カンボジア 悲劇の国

1日目  ベトナム航空にてプノンペン 乗り継ぎシェムリアップへ

2012/3/17〜21

プノンペンにて乗り継ぐ。メコンデルタの大きさに目を見張る。きれいに整備された平坦な農地だ

メコンデルタの印象

ムンと暑い 気温37度 ホテルはデラックス

2日目 さあ・・・遺跡観光に出発

パンテ・アイスレイ遺跡  

シェムリアップ空港

プンンバ・カエン遺跡「東洋のモナリザ」で知られる 

「東洋のモナリザ」

アンコールワットの夕陽を見にプレループの遺跡へ

夜、ホテルで民族舞踊

ももり達が滞在したホテルは、きれいなプールを備えた冷房完備の天国。
しかし一歩、シェムリアップから離れて、田舎へ行くと・・・そこでははだしの子供が「イチドル・・テンドル・・・」と観光客の周囲から離れない。小学校も完備してない。文字も読めない。文字が読めないから交通ルールもないにひとしい。死亡率の一位は交通事故、その次がエイズ、次は地雷・・・いまだに200万の地雷が埋まっている、以前は600万個だったが・・・地雷はほとんどが中国製。その次がロシア製
 政治が機能していない。税金無し 社会保障険無し  保険無し  ・・・火山なし、地震なし 台風なし・・・


3日目  アンコールワットの朝日を見に行く

アンコールワットの朝日を見に、暗い大通りをバスは走ります。道端に長い行列が見えました。スイス政府の無償の子供病院の順番とりなんんだそうです

この国の経済はODAに依存している(2国間援助により援助総額はカンボジアの国家予算の4割。つい最近まで日本が拠出国の一番であったが、今は中国とのこと)国民からの所得税がなく税収入は国家予算の9パーセント)

 韓国が、毎朝食事を提供していて、とても人気があるそうです。日本の援助はドーンと道路をつけたり橋をかけたりしているけど、民衆に訴える力は弱いということでした

アンコールワットを気球に乗って上空から

タ・プローム 樹木に食べられる遺跡

木の真ん中に小さく仏像のお顔が見える

東メホン遺跡

アンコールトムは南大門から

アンコールワットの回廊のに素晴らしいレリーフに目を見張る

12世紀・・・200年ほどの間、ラオス、タイも含め マレー半島の中心は、ここカンボシア、アンコール・トムにあったといいます。尤も、ヴェトナムとはいつも仲が悪いらしい。写真はアンコールトム遺跡の中の壁面彫刻。ベトナム(チャンパと呼ばれていた)との戦い。これらの彫刻群の素晴らしさに目をみはりました 撮影は相棒

手元の資料によりますと、
1970年 ロン・ノル内閣成立 クメール・ルージュ台頭。4年後、ロン・ノルはシアヌークを追放 アメリカ軍カンボジアへ侵攻。ロン・ノルを支持する
1975年  ヴェトナム戦争終決  ロン・ノル親米勢力崩壊  クメール・ルージュが首都を制圧
1976年  ポルポト(親米)ヴェトナム系住民を圧迫  ヴェトナムと国交断絶
1979年  ヴェトナム軍 カンボジアへ侵攻 ポルポト地方へ ポルポトの大虐殺 3年間で200万
1979年  中国軍ヴェトナム侵攻  中越戦争
1982年  民主カンボジア連合政府発足  中国、ASEAN諸国支援による
1989年  ヴェトナム軍撤退  国名をカンボジア国と改称
1993年  総選挙  ところが少しのわいろでコロリっと買収されるとか 



バイヨン寺院

ベン・メリア遺跡はまだ密林の中に壊れたままの状態

7度目のスペインへどうぞ