4 、 仏 法 を 学 ぶ
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仏 教 で 説 く 人 間 の 意 識 : 六 識
人間の体は五蘊(色、受、想、行、識)から構成されていますが、外界の出来事を認識する入口は五カ所しか有りません。レストランでの食事場面を例に取るとします。テ−ブルの上にはおいしそうな食事が並べられ、館内の照明も落ち着いています。これは「眼」という感覚器官で視覚的に認識します。
また食欲をそそるような良い香りがします。これは「鼻」という感覚器官で臭覚的に認識します。
食べ物を口に入れました。得も言われぬようなおいしさで思わず頬がゆるみます。これは「舌」という味覚器官で味覚的に認識します。
レストラン内では落ち着いた雰囲気をかもしだすために、心地よいミュ−ジックが適度な音量で流れています。これは「耳」という感覚器官で聴覚的に認識します。
館内の空調設備は快適で、ほどよい温かさを保っています。また椅子の座り心地は申し分なく、お尻や背もたれのクッションは体を楽に支えてくれています。これは「身」という感覚器官で触角的に認識します。
こうして「眼」「鼻」「舌」「耳」「身」の五つの感覚器官(五感)によって外界を認識し、このレストランでの食事を「心地よいもの」と思考し意識します。これが知覚的な認識で感覚器官は「意」になります。
この「意」の感覚器官(意識)を目から数えて六番目にあたる認識能力ということで六識といいます。これが仏教の認識論の基本となります。
私たちの日常の生活では、この五つの感覚器官(五感)とそれに基づいて認識していく意識によって暮らしています。
なお「六根清浄」とはこの外界を認識するこれら六つの器官を清浄にして、身(六識)を清めるということから来ています。
六 識 【外界の出来事を認識する器官】
【六根】(感覚能力)【六境】(対象物) 【六識】(認識能力)
●「眼根」(視覚) → 色境 (見えるもの) → 「眼識」(視覚的認識)
●「耳根」(聴覚) → 声境 (聞こえるもの) → 「耳識」(聴覚的認識)
●「鼻根」(臭覚) → 香境 (香るもの) → 「鼻識」(臭覚的認識)
●「舌根」(味覚) → 味境 (味のするもの) → 「舌識」(味覚的認識)
●「身根」(触角) → 触境 (触れられるもの)→ 「身識」(触角的認識)
●「意根」(知覚) → 法境 (感覚されるもの)→ 「意識」(知覚的認識)
ところでこの六根を清浄するために、日常生活の中で五根(五識)を最上のもので覆ったとします。
例えば日々「眼根」には、目にするもの全てを美しい風景で彩り、「鼻根」には、芳しい草花や白壇・沈香・伽羅等の香りを満ちあふれさせ、「舌根」には、最高の食材を使って最高の料理人が調理した美味を味わい、「耳根」には、心地よい妙なるしらべを四六時中奏で続け、「身根」には、爽やかな風と共に寒暖の感じられない程よい空調の中で身を休めることになれば、その五根(五識)によって得られる「意根」(六識)は、不快とは程遠い清浄で幸福な意識になるのではないかと思われます。
こうした環境を整えることはさほど難しいことでは有りません。例えば美しい自然のあふれる田舎で(眼根)、新鮮な空気を吸い(鼻根)、新鮮な山海の幸を味わい(舌根)、野鳥のしらべ、小川のせせらぎ、枝葉を鳴らす風の音に耳を澄まし(耳根)、露天風呂の温泉にゆったりとつかれば(身根)、それらによって得られる心地(意根)は、最上のものになるでしょう。
こうした生活を日常おくれば「六根清浄」が果たせるのではないかと考えられます。しかし、このような生活を送っていても、煩悩(無明)は生命の内面から泉のごとく尽きることなく湧き出てきます。例えば、いくら恵まれた暮らしをしていても、未来永劫続くことのできない暮らしであることには変わりありません。
有名な「色即是空・空即是色」という般若心経の一文がありますが、形(有)あるものはやがて即ち空(非有)となり、また空はやがては因縁によって即ち有(非空)となることを説いています。
すなわち「有=非空、空=非有」であり「非空=有、非有=空」ともなります。
この有(仮)・空の相対立する概念を双照双非する絶対の立場が中諦の理です。(空仮中の三諦)
またこの空仮中の三諦の理は、生命の本質を示しており、全体が三であり一でもあります。(三諦円融の理)
しかしこの三諦円融の理は仏の悟られた真如実相であって、凡智の測り識るところではありませんが、この三諦を如実に一心において観ずることが空仮中の三観であり、この三諦の妙理を即時に一心の生命として得ることが、一心三観であり、妙法の生命であると説かれています。そしてこの般若心経は、その中の空諦の理を主に説いています。
いずれにしても、老い(有)は必ずやって来て、いつか死(空)を迎えなければなりません。
六根清浄の暮らしをしていても、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦八苦の苦悩から逃れれることは出来ないのです。
後で述べるように見惑・思惑・塵沙惑・無明惑の煩悩は、いくらお金をかけて生活環境を最高のものに整えたとしても、それだけでは断ずる(解決する)ことは残念ながらできないのです。