4 、 仏 法 を 学 ぶ
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六 波 羅 蜜
釈尊が説いた随自意である深遠な究極の真理(妙法)は、四十余年にわたって説き続けてきた随他意の説法である方便(権教)による化導を終えられ、七十二歳から八年間にわたって霊鷲山、虚空会の二処三会で説かれた法華経によって、ついに本懐を遂げます。
そしてこの法華経において、末法五濁の人々の重病を治す大良薬である妙法が、釈尊から上行菩薩(日蓮大聖人)へ付属されることが説かれます。そして末法今日では、日蓮大聖人の妙法(御本尊)への信行学によって、煩悩(無明)を滅して、老死、憂悲、苦悩を滅する煩悩即菩提、生死即涅槃の即身成仏が遂げられることを御教示されています。
日蓮大聖人は御書『諸経と法華経と難易の事』の中で、
元 品 の 無 明 を 切 る 利 剣 【元品の無明=煩悩】
生死の長夜を照す大燈・元品の無明を切る利剣は此の法門に過ぎざるか随他意とは真言宗・華厳宗等は随他意の易信易解なり仏九界の衆生の意楽に随って説く所の経経を随他意という、譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随って説く所の経を随自意という、譬えば聖父が愚子を随えたるが如くなり等云々
と説いています。
方便経では六道の世界(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界)が説かれ、生前の行為によって積まれてきた業によって死後生まれ変わる世界が決まり、それぞれの六道を輪廻していくという輪廻転生の教えがあります。
この輪廻転生は五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)を守らなかったことが業の原因となるので、五戒を守ることを定めています。またこの六道輪廻から解脱し、あらゆる苦から解放されるための菩薩の六つの修業法(六波羅蜜)を説いています。
六 波 羅 蜜 【菩薩が悟りにいたるための6つの実践法】
○布施波羅蜜→あらゆる欲を捨てて、物惜しみせずに施しを行う実践
○持戒波羅蜜→五戒を守る実践
○忍辱波羅蜜→修業中苦難に遭っても耐え忍ぶ実践
○精進波羅蜜→つねに精進して怠けない実践
○禅定波羅蜜→つねに心を平静に保ち精神を集中させる実践
○智慧波羅蜜→道理を完全に理解し悟りへ至る実践
しかし六波羅蜜の修業は、方便経で説かれた教えであり、また実際には厳しい歴劫修業が必要であり、凡夫である私たちには到底到達し得ない世界です。
「布施波羅蜜」一つにしても、雪山童子が羅刹に我が身を投じ、因位の釈尊が鳩の身代わりに身を投じた修業を、末法の凡夫がそのまま行じきれるでしょうか。こうした厳しい修業を仏が詳しく説けば、皆怖れて退転してしまう事でしょう。
日蓮大聖人の仏法は、こうした六波羅蜜等の爾前迹門(法華経本門以外)の厳しい歴劫修業を、一行に摂して、
妙 法 経 力 即 身 成 仏 の 大 法 【無上宝聚、不求自得】
○未だ六波羅蜜を修業することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す
○妙法一粒の良薬に丸せり。豈知るも知らざるも服せん者煩悩の病ひ癒えざるべしや
○南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり、此の妙法を指して無上宝聚と説き給うなり、宝聚とは三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜等の宝を聚めたる南無妙法蓮華経なり、此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり、不求自得とは是なり(御義口伝上)
○釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経法の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまふ(勧心本尊抄)
と、誰にでも行ずることのできる妙法経力即身成仏の大法として、末法の凡夫に御教示されています。
また、釈尊が成仏するために積んだ因行と果徳は、すべて南無妙法蓮華経の御本尊に納まっており、これを受持信行する衆生は、そのまま勧心の悟りを成就して広大深遠な功徳を受けることができると仰せです。法が低ければ修業は厳しくなり、法が高ければ修業は易しくなります。
末法の現世においての正しい修業は、御本尊を受持して自行化他の信心を実践することであり、
「六波羅蜜自然に在前す」
「煩悩の病ひ癒えざるべしや」
「此の無上宝聚を辛労も無く行功も無く一言に受取る信心なり」
との大功徳が得られることを説いています。