3 、 釈 尊 の 本 意 を 経 文 か ら 探 究 す る
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法 華 経 に お い て 最 高 真 実 の 教 え を 説 く
霊鷲山における八年の説法、すなわち第五の法華涅槃時において、法華経の序文である『無量義経』という経典の中で次のようにはっきりと説いています。
四 十 余 年 未 顕 真 実 の 経 文
我先に道場菩提樹下に、端坐すること六年にして阿耨多羅三藐三菩提を成ずるとこを得たり。佛眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん。諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。
(無量義経説法品第二)
【自分はかつて、菩提樹下で端坐黙想すること六年間に及び、ついにこの世の中の真理というものを悟った。そして、この真理を人々に説こうと思い、仏眼を使って思惟したが、これをそのまま説くことは思い止まった、何故ならば、人々の素養や理解力が乏しく、またまちまちであることを知ったからである。そこでまず、人々の素養や理解力に合わせて真理の部分部分を種々の経として説くことにした。こうして説いてきた教えは、真実へ導くための方便であり、これまでの四十余年間においては、いまだに真理の全てを説き顕してはいないのである。】
また『無量義経』に続き、『法華経方便品』という経典においては、
正 直 捨 方 便 ・ 但 説 無 上 道 の 経 文
○世尊は法久しうして後かならずまさに真実を説きたもうべし
○諸の菩薩の中に於て正直に方便を捨てて但無上道を説く
○まさに知るべし是の妙法は諸佛の秘要なり五濁の悪世には但諸欲に楽著せるを以て是の如き等の衆生は終に佛道を求めず
【私は今こそ、まさにこれまでの方便の教えを捨てて、真実最高の教えを説くであろう。まさに知ってほしい。この妙法は、諸仏の中の秘要なのである。五濁《時代の濁り、煩悩の濁り、社会の濁り、思想の濁り、命の濁り》の悪い世の中では、人々はただ様々な欲望に執着して快楽を求めるために、結局は仏道を求めずに一生を虚しく終えるのである。】
と説かれ、法華経を説く以前の説法は全て方便であり、法華経において諸佛の秘要である真実最高の教えを説くと言っています。
しかし五濁の悪世(滅後の末法の時代)の衆生は、諸仏の中の秘要であるこの妙法を、目先の欲望や快楽に心を奪われて求めないことも予証しています。
『法華経法師品』では、
法 華 最 第 一 ・ 最 為 難 信 難 解 の 経 文
○我が所説の諸經而も此の經の中に於て法華最も第一なり
○我が所説の經典、無量千萬億にして、已に説き、今説き、當に説かん。而も其の中に於て此の法華経、最も難信難解なり。薬王、此の經は、是れ諸佛の秘要の蔵なり
【私が説いた様々な経は膨大な量であるが、そのすでに説いた経、今まさに説いた経、これから説くであろう経の中でも、この法華経こそが最も重要であり一番大切な最高の経である。それだけに最も理解しがたく信じがたい経である。しかもこの法華経は、諸佛の秘要が納まった蔵なのである。】
と説かれ、已(四十余年間の未顕真実の説法)今(無量義経・法華経)當(涅槃経)の中でこの法華経が最第一であることを明確にされています。
こうした経典の内容はたとえて言うならば、幼稚園児や小学生を相手に高等数学である微分積分やユ−クリッド幾何学などを教えても理解不能ですから、幼稚園児や小学生にあった数の数え方や10までのたし算、ひき算といった易しい算数を、しかも一人一人の能力に応じた個別指導で理解を促し、徐ゝに本来の目的である高等数学に導くという段階を経る、ということと同じです。
釈尊も、一人一人の能力に応じて例え話(方便)を多様して低い教えから説き進めていき、やがて真実最高の教えである法華経を説いたということです
