6 、 文 証 ・ 理 証 ・ 現 証
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法 華 講 員 の 体 験 談 ( そ の 6 )
こ の 厳 然 た る 成 仏 の 実 証 (佐々木博子さん)
私の主人は、昭和57年に日蓮正宗に入信しましたが、葬儀社を経営していた関係上仕事で使う邪宗の本尊を会社で持っておりました。
「それを捨てるように」
と、講頭が再三にわたって御指導くださったのですが、かえって反発し、あげくのはては日顕上人猊下様を誹謗したり、講頭に怨嫉したりする有り様でした。
謗法を犯せば、10日、1年、3年、7年の節目で罰が出ると聞かされていましたので心配しておりましたところ、ちょうど反発しだして3年ほど過ぎた昭和61年9月、ついに主人に罰が出てしまいました。それまで元気だった主人が、突然、具合が悪くなり、倒れてしまったのです。
病院に運ばれ、緊急手術を受けた結果、まさかと思っていたガンで、それも、すでにお腹いっぱいに拡がっていたのです。もう、手の施しようもなく、お医者さんからは、
「御主人は三日の命だから、知らせるところがあれば知らせるように」
と言われ、もう目の前が真っ暗になってしまいました。かねて講頭から、
「このままでは御主人は大変なことになるかもしれない」
と御心配いただいておりましたが、こんな形で、その大変なことが起きてしまっていたのです。
すっかり落ち込んでいましたが、早くから信心をしていた息子が
「こんな時こそ、必死で御本尊様におすがりして、救っていただかねばいけない」
といって、家中で一生懸命に南無妙法蓮華経とお題目を唱えました。するとどうでしょう、三日ももたないといわれた病状が、少しずつ快方に向かいはじめたのです。
病人の意識が戻り、気分も少し落ち着いてきた頃、息子が、
「お父さんに、病名がガンであることを、ハッキリ知らせる」
と言い出しました。私はびっくりして、そんな残酷なことはやめてくれと頼みました。けれども息子は、
「仏法に背いた罰でこうなったのだから、お父さん本人にしっかり懺悔させ、邪宗教を捨てさせなければ、助けることもできないし、結局は地獄に堕ちてしまう」
といって、主人に邪宗・謗法の罰の恐ろしさを話していきました。
そばにいる私は、本当にハラハラしながら聞いておりましたが、主人は、
「自分が本当に悪かった」
と、涙を流して懺悔し、しっかりと南無妙法蓮華経とお題目を唱えるようになったのです。
また家中で徹夜の看病をする一方、息子は友人達を次々に折伏し、一挙に20人、30人と、入信する人が増えていきました。すると、三日ももたないといわれた主人の病状は、奇跡的にどんどん快方に向かい、3ケ月後には無事に退院することができたのです。
主人は退院後、さっそく、会社にあった邪宗の本尊を焼き捨て、電話で親類の者を折伏するようになりました。また、総本山に参詣させていただいたり、昭和62年の7月には暑い中を仏教講演会に二度も足を運び、熱心に聞いていました。
その後、二度目の入院をして血液検査を受けましたところ、考えられないほどのガンの数値が出て、医者が
「生きているのが不思議だ」
と、首をかしげていました。そんな病状なのに、ただの一度も痛みを訴えたことがなく、また、食事も普通に食べられるのです。そして、なんと、また退院することができました。
もう、これは本当に御本尊様のおかげです。こうして主人は1年間の寿命を延ばしていただき、その間に、娘の結婚式にも参列することができました。
昭和62年の9月、三たび病院に入ったのですが、毎日、本当に静かに寝ており、ガンの末期の苦しみなど全然ないまま、また、ただの一度も痛み止めの麻薬を打つことなく過ごしました。とうとう息を引き取る段になっても、本当に静かに、安らかに眠っているようでした。
家族が南無妙法蓮華経と題目を唱える中、ス−ッと息が止まった途端に、主人の口元がほころんで、にっこりと笑っているようでした。その相はといえば、まさに、御金言に説かれる成仏の相そのもので、身体には硬直も起こらず、柔らかいまま、臭いもなく、色も白く、また半眼半口で、ちょっとさわれば、くすぐったがって笑いだすのではないかと思えるような、穏やかな顔でした。
この厳かな事実の前に、亡くなったという悲しさよりも、無事に成仏させていただいたという感動で、私達は胸がつまり、涙が溢れてきました。
本当に、今さらながら謗法の恐ろしさ、そして正しく信心することのありがたさを、しっかりと体験させていただきました。(『捨邪帰正のすすめ』/暁鐘別冊号より)