十干十二支で追う日本書紀

 日本書紀は天皇の即位の年、十干十二支が記載されています。それを追ってみると、合わないところもあるものの、ほぼ合います。昔の人ってすごい。記載されている十干十二支を元に、空いているところを補完し、一覧にしてみました。

 ☆は日本書紀に記載されている年号です。それを基準として、以降の年を計算していきました。新たに年号が記載されているのと矛盾する場合は、日本書紀に記載された年号を記しています。

第三巻 神武天皇

 神武紀は年号の記載が二箇所ある。即位前紀一年から数えて神武元年は計算が合わない。神武元年の記載は庚酉とあるが、即位前期から計算すると辛酉となる。
 即位といっても、神武天皇が王宣言しただけで、日本統一には程遠い。長髄彦との面白い。

神武天皇 2-3
即位前紀一年 太歳甲寅(きのえとら) 神武45歳、東征出発
即位前紀二年 乙卯(きのとう) 吉備の国で三年を過す
即位前紀五年 戊午(つちのえうま) 出発、長髄彦と衝突
即位前紀六年 己未(つちのとひつじ) 磐余到着、都造成着工
即位前紀七年 庚申(かのえさる) 立皇后
神武元年 庚酉(かのえとり) 神武天皇即位、いわゆる皇紀元年
出発の甲寅から数えると辛酉合わない
神武二年 辛戌(かのといぬ)
神武四年 癸子(みずのとね)
神武三十一年 庚卯(かのえう)
神武四十二年 辛寅(かのととら) 綏靖天皇立太子
神武七十六年 乙子(きのとね) 崩御127歳、綏靖天皇48歳、
神武七十七年 丙丑(ひのえうし) 神武天皇埋葬、(綏靖天皇元年)

第四巻 欠史八代

 綏靖紀は年号の記載が二箇所ある。即位前の神武七十六年は、神武紀の神武七十六年と一致しない。
 綏靖紀に皇位継承のいざこざがある。古代の皇位は、つまるところ強いものが継承するのである。

綏靖天皇 2-4
神武七十六年 太歳己卯(つちのとう) 神武崩御48歳、神武紀と一致しない
綏靖元年 太歳庚辰(かのえたつ) 即位、都造成
綏靖二年 辛巳(かのとみ) 皇后を立てる
綏靖四年 癸未(みずのとひつじ)
綏靖二十五年 甲辰(きのえたつ) 綏靖天皇立太子21歳
綏靖三十三年 壬子(みずのえね) 崩御84歳
安寧天皇
綏靖二十五年 甲辰(きのえたつ) 綏靖天皇立太子21歳
綏靖三十三年 壬子(みずのえね) 即位
安寧元年 太歳癸丑(みずのとうし) 綏靖天皇を葬る
安寧二年 甲寅(きのえとら) 都を移す
安寧三年 乙卯(きのとう) 皇后を立てる
安寧十一年 壬亥(みずのえい) 懿徳天皇立太子
安寧三十八年 庚寅(かのえとら) 崩御57歳。
懿徳天皇
安寧十一年 壬亥(みずのえい) 懿徳天皇立太子十六歳
安寧三十八年 庚寅(かのえとら) 崩御
懿徳元年 太歳辛卯(かのとのう) 即位
懿徳二年 壬辰(みずのえたつ) 都を遷す
懿徳二十二年 壬寅(みずのえとら) 孝昭天皇立太子18歳
懿徳三十四年 甲寅(きのえとら) 崩御
孝昭天皇
懿徳二十二年 壬戌(みずのえいぬ) 立太子、懿徳紀と一致しない
懿徳三十四年 甲子(きのえとね) 懿徳天皇崩御、懿徳紀と一致しない
(懿徳三十五年) 乙丑(きのとうし) 懿徳天皇埋葬
孝昭元年 丙寅(ひのえとら)
孝昭二十九年 甲午(きのえうま) 立皇后
孝昭六十九年 甲戌(きのえいぬ) 孝安天皇立太子20歳
孝昭八十三年 戊子(つちのえね) 崩御
孝安天皇
孝昭六十八年 庚酉(みずのととり) 孝昭紀だと孝昭六十九年
孝昭八十三年 戊子(つちのえね) 崩御
孝安元年 己丑(つちのとうし) 即位
孝安二年 庚寅(かのえとら) 遷都
孝安二十六年 甲寅(きのえねとら) 立皇后
孝安三十八年 丙寅(ひのえとら) 孝昭天皇埋葬
孝安七十六年 甲辰(きのえたつ) 孝霊天皇立太子26歳
孝安百二年 庚午(かのえうま) 崩御
孝霊天皇
孝安七十六年 甲辰(きのえたつ) 孝霊天皇立太子26歳
孝安百二年 庚午(かのえうま) 孝安天皇崩御、埋葬、遷都
孝霊元年 太歳辛未(かのとひつじ) 即位
孝霊二年 癸酉(みずのととり) 立皇后
孝霊三十六年 丙午(ひのえうま) 孝元天皇立太子
孝霊七十六年 丙戌(ひのえいぬ) 崩御
孝元天皇
孝霊三十六年 丙午(ひのえうま) 孝元天皇立太子
孝霊七十六年 丙戌(ひのえいぬ) 孝霊天皇崩御40
孝元元年 太歳丁亥(ひのとい) 即位、立皇后
孝元四年 庚寅(かのえとら) 遷都
孝元六年 壬辰(みずのえたつ) 孝霊天皇埋葬
孝元七年 癸巳(みずのとみ) 立皇后
孝元二十二年 戊申(つちのえさる) 開化天皇立太子16歳
孝元五十七年 戊申(つちのえさる) 崩御
開化天皇
孝元二十二年 戊申(つちのえさる) 立太子16歳
孝元五十七年 癸未(みずのとひつじ) 孝元天皇崩御開化天皇即位
開化元年 太歳甲申(きのえさる) 遷都
開化五年 戊子(つちのえね) 孝元天皇埋葬
開化六年 己丑(つちのとうし) 立皇后
開化二十八年 辛亥(かのとい) 崇神天皇立太子19歳
開化六十年 辛亥(かのとい) 崩御105歳

第五巻 崇神天皇

 疫病が流行り、それが神様の仕業と分かる。神様って怖い。将軍を任命して四方を征伐していくことによって、日本が統一していくきっかけとなる。また外国(任那)から人が初めてやってくる。

崇神天皇 2-5
開化六十年 癸未(みずのとひつじ) 開化天皇崩御
崇神元年 太歳甲申(きのえさる) 即位、立皇后
崇神三年 丙戌(ひのえいぬ) 遷都
崇神四年 丁亥(ひのとい)
崇神五年 戊子(つちのえね) 疫病流行
崇神六年 己丑(つちのとうし) 国民困窮、天照大御神、倭大国魂神を皇居から出す
崇神七年 庚寅(かのえとら) 大物主神、大田田根子が現れる疫病が治まる五穀豊穣
崇神八年 辛卯(かのとう) 大田田根子に大三輪を祭らせる
崇神九年 壬辰(みずのえたつ) 墨坂神、大阪神を祭る
崇神十年 癸巳(みずのとみ) 四道将軍派遣
崇神十一年 甲午(きのえうま) 四道将軍帰還
崇神十二年 乙未(きのとひつじ) 戸籍調査、課税(調)
崇神十七年 庚子(かのえね) 造船
崇神四十八年 辛未(かのとひつじ) 垂仁天皇立太子
崇神六十年 癸未(みずのとひつじ) 出雲神宝
崇神六十二年 乙酉(きのととり) 池の造成
崇神六十五年 戊子(つちのえね) 任那朝貢、蘇那曷叱知来日
崇神六十八年 辛卯(かのとう) 崇神天皇崩御120歳、崇神天皇埋葬

第六巻 垂仁天皇

 ところどころ出てくる同母兄妹愛の物語が出てくるが、その最初が狭穂彦と狭穂姫である。異母兄妹の結婚は、古代では何の問題にもならないようであるが、同母兄妹だと途端に大問題になる。この時代、そういった法律なないのだろうが、慣習的に社会が受け入れられなかったのだ。狭穂姫が死ぬ間際、自分の代わりの女性を紹介する。それを召し入れるのが十年後となり、話に矛盾を感じる。
 新羅から天日槍が来日し、その子孫が垂仁九十年、九十九年に出てくる田道間守や第九巻の神功皇后です。神功皇后がその血筋であるので、天日槍の登場は結構重要である。

垂仁天皇 2-6
崇神二十九年 壬子(みずのえね) 垂仁天皇誕生
崇神五十三年 丙子(ひのえね) 垂仁天皇立太子24歳
崇神二十九年に誕生とすると崇神紀と一致しない。
崇神六十八年 辛卯(かのとう) 崇神天皇崩御
垂仁元年 太歳壬辰(みずのえたつ) 即位
垂仁二年 癸巳(みずのとみ) 立皇后、遷都、任那の蘇那曷叱知帰国
垂仁三年 甲午(きのえうま) 天日槍来日
垂仁四年 乙未(きのとひつじ) 狭穂彦の謀反画策
垂仁五年 丙申(ひのえさる) 狭穂彦の謀反、鎮圧
垂仁七年 戊戌(つちのえいぬ) 相撲の起源
垂仁十五年 丙午(ひのえうま) 丹波の五人姉妹のうち三人との結婚
垂仁二十三年 甲寅(きのえとら) 国のきけない誉津別王
垂仁二十五年 丙辰(ひのえたつ) 神祭りの詔、天照大神が豊耜入姫から倭姫に託される
垂仁二十六年 丁巳(ひのとみ) 出雲の神宝管理
垂仁二十七年 戊午(つちのえうま) 武器を神社に奉納、神地神戸を定める。
垂仁二十八年 己未(つちのとひつじ) 人柱廃止の詔
垂仁三十年 辛酉(かのととり) 立太子の判断
垂仁三十二年 癸亥(みずのとい) 埴輪の発明
垂仁三十四年 乙丑(きのとうし) 綺戸辺との結婚
垂仁三十五年 丙寅(ひのえとら) 五十瓊敷命を河内国に行かせる
垂仁三十七年 戊辰(つちのえたつ) 景行天皇立太子
垂仁三十九年 庚午(かのえうま) 五十瓊敷に石上神宮の神宝を管理させる
垂仁八十七年 戊午(つちのえうま) 物部十千根大連に石上神宮の神宝を管理させる
垂仁八十八年 己未(つちのとひつじ) 垂仁天皇が新羅の王子天日槍の曾孫清彦に神宝を献上させる
垂仁九十年 辛酉(かのととり) 田道間守を常世国に行かせる。
垂仁九十九年 庚午(かのえうま) 崩御140歳、埋葬
(垂仁百年) 辛未(かのとひつじ) 田道間守帰国

第七巻 景行天皇、成務天皇

 景行紀は古事記のそれとは天皇の人物像が全く違う。古事記日本書紀ともにヤマトタケルの活躍が中心であるが、古事記だと景行天皇はほとんど出てこない。それに対して日本書紀の景行天皇は存在感があり、詔をし、日向、常陸にも行幸し、征伐にも直接出向いている。垂仁、崇神天皇と比べると活動的な天皇であるが、王が直接、遠方の筑紫まで出向くというのはおかしい気がする。
 景行紀の半分を占めるヤマトタケルは、これも景行天皇と同様、古事記のそれとは人物像の違うところがある。それは蝦夷征伐を命じられた時である。伯母の倭姫の元へ行った際、古事記では泣きつくが、日本書紀では勇ましく挨拶に行く。ここはどの資料によって書かれたのか違いであろう。モデルとなる人物が何人かいて、その結晶がヤマトタケル像を作ったのだと思う。ただヤマトタケルが言った「吾妻はや」に因んだ地名、山、井戸、トンネルなどが、彼が通ったであろう地域に多数残っており、実在を思わせるところもある。

 成務天皇は景行天皇の皇子で、ヤマトタケルとは異母兄弟である。統治は長い期間したようであるが、あまり書かれていない。

景行天皇 2-7
垂仁三十七年 戊辰(つちのえたつ) 景行天皇立太子21歳
垂仁九十九年 庚午(かのえうま) 垂仁天皇
景行元年 太歳辛未(かのとのひつじ) 景行天皇即位
景行二年 壬申(みずのえさる) 立皇后
景行三年 癸酉(みずのととり) 紀伊国行幸中止
景行四年 甲戌(きのえいぬ) 美濃国行幸、八坂入媛との結婚、遷都
景行十二年 壬午(みずのえうま) 筑紫へ行幸、熊襲征伐
景行十三年 癸未(みずのとひつじ) 襲国平定6年留まる
景行十七年 丁亥(ひのとい) 子湯県行幸日向と名付ける
景行十八年 戊子(つちのえね) 都へ戻る行幸筑紫巡回
景行十九年 己丑(つちのとうし) 筑紫から戻る
景行二十年 庚寅(かのえとら) 五百野皇女に天照大神を祭らせる
景行二十五年 乙未(ひのとひつじ) 武内宿禰に北陸、東北地方を視察させる。
景行二十七年 丁酉(ひのととり) 武内宿禰が帰郷、日本武熊襲征伐年16歳
景行二十八年 戊戌(つちのえいぬ) 日本武帰郷
景行四十年 癸戌(みずのといぬ) 日本武の東征、東征中に具体的な日付の記載がない
日本武30歳、崩御
景行四十三年 癸丑(みずのとうし) 日本武崩御にともない、武部を定める
景行五十一年 辛酉(かのととり) 成務天皇立太子、武内宿禰棟梁之臣となる
景行五十二年 壬戌(みずのえいぬ) 皇后播磨太郎姫死亡、八坂入媛命立皇后
景行五十三年 辛亥(かのとい) 東国行幸
景行五十四年 甲子(きのえね) 帰郷
景行五十五年 乙丑(きのとうし) 彦狭嶋王、東国にて死亡
景行五十六年 丙寅(ひのえとら) 御諸別王を管理
景行五十七年 丁卯(ひのとう) 坂手池造成
景行五十八年 戊辰(ひのえたつ) 近江国行幸ここに三年
景行六十年 癸午(みずのとうま) 崩御106歳
成務天皇
景行四十六年 丙辰(ひのえたつ) 立太子24歳、景行紀だと五十一年
景行六十年 庚午(かのえうま) 景行天皇崩御景行紀と一致しない。
成務元年 太歳辛未(かのとひつじ) 即位
成務二年 壬申(みずのえさる) 景行天皇埋葬
成務三年 癸酉(みずのととり) 武内宿禰大臣となる。成務天皇と武内宿禰は同じ日に生れた
成務四年 甲戌(きのえいぬ) 国郡に首長を置くよう詔する
成務五年 乙亥(きのとい) 国境を決める。
成務四十八年 己未(つちのとひつじ) 仲哀天皇立太子
成務六十年 庚午(かのえうま) 崩御107歳

第八巻 仲哀天皇

 仲哀天皇はヤマトタケルの皇子である。即位直後は行動的でリーダーシップに富んだ感じだったが、神の御言葉に従わなかったために崩御してしまう悲しい天皇である。
 父であるヤマトタケル、また皇后神功は二人とも実在の怪しい伝説的な人物なので、仲哀天皇もまた実在が怪しい印象である。また景行天皇と同様、遠方の日向まで征伐に直接出てくる点を見ても、実在は怪しい。
 仲哀紀で重要なのは武内宿禰で、彼は以後天皇の側近である大臣の礎となり、十一巻仁徳紀まで登場する。

仲哀天皇 2-8
成務四十八年 己未(つちのとひつじ) 立太子31歳
成務六十年 庚午(かのえうま) 成務天皇崩御、埋葬
(成務六十一年) 辛未(かのとひつじ) 立皇太后
仲哀元年 太歳壬申(みずのえさる) 即位
仲哀二年 癸酉(みずのととり) 立皇后、紀伊国行幸、熊襲が背く
仲哀八年 己卯(つちのとう) 筑紫行幸、神功皇后神がかり、熊襲征伐失敗
仲哀九年 庚辰(かのえたつ) 仲哀天皇崩御52歳

第九巻 神功皇后

 神功皇后は仲哀天皇の皇后で、垂仁紀に登場した天日槍の末裔である。神功皇后の一番有名な話は三韓征伐であるが、三韓征伐といっても神功皇后と皇軍が攻めたのは朝鮮半島の東側にあった新羅だけ、他の高麗、百済は倭が新羅を征伐したという話を聞いて、一方的に従属してきたのである。これ以降、朝鮮の国々が訪日、朝貢、要請するようになった。神功皇后が日本に帰ってきて皇太后となることは一応即位に相当するようであるが、実際には即位していないので、神功皇后が崩御する摂政69年までは空位となる。新羅から帰国した時、応神天皇を出産しているが、その妊娠期間は十五ヶ月となり、本当に仲哀天皇の子であるかは怪しい。

神功皇后 2-9
仲哀九年 庚辰(かのえたつ) 仲哀天皇崩御、神功皇后神がかり、熊襲征伐
三韓征伐、帰国、神功皇后応神天皇を出産
神功摂政元年 辛巳(かのとみ) 神功皇后帰国、仲哀天皇葬儀、
武振熊の忍熊王を討たせる、神功皇后皇太后となる
神功摂政二年 壬午(みずのえうま) 仲哀天皇を葬る
神功摂政三年 癸未(みずのとひつじ) 応神天皇立太子
神功摂政五年 乙酉(きのととり) 新羅朝貢新羅の初の朝貢
神功摂政十三年 癸巳(みずのとみ) 応神天皇角鹿に参拝、都に戻る
神功摂政三十九年 己未(つちのとひつじ) 魏志倭人伝引用
神功摂政四十年 庚申(かのえさる) 魏志倭人伝引用
神功摂政四十三年 癸亥(みずのとい) 魏志倭人伝引用
神功摂政四十六年 丙寅(ひのえとら) 卓淳国に遣わせる
神功摂政四十七年 丁卯(ひのとう) 百済が初の朝貢
神功摂政四十九年 己巳(つちのとみ) 卓淳から出発して新羅征伐
神功摂政五十年 庚午(かのえうま) 新羅を征伐した将軍たちが帰ってくる
神功摂政五十一年 辛未(かのとひつじ) 百済朝貢、千熊長彦を百済国に遣わせる
神功摂政五十二年 壬申(みずのえさる) 千熊長彦帰国、百済朝貢
神功摂政五十五年 乙亥(きのとい) 百済の肖古王死亡
神功摂政五十六年 丙子(ひのえね) 百済の貴須、王となる
神功摂政六十二年 壬戌(みずのえいぬ) 新羅征伐、百済記引用
神功摂政六十四年 甲申(きのえさる) 百済の貴須王死亡、枕流王が王となる
神功摂政六十五年 乙酉(きのととり) 百済の枕流王貴死亡、辰斯が王となる
神功摂政六十六年 丙戌(ひのえいぬ) 晋についての引用
神功摂政六十九年 己丑(つちのとうし) 神功皇后崩御100歳、埋葬

第十巻 応神天皇

 お腹の中にいた時に神に朝鮮を賜えられた天皇と称えられるようになり、胎中天皇とも呼ばれる。欽明紀以降では、朝鮮半島の国々との関係上、よく名前を挙げられている。

応神天皇 2-10
仲哀九年 歳次庚辰(かのえたつ) 応神天皇誕生、神功皇后紀記載と一致
摂政六十九年 己丑(つちのとうし) 神功皇后崩御100歳
応神元年 太歳庚寅(かのえとら) 応神天皇即位
応神二年 辛卯(かのとう) 立皇太后
応神三年 壬辰(みずのえたつ) 蝦夷朝貢、海人が騒ぐ平定、百済辰斯王を殺し、阿花を王にする
応神五年 甲午(きのえうま) 海人と山守部を定める、伊豆に船をつくらせる
応神六年 乙未(きのとひつじ) 近江国行幸
応神七年 丙申(ひのえさる) 高麗、百済、任那、新羅が一緒に来朝、池を作る
応神八年 丁酉(ひのととり) 百済来朝
応神九年 戊戌(つちのえいぬ) 武内宿禰危機を脱出
応神十一年 庚子(かのえね) 池造成、日向の女性のうわさを聞く
応神十三年 壬寅(みずのえとら) 髪長媛を息子の仁徳天皇に譲る
応神十四年 癸卯(みずのとう) 百済が縫衣工女を献上、葛城襲津彦を加羅に派遣
応神十五年 甲辰(きのえたつ) 百済阿馬二頭献上、阿直伎を皇太子菟道稚郎子の教師にする
応神十六年 乙巳(きのとみ) 百済王仁来朝、百済阿花王死亡、直支王王位就任を命じる、襲津彦が帰国
応神十九年 甲申(きのえさる) 吉野行幸
応神二十年 己酉(つちのととり) 倭漢直祖先阿知使主が仲間を連れてやってくる
応神二十二年 辛亥(かのとい) 大隅宮滞在、兄媛が嘆くので吉備に送る
応神二十五年 甲寅(きのえとら) 百済の直支王死亡、子の久爾辛が王となる
応神二十八年 丁巳(ひのとみ) 高麗、貢物、手紙献上
応神三十年 己未(つちのとひつじ) 枯野の船を燃して塩をつくる、船が全国から五百艘焼失、新羅が巧を献上
応神三十七年 丙寅(ひのえとら) 阿知使主、都加使主を呉(中国)に遣わす
応神三十九年 戊辰(つちのえたつ) 百済が新斉都媛他七人の女性を遣わせる
応神四十年 己巳(つちのとみ) 菟道稚郎子の立太子
応神四十一年 庚午(かのえうま) 応神天皇崩御110歳、阿知使主たちが呉から戻る

第十一巻 仁徳天皇

 経済政策により三年間の免税をしたことで有名。皇后磐之媛は嫉妬深く、仁徳天皇が他の妃を召し入れたことで家出してしまう。皇后の逸話が挟まれているのが特徴でもある。磐之媛が家出した先で亡くなると、仁徳天皇は彼女のことを忘れたかのように、次の皇后を立てて溺愛したようである。

仁徳天皇 2-11
応神四十一年 庚午(かのえうま) 応神天皇崩御、大山守殺害、菟道稚郎子自殺
仁徳元年 太歳癸酉(みずのととり) 仁徳天皇即位武内宿禰の子木菟宿禰と同じ日に生れた。
仁徳二年 甲戌(きのえいぬ) 立皇后
仁徳四年 丙子(ひのえね) 非課税政策
仁徳七年 己卯(つちのとう) お宮が朽ちる
仁徳十年 壬午(みずのえうま) 非課税政策終了
仁徳十一年 癸未(みずのとひつじ) 堀江を掘る、茨田堤建造、新羅貢物献上
仁徳十二年 甲申(きのえさる) 高麗鉄の盾と的を献上、大溝を掘る
仁徳十三年 乙酉(きのととり) 屯倉を立てる、池、堤を作る
仁徳十四年 丙戌(ひのえいぬ) 橋を作る、大溝を掘る
仁徳十六年 戊子(つちのえね) 桑田玖賀媛の死亡
仁徳十七年 己丑(つちのとうし) 新羅が貢物を献上しない、人を遣わせて貢物を献上させる
仁徳二十二年 甲午(きのえうま) 仁徳天皇と磐之媛の和歌交換
仁徳三十年 壬寅(みずのえとら) 八田皇女との結婚と磐之媛の家出
仁徳三十一年 癸卯(みずのとう) 履中天皇立太子
仁徳三十五年 丁未(ひのとひつじ) 皇后磐之媛崩御
仁徳三十七年 己酉(つちのととり) 皇后磐之媛埋葬
仁徳三十八年 庚戌(かのえいぬ) 八田皇女立皇后、菟餓野の鹿による佐伯部の左遷
仁徳四十年 壬子(みずのえね) 隼別と雌鳥皇女の殺害、新嘗祭、佐伯直阿俄能胡の追い剥ぎ発覚
仁徳四十一年 癸丑(みずのとうし) 百済に紀角宿禰派遣
仁徳四十三年 乙卯(きのとう) 依網屯倉の阿弭古が鷹を献上
仁徳五十年 壬戌(みずのえいぬ) 雁が卵を産む、武内宿禰が最後の登場
仁徳五十三年 乙丑(きのとうし) 新羅が貢物献上しない。新羅征伐
仁徳五十五年 丁卯(ひのとう) 蝦夷が背く、田道が蝦夷にやられる
仁徳五十八年 庚午(かのえうま) 二本の歴木、呉国、高麗国が貢物献上
仁徳六十年 壬申(みずのえさる) 白鳥陵守を役丁にし、後に土師連に任せる
仁徳六十二年 甲戌(きのえいぬ) 遠江国の巨大な流木で船をつくる、闘鶏の氷室
仁徳六十五年 丁丑(ひのとうし) 飛騨国の宿儺征伐
仁徳六十七年 己卯(つちのとう) 百舌鳥耳原の陵と地名説話、吉備中国の川嶋河の大虬征伐、
仁徳八十七年 己亥(つちのとい) 仁徳天皇崩御、埋葬

第十二巻 履中天皇、反正天皇

履中天皇 2-12
仁徳三十一年 癸卯(みずのとう) 履中天皇立太子15歳
仁徳八十七年 己亥(つちのとい) 仁徳天皇崩御、仲皇子皇太子履中天皇のお宮を焼く、反正天皇が仲皇子を殺す
履中元年 太歳庚子(かのえね) 履中天皇即位、立皇后
履中二年 辛丑(かのとうし) 反正天皇立太子、宿禰、大連、使主たちに政治を執らせる、池を作らせる
履中三年 壬寅(みずのえとら) 両枝船で遊ぶ
履中四年 癸卯(みずのとう) 諸国に国史を置く、石上溝を掘る
履中五年 甲辰(きのえたつ) 筑紫の三柱の神のクレーム、伊弉諾のクレーム、皇妃黒媛崩御、黒媛埋葬
履中六年 乙巳(きのとみ) 草香幡梭皇女立皇后、履中天皇崩御、埋葬
反正天皇
履中二年 辛丑(かのとうし) 反正天皇立太子
履中六年 乙巳(きのとみ) 履中天皇崩御
反正元年 太歳丙午(ひのえうま) 反正天皇即位、津野姫立皇后、お宮を移す
反正五年 丁未(ひのとひつじ) 反正天皇崩御

第十三巻 允恭天皇、安康天皇

 反正天皇崩御から五年も空位があった。衣通郎女の元へ通ったことばかり書いてある。

允恭天皇 2-13
反正五年 丁未(ひのとひつじ) 反正天皇崩御
戊申(つちのえさる) 空位
己酉(つちのととり) 空位
庚戌(かのえいぬ) 空位
辛亥(かのとい) 空位
允恭元年 太歳壬子(みづのえね) 允恭天皇即位、反正天皇崩御から五年あいている
允恭二年 癸丑(みずのとうし) 忍坂大中姫立皇后
允恭三年 甲寅(きのえとら) 新羅に医者を求め、病気が治る
允恭四年 乙卯(きのとう) 氏姓を正す
允恭五年 丙辰(ひのえたつ) 地震、玉田宿禰の怠慢、武内宿禰のお墓、反正天皇埋葬
允恭七年 戊丑(つちのえうし) 皇后大中姫の妹衣通郎姫をめとる、皇后大中姫の雄略天皇出産
允恭八年 己未(つちのとひつじ) 衣通郎姫のもとへ行幸
允恭九年 庚申(かのえさる) 衣通郎姫のもとへ行幸
允恭十年 辛酉(かのととり) 衣通郎姫のもとへ行幸
允恭十一年 壬戌(みずのえいぬ) 衣通郎姫のもとへ行幸
允恭十四年 乙丑(きのとうし) 淡路嶋で狩り、海底の真珠
允恭二十三年 甲戌(きのえいぬ) 木梨軽皇子立太子、木梨軽皇子と同母妹大娘皇女の恋愛
允恭二十四年 乙亥(きのとい) 木梨軽皇子と大娘皇女の関係がばれる
允恭四十二年 癸巳(みずのとみ) 允恭天皇崩御年若干、允恭天皇埋葬
安康天皇
允恭四十二年 癸巳(みずのとみ) 允恭小天皇崩御、葬儀、木梨軽皇子殺害、安康天皇即位
安康元年 太歳甲午(きのえうま) 大草皇子を殺害、雄略天皇と幡梭皇女の結婚
安康二年 乙未(きのとひつじ) 中蒂姫命の立皇后(大草香皇子の元妻)
安康三年 丙申(ひのえさる) 安康天皇崩御、眉輪王に殺される。
(安康五、六年) 戊戌(つちのえいぬ)
己亥(つちのとい)
安康天皇埋葬、話を読んでいると、五年か六年かよく分からない。

第十四巻 雄略天皇

 万葉集の最初の和歌が雄略天皇とされる、有名な天皇。天皇なのにその酷い振る舞いは、目を覆うばかり。ここから男子が生まれにくくなり、少し離れた血筋から天皇が継承されていく。

雄略天皇 2-14
安康三年 丙申(ひのえさる) 安康天皇崩御、眉輪王に殺される、雄略天皇眉輪王他を殺す
雄略天皇市辺押磐皇子を殺害する、雄略天皇即位、大臣、大連任命
雄略元年 太歳丁酉(ひのとのとり) 草香幡梭姫皇女立皇后安康三年(崩御)の翌年
雄略二年 戊戌(つちのえいぬ) 石川楯を大伴室屋大連に殺させる、吉野宮行幸
雄略三年 己亥(つちのとい) 栲幡皇女の自殺と天照大神の鏡
雄略四年 庚子(かのえね) 一言主大神が現れる
雄略五年 辛丑(かのとうし) 葛城山でイノシシに襲われる、百済加須利君献上
雄略六年 壬寅(みずのえとら) 泊瀬の小野で遊ぶ、赤ちゃんを集める、呉国の使いに来る
雄略七年 癸卯(みずのとう) 三諸山の神所望、田狭を任那国司にし、稚媛と結婚する
雄略八年 甲辰(きのえたつ) 狭村主青、檜隈民使博徳を呉国に遣わせる、新羅が高麗と友好条約を結ぶ
高麗と新羅が争う、新羅が日本府に泣きつく
雄略九年 乙巳(きのとみ) 宗像の神を祭る、新羅征伐失敗
雄略十年 丙午(ひのえうま) 狭村主青、檜隈民使博徳が呉国から帰ってくる
雄略十一年 丁未(ひのとひつじ) 川瀬舎人を置く、百済国の貴信来日、
雄略十二年 戊申(つちのえさる) 狭村主青、檜隈民使博徳を呉国に遣わせる、闘鶏御田の処刑を思い留まる
雄略十三年 己酉(つちのととり) 歯田根命が采女山辺小嶋子を犯し償う、韋那部真根を許す
雄略十四年 庚戌(かのえいぬ) 狭村主青、檜隈民使博徳が呉国から帰国、根使主の戯言が発覚
雄略十五年 辛亥(かのとい) 秦氏、秦造の話
雄略十六年 壬子(みずのえね) 桑を植える、漢部の中から伴造を決めさせる
雄略十七年 癸丑(みずのとうし) 土師部に器を献上させる
雄略十八年 甲寅(きのえとら) 朝日郎を討たせる
雄略十九年 乙卯(きのとう) 穴穂部を置く
雄略二十年 丙辰(ひのえたつ) 高麗が百済を討つ
雄略二十一年 丁巳(ひのとみ) 雄略天皇が百済を再興しようとする
雄略二十二年 戊午(つちのえうま) 清寧天皇立太子
雄略二十三年 己未(つちのとひつじ) 百済の文斤王死亡、未多王を王にして遣わせる、高麗征伐、百済調を献上
雄略天皇崩御、征新羅将軍吉備臣尾代が蝦夷征伐

第十五巻 清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇

 清寧天皇は全く取って付けたような話。幸い発見された顕宗天皇と仁賢天皇とは、直接血がつながらない。

清寧天皇 2-15
雄略二十二年 戊午(つちのえうま) 清寧天皇立太子
雄略二十三年 己未(つちのとひつじ) 雄略天皇崩御、星川皇子殺害、清寧天皇に神璽献上
清寧元年 太歳庚申(かのえさる) 清寧天皇即位、雄略天皇埋葬
清寧二年 辛酉(かのととり) 白髪部を置く、仁賢天皇(兄)、顕宗天皇(弟)発見
清寧三年 壬戌(みずのえいぬ) 仁賢(兄)顕宗(弟)摂津国に戻る、仁賢立太子、安康三年から26年後
清寧四年 癸亥(みずのとい) 外国の使いと宴、弓射ち
清寧五年 甲子(きのえね) 清寧天皇崩御、埋葬
顕宗天皇
安康三年 丙申(ひのえさる) 顕宗天皇の父市辺押磐皇子が雄略天皇に殺害される、仁賢顕宗が逃走
清寧二年 辛酉(かのととり) 仁賢顕宗発見
清寧三年 壬戌(みずのえいぬ) 仁賢顕宗摂津国に戻る、仁賢立太子、安康三年から26年後
清寧五年 甲子(きのえね) 清寧天皇崩御、忍海飯豊青尊が政治を執る、崩御、神璽を顕宗に献上
顕宗元年 太歳乙丑(きのとのうし) 顕宗天皇即位、立皇后、父市辺押磐皇子の遺体回収、葬儀
顕宗二年 丙寅(ひのえとら) 雄略天皇の墓を少し掘る
顕宗三年 丁卯(ひのとう) 阿閉使主事代を任那に遣わすよう命じる、顕宗天皇崩御
生磐宿禰が高麗、任那へ行く、外国を荒らして日本に帰ってくる
仁賢天皇
安康三年 丙申(ひのえさる) 丹波国の余社郡に避難
清寧元年 庚申(かのえさる) 明石に戻ってくる
清寧二年 辛酉(かのととり) 仁賢天皇立太子
清寧五年 甲子(きのえね) 清寧天皇崩御、仁賢天皇皇太子留任
顕宗三年 丁卯(ひのとう) 顕宗天皇崩御
仁賢元年 太歳戊辰(つちのえたつ) 仁賢天皇即位、春日大娘皇女立皇后、顕宗天皇埋葬
仁賢二年 己巳(つちのとみ) 顕宗天皇皇后難波小野皇后自殺
仁賢三年 庚午(かのえうま) 石上部舎人を置く
仁賢四年 辛未(かのとひつじ) 的臣蚊嶋、穂瓮君を投獄
仁賢五年 壬申(みずのえさる) 佐伯部を捜し、佐伯造とする
仁賢六年 癸酉(みずのととり) 日高吉士を高麗に遣し、職人を招く
仁賢七年 甲戌(きのえいぬ) 武烈天皇立太子
仁賢八年 乙亥(きのとい) 五穀豊作、カイコが育つ
仁賢十一年 戊寅(つちのえとら) 仁賢天皇崩御、埋葬

第十六巻 武烈天皇

 近親者で繋がれてきた皇位がここで途絶える。継体天皇を善人にするためか、武烈天皇は暴君として描かれている。本当にこの人いたのだろうか。また本当の武烈天皇はどんな人だったのだろう。
 真鳥臣の話は、古事記だと顕宗紀にある。

武烈天皇 2-16
仁賢七年 甲戌(きのえいぬ) 武烈天皇立太子
仁賢十一年 戊寅(つちのえとら) 仁賢天皇崩御、歌会参加、大伴金村連に鮪臣、
真鳥臣を殺害させる、武烈天皇即位
武烈元年 太歳己卯(つちのとう) 春日郎女立皇后
武烈二年 庚辰(かのえたつ)
武烈三年 辛巳(かのとみ) 水派邑を作るよう命じる
武烈四年 壬午(みずのえうま)
武烈五年 癸未(みずのとひつじ) 人を刺して楽しむ
武烈六年 甲申(きのえさる) 小泊瀬舎人を置く、百済が麻那君を遣わせて貢物を献上
武烈七年 乙酉(きのととり) 百済が斯我君を遣わせて貢物を献上
武烈八年 丙戌(ひのえいぬ) 武烈天皇崩御

第十七巻 継体天皇

 継体天皇は応神天皇の五世の孫とあり遠い血筋から連れて来られて即位した天皇。日本書紀においては父王は書いてあるものの、応神天皇から祖父までの記載はない。よって文献的には断絶となる。一方、古事記では応神天皇から祖父までの名前は書いてあり、日本書紀の父王の名前を補うことによって系譜が完成する。
 継体紀は朝鮮半島情勢の話がほとんど。そのため継体天皇にほとんど存在感がない。

継体天皇 2-17
武烈八年 丙戌(ひのえいぬ)
継体元年 太歳丁亥(ひのとい) 継体天皇即位する、樟葉宮に入る、立皇后
継体二年 戊子(つちのえね) 武烈天皇埋葬
継体三年 己丑(つちのとうし) 百済に使いを遣わす、倭に住む百済の子孫を百済国へ移す
継体五年 辛卯(かのとう) 遷都、都を山背の筒城に移す
継体六年 壬辰(みずのえたつ) 百済に遣わす、百済が貢物献上、百済に任那の土地四か所を与える
継体七年 癸巳(みずのとみ) 百済が五経博士を献上、伴跛国が百済の土地を略奪、百済の太子淳陀死亡
百済に己汶、滞沙を与える、伴跛国が珍宝献上、
継体八年 甲午(きのえうま) 春日皇女に匝布屯倉を与える
継体九年 乙未(きのとひつじ) 百済の使いが帰国、物部連の伴跛国征伐失敗
継体十年 丙申(ひのえさる) 物部連帰国、百済来日謝辞を伝える、百済、高麗と友好関係を結ぶ
継体十二年 戊戌(つちのえいぬ) 都を弟国に移す
継体十七年 癸卯(みずのとう) 百済王武寧死亡
継体十八年 甲辰(きのえたつ) 百済太子明が王位につく
継体二十年 丙午(ひのえうま) お宮を磐余の玉穂に移す
継体二十一年 丁未(ひのとひつじ) 筑紫国造磐井の反乱
継体二十二年 戊申(つちのえさる) 筑紫国造磐井征伐
継体二十三年 己酉(つちのととり) 百済に加羅国の多沙津を与える、加羅が新羅と友好を結ぶ
毛野臣を安羅に遣わせる、任那来朝
継体二十四年 庚戌(かのえいぬ)
継体二十五年 辛亥(かのとい) 継体天皇崩御、埋葬

第十八巻 安閑天皇、宣化天皇

 安閑天皇に子供が出来ていたら、もっと話が違っていた気がする。安閑天皇、宣化天皇は即位が遅く、意外と話が短い。
 安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇は兄弟。

安閑天皇 2-18
継体二十五年 辛亥(かのとい) 安閑天皇立太子、継体天皇崩御
    壬子(みずのえね)  空位
    癸丑(みずのとうし)  空位
安閑元年 太歳甲寅(きのえとら) 都を移す、立皇后、継体天皇崩御から二年間空位があり、三年後に即位
百済調献上、屯倉を立てる、虜城部連枳莒喩罪を贖う
安閑二年 乙卯(きのとう) 豊作の詔、屯倉を置く、安閑天皇崩御七十歳、埋葬
宣化天皇
安閑二年 乙酉(きのとう) 宣化天皇即位
宣化元年 太歳丙辰(ひのえたつ) 遷都、立皇后
宣化二年 丁巳(ひのとみ) 新羅、任那を攻撃、子磐と狭手彦を遣わせて任那百済を救う
宣化四年 己未(つちのとひつじ) 崩御、七十三歳、埋葬

第十九巻 欽明天皇

 欽明紀は継体紀に負けず朝鮮半島情勢の記載が豊富です。朝鮮情勢が多すぎて、国内の話がどうでもよくなる。

欽明天皇 2-19
宣化四年 己未(つちのとひつじ) 宣化天皇崩御、欽明天皇即位
欽明元年 太歳庚申(かのえさる) 立皇后、蝦夷隼人詣でる、都遷す、高麗百済新羅任那調献上
欽明二年 辛酉(かのととり) 妃を召し入れる、百済にて任那復興の詔書を授ける
欽明四年 癸亥(みずのとい) 津守連を百済に遣わせる
欽明五年 甲子(きのえね) 任那復興のいざこざ
欽明六年 乙丑(きのとうし) 膳臣巴提便を百済に遣す、百済が手紙を献上
呉財宝を日本府、旱岐たちに献上、膳臣巴提便帰国、高麗内乱
欽明七年 丙寅(ひのえとら) 百済帰国、百済貢物献上、倭国馬を献上、高麗内乱
欽明八年 丁卯(ひのとう) 百済援軍を求める
欽明九年 戊辰(つちのえたつ) 百済帰国、百済来日、百済帰国、百済に370人を派兵
欽明十年 己巳(つちのとみ) 百済の帰国
欽明十一年 庚午(かのえうま) 百済に詔、矢1500本を賜う、百済が高麗の人質を献上
欽明十二年 辛未(かのとひつじ) 百済に麦種を賜う、百済が高麗の漢城、平壌を奪う
欽明十三年 壬申(みずのえさる) 箭田珠勝大兄皇子死亡、百済加羅安羅来日、
百済釈迦像、お経を献上、欽明天皇仏像等を蘇我稲目宿禰に渡す
疫病が流行る、仏像を放棄、百済が漢城平壌を放棄、新羅が漢城を乗っ取る
欽明十四年 癸酉(みずのととり) 百済軍勢要請、使い帰る、河内国の海より光る樟を発見、仏像を彫る、
内臣を百済に遣す、派兵する、樟勾宮に行幸、百済手紙を献上
百済、高麗に進軍し高麗を撃破
欽明十五年 甲戌(きのえいぬ) 敏達天皇立太子、百済来日、
百済が援軍を求める、易、暦、医、薬の博士、楽人を献上、百済帰国
百済に援軍派兵、百済来日、百済聖明王死亡、
欽明十六年 乙亥(きのとい) 百済王子恵が聖明王死亡を朝廷に知らせる、吉備に屯倉を置く
欽明十七年 丙子(ひのえね) 百済王子恵帰国
欽明十八年 丁卯(ひのとう) 百済王余昌立つ
欽明二十一年 庚辰(かのえたつ) 新羅貢物献上
欽明二十二年 辛巳(かのとみ) 新羅貢物献上、百済来日
欽明二十三年 壬午(みずのえうま) 新羅の任那征服、馬飼首歌依陥れられる
新羅貢物献上、新羅を討つ、高麗を討つ、新羅貢物献上
欽明二十六年 乙酉(きのととり) 高麗人帰化
欽明二十八年 丁亥(ひのとい) 諸国で鉄砲水、飢饉
欽明三十年 己丑(つちのとうし) 白猪田部の丁戸籍調査
欽明三十一年 庚寅(かのえとら) 蘇我稲目宿禰死亡、泊瀬柴籬宮に行幸、高麗人漂着
欽明三十二年 辛卯(かのとう) 新羅に使いを出す、欽明天皇崩御、殯、埋葬

第二十巻 敏達天皇

敏達天皇 2-20
欽明二十九年 戊子(つちのえね) 敏達天皇立太子、欽明紀では欽明十五年
欽明三十二年 辛卯(かのとう) 欽明天皇崩御
敏達元年 太歳壬辰(みづのえたつ) 敏達天皇即位、高麗の使いの手紙を読む
敏達二年 癸巳(みずのとみ) 高麗使い越国に漂着、帰国
敏達三年 甲午(きのえうま) 高麗使い越国に到着、前の使いの消息を問う、白猪屯倉と田部を増やす
新羅貢物を献上
敏達四年 乙未(きのとひつじ) 広媛立皇后、百済貢物献上、新羅任那百済に使いを出す
新羅貢物献上、新羅土地献上、皇后死亡
敏達五年 丙申(ひのえさる) 推古天皇立皇后
敏達六年 丁酉(ひのととり) 大別王と小黒吉士を百済国宰任命、百済お経、律師、膳師など献上
敏達七年 戊戌(つちのえいぬ) 菟道皇女を伊勢の斎宮にするが、犯されて解任
敏達八年 己亥(つちのとい) 新羅貢物仏像献上
敏達九年 庚子(かのえね) 新羅貢物を献上せずに帰国
敏達十年 辛丑(かのとうし) 蝦夷が反乱をし損ねる
敏達十一年 癸寅(みずのととら) 百済貢物を献上せずに帰国
敏達十二年 癸卯(みずのとう) 百済の日羅来日、死亡
敏達十三年 甲辰(きのえたつ) 新羅任那に遣わす、百済石仏献上、蘇我馬子宿禰仏教に熱が入る
敏達十四年 乙巳(きのとみ) 蘇我馬子宿禰塔を建てて大会の拝みをする、疫病流行
物部弓削守屋大連らが蘇我馬子宿禰を焼く、敏達天皇崩御、殯

第二十一巻 用明天皇

 話が日本国内に戻る。

用明天皇 2-21
敏達十四年 乙巳(きのとみ) 敏達天皇崩御、用明天皇即位、酢香手姫皇女を斎宮に任命
用明元年 太歳丙午(ひのえうま) 立皇后、穴穂部皇子推古天皇を犯し損なう
用明二年 丁未(ひのとひつじ) 新嘗祭、用明天皇病気になる
物部守屋大連と蘇我馬子宿禰の対立、用明天皇崩御、埋葬
崇峻天皇
用明二年 丁未(ひのとひつじ) 用明天皇崩御、穴穂部皇子死亡、蘇我馬子と物部守屋の対立、蘇我馬子勝利
崇峻天皇即位
崇峻元年 太歳戊申(つちのえさる) 小手子立皇后、百済僧と舎利を献上、善信尼たち百済へ仏教留学
法隆寺建立(建築開始)
崇峻二年 己酉(つちのととり) 東山道の蝦夷視察、東海道、北陸道視察
崇峻三年 庚戌(かのえいぬ) 尼善信たちが百済から帰国、人々が出家する
崇峻四年 辛亥(かのとい) 敏達天皇埋葬、任那再建のため二万の兵を筑紫に待機させる
崇峻五年 壬子(みずのえね) 蘇我馬子宿禰、崇峻天皇を殺させる、崇峻天皇埋葬

第二十二巻 推古天皇

 初めての女性天皇。また聖徳太子による摂政。なぜここで女性が天皇になったかは書かれていなし、聖徳太子の記載はほとんどない。
 物部氏がいなくなり、また推古天皇が蘇我氏の出身のために仏教が盛り上がる。

推古天皇 2-22
敏達五年 丙申(ひのえさる) 18歳、敏達天皇の皇后となる、敏達五年に記載あり
敏達十四年 乙巳(きのとみ) 34歳、敏達天皇崩御、年齢と年号が合わない
崇峻五年 壬子(みずのえね) 39歳、崇峻天皇、蘇我馬子宿禰に殺される、推古天皇即位
推古元年 太歳
癸丑(みづのとのうし)
舎利を法興寺に置く、聖徳太子立太子、崇峻天皇改葬
推古二年 甲寅(きのえとら) 仏教興隆
推古三年 乙卯(きのとう) 淡路島に沈木漂着、薪にする、高麗僧帰化
推古四年 丙辰(ひのえたつ) 法興寺完成
推古五年 丁巳(ひのとみ) 百済朝貢、百済に使いを出す
推古六年 戊午(つちのえうま) 使いが新羅から帰国、新羅孔雀献上、越国白鹿献上
推古七年 己未(つちのとひつじ) 地震、百済ラクダ、ロバ、羊、白雉献上
推古八年 庚申(かのえさる) 新羅任那戦争、新羅に一万人を派兵、新羅降参、新羅、任那に使いを出す
新羅任那貢物献上
推古九年 辛酉(かのととり) 斑鳩宮を建てる、大雨、新羅のスパイを捕まえる
推古十年 壬戌(みずのえいぬ) 新羅征伐準備、百済僧来日、暦などを習う
推古十一年 癸亥(みずのとい) 新羅征伐中止、小墾田宮に行幸、蜂岡寺建立、冠位十二階制定
推古十二年 甲子(きのえね) 役人に冠位を与える、十七条の憲法制定
推古十三年 乙丑(きのとうし) 誓いを立てる、高麗黄金三百両を献上、制服支給、斑鳩宮に行幸
推古十四年 丙寅(ひのえとら) 仏像完成、元興寺に安置、金剛寺建立、勝鬘経講義、法華経岡本宮で講義
推古十五年 丁卯(ひのとう) 壬生部を定める、天つ神国つ神をまつる
大礼小野臣妹子隋に遣す、国ごとに屯倉を置く
推古十六年 戊辰(つちのえたつ) 小野臣妹子帰国、隋より裴世清来日、帰国、高向漢人玄理など隋に留学
推古十七年 己巳(つちのとみ) 百済僧筑紫に漂着、小野臣妹子帰国
推古十八年 庚午(かのえうま) 高麗僧献上、水臼を作る、新羅任那来日、帰国
推古十九年 辛未(かのとひつじ) 菟田野で薬猟、新羅朝貢
推古二十年 壬申(みずのえさる) 宴、堅塩媛改葬、百済の人帰化
推古二十一年 癸酉(みずのととり) 池を作る、道を作る、道端に聖現る
推古二十二年 甲申(きのえさる) 薬狩り、隋に人を遣わす、蘇我馬子宿禰病に伏せる、千人出家
推古二十三年 乙亥(きのとい) 隋から人が帰国、百済が詣でる、高麗慧慈帰国
推古二十四年 丙子(ひのえね) 桃、李が実る、掖玖人帰化、新羅仏像献上
推古二十五年 丁丑(ひのとうし) 出雲国に瓜が実る、豊饒
推古二十六年 戊寅(つちのえとら) 高麗貢物献上、隋、高麗を攻撃、船をつくる
推古二十七年 己卯(つちのとう) 近江国で何か発見
推古二十八年 庚辰(かのえたつ) 掖玖人帰化、檜隈陵整備、天に赤い気あり、天皇記、国記、公民本記を記載
推古二十九年 辛巳(かのとみ) 斑鳩宮で聖徳太子崩御、埋葬、新羅朝貢、手紙を付ける
推古三十一年 壬未(みずのえひつじ) 新羅任那来日、仏像等を献上、唐の学問僧来日
新羅任那を討つ、新羅、任那に使いを出す、新羅任那貢物献上、新羅任那の使い帰国
水害、五穀実らず
推古三十二年 甲申(きのえさる) 僧の殺人事件、僧正、僧都、法頭を任命、寺の由縁をまとめる
推古三十三年 乙酉(きのととり) 高麗僧恵灌を献上
推古三十四年 丙戌(ひのえいぬ) 一月桃スモモが咲く、蘇我馬子宿禰死亡、埋葬、六月に雪が降る、飢饉
推古三十五年 丁亥(ひのとい) 陸奥国で動物が人に化けて歌う、五月ハエが集まる
推古三十六年 戊子(つちのえね) 日食、推古天皇崩御、七十五歳、南庭で殯、殯、埋葬
四月に桃ほどの雹が降る、春から夏まで日照り

第二十三巻 舒明天皇

舒明天皇 2-23
推古二十九年 辛巳(かのとみ) 斑鳩宮で聖徳太子崩御、皇太子不在
推古三十六年 戊子(つちのえね) 推古天皇崩御、埋葬
舒明元年 太歳己丑(つちのとのうし) 舒明天皇即位、掖玖に人を遣わす
舒明二年 庚寅(かのえとら) 皇極天皇立皇后、高麗貢物献上、唐に使いを出す
高麗百済来日、掖玖から帰国、遷都
舒明三年 辛卯(かのとう) 掖玖人帰化、百済王子豊章献上、津国有馬温湯行幸、温泉から戻る
舒明四年 壬辰(みずのえたつ) 唐使いを送ってくる、新羅来日
舒明五年 癸巳(みずのとみ) 唐の使い帰国
舒明六年 甲午(きのえうま) 彗星に観測
舒明七年 乙未(きのとひつじ) 彗星に観測、百済貢物献上、百済もてなす、剣池に不思議な蓮
舒明八年 丙申(ひのえさる) 日食観測、采女犯される、長雨、大雨、岡本宮火災、
田中宮に移る、大派王、蘇我蝦夷出勤を怠る、日照り、天下が飢える
舒明九年 丁酉(ひのととり) 流星観測、日食、蝦夷征伐
舒明十年 戊戌(つちのえいぬ) 突風、長雨、桃、李が咲く、有馬温泉行幸、百済新羅任那貢物献上
舒明十一年 己亥(つちのとい) 有馬から戻る、新嘗祭、雲無く雷鳴る、大風雨、彗星
新羅をもてなす、伊予温泉宮行幸、九重塔建立
舒明十二年 庚子(かのえね) 星が月に隠れる、伊予から戻る、大きな拝み、無量寿経講義
唐に留学した僧、高向漢人玄理帰国、百済新羅貢物献上、百済宮に移る
舒明十三年 辛丑(かのとうし) 舒明天皇崩御、殯

第二十四巻 皇極天皇

 舒明天皇皇后、皇極天皇が二人目の女性として即位。皇位継承が当分落ち着かない。

皇極天皇 2-24
舒明二年 庚寅(かのえとら) 皇極天皇立皇后
舒明十三年 太歳辛丑(かのとうし) 舒明天皇崩御
皇極元年 壬寅(みずのえとら) 皇極天皇即位、百済高麗新羅の使い行き来する、もてなす、雲無し雨降る
弓射ち、熟稲が見えはじめた、客星月に隠れる、白雀の子が蘇我蝦夷に贈られる
皇極天皇雨乞い、五日間降雨、百済大寺建立開始、越国蝦夷詣でる、地震、天候異常
新嘗祭、舒明天皇の喪を弔う、舒明天皇埋葬、蘇我蝦夷自分の陵を造る
皇極二年 癸卯(みずのとう) 五色の雲空覆う、桃の花初めて咲く、百済館火災、百済翹岐弟王子訪日朝貢
月食、高麗来日、百済調献上、百済の調を突き返す、舒明天皇埋葬
宴、蘇我蝦夷病気、斑鳩宮焼かれる、山背大兄王自殺、
皇極三年 甲辰(きのえたつ) 中臣鎌子孝徳天皇、天智天皇に接触、天智天皇蘇我倉山田臣の娘と結婚
ユリの花献上、常世国神詐欺事件発生
皇極四年 乙巳(きのとみ) 蘇我入鹿殺害、蘇我蝦夷天皇記国記を焼く、蘇我蝦夷死亡、蘇我蝦夷入鹿埋葬
皇極天皇孝徳天皇に譲位、この年、大化になる

第二十五巻 孝徳天皇

 いろいろ政治的な詔を発した天皇。それまで一年、二年としか数えていなかった年号に、大化という年号が初めて付けられた。また良い政治をした時に現れる瑞祥の献上が度々あり、大化六年に改元し白雉となった。

孝徳天皇 2-25
大化元年 太歳乙巳(きのとみ) 天智天皇即位を断る、古人大兄皇子即位を断る、孝徳天皇即位、大槻の木の下で誓う
(孝徳元年) 間人皇女立皇后、高麗百済新羅貢物献上、尾張国、美濃国で幣帛準備
(皇極四年) 東の国の国司に詔、鐘匱の制、男女の法制定、僧尼に詔、仏教保護、十師任命
古人大兄皇子謀反暴かれる、戸籍調査、遷都
大化二年 丙午(ひのえうま) 賀正礼、改新の詔、畿内の範囲決定、戸籍、班田収授法作成の命令、
高麗百済任那新羅貢物献上、東の国の国司に詔、天智天皇孝徳天皇に土地を献上、
御墓に関する詔、旧俗の改廃の詔、部民廃止の詔、調の詔、新羅人質を献上、
大化三年 丁未(ひのとひつじ) 弓射ち、高麗新羅貢物献上、出勤退勤の詔、天智天皇のお宮火災
七色十三階の冠制定、新羅貢物献上
大化四年 戊申(つちのえさる) 賀正、難波碕宮行幸、高麗百済新羅に学問僧派遣、四衆に四天王寺委任、新羅貢物献上
大化五年 己酉(つちのととり) 冠十九階制定、八省百官を置かせる、左大臣右大臣呂死亡
日向臣を筑紫大宰帥、左大臣、右大臣任命、新羅に遣わす、新羅人質を献上
白雉元年 庚戌(かのえいぬ) 味経宮行幸、賀正礼、白雉献上、改元の祝い、新羅貢物献上、百済に遣わす
(孝徳六年)
白雉二年 辛亥(かのとい) 仏像完成、十師拝み、百済新羅貢物献上、味経宮で一切経読経、難波長柄豊碕宮に移る
(孝徳七年) 新羅唐の服を着て調献上、追い返される、
白雉三年 壬子(みずのえね) 元日礼、大郡宮行幸、内裏で無量寿経を講釈、大雨、戸籍を作る、新羅百済貢物献上
(孝徳八年) お宮造成完成、拝み
白雉四年 癸丑(みずのとうし) 唐に遣わす、旻法師を見舞う、百済新羅貢物献上、旻法師死亡
(孝徳九年) 天智天皇家族を連れて倭に移る
白雉五年 甲寅(きのえとら) 中臣鎌足連に紫冠を授ける、唐に人を遣わす
(孝徳十年) 吐火羅国の人漂着、百済新羅から使いが帰国、唐への使い天子と対面
孝徳天皇病気、孝徳天皇崩御、殯、埋葬

第二十六巻 斉明天皇

 皇極天皇の重祚。

斉明天皇 2-26
舒明二年 庚寅(かのえとら) 斉明天皇立皇后
舒明十三年 辛丑(かのとうし) 舒明天皇崩御
皇極元年 壬寅(みずのえとら) 皇極天皇即位
皇極四年 乙巳(きのとみ) 皇極天皇孝徳天皇に譲位
白雉五年 甲寅(きのえとら) 孝徳天皇崩御
斉明元年 太歳乙卯(きのとのう) 斉明天皇即位、空に龍に乗った人を発見、蝦夷と宴、百済調献上、唐の使い帰国
飛鳥板蓋宮火災、飛鳥川原宮に移る、高麗百済新羅貢物献上、蝦夷隼人来朝
斉明二年 丙辰(ひのえたつ) 高麗貢物献上、高麗に使い、高麗百済新羅貢物献上、後飛鳥岡本宮に移る
溝を掘る、吉野宮をつくる、百済から使い帰国、岡本宮火災
斉明三年 丁巳(ひのとみ) 覩貨邏国人筑紫に漂着、有馬温泉行幸、新羅貢物献上
斉明四年 戊午(つちのえうま) 左大臣巨勢徳太臣死亡、齶田、津軽、渟代の蝦夷を討つ、建王死亡(八歳)
蝦夷貢物献上、僧を唐に派遣、紀温泉行幸、有間皇子謀反、粛慎征伐
斉明五年 己未(つちのとひつじ) 陸奥方面蝦夷征伐、蝦夷と宴、唐に使いを遣わす、出雲国に神社造営
斉明六年 丁未(ひのとひつじ) 高麗の使い来日、粛慎征伐、仁王般若の拝み、天智天皇が漏刻を作る、
粛慎と宴、高麗の使い帰国、覩貨邏帰国、百済滅亡、百済救済出発準備
斉明七年 戊申(つちのえさる) 百済へ出発、百済来日、耽羅貢物献上、斉明天皇崩御、殯

第二十七巻 天智天皇

 歴史上、日本が初めてした対外戦争「白村江の戦い」は、この天智紀にある。正確には天智天皇の即位前なので、天智天皇の御代ではない。ここを読む限り、白村江の戦いに敗れたのは、日本勢の戦いが下手過ぎたからである。
 天智紀において、天智天皇の即位は七年になる(○印)。その間は空位であった。天智天皇は即位前の中大兄皇子の時代から、人を裏で動かしていいようにしてきた人である。そういうことには長けているが、天皇となって矢面に立つと意外と仕事が出来なかったようだ。斉明天皇の崩御の後、六年間も即位をせずにいたので、いい政治をするとか周囲のためにというより、いつも自分が優位に立つように、また劣勢にならないように振る舞っていたように思える。政治上のパートナーである藤原鎌足も、天皇の側近としては孝徳天皇から通して、あまり活躍はしていない。
 天智天皇は妃をたくさん設けたが、成人した彦皇子は大友皇子一人だけで、彼は母が采女なので即位が出来なかった。また彼以外は皆、皇女であった。天智天皇の死後、また天武天皇がクーデターを起こしている間、大友皇子は近江朝の実質的な天皇であり、後に弘文天皇と追号された。

天智天皇 2-27
皇極四年 乙巳(きのとみ) 天智天皇皇位を孝徳天皇に譲る、立太子
白雉五年 甲寅(きのえとら) 孝徳天皇崩御
(孝徳十年)
斉明元年 太歳乙卯(きのとのう) 斉明天皇即位
斉明七年 戊申(つちのえさる) 斉明天皇崩御、高麗唐に攻められる、高麗滅亡
天智元年 歳壬戌(みづのえいぬ) 空位、百済王余豊璋に布三百端を賜う、唐新羅が高麗を討つ
天智二年 癸亥(みずのとい) 空位、百済貢物、二万八千人を百済に派兵、新羅征伐、唐と白村江の戦い
天智三年 甲子(きのえね) 空位、冠位二十六階、星が落ちる、百済鎮将来日、蘇我連大臣死亡、唐郭務悰に詔
宴、百済鎮将帰国、対馬嶋、筑紫国に防人とのろしを置く
天智四年 乙丑(きのとうし) 空位、間人大后死亡、耽羅人来日、唐の使い来日、宴、唐に人を遣わす
天智五年 丙寅(ひのえとら) 空位、高麗耽羅貢物献上、高麗帰国、大水、高麗貢物献上
天智六年 丁卯(ひのとう) 空位、斉明天皇、間人皇女埋葬、高麗百済新后哀悼を捧げる、都を近江に移す
火災多発、葛野郡白燕を献上、耽羅貢物献上、唐の使い来日帰国、城を築く
天智七年 戊辰(つちのえたつ) ○天智天皇即位、宴、博徳帰国、倭姫王立皇后、百済高麗新羅貢物献上、帰国、
蒲生野で狩り、栗前王筑紫率任命、唐高麗を滅ぼす、新羅に人を遣わす
天智八年 己巳(つちのとみ) 蘇我赤兄臣筑紫率任命、耽羅新羅貢物献上、帰国、山科野で狩り、
藤原姓賜う、藤原鎌足死亡、大蔵火災、斑鳩寺火災、唐に使い、唐から使い
天智九年 庚午(かのえうま) 弓射ち、噂話、予言の禁止、築城、神に幣帛奉納
法隆寺火災、大雨、雷、童謡流行、亀の甲羅に申の字、新羅に使い、水臼を作り冶金
天智十年 辛未(かのとひつじ) 太政大臣、左大臣、右大臣、大納言任命、高麗貢物献上、百済鎮将手紙献上
百済新羅貢物献上、水時計設置、唐百済使い帰国、高麗帰国、蝦夷と宴
内裏で仏開眼式、天武天皇即位を断り出家吉野へ、唐から二千人が来日
大友皇子(弘文天皇)以下誓う、天智天皇崩御、殯

第二十八巻 天武天皇上

 天武天皇上は天武天皇即位前期となるが、年号は天武元年である。天武天皇は天智天皇の同母弟であり、天智天皇が生前に譲位して位につくべき存在であった。しかし天智十年、天智天皇の詔を断って出家して吉野へ退く。それは天智天皇が若い時に、多くの人を追い詰めて、罪を負わせていたからだ。
 天武天皇は吉野で、近江朝が自分の暗殺の動きがあることを察知し、クーデターいわゆる壬申の乱を起し、大友皇子の近江朝をやっつける。この年が壬申であるが、壬申とはどこにもかいておらず、天智紀また天武下からこの年が壬申であることが分かる。

天武天皇上 2-28
天智元年 壬戌(みづのえいぬ) 東宮となる(立太子)、天智元年にその記述はない
天智十年 辛未(かのとひつじ) 天武天皇即位を断り出家吉野へ、天智天皇崩御
天武元年 壬申(みずのえさる) 空位、唐哀悼献上、高麗貢物献上、唐使い帰国
壬申の乱、飛鳥浄御原宮建立、新羅と宴

第二十九巻 天武天皇下

 上記第二十九巻が天武元年なので、この第二十九巻は天武二年から始まる。
 天武天皇は左大臣、右大臣などの側近を置かず独裁体制であった。天武天皇の一方的な詔はあるものの、人との会話はほとんどない。いかにも記録の列挙のようになっている。
 天武天皇はよく大赦をした人であった。これは災害などがあったおり、それが自分の政策の失敗にあったと考えたのではないだろうか。その罪滅ぼしのために大赦をしたのだろう。また天武十五年に改元があり、この年、年号は朱鳥となる。この改元は天武天皇の病気回復を願ったようであるが、その年、天武天皇は崩御する。

天武天皇下 2-29
天武二年 癸酉(みずのととり) 天武天皇即位、持統天皇立皇后、白雉献上、課役免除大赦、大来皇女を泊瀬斎宮へ
耽羅高麗貢物献上、天智天皇を弔う、唐の使い帰る、大嘗祭、大官大寺造営指示
天武三年 甲戌(きのえいぬ) 銀産出、天つ神国つ神に献上、大来皇女伊勢神宮へ
天武四年 丙子(ひのえね) 舎衛堕羅百済新羅貢物献上、大倭国瑞鶏、東国白鷹、近江国白鵄献上、社に幣帛献上
十市皇女、阿閉皇女伊勢神宮到着、高安城行幸、高麗新羅貢物献上、土佐大神が神刀献上
僧尼に千人で拝み、風神大忌神祭る、新羅に使い
耽羅来日、大風、新羅高麗来日、耽羅来日、地震
天武五年 丁丑(ひのとうし) 新羅の使い帰国、風神大忌神祭る、倭瑞鶏献上、飢饉、耽羅帰国、彗星観測、大祓
相嘗祭、新嘗祭、新羅貢物献上、粛慎来朝、金光明経、仁王経を説く、高麗貢物献上
天武六年 戊寅(つちのえとら) 使い新羅より帰国、多禰新羅もてなす、新羅人漂着、雨乞い、大地震、倭漢直大失態
風神大忌神祭る、拝みをする、耽羅貢物献上、筑紫大宰赤烏献上、大赦、新嘗祭
天武七年 己卯(つちのとう) 弓射ち、耽羅来日、大赦、落雷、瑞稲五茎献上、大赦
甘露観測、スズメが空を覆う、筑紫で大地震、新羅貢物献上
天武八年 庚辰(かのえたつ) 新羅来朝、弓射ち、高麗貢物献上、大赦、斉明天皇墓参り、広瀬大忌神祭る
吉野宮行幸、草壁皇子たちに誓わせる、雹が降る、雨乞い、新羅高麗耽羅貢物献上
地震、新羅貢物献上、地震、関設置、大赦、芝草瑞稲献上
天武九年 辛巳(かのとみ) 宴、弓射ち、麟?の角発見、摂津国白巫鳥献上、広瀬竜田神祭り、橘寺出火
新羅来日、寺管理変更の詔、金光明経宮中出講釈、高麗新羅貢物献上、帰国
雨乞い、朱雀が南門で発見される、良い稲献上、大雨、大風、朝嬬行幸、地震
百姓に配給、日食、高麗帰国、薬師寺建築開始、大赦、月食、新羅貢物献上、臘子鳥空を覆う
天武十年 壬午(みずのえうま) 天つ神国つ神に幣帛献上、宴、畿内に社建立、浄御原律令立法詔、草壁皇子立太子
帝紀、上古のこと記す、地震、広瀬竜田神祭り、禁式九十二条、高麗をもてなす
皇祖御魂祭、高麗使い帰国、新羅もてなす、雨乞い、地震、朱雀発見、新羅高麗に遣わす
広瀬竜田の神祭り、国の大祓、持統天皇大きな拝み
伊勢国白茅鴟献上、多禰人地図を献上、高麗新羅の使い帰国、周芳国赤亀献上、
彗星観測、火星月に隠れる、
日食、地震、新羅貢物献上、新羅文武王死亡の報告、新羅をもてなす
天武十一年 癸未(みずのとひつじ) 地震、金忠平もてなす、陸奥国蝦夷に爵位、広瀬竜田神祭り、髪上げの詔
高麗に使い遣わす、高麗新羅貢物献上、男髪結い、冠をかぶる、隼人国の物献上
相撲を披露、広瀬竜田神祭り、地震、多禰人掖玖人阿麻弥人に俸禄
明日香寺の西で宴、信濃吉備で不況
高麗をもてなす、流星観測、造法令殿で虹、白気が東で観測、地震、元正天皇病気
礼法の詔、鸖発見、宴、罪発見の報告義務の詔、氏上の報告義務詔
天武十二年 甲申(きのえさる) 筑紫大宰三本足の雀献上、宴、大赦、課役免除の詔、大津皇子政治参加、
僧正僧都律師任命、多禰使い帰国
銅銭使用詔、広瀬竜田神祭り、宮中で安居、雨乞い、大赦、大風、倉梯で狩り、新羅貢物献上
畿内の位の者に四季で一度の帝参りを命令
天武十三年 乙酉(きのととり) 弓射ち、金主山もてなす、畿内視察、信濃視察、金主山もてなす
大赦、広瀬竜田の神祭り、新羅に人を遣わせる、軍事の詔、宮中で拝み
高麗に使い遣わす、雨乞い、広瀬行幸、広瀬竜田の神祭り、彗星観測
八姓を作る、諸国の境を決める、耽羅に人を遣わせる、大地震、土佐に津波
彗星観測、流星観測、彗星観測、伊賀などに調免除、唐への留学生帰国、大赦
天武十四年 丙戌(ひのえいぬ) 冠位十二階、王の冠位、信濃に降灰、広瀬竜田神祭り、新羅金主山帰国、宮中で安居
弓射ち、飛鳥寺行幸、宝物献上、新羅から使い帰国、新羅貢物献上、広瀬竜田神祭り
制服の色決定、調免除、川原寺行幸、耽羅から使い帰国
宴、武器視察、道沿いの国視察、御衣袴賜う、高麗から帰国、川原寺、飛鳥寺で読経
畿内の役に任じる、金剛般若経宮中で講釈、鉄を周芳国に送る、白錦後菀行幸、鎮魂祭、
新羅政治的要請貢物献上、筑紫の防人漂流、地震
朱鳥元年 丁亥(ひのとい) 宴、三綱、律師などを要請、大蔵省火災、地震、新羅と宴、貢物献上、伊勢に皇女遣わす
(天武十五年) 川原寺で薬師経説く、大赦、草薙剣を熱田神宮に送る、雨乞い、大祓、調半減、
神社に幣帛奉納、金光明経を宮中で読む、落雷、政治を持統天皇と草壁皇子に委任、大赦
広瀬竜田神祭り、借金許す、朱鳥改元、観世音経を大官大寺で説く
天武天皇崩御、殯、大津皇子謀反画策、

第三十巻 持統天皇

 持統天皇は三人目の女性天皇で、天武天皇の皇后である。また天智天皇の同母兄妹である。即位は持統四年で天武天皇の崩御の後、三年間は空位であった。持統天皇は天皇の立場を利用して、政治的に人を陥れていたようだ。天武天皇と同様、大赦を乱発している。最後に皇太子に皇位を譲位して日本書紀はおしまいになるが、その皇太子の名前の日本書紀に記載はない。
 続日本紀に話が続くが、そちらでも男系による皇位の安定的継承は難しく、元明天皇、元正天皇など女性天皇が皇位を継いでいる。

持統天皇 2-30
斉明三年 丁巳(ひのとみ) 持統天皇天武天皇と結婚
天智元年 壬戌(みづのえいぬ) 草壁皇子出産
天智十年 辛未(かのとひつじ) 吉野宮に入る、
天武元年 壬申(みずのえさる) 壬申の乱、東国に避難
天武二年 癸酉(みずのととり) 持統天皇立皇后
朱鳥元年 丁亥(ひのとい) 天武天皇崩御、大津皇子二十四歳賜死、大来皇女神宮より戻る、地震
持統元年 太歳丁亥(ひのとのゐ) 空位、天武天皇殯、新羅に人を遣わす、大赦、借金利息制限、大内陵造成開始、
持統二年 戊子(つちのえね) 空位、殯、無遮大会薬師寺にて、新羅発哭、貢物献上、罪人減免
雨乞い、葬儀を宣言、耽羅貢物献上、耽羅もてなす、天智天皇埋葬
持統三年 己丑(つちのとうし) 空位、諸国が詣でる、新羅から使い帰国、吉野宮行幸
防人任期順守の詔、判事任命、大赦、皇太子草壁皇子死亡、新羅来日、仏像貢物献上
新羅に詔、撰善言司任命、唐の使いに稲賜う、陸奥蝦夷に仏具賜う、新羅使い帰る
神祇官天神地祇の言葉を伝える、禁猟区設置、弓射ち、戸籍作成
河内王筑紫大宰帥に任命高安城行幸、スゴロク禁止
持統四年 庚寅(かのえとら) ○持統天皇即位、大赦、畿内の天神国神幣帛献上、吉野宮行幸、内裏で拝み
広瀬竜田神祭り、朝衣指定、雨乞い、吉野宮行幸、安居講和、泊瀬行幸
朝服運用、天神国神幣帛献上、太政大臣等任命、七寺の僧に施す
戸籍作成指示、紀伊行幸、新羅から使い帰国、唐学問僧来日、暦運用
持統五年 辛卯(かのとう) 皇族に位を賜う、吉野行幸、宴、良民賤民帰属の詔、広瀬竜田の神祭り、吉野宮行幸
天候不良、読経、大赦、伊予鉱物献上、日食、吉野宮行幸、藤原京地鎮祭、大嘗祭
持統六年 壬辰(みずのえたつ) 宴、高宮行幸、伊勢行幸、相模国赤烏献上、
吉野宮行幸、雨乞い、伊勢大倭住吉紀伊大神に幣帛献上、大水、金光経説く、
伊勢大神詔、薩摩に仏教布教
山川を祭る、大赦、宴、広瀬竜田の神祭り、熒惑と歳星の天文ショー、
新羅調献上、新羅と宴、新羅の調を神社に奉納
持統七年 癸巳(みずのとみ) 百姓に黄色、奴に黒の衣、宴、新羅王死亡、日食、吉野行幸、桑などの植樹推奨
雨乞い、広瀬竜田の神祭り、役人の盗み許す、吉野行幸、内裏で無遮大会、吉野宮行幸
広瀬竜田の神祭り、雨乞い、日食
武器視察、仁王経を説く、吉野宮行幸、耽羅に賜う、
持統八年 甲午(きのえうま) 宴、弓射ち、藤原宮行幸、日食、鋳銭司任命、郡司等任じる条件提示、社に幣帛献上
吉野宮行幸、広瀬竜田の神祭り、内裏で宴
金光明経を諸国に送る、河内国白い山鶏献上、日食、吉野宮行幸、筑紫大宰任命
飛騨国白いコウモリ献上、恩赦、藤原宮に移る、
持統九年 乙未(きのとひつじ) 宴、弓射ち、新羅調献上、吉野宮行幸、多禰に人を遣わす、広瀬竜田の神祭り
隼人と宴、畿内雨乞い、吉野宮行幸、新羅に使い、吉隠行幸、
持統十年 丙申(ひのえさる) 宴、弓射ち、吉野行幸、二槻宮行幸、越の蝦夷に賜う、広瀬竜田の神祭り、吉野宮行幸
日食、恩赦、広瀬竜田の神祭り、高市皇子死亡、右大臣退任、
持統十一年 丁酉(ひのととり) 宴、弱者に施し、東宮世話人決定、東宮で無遮大会、吉野宮行幸、広瀬竜田の神祭り
雨乞い、恩赦、読経、天つ神国つ神に幣帛奉納、持統天皇病気、雨乞い
恩赦、広瀬竜田の神祭り、皇太子に譲位

 いまでこそ皇位継承は法律によって決まっているが、古代の皇位継承は強い者がなると言ってよい。ただ天皇はその範囲を皇室、皇族に限定しているわけである。

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