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教
え 子 の 死
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病院から下田港、下田港から島へ
お昼ごろ、M君の親戚だという若い男性のワゴン車に棺を載せ、M君の両親と私がつき添って伊豆半島の先端に近い下田港に向かいました。
5時間あまりの車中では、ステ−ションワゴンの荷台に載せられた棺を母親がしっかりと抱きかかえ、食事や休憩を取る事もなく、「M、M」 と男の子の名前を呼び続け、流した涙は枯れる事なく泣き続けていました。
私にできる事は、ただ島までつき添って行くことだけでした。
下田港に着くと、すでに島の漁船が待機していて、ワゴン車から小さな棺を船内に移動させました。 そのとき漁師の人が悲痛な表情で 「こんな姿になって戻ってきてや−!」 と言った一言がいまだに耳に残っています。
小さな漁船の揺れは大きく、2時間以上の船旅は辛いはずでしたが、深い悲しみと異常な出来事が神経を麻痺させたようで、船酔いは感じませんでした。
棺には小さな窓が付いていて、船内でも母親が扉を開けては 「M、M」 と名前を呼び、棺を抱きかかえては名前を呼び、絶えることなく泣き続けていました。
島に着いた時には日はすでにとっぷりと暮れ、港の照明が眼に飛び込んできました。 港には多くの島民がM君の到着を待っていました。 船が着くと、島の人達の中からすすり泣きや号泣する声が聞こえ、この事故に対する島の人達の深い悲しみを知ることになりました。
上陸をして安堵すると共に、島の人達の悲しみに接して再度涙をこらえていると、近くにいた見ず知らずのおじいさんが私のそばに寄ってきて言いました。
「先生、お願いだから泣かんでくれ、お願いだから泣かんでくれよ。」 と、泣きながら懇願していました。
島の人達は、厳しい自然の中で生活してきており、特に漁師は気性が荒いと言われていますが、一人の少年の死の悲しみを、深く共有する島の人達の心根を、はっきりと感じ取ることができました。
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