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- No. 010
パブロ・ピカソ作 「 ゲルニカ 」 20世紀の黙示録
その絵が世に出た時、浴びせられた言葉です。
- 『 その絵が見たのは 来場者の背中ばかり 不快感しか与えなかった からである 』
手厳しい批判の嵐。
- 『 構成が象徴的に過ぎる 全く画家は間違ったのだ 』
その絵は今、マドリッドのソフィア王妃美術館にあります。
その絵が発表されてから、70年が過ぎました。
今では、20世紀最大の傑作といわれる絵。
なぜそう呼ばれるようになったのか。
ではまずその目でご覧ください。
1937年 パブロ・ピカソ作 「 ゲルニカ 」
もし貴方が身長170cmだとすると、絵の前に立つとこうなります。
巨大な絵です。 色は、黒、白、そして灰色だけ。 描かれているものは、大きく分けて3つ。
- 左の部分に描かれているのは、虚空をみつめる牡牛。そして、子供を抱きかかえて、空を仰ぎ見の女。
- 中央には、嘶き暴れる馬と、ランプのようなものを持った女。その下に、折れたを握ったまま体を分解され倒れている男。そして、大地を蹴り走る女。
- 視線を右の部分に移すと、そこにあるのは家です。まるで燃え盛っているかのように。その下の女は、地面に向かって落下しているように見えます。
とにかくこの絵は始めて見たひとは、そのあまりの迫力に圧倒され、しばし呆然とするかもしれません。
そして、こんなことを思うはずです。
いったい何を表しているのか。
この絵は戦争の絵なのです。では、何のために描いたか。
この絵について、様々に飛び交う憶測。
それは描いた男がピカソ(1881年~1973年)だから。
この時、56歳。
彼の手からは魔法のような絵が次々と紡ぎ出され、人々を驚かせていました。当時のピカソに世間が抱いていたイメージ。
- 気ままなボヘミアン
- 目に余る派手な女性関係
- そしてもう一つ。臆病者
政治や社会と向き合わず、逃げ回る臆病者。だから、誰もが驚いたのです。 ピカソのような男が、戦争というやっかいなものを描いたことに。 そして、様々な憶測が飛び交ったのです。
この絵の舞台へ行ってみましょう。スペイン北部の町、ゲルニカ。
街で見かけるのはスペイン語ではありません。 ここはスペインでも特別な場所、バスク地方です。 独自の国旗と文化を保ち、住人はクロマニヨン人の末裔とさえいわれています。 ここはそんなバスクでも古い歴史をもついにしえの街。
ピカソが描いた、小さな町で起こった悲劇。 ピカソはそこに何を託したのか。 様々な憶測と解釈。 隠されたゲルニカ誕生の真実とは。
地中海の明るい太陽に祝福された男です。スペイン南部のマラガに生まれ。文化の都バルセロナで育ちました。 言葉より先に絵を覚えた。それが少年ピカソ。
16歳の時の作品。ピカソの父親も絵描きでしたが息子のあまりの才能を前に画家の道を諦めたともいわれています。
1897年 科学と慈愛
でもその才能がピカソを苦しめました。心を縛りました。子供のように自由に描きたい。
常人では知りえない苦悩を抱え、19歳でやって来たパリ。ここでピカソはその苦しみから開放されるのです。
1937年 泣く女
まるで子供の絵だとの批判は、ピカソにとっては最高のほめ言葉。 誰にも縛られず、自由な感情を描きたい。それがピカソ。 だとすると「 ゲルニカ 」は感情の爆発です。 画面を埋め尽くすのは、ピカソから溢れ出た激情。 炎のように燃え盛るピカソの高ぶり。 ピカソを駆り立てたもの。それがこの街。
当時のスペイン。政府は共産主義者やアナーキストで作る共和国政府。 それに対してファシズムを掲げるフランコ将軍が反乱を起こし、内戦に陥っていました。 フランコを支援していたのは、ナチスドイツのヒトラーです。 優勢だったのは、ヒトラーとフランコ。 それに対し共和国政府は、反ファシズムの絵を描くように、ピカソに迫ったのです。 ただしこの男、ピカソです。政治的な主張の片棒を担ぐことに興味はありませんでした。 ファシズムなどどうでもよかったのです。 のらりくらりと生返事。何かを描く気配すらありませんでした。 ゲルニカであの出来事が起こるまでは。 この街で70年前、何が起こったのか。
あの日、ゲルニカに飛来したもの。フランコを支援するナチス・ドイツの爆撃機。
空から降ってきたもの。数え切れないほどの爆弾の雨。
1937年、ゲルニカで起こったことは、ただの空襲ではありません。( 1937年4月26日ゲルニカ空爆 )
民間人を標的にした史上初の無差別爆撃。それは初めて経験する、未知の衝撃でした。
バスクの中心都市、ビルバオ。スペイン1の工業地帯にして、天然の良港を備えています。 フランコとヒトラーの狙いはビルバオでした。ただ無傷で手に入れたかったのです。 そのために見せしめが必要でした。抵抗する気も失せるような。それがゲルニカ。 つまりこの街の人々は、見せしめのためだけに、無慈悲に葬られたのです。
ピカソがその一報を聞いたのは、5日後の5月1日でした。そしてこのパリのアトリエで突如猛然と描き始めるのです。
ゲルニカの何がピカソを駆り立てたのか。
ピカソは徹底的に具体性を削ぎ落としました。 色を無くし、事件の政治的背景を無くして、あの絵をもっと普遍的ものにしたかったのです。 ゲルニカで起こったことに限定したくなかったのです。
ピカソには見えていたのです。これから始まる未来の姿が。
ゲルニカ発表から2年後、その世界はやってきます。1939年、第二次世界大戦。 敵味方の区別もなく、ある日突然空から舞い降りる死の宣告という得体の知れぬ恐怖。 そして人々は気付いたのです。ピカソが描いたことの意味に。
ピカソが描いたもの
- 無慈悲に奪われる尊厳の悲しさ
- 理解を超えた世界への恐れ
- 突然消える日常の空しさ
- 迫り来る破滅の予感
ピカソが見たのは、これから続く20世紀の姿。この絵はピカソが残した世界への予言。
今では20世紀最高の傑作といわれています。それを描いた画家が常々いっていた言葉
「 私の絵を見てくださる方は、いかように解釈して下さっても結構 」
12th Jan. 2008
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