これからじっくり時間をかけて手の中で転がすように楽しみながら、ももりの旅と歴史をすこし真面目に語って見たいと思います。わたしは本や映画が大好き。だから知識は俗っぽくて、興味本位で間違いも多いでしょう。そんな時は是非、ご教示ください。でも知れば知るほど面白くなるのが歴史。自分の頭を整理するためにも・・・
今日、TVがエジプトのサッカラでオーストラリアの調査隊が3体のミイラを発見したと言っていました。画面で見る限りビーズで覆われた棺の表面は美しく、BC500年くらいのものらしい。そして保存状態はすこぶる良いといいます。日本の早稲田の吉村作治氏のチームも大発見をしたと聞いています。早くその全貌が知りたいものです。サッカラと言えば、2003年に訪れました。
BC500年前というのは、どういうことでしょうか。サッカラの屈折ピラミッドは、史上初のBC2650年ころのもので古王国第三王朝ジェセル王により、設計は吉村氏の本によれば、宰相イムヘテブという人物らしい。長い年月造られ続けたピラミッドは一度あの世に云った魂が戻ってくるよすがの地。ペルーでも至るところでミイラを見ました。最初ゾッとしたけどその内慣れてじっくり観察するようになる。いわしの干物みたいな人間の干物。まだ髪の毛がこびりついていたりしてえらく生々しい。骸骨だって表情がしっかりあって生前の心持ちまでわかるような気になる。ともかく今から2555年前の人間を早く見たいものだ。
2005年4月
ハワイへ行ってきた。ハワイについて思い込んでいたこと、それは食人種だということ。どこかの本でキャプテンクックが襲撃されて食べられたと読んだことがあったからだ。大分以前、国立民俗学博物館で〔世界のお面」の展を見たことがあった。正確な資料が手元にないので強烈な印象だけでいうことになるのを許してほしいが、メラネシア、ポリネシア、南太平洋のお面がとても恐かったのを覚えている。アフリカは案外ひょうきんで拍子抜けした。その時、一人がてんして「そうだ。人を食らうってどれほど恐ろしいことだろう。食べるほうだって食べられるほうだって、痛み、恨み、怒り、悲しみ、苦しみを見ずにはいられないもの」と思ったのだ。帰国して【太平洋探検史】(創元社)を読み直してみたら、やっぱりクックは殺されて食べられていた。キャプテン・クックの第一次探検は彼が40歳の1768年。三度目の1776年タスマニア、ニュージーランドを経てタヒチに寄港し、人身御供を見る。1ヶ月後、ヨーロッパ人が始めて目にした島々、サンドイッチ諸島に着いた。サンドイッチというのは、初代の海軍大臣の名で今のハワイ島である。先住民は食人種で、クックを神と思い、ひれ伏したが、やがてこぜりあいが重なり、部下が一人の先住民を発砲して殺してしまったために、白い神はハワイ人によって貪り食われてしまった、とある。その後アメリカの独立戦争( )やフランス革命(1789)前夜の政情不安定のため、ヨーロッパやアメリカは太平洋から遠ざかる。ここで思いがけず登場するのがあの愛すべきルイ16世、マリー・アントワネットと共に、ギロチンで処刑されるに至るこの王のお人よしぶりはどの本にもしっかり描かれる。ちょっと頭の足りない、優柔不断のお人よしのあの気の毒な王さまだ。ところがこの王さまは地理学、航海、新大陸の発見に大いに情熱を燃やし、ラペルーズを航海に送り出したりもしていたのだ。この王もラペルーズも、当時はやっていた啓蒙思想の持ち主で、先住民の人権を重視し、先例を破って、国王の名で領有することをしなかった。このことは先に読んだいくつかのフランス革命の本にはどこにも書いてなかった。1489年コロンブスがアメリカ大陸に到着し、その続いた大残酷物語から、300年足らず後で、これはハワイには幸せなことだった。当時も、それ以後も島民同士激しく戦っていたらしいが、カメハメハ大王が統一し、やがてアメリカの州のひとつになるまで独立国として存在できたただ一つの島らしい。



「アラビアのロレンス」って素晴らしい映画でした。冒頭の砂漠、何にも無い砂の世界に1点、段々近づいてきて,それがらくだに乗った人物ってわかる。あの映画はもう、絶対、ビデオじゃなくてワイドスクリーンで見たい。あのロレンスが登場するのが第一次世界大戦。マ、簡単に言うと、フランス、イギリス、イタリアなどがアラブ諸国を,オスマンテトルコ帝国から分け取りしようという戦争で、1914年に始まりました。ドイツに加担して負けてしまったトルコ。国王アブドルハミルは自分の一身の保身のために,屈辱的なセーブル条約にサインします。広大な領土を誇ったオスマントルコ帝国は、もうほんの小さな小アジアの西の片隅の、九州の半分くらいの国になろうとしていました。そこで登場するのがわれらの英雄ケマル・パシャ。ケマルは映画には出てきません。念の為。この第一次世界大戦では、イギリスの海軍大臣チャーチルが、大艦隊を率いてダーダネルス海峡を,攻めて攻めて攻めあぐねて失脚するのですが、このチャーチルの前に立ちふさがったのがこのケマルです。
一方、シリアの砂漠でも、英仏軍はトルコを相手に苦戦しています。だから内部霍乱の目的でアラブの反乱をそそのかします。しかし、アラブの軍隊は統率もなく武器もない。散々トルコにやっつけられている時、登場するのが、考古学者で天才戦術家ロレンスです。アラビア大好きのロレンスは,メッカ王家のファイサル王子の軍事顧問になり、アラビア人のため、アラビア人となって戦います。勿論、戦後はアラビアの独立を確立するという約束を取り付けて。第一次世界大戦は英仏側の勝利に終わりましたが、戦後処理に当ってベルサイユ講和会議で、ロレンスとイギリス政府との約束は裏切られ、アラビアはシリア、レバノン、イラク、ヨルダン、パレスチナなどに分割されてしまいます。エルサレムはイギリスの統治下になりました。ここでもう一つ,大国の重大で卑劣な裏切り行為が露見します。アラブの独立どころか、勝つ為にはアラブに戦後の独立を約束しながら、一方では軍資金豊富なユダヤともよろしくやっていて、イスラエル建国の約束をしていたんですもの。今に続くイスラエルとパレスチナの対立の元はここにあります。2つの国に同じ土地に建国することを許したんですもの。映画登場するアラブの商人のことではもち論ありませんヨ。トルコが日本より早く女性参政権が認められ、政治と宗教が分離され、女性は黒いベールをかぶって外出するという習慣から開放され,可愛らしく素朴な若い女性はとても美人で魅力的です。それにトルコはとても親日的。だっって長年の宿敵ロシアを日露戦争で日本が破ったからですって。、スケッチしていると必ず子供達や女性達がよってきますヨ。簡単な英会話で充分お友達になれます。

上はイズミール港。トルコの人々が痛切に国家の危機を思ったのは、イギリスをパトロンにしたギリシャが、この地に腰を据えて内陸部へ入り込もうとしたこと。800年前、オスマントルコの領土にされてしまったしたギリシャは、積年のうっぷんを晴らそうと・・・ほうら、ここからは又トロイの戦の再来です。結局、ケマルの活躍によってギリシャ軍は地中海へ追い落とされました。
ピカソの青春時代、1900年には19歳だったはず。印象派の絵描き達、ルノワール、モネ、ゴッホはもう退場し、画商達に空白の時代だったのではないかと私は思っている。ゴーギャンは1903年に55歳で死ぬし、セザンヌは、1906年に75歳で死ぬ。印象派でしっかり投機的なうまみを知った画商達の目にピカソがどれほど新鮮に映ったかを想像すると当らずとも遠からずだろう。ピカソは14歳で美術学校に合格。年齢に達していなかったのに美術の教師だった父親の手配で入学。その時の入試課題の男のヌードは、とても14歳とは思えないくらい老成している。ちょっと足が短くて、一瞬、ロートレックのヌードかと思ったけれど、なんだか、人生の苦しみをもはや滲ませているような迫真の描写力だ。今回の映画「モディリアーニ」が、有名な古典映画「モンパルナスの灯」より面白いと思ったのは、監督、脚本のあの時代の解釈が並の捉えかたと違ったからだ。特に、モディリアーニに陰険なライバル意識を見せつける憎憎しいピカソの解釈が気に入った。パブロ・ピカソ。14才でバルセロナのラ・ロンハ美術学校入学。19歳でパリへ。洗濯舟と呼ばれるアパートでの極貧の生活と青の時代。女には苦労しなかったようで、何人かの女性が絵の中にも登場する。この映画の女性オルガ・コクロヴァとは37歳で結婚、息子パウロが生まれ、54歳でマリー・テレーズと再婚するまでは、この踊り子だったオルガとの結婚が一番長い。その後、マリー・テレーズ、フランソワーズ・ジローと結婚し、恋愛状態のままというのも経て、ジャックリーヌ・ロックと最後の結婚をしたのが80才というからエ・ラ・イ!!この映画の中のオルガの描き方も魅力的で、彼女は決して笑わない。ジャポニスムのパーティー衣装を着込んだオルガに「その衣装は、自分の絵を引き立てない」と冷ややかに云うあたり、人を人とも思わぬ傍若無人で倣岸な人間性をリアルに描いて印象に残る。エコール・ド・パリと呼ばれた独特の無頼で放蕩なパリ。デカダンの香りも映画になると魅力的だ。生活弱者のモディリアーニが生活強者のピカソに負けていったのは今みたいに生活保護も無いから・・・
2006年5月5日の朝刊「ピカソの恋人108億円「ドラ・マールと猫」
NYのサザビーズで競売にかけられ108億円で落札。今まで個人が持っていたんだそうです。ドラ・マールと言えば、マリー・テレーズと結婚中の不倫。ドラは女性写真家で、気まぐれで刺激的な女性でしたがふさぎこむことも多く、ピカソは知的好奇心を刺激されての恋愛だったようです。有名な「泣く女」のモデルです。ピカソは実に、女性によって作風が代わった絵描きで、20才〜25歳の極貧の生活時代は、青の時代。女には不自由しなかったようですが、25才でフェルナンド・オリヴィエと恋愛。途端にバラ色の時代に入ります。彼女はバレリーナ。うまくやりながら、一方で、26才の時、マルセル・アンヴェールと恋愛。彼女は通称エヴァ。この時代の代表作が、「アヴィニヨンの娘たち」キュビスムの時代に入ります。モデルの女性たちは娼婦だそうです。可愛そうにエヴァは結核で死んでしまいます。37歳で、オルガ・コクロヴァと結婚。54歳では、マリー・テレーズと結婚。ここに、不倫のお相手として登場したのが、今回、108億円のモデルとなったドラ・マール。今回の史上2番目の高嶺の花の絵のモデルは、写真で見ると、生き生きと綺麗です。まあ、目が、耳の横にあって、ホンモノが現れたら、卒倒するけど・・・この頃、故国スペインは内戦です。フランコ将軍の要請で、ヒットラーがスペインのゲルニカ村を攻撃したとのニュースに怒ったピカソは、「ゲルニカ」を製作しました。友人の絵描きたちが、戦場へ兵士となって出征する中、ピカソは不戦の立場をとりましたが、やっぱりいづらかったのが、この絵を描かせたと、ももりは思います。特に親友のブラックが愛国心にかられてパリから去ったことがこたえたようです。戦争は終わり、62歳で、21才のフランソワーズ・ジローと恋愛・・・息子クロードと娘パロマを得たのに、72才で、ジャックリーヌ・ロックと恋愛、80才になって、彼女と結婚。91才で死ぬ頃は、全くエロな、絵を残しています。さああ、ピカソがどんなヤツだったかわかっていただけたでしょうか。絵は冬のパリ。ピカソは19歳でパリに出てずーっとパリに住みました。


ブログからの抜粋 映画「モディリアーニ−2」 2005年9月8日

今回の旅、一番行きたかったのがここ。一番見たかったのがコ・レ・・・ネブカドネザル2Cの建てたバビロンの城門を復元したもの。ネブカドネザルといえば、旧約聖書の最大級の悪者だ。ユダ国の都、エルサレムを囲み、恐ろしい戦いがあった。エルサレムの町は、石に上に建つ石も無いほど粉々に打ち砕かれ、宮殿もあっけなく焼き払われた。ユダヤの王は捕らえられ、王の目の前で王子たちは皆殺しにされた。最後には、王の目をえぐり、見えなくしたという。国中の人が捕らえられバビロンの都へ引かれていった。そして、ユダ国は亡んだ。この捕らわれの頃からイスラエル人は、ユダヤ人と呼ばれ、又、ディアスポラ、さすらい人と呼ばれるようになった・・・と、わたしの本には書いてある。BC587年のことだそうだ。2003年、アメリカ軍とイラクのフセインの軍がチグリス川を奪い合って戦っていたが、イラク軍の名前がネブカドネザル師団だとTVで言っていて、それをやたら鮮明に記憶している。バビロン、スーサ、ニネベ、ペリセポリス・・・メソポタミアとは、「河と河の間」という意味らしい。チグリス、ユーフラテスの2つの大河にはさまれたこの地の6000年も前からの、文明と戦いの歴史の大きさになんとも引きつけられる。アッシリア、シュメール、ヒッタイト・・・美術も工芸もレリーフも・・・厳しい造詣、残酷なテーマ・・・甘さなんかかけらもないその人間の獣性がわたしをひきつけるのかも・・・??ちょっとこわい・・・しれない。(No184)
ペルガモン博物館 ブログからの抜粋 2005年12月8日
ブログ 2007年10月5日
ピカソの「青の時代」、19歳、1900年にパリに出て、1904年、23歳で、バラ色の時代に入るまでのピカソの、心の風景ってどんなものだったのでしょう。
生まれた時、「オギャア」って泣かなかったので、そばにいた叔父が、タバコの煙を鼻に吹き込んだ、といいますが、その叔父が17歳のピカソに学費を出して、マドリッドのサン・フェルナンド王立美術学校に入れます。しかし、ピカソは、怠学、そして退学、バルセロナへ逃げ帰ります。そして、仲間たちにもあおられて、いよいよパリに出てくるのですが、その時は、もう学費どころか、生活費の援助もありませんでした。バルセロナから一緒にパリへ出てきたのが、バルセロナのユダヤ系お金持ちのボンボン、カルロス・カサジェマスです。
二人は、すぐ、パリの芸術家のたまり場でもある娼館に入り浸るようになります。フランス語が全然しゃべれない二人は、そこでスペイン系のモデル、ジェルメーヌ・ガルガロとオデットに出会います。やがて、ボンボンのカサジェマスは、ジェルメーヌに恋をします。オデットと、カップルであったはずのピカソが、どうやらジェルメーヌと寝た・・・と、ユトリロに、怪しげな手紙を書いているとか・・この、ユトリロは有名な、モーリス・ユトリロの戸籍上の父・・・・モーリスの母、シュザンヌ・バラドンと結婚し、私生児を引き取った奇特な戸籍上の父・・・・、ユトリロの母で自身も私生児なら、誰の子かもわからないと公言するモーリスを生んだ、シュザンヌ・バラドンの事も書いてみたいですけど・・・・それは、後日・・・
神経を病んで、自殺を口走るカサジェマスを連れてピカソはスペインに戻りますが、カサジェマスは、パリに去ってしまいます。そして、友人達を招いてパーティーを開き、その席上で、ジェルメーヌを射殺・・・ジェルメーヌは死にませんでしたが、カサジェマス自身は、その場で、頭を撃ち抜いて死んでしまいます。両親の悲しみと、・・・多分、呵責に苦しんだ・・・ピカソの青の時代です。
後日、ジェルメーヌは、彫刻家、ラモン・ピチロットと結婚しますが、1940年代、すっかりお金持ちになっていた60才台のピカソは、恋人、フランソワーズ・ジローを連れてモンマルトルを歩き、とある粗末なアパルトマンへ入っていった。ピカソは、ベッドに横たわっていた、歯の無い老婆と言葉を交わし、枕元に、お金を置いて部屋を出た、といいます。「彼女は若い時、とてもきれいで、私の親友をひどく悩ませた」と、ジローに語ったといいます。その人こそは、ジェルメーヌ。彼女が、1948年に亡くなるまでピカソは援助の手をさしのべたそうです。
ブログ 2007年10月7日
「ピカソ 偽りの伝説」 草思社・・・・この本は長い間、ももりの本棚で、居眠りしていました。新聞の書評をよんで、買い求めたツンドク書だったのです。でも、青の時代に興味を持って、読み直してみたら・・・・こんな面白い本が眠っていたなんて・・・・・読み直して、以前、途中で投げ出してしまったわけがわかりました。膨大な人物が登場して、把握できないのです。例えば、エヴァ・・・ピカソが愛した、善良な、我慢強いエヴァ・・・本名、マルセル、が結核になって死が迫っています。それなのに、ピカソは冷酷にも、新しい愛人をつくり、エヴァは見捨てられます。その同じ頃、親友ブラックに以前の自分の恋人を紹介して、ブラックは、その事実を知らずにオメデタク結婚・・・するのですが、その女の名前が、又々、マルセル・・・・ちょっとぉ!!!もう少し、わかりやすく説明してよ!!!!
先日の「ピカソ展」で、買ってきた「女達が変えたピカソ」 木島俊介 中公文書・・・や、本棚の何冊かと首っ引きで、読んでみました。全く、ピカソは「女達によって変えられた」なんてオトコじゃありません。冷酷、自分勝手、小心で神経質で卑怯。そのくせ、傲慢・・・大変複雑です。少なくとも、優しく小市民的であろうなどとは、コレッポッチも思わなかった自信過剰の人物。ところが、ピカソの周辺には、ひざまずくオトコたちが次々と現れるのですよねえ
しかし、絵を描くももりからみますと、ピカソは絵画の領域をオッソロしく拡げました。憎しみ、ひがみ、恨み、凶暴、もちろん、マガマガしいまでのセックスに対する執着。14歳から売春宿の入り浸っていたというピカソは、しかし、本当に女性を人間として愛したか・・・尊厳を持って愛したか、は疑問です。まあ・・・・ひっきりなしに女性にあこがれた。あこがれて手に入れた女性は数え切れない。娼婦も、マダムも、芸術家も・・・・絵を描くことだけで、世間を見返し、屈服させた、壮大なオトコの世界です。
ビル・ゲイツが、史上最高の価格で、落札した絵もあったはず。・・・・やっぱり、ピカソ・・・・オ・ト・コの中のオ・ット・コ・・・やなあ
ブログ 2007年10月9日
「ピカソが好き」と言われるとギョッとする。まして、絵を描き始めて日が浅い人に言われると、妙に威圧感を感じて、いじけてしまう。ピカソ・・・あんまり、「好き」なんて、気楽に言ってほしくないなあ、と思いながら、それでも、黙ってしまう。
ピカソは、ダリなんかと違って、あくまで、目の前の現実を描いた。大股開きの娼婦だって、ヴァイリンだって、その時々の同伴者の女だって・・・例え、形はキュビスムとかで、目がアゴの下にあったって、とりあえず、心象世界ではない。マガマガしいばかりの、その時々の相手や自分自身を描いている。例え、神話を描いたって・・・・乙女を陵辱するミノタウロスは、ピカソ自身なのだ。
ピカソに画商がついたのは、パリに出た19才、レ・マニャックが、「毎月150フラン払うから、絵は、全部引き取る」と言った。当時の150フランは普通の生活をして、1年半という。人に寄食したり、宿を転々とする極貧から一気に、メイド付きの生活に変わった。その後、マックス・ジャコブという生涯の崇拝者を得て、ピカソの金の心配はまずまずなくなった。その後のピカソは、社交界への、ルートを探し、ジャン・コクトーと出会い、アポリネールという詩人に、世の中へ喧伝してもらい・・・・ともかく、達者にしたたかに、憎らしく生きた。「ピカソが好き」ということは、そのすべての、フンプンたる臭気、狂気を含んだ精液の匂いを好きという事だろう・・・・と、いうももりメも、ピカソは、好きではなくても、見ずにはいられないヒント一杯の実験作なのです
ブログ2007年10月10日
ピカソといえば「ゲルニカ」 「ゲルニカ」が描かれたのは1937年ですから、第二次世界大戦の始まる4年前です。この、ゲルニカの町の攻撃は、既に、第二次世界大戦の前哨戦でした。
スペインの王政が倒れたのは1936年。選挙による人民政府ができましたが、王政側の立役者として登場したのが、フランコ将軍です。人民政府戦線と王政派は、激しく対立します。この年、ヒットラーとムッソリーニは手を結び、ヒットラーは世界制覇のさきがけとして、スペインを猛攻しました。戦艦ドイッチェラント号を、モロッコへ持ってきて、兵士を乗せた輸送機や資材を、どんどんスペインに送り込んだのです。何万人ものイタリア軍やドイツの外人部隊が、マドリードに集結しマドリードは戦場になりました。スペインの内乱です。この時、国際義勇軍で戦った作家は、ヘミングウエイや、アンアンドレ・マルロー・・・一杯名作を残しました。映画もたくさん作られています。「誰がために鐘は鳴る」「陽はまた上る」・・・・「外人部隊」「モロッコ」もたしか・・・・??若き日のゲーリー・クーパー・・・ステキだった・・・違ったっけ???
フランコに加担したヒットラーは、スペインのゲルニカ村を爆撃、この内戦は、諸外国には無視され、結局、フランコが、1938年には政権を握り、40年間の独裁制を敷く事になります。
スペインへ個展をしに行ったとき、個展の世話をしてくれたマノロ氏と、下宿のオーナーだったヌーリア・ガレータ女史は「フランコをどう思いますか」のももりの一言で、2時間以上の大激論。片や、フランコは、第二次世界大戦に不参加を貫いた救国の英雄、片や、スペインをすっかり後進国にしてしまった失政の人・・・・もっとも、猛烈な早口のスペイン語で、すざまじい気迫に押され、オロオロしながら、面白く拝見しましたが、サッパリ内容はわかりませんでした。
「ゲルニカ」を描いた当時、52歳のピカソが、チョコザイな青二才のヒットラーに、怒り狂った事は想像にかたくありません。ヒットラーはピカソより8才年下です。ピカソは「ゲルニカ」を描き、多くの絵を売って、人民戦線政府を援助しました。しかし、パリにいた芸術家たちにも、戦争の気分は高揚してきます。「クリスマスには、もう、家に帰っているだろう」と行って出て行った絵描きたちも、戦争で、あるいは死に、負傷し、廃人のようになって、パリに帰るまでの戦争の間、ピカソは、取り残され、いくじのない、卑怯者の立場にあります。敵国、ドイツ人の画商もピカソの元から去りました。
ブログ 2007年10月15日
先日来のピカソ、まだグズグズと、あっちの本、こっちの本と、手の中で回しながら読んでいます。
結局、ピカソの絵って、その時々の女性と関わっている自分自身を描いているという事を知りました。・・・ピカソこそは徹底的な自画像の画家、自己撞着の塊りです。売春宿の女達から「青の時代」 新しい女性、フェルナンド・オリヴィエと出会ってバラ色の時代。彼女に飽きて、エヴァと恋愛。エヴァは、家庭的なおとなしい女性だったようですが、その時代はキュビスム。エヴァが結核で死にそうになっている時、ロシア人、バレリーナ、オルガ・コクロヴァと、これは、結婚。可哀そうに、エヴァは死んでしまいます。ところが、オルガ・コクロヴァは中々したたかで、結局、離婚するにも、財産はタップリむしりとられ、籍は、彼女が死ぬまで抜けませんでした。オルガの死は、ピカソ74才の時です。
54歳で、マリー・テレーズと同棲。まだ、17歳であった彼女とは、徹底的なセックスを胆嚢したようで、乙女を陵辱するミノタウルスは、ピカソ自身を描いて、「青の時代」と双璧をなす傑作をたくさん残しています。しかし、マリー・テレーズも、肉体以外には、ごく平凡なスポーツ好きの小娘で、ピカソを満足はさせられませんでした。母親になった頃から飽きてしまいます。ピカソは、写真家で、シュール・レアリスムの知的な画家、ドラ・マールと恋愛。どちらとも家を持ちますが、彼女はヒステリー。無理もありません、正式な妻オルガは存在を誇示し、若い愛人マリー・テレーズも影の女です。彼女は神経を病み「泣く女」を何点か描かれています。
62歳で、21才のフランソワーズ・ジロー同棲。しかし、ピカソは、もはや、男としての魅力で女性を組み敷く事はできませんでした。フランソワーズ・ジローは、ピカソを嫌って10年後に家を出ます。サディスティックなピカソに耐えられなかった、と、言ったようです。彼女との間には、子供が二人、クロードとパロマガ生まれています。71才で、妻に去られたピカソは、ジャックリーヌ・ロックと恋愛。彼女とは、オルガの死によって、80才の時に正式に、2度目の結婚が出来ました。そして、91歳で死ぬまで、焼き物や彫刻、絵画と好き放題の創作をしたのです。
ピカソの本は、以前から何冊もあるのに、殆どをきっちり読んでいませんでした。なんでやろ???って???ともかく、面白くなかった。今回、そのわけが解りました。「ピカソ 偽りの伝説」は、絵の解説を全然しないで、ピカソと関わった人を徹底的にレポートして羅列しています。今までの本は、絵をクダクダと解説してくれて、わざと難しく言いまわして言っているのです。ピカソの絵なんて、解説する絵じゃありません。美学者とか、評論家とか、おエライ方は、簡単な言い回しは、どうやら沽券にかかわるとでも思ってる???みたいです