4 、 仏 法 を 学 ぶ
◆
即 身 成 仏
即身成仏とは、煩悩に覆われた凡夫の身のままで仏に成ることをいい、自己の生命の奥底にそなわる仏性を開き、安心立命の境界となる最極の功徳をいいます。
この即身成仏は、小乗教で説くような煩悩をすべて滅することでも、また死んだ後にはじめて仏になるということでもありません。生きているこの身このまま、煩悩を持ったままの姿で仏の境界を得るということで、これは日蓮大聖人の仏法を信仰することによってのみ可能となるのです。
さらに大聖人は、機根も低く三毒強盛の荒凡夫である末法の衆生に対し、法華経寿量品の文底に秘沈された三大秘法の御本尊を受持信行するところに、煩悩を持ったまま、即身に成仏できる法門を説き示さ
れました。すなわち、
即 身 成 仏 の 法 門
正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住は常寂光土なり(当体義抄)
と仰せられ、大聖人の仏法を信受し、題目を唱える功徳によって、自分の煩悩・業・苦の三道が、不変の真理を悟って清浄にして不動の心(法身)となり、深い智慧と慈愛に満ちた人間性(般若)を開発し、人生を自由自在に遊楽して苦しみの束縛から逃れ(解脱)させる働きをもたらすことになると示されたのです。
すなわち、正しい御本尊を信じ唱題に励むとき、煩悩はそのまま仏果を証得する智慧となり(煩悩即菩提)、苦悩の人生を克服できる力強い生命へと転換(生死即涅槃)されていくのです。
さらにこの即身成仏の境界は、大聖人が、
即 身 成 仏 の 境 界
いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり(上野殿御家尼御返事)
と仰せられているように、その徳は今世だけにかぎらず、未来永劫にまで及んでいくのです。またこれらの功徳の実証は、ひいては父母を救い、先祖代々の人々を成仏させ、さらに未来の子孫に福徳をもたらすことにもなるのです。
このように、御本仏大聖人の大慈大悲による仏天の加護を受け、正しい信心と修業によって三世にわたる福徳がそなわり、清浄にして自在な仏の境界を実生活のなかに現していくことができるのです。これが「六根清浄」であり、「即身成仏」の大功徳なのです。