5、日 蓮 大 聖 人 の 御 一 生
【 宗 旨 建 立 】
西暦1253年(建長5年)聖寿32歳
◆ 4月28日 立宗宣言
○今末法に入って上行所伝の本法の南無妙法蓮華経を弘め奉る、日蓮・世間に出世すと云えども、三十二歳までは、此の題目を唱え出さざるは、仏法不現前なり、此の妙法蓮華経を弘めて、終には本法の内証に引入するなり(御講聞書)
○これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国王の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競い起こるべしと知りぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は、退転すべくば一度に思い止むべしと且くやすらいし程に、宝塔品に六難九易これなり。我等程の小力の者、須弥山は投ぐとも、我等程の無通の者、乾草を負ふて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者、恒沙の経々をばよみをぼうとも法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるゝはこれなるべし。(開目抄)
○仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり、仏法必ず東土の日本より出づべきなり(顕仏未来記)
○日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ(報恩抄)
南無妙法蓮華経の本法こそ、仏法の内証に導く唯一最高の教えであり、この本法は上行菩薩が本来所持され、また上行菩薩でなければ顕わすことのできない教えなのである。
まさに南無妙法蓮華経を唱え出さんとする蓮長は、末法の教主としての使命を自覚されていた。また「これを一言も申し出だすならば・・・」と宗旨建立直前の一大決心が披瀝されてある。
◆ 日蓮と御名乗り
○日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修業する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり(産湯相承事)
○神力品に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云々、此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり(右衛門大夫殿御返事)
○経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水の在るが如し地より而も湧出す」云々、地湧の菩薩の当体蓮華なり(当体義抄送状)
○明らかなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり(四条金吾女房御書)
○一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこと天台大師・五玄義の初めに名玄義と釈し給えり。日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし(寂日房御書)
と、「日蓮」(本仏の名称)の名乗りに甚深の意義があることを明かされている。
◆
初転法輪
先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思う(中略)其の上禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり、此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて云々(清澄寺大衆中)
安房の国東条の郷の地頭・東条左衛門尉景信は熱心な念仏の強信であった。景信はこの大聖人の説法を聞くと烈火のごとくに怒り狂い、大聖人の身に危害を加えんとした。
・大聖人の父母、念仏を捨てて法華経に入信し、父は「妙日」母は「妙蓮」と法名を授けられる。