3 、 釈 尊 の 本 意 を 経 文 か ら 探 究 す る
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「 夜 回 り 先 生 」 の 水 谷 修 氏 の 講 演 よ り
NHK教育テレビで、「生きていてくれて、ありがとう」《夜回り先生、水谷修のメッセ−ジ》の放送をたまたま視聴する機会がありました。
水谷氏の講演会の様子が映し出されていましたが、その中で、ある一人の少女の話が強く印象に残りました。
それは、今から5年前のある中学3年生の女子生徒の話でした。
水谷氏がその少女と関わったきっかけは、少女の母親からの「うちの娘(こ)がシンナ−と覚醒剤をやっています。助けて下さい。」という一本の電話からでした。水谷氏はその娘を説得して入院させることに成功しました。病院で脳のC・Tスキャンを撮ると、脳の外側が約8%溶けていることが分かりました。これは80歳代の高齢者の脳と同じ状態を意味します。
原因は3か月間に吸ったシンナ−とたった5回の覚醒剤によるものでした。
「 夜 回 り 先 生 」 の 講 演 よ り 【ある少女の生と死】
この少女(「愛ちゃん」という)は、中学2年生の時に、興味本位で暴走族の七夕集会に出かけ、そこで先輩7名から性的乱暴を受けてしまいました。
「もう私の体は汚れた。どうせ幸せにはなれないんだ。」
と思い、それ以来この暴走族の先輩達15名から「雑巾」と呼ばれ、いいように使われてきたのでした。
「愛、バイク買う金がねえ!」
「愛、修理する金がねえ!」
「愛、シンナ−買う金がねえ!」
「愛、覚醒剤買う金がねえ・・・・・体売って金もって来い!」
そして45人の中高年の男に体を売らされたのでした。しかも愛は、
「外で出せば大丈夫だ」
「中学生は妊娠しない」
と言われて、コンド−ムは一切使っていませんでした。
もちろん妊娠しないというのは全て嘘でした。病院で検査をすると、いろいろな性感染症にかかっていました。HIV(エイズ)にも感染していました。
その後の愛の行動は壮絶なものでした。
家出をして、例えば長距離トラックの運転手に
「おじさん私の体あげるから、どこか連れて行って、私中3!」
こうして西は京都から東は盛岡まで転々と旅をして歩き、旅先からいつも水谷先生に電話を掛けていました。
「水谷先生、私、今、京都。一人で修学旅行中。」
「戻っておいで」
「まだ嫌だ。まだ足りない。先生、39人に復讐したからね!」
愛にとって生きるとは、中高年の男からもらったHIVを、一人でも多くの中高年にうつし返すことでした。
「いいかい、HIVエイズは闘える病気だ。お前の感染したウィルスは、治療薬の効きやすいウィルスだ。お前は一生生きれるんだよ。結婚も出来るし子供も産める。でもHIVには治療薬の効きにくい型もある。もしそうなったらおしまいなんだよ。先生は知っているぞ。HIV告知を受けた少なからぬ男が一番最初にやることは、夜の街に出て、できるだけ若い女性を買ってうつそうとすることなんだ。お前と同じ発想をする男がいることを忘れるなよ。」
これが命取りになりました。八か月の家出の間で、あと二種類の対抗できない型のHIVウィルスに感染していました。
その後心身のケアを行い、一年後れで全日制の高校に入学し、卒業後は母校を手伝うのが夢でしたが、今から二年前の12月にエイズを発症して入院しました。
入院後3〜4か月で愛はどんどん変わっていき、水谷先生はそれを見るのが辛くて5月からは病院に行けなくなりました。そして5月の連休後にドクタ−から電話が来ました。
「頼むから病院に来てください。愛ちゃんは毎日『先生明日は来るよね、明日は来るよね!』って言って泣いています。愛ちゃんのちっちゃな明日には、先生が必要なんです。」と。
電話の翌日病室を訪ねると、50kgあった愛ちゃんの体重は20kg前半にまで落ちていました。泣きながら手を抱きしめたとき、愛ちゃんは言いました。
「先生お願いがある、聞いてくれる?先生はこれからも講演やるよね。先生、全ての講演で愛のこと話して。愛って馬鹿な子がいて、派手な格好、派手な化粧に憧れ、夜の世界に憧れて入ってだまされ、汚され、体売らされ、HIVにされ、エイズで苦しんで死んでいったと伝えて。人の美しさは格好じゃない、人の行いと心。夜の世界は嘘の世界、幸せなんか無いって伝えて。私の話し聞いて夜の世界から昼の世界に戻る子、一人でも出たら、私がこの世に生きたっていう意味があったってことになるよね。私の話し聞いて夜の世界から昼の世界に戻る子、一人でも出たら、あの世へ行って神様から『愛ちゃんよくやった』ってほめてくれるよね。先生しか頼めない。」
運命の日が来たのは7月13日でした。それはドクタ−からの電話でした。
「明日の夜からモルヒネを投与します。投与すると意識が混濁します。そして2か月で眠るように死なせてあげられます。明日の午前中に、意識がはっきりしている間にお別れをして下さい。」
ドクタ−に頼んで、先生はその日の夜に愛ちゃんの病室に行きました。
愛ちゃんが選んだお別れの服装は、大好きだった高校の制服でした。だぼだぼの制服を、お母さんと看護士長さんがまつり縫いで合わせてくれました。
体中の斑点は、若い看護士さん4人がお風呂に入って、一緒にきれいに洗ってくれて、ファンデ−ションと白粉で唇も目のまわりも白く塗りつぶしてもらった上、淡いお化粧をしてもらっていました。
八時ちょっと前にはお母さん、お父さん、お姉さんもやってきて、家族全員がそろいました。でも話なんかなりませんでした。愛ちゃんの頭をなでては泣き、手を握っては泣き、皆で泣いて泣いて泣き尽くしました。ドクタ−は見ていられなくなったのか、11時少し過ぎたころ、
「愛ちゃん、お休みしようか。皆さんいいですか。」
と言い、モルヒネが投与されました。愛ちゃんの最後の言葉は、
「お父さんありがとう。お母さんありがとう。お姉ちゃんありがとう。水谷先生ありがとう。」
でした。
でも愛ちゃんは、九月になっても、モルヒネを打ち込んでも死ねませんでした。モルヒネが切れると、
「ウォ−、ウォ−」
と叫んで身をよじります。その度に愛ちゃんの関節が抜けていきました。
筋肉が無いから肩の関節を入れてあげていると、股関節まで抜けていきました。最後は、包帯とタオルケットと毛布で体中をぐるぐるに巻いて、ミイラのようにして、発作が起きたら押さえてあげることしか出来ませんでした。
愛ちゃんの目は必死に先生に訴えていました。
「先生助けて、助けて、死にたくない、助けて。生きたい、生きたい、生きたい」と。
でもしゃべれませんでした。舌が抜けてしゃべれなかったのです。いくら舌を入れてあげても入っていかないのです。
愛ちゃんは驚いたように目をかっと見開いて、ひたすら先生に訴えかけるようにして死んでいきました。今から2年前の10月15日の未明のことでした。ドクタ−の「ご臨終です」の後、一言父が言いました。
「愛、よかったな−、やっと楽になったな−」
愛する娘に死なれて「よかったな」としか言えない父の無念さは、察するに余りありました。
水谷先生は、最後に聴衆である高校生達に向かってこう語りかけました。
「水谷から望むことはただ一つ。生きていて下さい。生きていてくれてありがとう。ただ生きてさえいれば明日は来ます。今日はどうもありがとう。」
こうして講演会は終了しました。
愛ちゃんという薄幸な少女の冥福を祈ると共に、この少女の生きざま、死にざまが、正法に縁するきっかけとなることを願ってやみません。
何故ならば、その縁が善業となって、愛ちゃんに回向されることを期待するからです。
もしもまた正法に縁の深い日本に、人間として生を受けることができたならば、その時こそ正法を受持して、過去世からの宿業を転換し、現世安穏・後生善処の大功徳を受けてほしいと願っています。
