存在するなど難信難解ですが、法華経で森羅万象の真実の姿(諸法実相)を明かすことを通じて、一切衆生を成仏へと導く一念三千の法門が説かれました。
老若男女・善人悪人を問わず、一切の衆生が煩悩を抱えたままの身で成仏せしめる法がこの法華経において説かれているので、法華経は最高真実の経になるわけです。
これによって法華経以前の経典では、二乗(声聞・縁覚)は「自分さえ悟れば良い」という利己心の強い根性なので、「永不成仏」といって徹底して嫌われていましたが、法華経において初めて成仏がかないました。同じく女人も法華経において初めて成仏することがかないました。
また法華経二十八品の内、前半の十四品(序品第一から安楽行品第十四)においては、釈尊は始成正覚の仏(現世で悟りを開いて仏になったと説く迹仏)の立場で一念三千の法門を説きました。(迹仏が説く法門なので迹門という)
しかしこれでは現世限りの普遍性がない法門となってしまうので、理念上の法門ということで「理の一念三千」と称します。後半の十四品(従地湧出品第十五から普賢菩薩勧発品第二十八)において、釈尊は久遠実成の仏(久遠五百塵点劫の昔に仏になったと説く本仏)を明かし、これによって、仏も一念三千の法門も、久遠より常住する普遍的な存在となり、真の一念三千・即身成仏の法門となります。(本仏が説く法門なので本門という)
したがってこれらは事実の行なので、「事の一念三千」と称します。
人間の精神状態(内面)は、日常生活において十界の中の何れかを基調として生活し、その中で縁に触れて地獄や修羅といった心情を瞬時に発現しながら生活していきます。
一念三千の法門【即身成仏の法門】
◆十界【生命が内より実感している十種類の境界に分析】
○地獄界(苦しみのあまり、嗔すら感じる苦悶の状態)
○餓鬼界(不足感からくる貪欲にとらわれている状態)
○畜生界(本能のおもむくままに行動する状態)
○修羅界(ひねくれ曲がって、勝他の念に駆られれいる状態)
○人界 (人間らしく、平常で穏やかな状態)
○天界 (思うとおりになって、喜びを感じている状態)
○声聞界(先人の教えを学ぶなかから、無常観など、分々の真理を会得していく状態)
○縁覚界(独覚ともいい、自然現象等を通じて自ら分々の悟りを得る状態)
○菩薩界(自身のことよりも、他人の幸せを願い、そのために尽くす状態)
○仏界 (常[崩れることのない自由自在の生命活動]
楽[生きていくこと自体を楽しむ絶対の幸福感]
我[何物にも紛動されない円満かつ強靭な主体性]
浄[何物にも汚染されない清浄な生命]
の四つに象徴される最高の境涯)
◆十界互具【私達の生命には基調となる十界(その多くは六道の一つ)が具わり、さらに、瞬間瞬間、縁に触れて表面に現れてくる十界が具わる。十界に十界が具わるので十界互具となり、十界×十界で百界になる。】
◆十如是【十界が、どのように身心の上に現れ、活動し、また変化していくのかを示したのが十如是。この十如是が十界に等しく具わっているので、百界×十如是で千如是になる。】
○如是相(万物の姿のことで、物質や我々の身体、声などをさす)
○如是性(内面の性質のことで、心情や知恵などをさす)
○如是体(相と性とを兼ね備えた我が身のこと)
[この三如是を本として、以下の七つの如是が現れる]
○如是力(相・性・体に内在している力のこと)
○如是作(力が実際に発動し、作用していくこと)
○如是因(内在している原因のこと)
○如是縁(外界からの助縁のことであるが自己の主体に委ねられる)
○如是果(因と縁が和合して定まる内なる果のこと)
○如是報(定まっていた果が、後々、具体的に外に現れること)
○如是本末究竟等(始めの相を本、終わりの報を末とし、本から末までが一貫して一個の生命の姿であること)
◆三世間【百界・千如是が現れる三つの環境のことで、千如是×三世間で三千世間となり一念三千の法門となる。有情・非情・国土草木までを含めた真理。】
○五陰世間(人間がもつ五つの要素−色・受・想・行・識−のことで、個々の人間の五陰に現れる十界の基調と百界・千如)
○衆生世間(個々の人間に現れる十界の基調と百界・千如是)
○国土世間(個々の国土に現れる十界の基調と百界・千如是)
方便(権教)では対機説法といって、法を聞く人々の機根(理解する能力や性格等)に応じた譬喩を使って説法しました。
またこの説法は相手の病状に応じて薬を処方することにたとえて応病与薬とも言います。したがって対機説法は随他意の説法とも言い、それに対して相手の機根にかかわりなく仏の悟りのままに本懐を説く説法を随自意の説法と言います。
深遠な究極の真理(法)へと誘引する説法は随他意の説法となり、究極の真理(法)を説く説法は随自意の説法となります。したがって説法の内容は当然ながら従浅至深となり随自意の説法は真理の法を説くゆえに難信難解となります。
日本の延暦寺の開祖である伝教大師は法華経法師品の
『我が所説の經典、無量千萬億にして、已に説き、今説き、當に説かん。而も其の中に於て、此の法華経、最も難信難解なり。』
を読んで、
随 自 意 の 説 法
已説の四時の経・今説の無量義経・當説の涅槃経は易信易解なり随他意の故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に
等云々と説いています。
この法華経は随自意の説法からして、釈尊の最高真実の経典であり、最も難信難解の経典になります。
そして釈尊が説いた随自意である深遠な究極の真理(法)は、四十余年にわたって説き続けてきた随他意の説法である方便(権教)による化導を終えられ、七十二歳から八年間にわたって霊鷲山、虚空会の二処三会で説かれた法華経によって、ついに本懐を遂げることになります。
