7 、 創 価 学 会 の 謗 法 ( 現 代 の 一 凶 )
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信 心 の 血 脈 と 法 体 の 血 脈
「此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し」(一代聖教大意)
「代代の聖人悉(ことごと)く日蓮なり」(御本尊七箇之相承)
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、(中略)背く在家出家どもの輩(やから)は非法の衆たるべきなり」(池上相承書)
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(生死一大事血脈抄)
と仰せのごとく、師弟相対の相伝である血脈相承がなくては、正法の深義は伝えられないし、いかに御本尊を持っても、真の功徳は得られません。
日蓮大聖人は『曾谷殿御返事』に、
総 別 の 二 義 あ り
是れには総別の二義あり。総別の二義少しも相そむけば、成仏思もよらず、輪廻転生のもといたらん
と仰せで、血脈相承には総じて大衆にも広く与えられるもの(信心の血脈)と、別して最も資質の優れた御弟子を後継者として選び、法体を授けられるもの(唯授一人の血脈・法体の血脈)という総別の二義があります。
総じて大衆にも与えられる血脈は、別して御歴代猊下一人に伝わる法体を源として流れるものですから、信心の血脈をもって法体の血脈を否定せんとすることは、悪道に堕する根源になると大聖人は戒められているのです。
だからこそ、この血脈相承を受けられた代々の御法主上人猊下に対しては、日蓮大聖人のごとく拝することが肝要だと説いているのです。
それを「日顕宗」だとか、書くこともはばかられるような悪口雑言を言い立てる学会は、「非法の衆たるべきなり」であり、謗法の罪は免れません。
池田大作及び学会幹部達は、末端の学会員に対して盛んに『大聖人直結』『御書直結』『信心の血脈』と、もっともらしく言っていますが、その意図するところは『唯授一人の血脈・法体の血脈』を否定することにあります。ですから、「この一点を誤れば、すべてが狂ってくる」(池田大作)と名誉会長自らが言うように、血脈を否定し、誹謗中傷する池田創価学会を「悪知識」と断ずるわけです。
そもそも『大聖人直結』『御書直結』『信心の血脈』ならば、日蓮宗と同じではないでしょうか。
大 白 蓮 華 よ り (創価学会機関紙)(掲載論文昭和四十一年九月号)
よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立場である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)有名無実の信心をふりまわし、付属相承を否定するのは、総別の二義に迷惑し、師弟相対に暗く自ら混乱を好むしわざではないか。