3 、 釈 尊 の 本 意 を 経 文 か ら 探 究 す る
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正 法 に 背 く 罪 ( 謗 法 の 罪 )
ところで法華経譬喩品等には、法華経を毀謗する罪(謗法)が詳細に説かれています。
法華経の経文に説かれているこれらの内容を現代語訳で記すと、次のようになりますが、日々のニュ−ス報道や周囲の人の中で、この経文に符合する人が数多くいることに気がつくと思います。
釈尊の持つ五神通(天眼通・天耳通・他心通・神作通・宿命通)の内の、天眼通(全てを見通す力)や宿命通(人々の過去世の原因を全て知る能力)によって、その真実を説かれたものであると拝されます。
なお私自身も、過去世において悪業を積み、この悪世末法に生を受けた身です。これまでの自分の人生を振り返ってみた時、この経文に符合する個所が、過小に見積もったとしても8つもありました。(2、4、6、7、11、12、15、16)
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪
【法華経譬喩品、法華経普賢品の現代語訳】
1、眼・耳・鼻・口等の諸器官が正常に働かず、いわゆる奇形や不具・身体障害といった姿を現ずる。
2、自分が誠を込めて真実を語っても、周囲の人々が信じてくれなくなる。
3、口より悪臭を漂わせ、しばしば金縛りにあったり幽霊・物怪のたぐいを見るようになる。
4、経済的に貧苦のどん底となり、他人に低賃金で酷使される立場となる。
5、体に様々な病気を持ち、やせ細ってしまう。
6、頼るべき人がなく、また人に親しく接していっても、相手はそれほど自分のことを心に置いてくれない。
7、所得や収入があっても、次々に支出してしまって生活苦に陥る。
8、もし、自ら医者となって病人を治療すれば、医療ミスを犯して、かえって他の病気を引き起こしたり、死亡せしめてしまう。
9、また、もし自分が病気になったときには、これを、よく治療できる医者がなく、たとえ特効薬を服用したとしても、ますます病状が悪化したり、他の病気を併発してしまう。
10、周囲の人々に裏切られたり、また、他人に金品や財産をだまし取られ、あるいは盗み取られる。以上のような不幸が、我が身に、次々と起こってくる。
11、常に悩み苦しみにさいなまれたり、足ることを知らぬ貪欲な境涯となったり、あるいは、動物のように本能だけで行動する人格・境涯となってしまう。
12、貧苦に陥り、痛々しいまでに貧相な姿となる。
13、身体に、水胞や瘡蓋、白斑や出来物などの病が起こり、次第に拡がっていく。
14、常に身体から悪臭を発散させる体質となったり、垢や汚れを落とすこともできない生活状態となる。
15、自分勝手な妄想や曲がった見方・考え方に捉われ、そのために、腹立たしさや苦しみを自ら増していく。
16、婬欲が盛んとなり、動物のごとき行いとなる。(以上、法華経譬喩品第三から)
17、癩病等の業病にかかる。
18、歯肉の病気等により、歯がすき欠けていく。
19、いわゆる三つ口や、口曲がり、鼻筋がなくなる等の、悪相が現われる。
20、手足の骨の病により、通常の生活や歩行が困難となる。
21、左右の眼球の位置が狂い、やぶ睨みとなる。
22、身体から悪臭を放ち、膿の混じった血が出るような皮膚病となる。
23、腹水がたまり、命が短くなる。
24、その他、諸々の悪重病が起こってくる。(以上、法華経普賢品第二十八から)
ところで「お釈迦様の説かれる経文は、尊くてありがたいもの」と思っていた人には、法華経という有名な経文に、このような正法を謗ずる罪が、生々しく克明に説かれていることに驚かれたと思います。(私自身もこの経文を見たときには正直驚きました。)
釈尊(仏様)の五神通によって説かれた隋自意の説法ですから、「難信難解」(信じがたく理解しがたい)の教えであり、だからこそ釈尊はこの法華経は「以信得入」(信を以て入ることを得たり)だと、“信じる”ことの大切さを説いています。
また法華経に対する謗法は十四誹謗といって、十四種に分類されていますが、その元となるのは“不信”であり、もっとも誡めなければならないことであると説かれています。
これらの謗法の罪は脅しのための方便ではない、と信じる事が求められているのです。
さて法華経の原文訓読は以下のようになります。
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪 【原文訓読】
其の法華経は 深智の為に説く 浅識は之を聞いて 迷惑して解らず
尚此の經に於ては 信を以て入ることを得たり(以信得入)
若し人信ぜずして 此の經を毀謗せば 則ち一切 世間の佛種を断ぜん
或は復ひんじゅくして 疑惑を懐かん 汝當に 此の人の罪報を説くを聴くべし
若しは佛の在世 若しは滅度の後に 其れ斯の如き經典を 誹謗すること有らん
經を読誦し 書持すること有らん者を見て 輕賤憎嫉して 而も結恨を懐かん
此の人の罪報を 汝今復聴け
其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
是の如く展転して 無数劫に至らん
地獄より出でては 當に畜生に墜つべし
若し狗野干(犬、狐)としては
其の形こっ痩し りたんけ癩にして 人に触にょうせられ
又復人の 惡み賤しむ所と為らん 常に飢渇に困しんで 骨肉枯かつせん
生きては楚毒を受け 死しては瓦石を被らん
佛種を断ずるが故に 斯の罪報を受けん
若しは駱駝と作り 或は驢の中に生まれて
身に常に重きを負い 諸の杖捶を加えられん 但水草を念うて 余は知る所無けん
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
有は野干と作って 聚落に来入せば 身體け癩にして 又一目無からんに
諸の童子の 打ちゃくする所と為り 諸の苦痛を受けて 或時は死を致さん
此に於て死し已って 更に蠎身を受けん 斯の形長大にして 五百由旬ならん
りょうがい無足にして えん転腹行し 諸の小虫の そう食する所と為りて
昼夜に苦を受くるに 休息有ること無けん
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
若し人と為ることを得ては 諸根暗鈍にして ざるれんびゃく 盲聾背傴ならん
言説する所有らんに 人信受せじ 口のいき常に臭く 鬼魅に著せられん
貪窮下賤にして 人に使われ 多病しょう痩にして 依怙する所無く
人に親附すと雖も 人意におかじ 若し所得有らば ついで復忘失せん
若し醫道を修して 方に順じて病を治せば 更に他の疾を増し 或は復死を致さん
若し自ら病有らば 人の救療すること無く 設い良薬を服するとも 而も復増劇せん
若しは他の反逆し 抄劫し窃盗せん 是の如き等の罪 横さまに其の殃にかからん
斯の如き罪人は 永く佛 衆聖の王の 説法教化したもうを見たてまつらじ
斯の如き罪人は 常に難処に生まれ 狂聾心乱にして 永く法を聞かじ
無数劫の恒河沙の如きに於て 生まれては輒ち聾あにして 諸根不具ならん
常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の惡道に在ること 己が舎宅の如く
駝驢猪狗 是れ其の行処ならん
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
若し人と為ることを得ては 聾盲おんなにして 貪窮諸衰 以て自ら荘厳し
水腫乾しょう けらいおうそ 是の如く等の病 以て衣服と為ん
身常に臭きに処して 垢穢不浄に 深く我見に著して 瞋にを増益し
婬欲熾盛にして 禽獣を択ばじ
斯の經を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し
舎利弗に告ぐ 斯の經を謗ぜん者は 若し其の罪を説かんに 劫を窮むとも尽きじ(以上、法華経譬喩品第三から)
若しは實にもあれ、若しは不實にもあれ、此の人は現世に、白癩の病を得ん。
若し之を輕笑すること有らん者は、當に世世に、牙歯疎き欠け、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角らい、身體臭穢にして、惡瘡膿血、水腹短氣、諸の惡重病あるべし。(以上、法華経普賢品第二十八から)
人生の様々な不幸な現象は、全てこの正法に背くことによって起きた罰であることが、上記以外の経典にも、詳細に説かれています。
法 華 経 ( 正 法 ) を 謗 ず る 罪 【他の経文よりの現代語訳】
○心が荒んで、常に煩悩にさいなまれたり、人を殺したり、いさかいばかりの日々となったりする。また、他人をののしって無実の罪を被せたり、被せられたりする。○人としての良識に外れた行いが甚だしく、また貪欲で怒りっぽく、筋道のわからぬ人格となり、親を親とも思わない、畜生のような恩知らずになってしまう。
○短命になったり、虚弱体質になったりして、毎日に覇気も喜びもなく、薄幸な日々を送って苦悩する。
○一に経済苦、二に諍い、三に病苦。その他、諸々の災厄が次々と身に起こり、親戚にも背かれる。
○頭が破れて七分になる。物理的に頭部や脳を損傷して非業の死を遂げる、あるいは心が常に不安と苦しみにさいなまれて通常の生活ができなくなる、精神分裂(統合失調症)やノイロ−ゼ等の異常をきたす等々。
それにしても3000年も前に説かれたことなのに、現在この地球上で生きている人々に、見事に当てはまっていることにただただ驚くばかりです。法華経譬喩品に説かれている謗法の罪は
「若し人信ぜずして此の經を毀謗せば則ち一切世間の佛種を断ぜん」
として善因・善業がことごとく尽きてしまいます。その結果、
「其の人命終して阿鼻獄に入らん一劫を具足して劫尽きなば更生れん是の如く展転して無数劫に至らん」
と無間地獄に墜ちることを説いています。
ようやくこの地獄から抜け出られたとしても、
「地獄より出でては當に畜生に墜つべし」
と謗法の罪により、畜生の胎内に五陰(色・受・想・行・識の5つの要素)が入ってしまい、
「畜生として誕生後は常に飢渇に困しんで骨肉枯かつせん楚毒を受け死しては瓦石を被らん身に常に重きを負い諸の杖捶を加えられん死し已って更に蠎身を受けん」
等々想像を絶する地獄ですが、現にこれに該当する畜生は身近に数多く見られます。
最近テレビ番組で、パンツ一枚の姿のまま舞台でラジオ体操やダンスをするチンパンジ−をたまたま目にしましたが、色(肉体)がチンパンジ−だけであって、自分たち人間となんら変わらない五陰がきちんと備わっているのを感じました。
過去世において、かつては人間としての生涯を送ったであろう可能性は十分に考えられます。それが過去世の業因によって、現世では見せ物となって嘲笑されている姿に、楽しさよりも痛々しさを感じてしまいました。
それでも、一生涯重い荷物を背負わされるラクダやロバ、食肉用として屠殺される運命の牛や豚や鶏、打ち払われる野犬等でないだけまだ幸せなのかもしれませんが・・・・。
