4 、 仏 法 を 学 ぶ
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病 の 苦 し み
「病の苦しみ」で思い出すのは、以前に少し触れたように、2年程前の盛夏の時期に、JRの山手線の車中で体験した出来事でした。
急に腰に痛みを覚え、その痛みが徐々に増してきて、つり革につかまっているのもしんどくなり、そのうちに吐き気まで催してきたのです。
突然の出来事で、いったい自分の体に何が起きたのか分からず、ただこのままでは車中で嘔吐し、倒れ込んでしまうであろうことは予想出来ました。何とか次の停車駅(新宿駅)まではと必死でこらえ、ようやく開いたドアからホ−ムに降りて、すぐ近くにあった売店の影に座り込み、それに気付いた通りがかりの人に、駅員を呼んでもらうようにお願いしました。
腰の激痛のために息をするのもしんどく、目を開けることも立つことも出来ず、しゃべることもやっとの青色吐息の状態になりました。結局このときは救急車を手配してもらい、新宿駅の山手線のホ−ムから、東京医科大学付属病院に搬送されて入院してしまいました。
検査の結果、病名は尿管結石というでした。時間と共に激痛は増し、痛み止めの薬が効いてくるまでの間は
「刃物で腰を刺されたら、こんな風に痛いのだろうな」と思いつつ、
「この痛みを何とかしてほしい、このままでは死んだ方が楽だ!」と正直思いました。
わずか数ミリの石のために、突然七転八倒の目にあったのですから、病の苦しみは突然やって来る場合があり、しかも耐えがたい痛みを伴うものであることを知らされました。
息も出来ないほどの激痛が数時間も続き、病の苦しみ(激痛)は、生きていること自体が地獄の苦しみになることを、わずか数時間ではありましたが身をもって体験しました。
それから2年後に再び尿管結石が起こり、
「あの苦しみを再び味わうのか」と覚悟を決めて、入院のための着替えまで用意して救急車に乗ったのですが、わずか一回の点滴で、それも点滴を始めて約20分後には痛みがおさまり、4時間で帰宅したことは先に書いたとおりです。
帰宅後は、この病院でもらった薬(痛み止めと利尿剤)と水分補給とで、その後は再度の痛みもなく、今に至っています。めったに病気にならない自分にとっては、この尿管結石がたいそうな病気(重病)に思えました。
しかし「夜回り先生」で紹介した愛ちゃんの場合のように、モルヒネを使わなくては痛みが収まらない病気にかかり、私の場合など及びもつかない激痛で、地獄の苦しみだったであろうことは想像できました。
日蓮大聖人はこうした病の因縁について、経文等を引用しながら次のようにお説きになっています。
病 の 起 る 六 つ の 因 縁 【太田入道殿御返事より】
○止観の第八に云く「病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む(気候不順)・二には飲食節ならざる故に病む(暴飲暴食)・三には坐禅調わざる故に病む(不規則な生活)・四には鬼便りを得る(ウィルス等の伝染病)・五には魔の所為(三障四魔)・六には業の起るが故に病む(業病)」
○妙法蓮華経の第七に云「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」云々
○止観に云く「法華能く治す復称して妙と為す」云々
○妙楽云く「治し難きを治す所以に妙と称す」云々
○御病を勘うるに六病を出でず、其の中の五病はしばらく之を置く、第六の業病最も治し難し、はた又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず、就中・法華誹謗の業病最第一なり(中略)但し釈尊一仏の妙経の良薬に限って之を治す、法華経に云く上の如し、大涅槃経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還りて正法に帰すること有れば乃至此の正法を除いて更に救護すること無し是の故に正法に還帰すべし」云々
○大涅槃経に云く「世に三人の其の病治し難き有り一には大乗を謗ず・二には五逆罪三には一闡提是くの如き三病は・世の中の極重なり」云々
業病により現世を終える人々は数多くおります。
私のすぐ上の兄は、50歳で肺癌にかかっていることが判明してから、半年後には亡くなりました。
抗ガン剤など薬物治療や放射線治療を、治癒することを信じて、医者の言うがままに行いました。亡くなる二週間前には、私たち見舞客を病院の玄関先まで歩いて見送った程、体力が有ったにもかかわらず、あっけなく亡くなってしまいました。
もしかしたら、癌による痛みを緩和するなどの対応で、あとは癌と共存しながら終末医療を受けていた方が、もっと長生きできたかもしれないと思っています。また生前の兄は、法華経や日蓮大聖人の書物を読んでいて、「日蓮(大聖人)はすごい人だ」と密かに尊敬していたそうです。(このことは通夜の席で兄嫁から初めて聞かされました。)
『定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す』
『正法を除いて更に救護すること無し是の故に正法に還帰すべし』
『此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり』と、如来秘密神通之力の妙法(御本尊)を受持し、「信」を選択していれば、心穏やかに闘病生活をおくり、さらに癌の治癒を含めて、延命できた可能性が大きかったと思っています。
法華経普賢菩薩品に
『若し自ら病有らば人の救護すること無く、設い良薬を服するとも而も復増劇せん』と法華経誹謗(不信)の果報を説いています。
国立の大学院まで出た兄はどちらかというと学研肌でしたが、最後まで妙法(御本尊)に“信”を持つことはありませんでした。
『佛の成就したまえる所は、第一稀有難解の法なり。唯佛と佛とのみ、乃し諸法の實相を究尽したまえり』(法華経方便品第二)
『此の法華経、最も難信難解なり』(法華経法師品)
『舎利弗、尚此の經に於ては、信を以て入ることを得たり、況んや余の声聞も、佛語を信ずるが故に、此の經に随順す、己が智分に非ず』(法華経譬喩品第三)
と経文にあるように、釈尊の弟子の中でも智慧第一とされていた舎利弗でさえ、自らの智慧によってではなく、仏の正しい教えを信じることによって、はじめて悟りを得ることがてきたと説かれています。
日蓮大聖人は、
仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る。慧又堪へざれば信を以て慧に代ふ(四信五品抄)
と仰せられています。
すなわち末法においては、三学のうちの戒(防非止悪の教え)・定(心の散乱を防ぐ法)の二法を制止して、ただ慧(煩悩を断じて迷妄の心を破す智慧)を得るための修業にかぎるとされています。そしてこの智慧を得ることは非常に困難であるために、「信」をもって慧の修業に代えるという「以信代慧」の法門を示されました。
さらに大聖人は、末法の衆生が成仏を得るための具体的な方法として、
信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮の類(たぐい)南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり(御義口伝)
と、信の一字を成仏の種子とし、南無妙法蓮華経を信受するところに、求めずして無上の宝(即身成仏)を得ることができると教示されています。
すなわち、「以信代慧」とは、どのような凡夫であっても三大秘法の御本尊を信じ行ずることによって、成仏の境界に至ることを教えられたものなのです。
正法を“信じる”ことが最も肝要であり、正法“不信”こそが謗法であり、堕地獄の因縁なのだということを、釈尊も大聖人も繰り返し繰り返しお説きになっているのです。私の兄の場合も、この“不信”の代償はあまりにも大きかったと、残念でなりませんでした。