聖地ルルドと世界遺産巡礼街道11日間 
フランスからピレネーを越えて北スペインへ

1日目関空からアムステルダム経由トゥールーズ空港へ。トゥールーズ泊

2011年24日〜7月4日

2日目 ツールーズから聖地ルルドへ。

ルルドからバスにてピレネーを越える  サンジャンピエ・ド・ポーへ。泊

サンジャンピエ・ド・ポーの城壁の上に上る

サンジャンピエ・ド・ポーのホテル レピレネー

サンジャンピエ・ド・ポーの騎士さんと

バスから見えるピレネー山脈 まだ雪が見える

トゥールーズは運河の町

遠くピレネーを見ながら走る

聖地ルルド.
ある日、聖女ベルナドッティの前にマリアが現れ、数々の奇蹟を行なったとされる。ここはまだフランス

ホテルの前の城壁

ピレネー越え   スイスのアルプスなんかをイメージしていたから拍子抜け。バスで軽々と越えたピレネーのイバニエタ峠は標高1057メートル

パンプローナへ。パンプローナは牛追い祭り1週間前で教会からお祭りの行列が出てくるところに出会う。乱打される教会の鐘!!!いいなあ!!!

こんなシャツを買っちゃった

途中立ち寄ったエウナテの城塞の上から

13世紀の橋 プエンテ・ラ・レイナ 右は大聖堂内部のフランボワイアン様式の天井とキンキラのキリストの足元にはしゃれこうべ

ブルゴス泊

ブルゴス 朝の散歩

ブルゴス市内観光 カテドラル 

バスにてサンタンデールへ 泊

5日目 サンタンデールからアルタミラへ,サンティリャーナ・デル・マール泊

アルタミラは洞窟をのぞいて地下博物館へ
下は洞窟入口

洞窟壁画をを発見したドン・マルセリーノ・デ・サトゥラの肖像

カンタブリア海岸 サンタンデールに泊まる。そしてココはビスケー湾

オビエド泊

少女、ベルナドッティの前にある日、マリアが現れた。ベルナドッティの生家

丘の一番高いところに城主の館がある

ポンテ、ヌエボ  新しい橋から

ローランの歌の碑
 ローランは8世紀、778年。フランク王国の3代目、カール大帝は、ピレネー山脈を越えて、フランク王国を侵略するサラセン帝国と激しく戦っていました。サラセン帝国とはイスラム教徒のアラブ人が、当時、スペインのコルドバに建てていた国です。サラセン人を追ってサラゴサに攻め込んだフランク族は大敗。退却途中のフランク軍に猛然と襲い掛かったのが勇猛なバスク人。ピレネーのシーズ峠で奮戦して死んだ民族の英雄「ローラン」を歌った中世の叙事詩が「ローランの詩」です。
 どうですか・・・ピレネー、バスク、ナバラ・・・・ももりはこんな言葉には、もう、うっとりです

ローランの碑

巡礼者のための救護所と教会

 巡礼途中で死んだ人を葬ったエウナテのサンタマリア墳墓教会

昔々・・・ヨーロッパ内陸部は、昼なお暗い森におおわれていて、森には狼や狐や熊がいた。村の真ん中には教会があり、農民は領主のために、暗い内から働き、夜はろうそくを惜しんで暗くなると早々と寝た。黙々とはたらき、錬金術師や魔法使いがいて、人々は教会の鐘とともに生活をしていた。赤ずきんちゃんやロビンフッド、白雪姫、眠り姫???ももりのイメージは小供の日々に戻ります。
 でも、実際、町では、ブタやニワトリも一緒に棲み、下水設備なんか勿論なく、窓から汚物を捨てる・・・極めて非衛生的。隣国とのいざこざが常にあり、いったんコトあれば城塞の中に逃げ込んで、城壁の上から、襲いかかる敵の頭上へと石や弓、煮えたぎった油や人糞をまいた・・・特に、この黄色い生物兵器はイヤがられたらしい。臭いし、取れにくい・・・時にはコレラも大発生。魔女裁判だってあったんですから。
 中世の現実は???甘いロマンティックな空想とはかけ離れていたことでしょう

プエンテ・ラ・レイナを出て、ブルゴスへ。途中、ワインの試飲自由なプエンテ・デ・ヴィーノにバスは立ち寄ってくれました。小さな蛇口が二つ。左からは赤ワイン。右からは水がでます。番人もいませんし、飲み放題ではありますが、流石に・・・ガブガブとはねえ・・・ホタテ貝で一杯頂きました

4日目ブルゴスからサンタンデールへ

ブルゴスのレストラン 民族衣装のお嬢さんたち。食べたのは、血のソーセージとチョリーソ(これもソーセージ)羊の腸に肉と血もつめこんだもの。真っ黒でしたけどおいしかったなあ!!!こんなワイルドなのがワインにもビールにもよっく合うのよねえ

前回のドイツの旅で白ワインに目覚めました。食前酒にキリッと冷えた白ワイン。それ以来病み付きです。今回のスペインは赤が主眼。「太るとか、いらんこと考えんと、しこたま飲んでやるっ」と勇んでやってきたのです.
あらためて、ビールもワインも奥が深い。ビールは、それぞれ、地ビールで微妙に味が違います。ワインは勿論。ほとんど毎食(朝以外)食前酒に白ワイン、途中から赤・・・おいしかったなあ!!不思議なことに、日本へ帰ってしまいますと、余りワインの栓を抜きましょうって言う気にはならないのです。マッ、旅行中だけの贅沢ということでいきましょう


人類がアフリカで生まれ、イベリア半島にたどりついたのは250〜150万年前(別の説もあるそうですが)、ネアンデルタール人が・・・クロマニヨン人が・・・・???
 後期旧石器時代、ここ、カンタブリア地方にはマドレーヌ文化が栄えていた・・・といいます。同じ頃の洞窟絵画は、なんと111ヶ所も残っているんですって。ともかく・・・凄い。人間が絵を描くっていう行為は、生の根源的な喜びに違いありません

彼が幼い娘とピクニックに来ていたときのこと。洞窟の中で娘の「パパ・・・牛よ、牛よ」と言う叫び声に驚いて洞窟に入った彼の目にうつった牛の群れ サンティリャーナ・デル・マールの村で洞窟壁画が発見されたのが1879年。アマチュア考古学者、ドン・マルセリーノ・デ・サトゥラの発表は、頑迷卑怯な権威主義学者によって誹謗され、彼は失意のうちに死にました

たまたま、サンティリャーナ・デル・マールにて村祭りに出っくわす。これは嬉しい大おまけ

ブルゴス サンタマリア門

ブルゴス ミラフローレス修道院

6日目 オビエド観光後、バスにてレオンへ レオン泊

7日目 レオン観光 アストルガへ、途中巡礼街道を1時間ほど歩く その後サンティアゴ・デ・コンポステラへ

アストルガ観光

プエンテ・デ・オルビーゴの橋から歩き始める。空はあくまで蒼い巡礼道を前方に止まるバスまで歩く。快調!!!

ガウディの教会

13世紀の橋 プエンテ・デ・オルビーゴ

アストルガのカテドラアル

ブルゴス サンタマリア門

サンタアリア・デル・ナランコ教会とその内部。プレロマネスク様式

オビエド大学法学部

レオンのパラドール パラドールは元宮殿や修道院であった建物をホテルとした国営宿舎 レストランはスローモーで無愛想 レオン泊

広い古典的な室内

元修道院であったから聖人の像が回廊にならんでいる

回廊のレリ−フ

オビエド カテドラル 右端は不倫の女王ですって。右はオビエドのカテドラル内部。日本の四天王みたいにガキを足の下に踏んづけている

霧雨のオビエドからバハレス峠を越えると、さっと蒼穹の青空が広がる

レオン着

レオンのサンイシードロ教会 2000年にココへ来た時余りのスバラシさに感動!!今回、ゆっくりと見られて最高にシアワセ。ロマネスク絵画の頂点か 12ケ月の農作業 小麦の刈り取りと葡萄摘みか??

レオン旧市街、ガウディのボティネスの家とかカテドラルを見るがスケッチの時間なし

アストルガのカテドラル

モンテ・ゴソ 長い巡礼道を歩きとおしてやっとサンティアゴ・デ・コンポステラの塔のテッペンが見えるところから喜びの丘という。でも、2000年に行ったところとは違った。そりゃそうでしょう。車が行かない丘だったんだから

サンテイアゴ・デ・コンポステラ

初めて絵の具を横に置いてスケッチ なんて嬉しい!!!日陰にしゃがみ込んでても暑い!!!

サンチアゴ・デ・コンポステラのパラドールに泊まる

8日目自由行動 セッセと歩き回り、せっせとスケッチ

プラティアス広場

旧市街の市場

9日目 マドリッドに移動 その後自由

これは、まあ・・・お祭りと云うよりデモンストレーションです。「ゲイの誇り」と云うんですって???。
マドリッドの大通り、なんだか警官が多く出て人だかりがしています。経済が悪く失業者が多いと聞いているスペインで「さてはデモか??」
デモなら近寄るべからず。デモ警官に「怖いか??」と聞きますと「ノッ」と言います。ガンガン騒いでいますけど、人だかりで見えません。こちらの人はなんてったって大きいんですから。
 それに、バッグも心配です。何しろ、20年ほど前、友人と二人で歩いていて、友人がスッパリバッグをひったくられたもんですから、人混みが怖い驚きました。真っ黒な大きな男性が女装しています。大きな黒いひげのままの女装の黒人もいて、なんだか超ド迫力。
私達は地図を見ながら日本食レストランを探しにきたんですけど、大通りを横切ることすらできません。バッグを押さえ、ナントカ大通りを突っ切りました
やっと、探し当てたレストランは、夜、8時半からしか開かないっていうじゃないの。半時間も待つなんて・・・結局やめてタクシーでホテルへ。そしたらデモの交通規制で散々の大回り。タクシーでマドリッド見学とはなりました

空港と云うところはスケッチにはいい所。いいモデルがゴロゴロいる
マドリッドからスキポール空港を経て関空へ。私達にはちょっと贅沢な、ゆったりしたすばらしい旅でした。

聖なる水が湧き出でて、病がなおるという。信者の群れが水を求めて延々の行列 中ほどの岩の裂け目にマリア様が現れたとか