6 、 文 証 ・ 理 証 ・ 現 証 

 

 

          法 華 講 員 の 体 験 談 ( そ の 3 )

 

 

入信10年、180度転換した人生 (榎本文男氏)

 

 

私は昭和59年11月、17歳の時に、姉である62支区・加藤明美部長に折伏され、日蓮正宗に入信いたしました。

当時の私は、中学生の頃から、たいへんにグレてしまっていました。家に友達を呼んでシンナ−を吸い、酒を飲み、夜になると、無免許でバイクに乗って暴走族のように暴れ、しばしば警察のご厄介になっていました。

髪の毛が、傷んでボロボロと折れるほど真っ赤に染め、頭の半分ぐらいまで剃りこみを入れ、眉毛も見えなくなるほど剃り、クラスでついたアダ名が“3ミリ眉毛”。校内暴力に明け暮れて、クラス担任の先生などが私を呼びつけようものなら、先生の胸ぐらをつかんで脅し、教室の机やイスを投げつけたりと、やりたい放題の毎日を送っておりました。

私の問題児ぶりは、高校へ進学しても、直るどころか、さらにエスカレ−トして、木刀を持ち歩き、他校へケンカを仕掛けてみたり、今はやりの“いじめ”をして、クラスで最も弱い同級生から金を巻き上げるなど、たいへん、すさんでおりました。

またシンナ−遊びがやめられず、とうとう奥歯がシンナ−で溶けてしまうほどでした。

「怖いもの知らず」を勲章のようにして、警察を見ては、逃げるどころか、こちらから絡んで、パトカ−のフロントガラスをめちゃくちゃにしたこともありました。

そして高校1年の10月、私は、友達と飲酒運転でバイクを二人乗りし、カ−ブを曲がりきれずにコンクリ−トの橋に激突、バイクは粉々となって、友達は、脳挫傷の瀕死の状態で病院に運ばれ、私の方は、かすり傷程度でしたが、病院から警察へ、警察から学校へと通報され、とうとう学校を退学せざるをえなくなってしまったのです。

「なぜ、自分ばかりがこんな目に」

と、私は、人生がすべて終わったように思え、気持ちがすさんで、今度は、親にまで手を上げようとする有り様でした。

その後、まもなく、さらに衝撃的なことが起きました。

私の父は大工をしているのですが、仕事中、木を切断するグラインダ−の歯が突然割れて飛び散り、その破片が父の眉間に突き刺さって、脳まであと数ミリという危ない状態で救急車で運ばれてしまったのです。幸い命は助かりましたが、私は、信じられない思いで、呆然としてしまいました。

というのは、私と違って、父も母も正直な人で一生懸命生きてきたというのに、こんな目に会うとは、世の中には神も仏もあったものか、私の家族は始めから幸せにはなれないと決まっていたのだ、と思えたからです。そして、本当にすべてがいやになった私は、仲の良かった友達にも連絡することなく、逃げるように田舎と決別し、上京しました。

最後に母が、新潟駅まで見送りに来てくれましたが、その疲れ切った表情、寂しく泣きながら送り出してくれた姿は、昨日のことのように、鮮明に脳裏に焼き付いております。

状況後、私は、中野区にある食品会社に入社いたしました。環境を変えれば少しはよくなるだろうという、わずかな希望と期待をもって、真面目に働き始めました。

しかし、それもつかの間、不思議なほど、やることなすこと、うまくいかず、昨年の元旦には、新宿・歌舞伎町のど真ん中でバイクの事故を起こし、次第に仕事にも嫌気がさし髪をモヒカン刈りにし、ズボンのポケットには、いつも切れ味のいいナイフを持ち歩き、仲の悪かった上司を刺し殺そうと、本気で計画するほどになってしまいました。とうとう会社からも、

「このままならクビにする」

と宣告され、自暴自棄になっていたその時に、姉より、日蓮正宗の話を聞くことができたのです。私は、姉が入信した時などは

「騙(だま)されているんだ」

と言って、頭から仏法を否定しておりましたが、入信後の姉が、どんどん変わり、明るくなっていくのを見て、これは何か変なクスリでも飲まされているのに違いない、それとも本当に宗教の力なのかと、疑問に思うようになっていました。その姉から電話があり、

「大事な話がある。武蔵小金井の駅で会いたい」

と言われた時には、私は、てっきり、よい飲み屋でもできたものと勘違いし、簡単にO・Kしてしまいました。もっとも、なぜ、武蔵小金井駅などという処で会わなければいけないのだろう、という素朴な疑問が湧き上がってきましたが、細かいことは気にせず、約束どおり駅で会いました。

しばらく歩き、着いたところは「妙観講」の看板がかかっていました。変わった飲み屋だなと思いつつ、ドアを開けたところ、勤行の声が聞こえ、はじめて、日蓮正宗の話をするために、ここに連れて来られたのだということがわかりました。

はじめは、腹だたしく思いましたが、いくら私が、あたりちらしても、その場にいる方全員がニコニコして応対され、最後には中山支部長の情熱をもった折伏に感激し、自分の人生を変えるべく、入信を決意しました。

入信後の私は、御本尊様の大功徳をいただき、百八十度変わることができました。

先輩より、勤行こそ信心の根本、功徳の源であると御指導いただき、朝の勤行は最低30分、南無妙法蓮華経とお題目を真剣に唱え、実践させていただきました。するとどうでしょう。命の奥底から生命力がフツフツと湧き上がり、何に対しても積極的になれる自分に変わり、生きていること自体が楽しく、本当に信心して良かった、という実感の日々になったのです。

私はこの感激を誰かに話したくてたまらなくなり、会社の同僚、上司、社長、まかないのおばさん、同級生、そして通行人にまで折伏していきました。すると、会社の人達からは、

「榎本は、宗教にとりつかれ、頭が狂った」とか、同級生には

「学校にいた時は、さんざんいじめたくせに、お前が人を救う話をするなんて、誰が信じられるか」と攻撃されましたが、

「難来たるを以て安楽と意得べきなり」(御書1763ペ−ジ)

との仰せを心肝に染め、折伏の功徳は絶対であること、折伏ゆえの悪口や中傷は罪証消滅の証であることを信じ、毎日楽しく実践していきました。

すると、そのような中、御本尊様の功徳が厳然と顕れ、クビを宣告した会社の専務からは、

「榎本は、態度や、言葉づかいも変わり、毎日明るく仕事も順調にこなしていけるようになった。これは、その宗教の力である」と言われ、さらには

「会社の雰囲気まで変わってきた」ということで多大な評価をしてくださり、1年間で3回も昇給するといった、会社として異例な処置までとってくれました。

一度は、すべてを投げ出しかかった私にとって、これらの仕事上の功徳は、本当にありがたく、何をやっても行き詰まった、以前のことを振り返ると、感謝の気持ちにたえません。また、ありがたいことに功徳がさらに功徳を呼び、入信半年後、私の変わったことを一番喜んでくれた母が入信、その半年後、事故のケガがよくならずに後遺症で苦しみ、仕事復帰は難しいと思われた父が、弟と共に入信決定し、晴れて、不幸の源である邪宗教を改宗し、御本尊様を家に迎え入れ、一家の広宣流布をなすことができました。

父も入信後、勤行に励むうちに、ケガが順調に治りはじめ、それまで目途のつかなかった、最後の額の骨入れ手術ができることになりました。

その手術は、足の一部の骨を取って額に入れる、というものですが、なんと、実際に開いてみたら、あまりに良くなっていて、その必要すらなく、すべて完治してしまうという大功徳を頂戴したのです。

その後、平成2年を迎え、創価学会問題が勃発しました。大草講頭は、

「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なり」(御書1165ペ−ジ)

の御金言を引かれ、あろうことか創価学会が宗門に敵対し猊下様を打ち倒そうとしてきたこと、妙観講はこの時のために、仏祖三宝をお護りすべく立った講中であること・・を、強く訴えられました。

その講頭の、どこまでも三宝を護らんとする赤誠の信心に触れ、自分ごとき者も、今まで救っていただいた大恩ある御本尊様をお護りすべく、自分の存在をすべて掛けきる思いで、創価学会に対する折伏に邁進することを決意いたしました。

学会員の名簿の作成、『慧妙』配布、男子部との法論、訪問折伏など、すべて喜んでやらせていただく中、さらに無上宝珠・不求自得ともいうべき大功徳を、御本尊様より頂戴しました。

それは、昨今の不況の中、私の勤めていた会社も経営方針を変えざるをえなくなり、それを機に私も退社することを決断し、単なる方法論ではなく、本当に御本尊様に、心から頭を何度も畳にこすりつけて真剣に祈っていきました。するとどうでしょう。まったく考えもつかなかったところから道が開け、私の満足できる希望どおりの会社に、無事、入社することができたのです。

その会社とは、荒川区で電気受注率ナンバ−1の会社であること、本来なら、大学卒や専門学校卒しか入社できないこと、不況に関係なく役所から安定して仕事がはいること、その他、給料面、対人関係、すべて御本尊様に祈りを叶えていただき、まったく予期していなかった順調な形で、長年の夢であった電気代理人の第一歩を踏み出すことができました。

また住まいも、汚い六畳のアパ−トからオ−トロック付きマンションの会社の寮へと引っ越しを済ませ、安心した生活を送らせていただいております。御金言に

「法華経の行者は信心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修業せば、たしかに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(御書642ペ−ジ)

とありますが、入信10年たった今、私は本当に生まれ変わることができ、この大聖人様の仰せが真実であること確信いたしました。(後略)(法華講員の体験集『蒼碧集』4.より)