折りにふれて

             

2007.9.23 【恐竜のように】
フィルムカメラは、恐竜のようにその最盛期においてなくなってしまった。露出、シャッター速度、オートフォーカスなど、フィルムカメラとしてのあらゆる機能が完成したその瞬間に、デジタルカメラに席を譲った。

デジタルカメラは今後もどんどん進化していくのだろう。

しかし、皮肉なことに、進化すればするほどカメラの寿命は、ますます短くなり、その消耗品度はますます強くなる。機械式のカメラは、手先の器用なカメラ好きの人間のいる限り、おそらく半永久的に生き残っていくだろう。メーカの部品の在庫がなくなり、はたまたメーカーがなくなったとしても、器用な人はそれを作ってしまうのだから。

一方、電子化されたカメラを人は、一から作ることは出来ない。人が作ったものは、人がまねて作ることが出来る。しかし、機械がが作ったものを、人が作ることは出来ないのだ。デジタルカメラの寿命はせいぜい、メーカーが保証している期間だけだろうし、新しい性能のいいカメラが出れば、存在価値も急激に薄くなる。
2006.11.26 【花を撮るには】
花を撮るにはどんなレンズが必要だろうか。一つは明るいレンズ。背景をきれいにぼかして、花を浮き立たせるために。一つは最短距離の短いレンズ。花を大きく撮るために。ということでマクロレンズが非常に活躍する。

クローズアップレンズというのもあるが、遊びの類だろう。というよりマクロレンズがあれば不要である。

マクロレンズにもいろいろある。標準、中望遠、望遠と。その中でも100ミリ前後のレンズが、携帯しやすさ、花を写したときの花と背景とのバランスから、一番重宝する。

マニュアルかオートかという選択。そもそもマニュアルカメラがなくなってきているので、選択の余地がなくなっているのだが、僕だったら、マニュアル、オートの別にこだわらず手触りとか、重厚感だとかによって選ぶ。実際、花を撮るときに、花は静止しているのでオートで撮る必要なまったくない。というよりもどんなにオートフォーカスの性能の良いカメラを使っていても、オートでは撮らない(だろう)。だから、マニュアルも含めてレンズの質で選ぶのが良いと思う。

でも、接近戦はマクロレンズだけというとそうでもない。大きい花の場合、僕は最短距離の短い、広角レンズを良く使っている。花を撮るなら、広角レンズをそろえるときも、出来るだけ明るく、接近できるレンズを選ぶのがいいと思う。

でも、そうなると結構出費がかさむが、カメラのメーカ品にこだわらなければ、レンズメーカから作りもしっかりした、結構いいレンズが、今は見つかると思う。装備を純正品で固めることではなく、花を思ったとおりに撮ることが重要なのだから。
2006.10.10 【視野率100%のカメラ】

視野率100%とはファインダーで光景が、そのままフィルムに写ること。各メーカーのフラッグシップと言われる高級機だけがこの性能をもっている。

そもそも良く使うLサイズのプリントとフィルムの縦横の比が違うから、ファインダーで覗いたとおりには、プリントできない。ファインダーで覗いて写っていたとしても、プリントしてみると上下左右の端に捕らえたものは、切れているということが起こる。

視野率100%のカメラは作るのにコストがかかるし、プリントすると切れるし、というわけで高級機から中級機、普及機と段々視野率は下がってくる。

ところで、本格的に写真をやろうというなら、僕は1台は視野率100%のカメラを持つことを薦める。知ったかぶりのカメラ店はフィルムの端に写っているのをみて、素人が視野率100%のカメラなんて使うからとか言うが(僕はプリントととき端にあるものを入れてくれといってそういわれたことがある)、そういう素人を見下す店はもう行かないことにして、親切な店なら注文どおり左右はぎりぎりまで入れてくれるし、上下も出来るだけ入れてくれる。

それでも入らなかったなら、それは撮る時にプリントするサイズを考えてファインダーを覗くようにしよう。ファインダーでは見えるが、自分はLサイズでプリントするからここは写らないという風に。

そして視野率92%のカメラを使うときはファインダーには写っていないが、この部分はフィルムに写るんだなと思いながら撮る。

というように、視野率100%の世界を体験することによって、カメラの性能、プリントのイメージを考えながら写真を撮るようになる。
2006.4.24 【最初のレンズ】
F301には35ミリ−70ミリのズームレンズが付いていた。写真の入門書を見ると標準ズームと望遠ズームをそろえておくといいという様なことが書いてある。量販店でもWズームとか名づけてセットで売っていた。

作例を見ると望遠レンズで撮ったものはバックがきれいにボケて被写体が浮き立ち、すごく良く見える。そこでどうしても望遠ズームが1本ほしくなったというか最初に買うのは望遠ズームだと思った。

当時ニコンからは手ごろな望遠ズームレンズとして80-200ミリ(F4.5-5.6)が出ていた。一方他のカメラメーカーの望遠ズームレンズは75-300ミリが主流で値段も手ごろだった。

そうなるとやっぱり300ミリまでほしくなる。ニコンで75-300を探すと型も古く(Sレンズ)で80-200の倍以上もする。当時は新しいほど性能が良い単純に思っていたし、また、中古でレンズを買おうなどとは思いもしなかった。

そこでいろいろ迷った末に選んだのがタムロンの70-300ミリ(f4-5.6)だ。純正品と同等以上のスペックで1/3以下の値段。買う前にマニュアルカメラにオートフォーカスレンズが付くかどうかもわからない初心者だったので、タムロンに付くかどうか確認の電話をしたが、電話に出た人が付くとも付かぬともハッキリ言ってくれない。最後に店で確認して、店員さんにハッキリ付くといわれて買ったのがこのレンズだ。

その後いろいろなレンズをそろえたが、そしてサンニッパに憧れてもいるのだが、いまだに300ミリはこのレンズで撮っている。安いけれどしっかり使えばいいレンズです。
2006.4.23 【マクロレンズの話】
花の撮影にはマクロレンズをよく使う。

僕が使っているニコンのマニュアルフォーカスレンズの撮影倍率は1/2だ。オートフォーカスレンズだと撮影倍率1だが、花の撮影でーとフォーカスを使うことは皆無だし、倍率も1/2でもまったく不便を感じない。

もちろん中間リングを使えば等倍で撮影できるのだが、中間レンズをつかって撮ることはほとんどない。

小さな花をあまり大きく撮りすぎても、何か不気味な感じがして、そういうものをねらうのなら別だが、1/2ぐらいが丁度いいのということではないか。
*撮影倍率が1(等倍)ということは一円玉がフィルム上で実物大に写るということ。

2005.9.1 今回、清里に持っていったレンズは24ミリ、35ミリ、85ミリ、80-200ミリだ。吐竜の滝のアップは200ミリで、全景は24ミリと35ミリ、花は85ミリ、近づけない花は200ミリ、林の雰囲気を入れたい場合は35ミリを使った。清里聖アンデレ教会は24ミリで撮ったのだが、斜めに構えたので歪んでしまった。反省。曇りから突然の大降り、そして晴れ間、めまぐるしく天気は変わった。
2004.10.30 写真をはじめたころ。

僕が写真を本格的に始めたのはニコンのF301をもらったときからだ。それまで一眼レフの意味すら知らなかった。取説もなく、ピンボケ写真を連発していた。

なんで今時オートフォーカスじゃないんだとか思っていた。が、ときどきピントが合ったときのシャープな写真にひどく驚いた。中央の人物がぼけていて背後の海がすごくシャープに撮れていたりした。
そうこうしているうちに真ん中のスプリットプリズムの線を合わせればいいのかなと思うようになった。

今から思えばたいした写真ではないのだが、フラワーセンタに行ったとき青空を背景に写真を撮っている人がいた。その後へ行って同じアングルで撮ってみた。また温室で睡蓮を取ってみた。そのときはただ撮っただけなのだが、できた写真をみてひどく驚いた。当時の僕には見たこともないようなすばらしい写真だった。

で、以来写真に取り付かれてしまった。その後取説をもらい、勉強した。取説は初心者にはすごく難しかった。重要なところを抜書きし何度も確認するようにすると同時に一眼レフの入門書を買い文字通り勉強した。

その301、スナップ用に使っていたのだが、先日底蓋を落としてしまった。カメラバックから出すときに落としたのだろうか。たてに構えたら底の電池が見えたので気がついた。戻って探したがどこにもなかった。残念。底蓋だけ売っていないかな。
2004.10.16 昨日は金木犀。今日は背高アワダチ草を取りに行く。秋の花はもう終わり、紅葉かとか勝手に思っていたが、野には本当にたくさんの花が咲いている。イヌタデもどんな風に撮れているか楽しみ。
というのも、僕はいまだに銀塩カメラ。絞りを合わせて、ピントもマニュアル。1本撮り終わって、フィルムを手で巻くのになにかやったという満足を感じる。このごろのレンズは絞りがなくなってつまらなくなったと感じている。ニコンのF6に視野率100%の完全マニュアル機を期待していのだけれど。
2004.2.21 千葉県銚子の犬吠崎の写真掲載
2004.1.4  監獄に於いて何々中将、何々大佐といふ人々に幾人も会ひ、共に生活して来たが、軍服を脱いだ赤裸の彼等は、其の言動に於いて実に見聞するに耐へないものであった。此の程度の将軍を載いていたのでは、日本に幾ら科学と物量があったとしても戦勝は到底望み得ないものであったと思われる程である。(中略)然し国民はこれ等軍人を非難する前に、斯かる軍人の存在を許容し、又養って来た事を知らねばならない。結局の責任は日本国民全体の知能程度の浅かった事にあるのである。知能程度の低い事は結局歴史の浅いことだ。二千六百余年の歴史があると云ふかも知れないが、内容の貧弱にして長いばかりが自慢にはならない。近世社会としての訓練と経験が足りなかったと云つても、今ではもう非国民として軍部からお叱りを受けないであらう。
(木村 久夫 昭和二十一年 五月 シンガポールにて戦犯刑死)
2003.2.23  経済学者の森嶋通夫氏も、宇垣中将のことに言及している。「前略 もっとも海軍には、第五航空艦隊司令長官、宇垣纏中将のように米軍との約束の停戦期間中に、部下を引き連れて特攻攻撃をして部下を犬死させただけでなく、自分の行為が終戦交渉にどんな影響を及ぼすかなど一切考慮することなく、自分の信念だけを貫いた人もいた・・・後略」(日本の選択 岩波同時代ライブラリー 41頁)
2002.12.22  「指揮官たちの特攻」(城山三郎著、新潮社)を読む。

 1945年8月15日日本のポツダム宣言受諾を知り、「対ソ及沖縄積極攻撃中止」命令が海軍総司令長官から出ていることを知りながら、第5航空艦隊司令長官 宇垣中将は、自ら直率し艦爆機により沖縄敵艦隊を攻撃すべしと命ずる。

 命を受けた中津留大尉は長官を後部に乗せ、夕刻近く特攻へと出撃するが、爆弾を海中に投棄後、米軍キャンプ直前で左の岸礁へ、他の一機は直進したままキャンプ先の水田へ突入、自爆した。

 機中で何があったか、知る由もないが、敵機も敵艦船の姿もまったくない事から、大尉が戦争の終わりを知り、長官の命に逆らい、直前で目標転換をした。他の一機も、指揮官の意図を瞬時に読み取り、機を起こして、キャンプを通過し、水田に突入したというのが作者の推理である。

 もし、キャンプに突入していれば、この戦争は騙し打ちに始まり、騙し打ちに終わり、世界中の非難を浴びていただろう。彼は、新妻を残し、若き指揮官として出撃し、上官の命に叛き、一人的確な判断をし、日本が世界中から非難されるのを人知れず防ぎ、23歳で世を去った。

「・・・・
二十歳前後までの人生の幸福とは、花びらのように可愛く、また、はかない。
その一方、かけがえのない人を失った悲しみは強く、また永い。
花びらのような幸福は、花びらより早く散り、枯枝の悲しみだけが永く永く残る。
それが、戦争というものではないだろうか-----と。
(中略)
・・・・指揮官としての人生を踏み出し、また、花開く幸福を知ったにもかかわらず、花びらより早く散って行った。
 その男たちの無念さを思うと、こちらはいまも無心に花を仰ぐ気持ちになれないでいる。」
と作者は書いている。
2002.8.17
会津若松へ行く。今回で3回目だ。初めて訪れたときは、旅行好きな友に色々と教えてもらった。先ず観光物産協会によって案内図を入手した方がよいとか。青春一番館の雰囲気やそこのコーヒーが美味しいとか。

その時は新潟から阿賀野川沿いに磐越西線に乗って深夜、会津若松に入った。闇の中から巨大な都市が現れたような感じを持ったことを覚えている。翌朝、お城へ行った。あちこちから学生が出てきてとてもにぎやかな感じがした。

あれから何年たったのだろうか。今地方都市のどこへ行っても何か寂れてしまったような気がしてならない。日曜日だというのに商店街のあちこちの店がしまっていたり。東京に何でも集中させようというのは不均衡な発展に過ぎない。
2002.8.10
29歳で夭折した画家 青木繁がその絶頂期のもっとも華やかであった22歳のひと夏をこの布良の海岸で過ごした。ここから幾枚かの「海」と今では重要文化財となっている「海の幸」が生まれた。

房総南端にあるこの浜は今でも美しく、今夏も静かに美しい当時の面影を残していた。

青木繁については、輝かしいデビューとさびしい(あまりにも早い)晩年。光り輝く生き生きとした海から、さびしい静かな夕暮れの海への軌跡。そこに運命というものを感ぜざるを得ない。もしも彼が、あれほど自信過剰でなく、自我が強くなく、従順であったならば、彼が痛烈に批判したように、自分を曲げて篭絡、破廉恥、失常識などの生き方ができたなら、美術学校の教授として洋行を果たし、所謂大家としての華々しい一生を終えたのかもしれない。しかし、そのときわれわれは「海の幸」を「わだつみのいろこの宮」をそして晩年の彼の人生の軌跡そのものを象徴するような作品を(美術学校教授としてなにかしらかの学生への模範画のようなものは描いたかもしれないが)見ることはできなかったであろう。また、生きることに不器用な彼自身にもこのような生き方しかできなかったのだ。松蔭のように結果がわかってはいても彼にはこうとしか生きれらないのだ。


最後に、彗星のように現れ、生き急いでいった男の、死の4カ月前に肉親宛に書かれた手紙を引用しておく。

「(前略)小生も是迄如何に志望の為とは言い乍ら、皆々へ心配をかけ苦労をかけて未だ志成らず業現はれずして茲に定命尽くる事、如何許りか口惜しく残念には候なれど、諦めれば是前世より因縁にても有之候べく、小生が苦しみ抜きたる十数年の生涯も技能も光輝なく水の泡と消え候も、是不幸なる小生が宿世の為劫にてや候べき。されば是等の事に就きては最早言う可き事も候はず。唯残るは死骸にて候。是は御身達にて引取くれずば致方なく、小生は死に逝く身故跡の事は知らず候故よろしく頼み上げ候。火葬料位は必ず枕の下に入れて置候に付、夫にて当地にて焼き残りたる骨灰は序の節高良山の奥のケシケシ山の松樹の根に埋めて被下度、小生は彼の山のさみしき頂より思出多き筑紫平野を眺めて、此世の怨恨と憤懣と呪詛とを捨てて静かに永遠の平安なる眠りに就く可く候。(後略)」

2002.4.14.
レンゲを撮る。今年は昨年より大体花の咲く時期が2週間早い。地球温暖化の影響か?そういえば今日の新聞にも都心のヒートアイランド現象の記事が出ていた。

2002.3.24
3月になり急に暖かくなり、桜の開花が早まった。モクレンはせき立てられるように花開き、一週間で散っていった。その桜をもとめて鎌倉まで行ったが、今日はもう盛りを過ぎている。椿の花が取り残されたようにまだ咲いている。気温はもう4月か5月のようだ。

2002.3.16
蔵のある、昔からの町並みが残っているそうなので
栃木県栃木市に行く。一眼レフに標準レンズをつけ、町並みを撮ってみようと思った。僕にとっては、期待した以上にすばらしい街であった。荒物屋さんの店先の箒やちりとりのその絶妙の並べ方に感動し、漬物屋さんの大きな花車に目を奪われた。この街から得た感動を一本のフィルムでまとめてみた。興味のある方は
こちらをご覧ください。

2002.1.19
熱海に行く。きれいな海を撮って久しぶりに「海景」の展示換えをしてみたいと思ったからだ。

私のいる神奈川県湘南の海は、聞こえはいいが、おそらく日本で一番汚い海だろう。いつも色はグレーで濁っている。夏になるとわざわざこの汚い海に泳ぎに来る人がたくさんいる。不思議なことだ。

冬になれば少しは青い色になるかと思っていたがグレーのままだった。

そこで熱海まで下れば少しは海らしい海が見れると思った。波を撮ってみたかったのだが、残念ながら防波堤で囲われていて、波が来なかった。浜も工事中で降りることができなかった。しかし防波堤から見た海は澄んで底まで見えるほど美しかった。少しゴミが浮いていたが。

海の際に桜が植えてあり、1月というのに、もう花がついていた。冷たい潮風にさらされて震えている。「アタミザクラ」と書いてある。空と海を背景に1カットづつ撮った。今回載せた桜のバックが水色なのは海の色である。

2001.11.17
撮ってみたい花。タイサンボク、金木犀、銀木犀、ミズヒキ。露草はやっと気に入ったのが撮れた。

タイサンボクそしてくちなし、宅島徳光(昭和18年9月予備学生として入隊。昭和20年4月9日金華山沖で殉職。24歳)さんのことを思い出す。

「君の家で泰山木が大きな白い花を咲かせるころ、私は前線に出ていることと思う」と彼は恋人に向かって書き出す。

そして「俺は君を愛した。そして、今も愛している。しかし、俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った。それは、君のように優しい乙女の住む国のことである。俺は静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺たちに頭を下げてくれる子供たちのいじらしさに、強く胸を打たれたのである。もしそれが、君に対する愛よりも遥かに強いものというなら、君は怒るだろうか。否々、決して君は怒らないだろう。そして、俺と共に、俺の心を理解してくれるだろう。本当にあのようなかわいい子らのためなら、生命も決して惜しくはない。」と

そして
「俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんなあわせてたった一人」

2001.11.3
いつかさんが初めてメールをくれたのは去年の丁度今頃だった。

以来、率直な感想や、励ましのメールをいただいた。そして私の作品のいくつかに、歌を詠んで送ってくれた。またいまだに期待に沿うようなバラや海景が撮れないのは残念だ。

そのいつかさんと突然連絡が取れなくなってしまった。事情があって、いつかはインターネットをやめると言うことは前々から聞いていたのだが、突然なので驚いた。

今までの感謝の意味も込めて、いつかさんの歌を私の作品に添えて残しておきたいと思う。

そしてまたインターネットを始めたときに、変化したギャラリーをご覧ください。そのときまでには、驚くようなバラの花が飾られていればと思う。

2001.6.30
「人生は歩きまわる影法師、出番が終われば消えてしまう、白痴のしゃべる物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味は何一つありはしない」(マクベス)・・・・但し孫引き

2001.5.7
このところ、野の花を撮っている。タンポポやジシバリ、ハルジオン、カラスノエンドウなど。春の柔らかい光の中で至る所で出会い、呼ばれる。

2001.4.28
昨年撮れなかったははこぐさを撮った。そして上半分をカットした。

脇役が揃ったときにははこぐさが美しく撮れると昨年書いた。ははこぐさが余りにも地味な花のため、この花だけでは美しく撮れないと思っていたからだ。

そこで、今年はレンゲを脇役にして(今年からというよりも去年から考えていたといった方が正確だ)ははこぐさを撮ってみようと思っていた。そしてその通りに2つのレンゲの花が作るアーチの中に咲く、ははこぐさを撮ったのだが、できたものを見て、ははこぐさは素晴らしいが、どうも脇役がじゃまに見えた。

脇役を切って、ははこぐさだけにしてみたときに、この花の持つ本当のみずみずしい美しさが見えた。

脇役がなければ映えない花と決めてかかっていたことは、何という不遜な思い込みであったろう。
改めてもっと謙虚でなければと思う。

2001.4.1
昨日とはうって変わって暖かい日であり、カメラを持って花見に出かけた。桜を撮ろうと思って土手に降りると、オオイヌノフグリに呼ばれ、ヒメオドリコソウにも呼ばれた。
2001.3.31
28日に桜の満開宣言が出たようだが、遅ればせながらしかも日中の最高気温6度の雪混じりの雨の中、近所のお寺に桜を撮りに行き、冷たい雨に打たれ、耐えているような花を撮ってきた。

春に咲く花は皆儚い。今年も会えて良かった。
2001.325
最初にこのギャラリーに込めたものは、作者からのメッセージに述べたとおり、どんなものにも輝ける瞬間があるということであった。

薔薇や桜は、誰からも好まれ、もてはやされ、人が集まる。名所もまた然り。そういうものは誰が見ても、どこから見てもそれなりに美しいだろう。

しかし僕は、そういう華やかな目立つものだけに存在の意味があり、その他のものは無意味な邪魔者だと思いたくはなかった。

地味で日が当たらぬところにあるもの、雑草のような迷惑物にも、存在の価値があり、必ず輝ける瞬間があると僕は思いたい。そしてその輝ける瞬間を見てもらいたい。そう思って僕は撮影してきたのだ。

この思いは、届いただろうか?

2001.3.22
このサイトをはじめて1年が経過した。

季節も一巡し、花も何か撮り尽くしたような気になっている。ところが戸外に出、たとえ同じ場所で同じ花に出会っても、また改めて発見し、新たな感動を覚える。自然の持つ多様性に驚く。

自然は何と色々な顔を見せてくれることか。
2001.3.15
レンズの性能について、ちょっと興味があったので調べてみた。その成果は後ほどお目に掛けることにして、理解できたことはパーフェクトなレンズを作成することは不可能だということ。

たとえできたとしても、欠点のないレンズは、全く面白みのないレンズだろうなということだ。

欠点を良く理解し、その欠点を生かすような撮り方することが必要なのだということ。そこに工夫が生まれ、独自性が生まれる。

写真に限らず何事もそうだが。
2001.3.4
雨、昨日夕方に見つけた沈丁花を撮りに行く。咲き初めで、赤い蕾と、白い花が混じっている。沈丁花は私にとっては非常に撮りにくい花で、ここ2年間撮っていない。帰りに椿を見つけた。この花も非常に撮りにくい。
2001.2.12
曇り空で1日中寒い日だった。朝、昨日近所で見つけた梅の花を撮りに行く。咲き始めだ。

静かな時間が過ぎていく。
2000.12.3
科学書の朝永振一郎さんに「科学と文明」という講演がある。

その中で朝永さんは西洋科学の本質がノーベル賞のメダルに描かれた絵に端的に表現されているという。

それはベールを被っているナツーラ(自然)の顔をもう一人の女性(スキンチア=科学)がベールを持ち上げてのぞいているという絵だ。

現実の雑多な条件を捨象した実験室内の実験によって、自然の姿を見ようとするのが科学であるのだが、朝永さんはそれはある意味では自然に対する冒涜ともいえるといっている。

科学者だからこそ、すべてが許されているのではなく、自然に対して一番謙虚にならなければならないということを朝永さんは言いたかったのだと思う。

これは科学者に限らず、誰もが自然に対し、謙虚さと畏れを持つべきだと思う。

写真を撮る者も亦然り。象徴的な意味でベールを覗くような撮り方をすべきではないと思う。

(ある方の「自然に対する畏怖」という言葉に考えさせられて)
2000.10.1
焼物を見るのが好きだ。特に志野焼にひかれる。

焼物は絵画のように完全に作者の意志を表現することはできない。完成物の姿は、ある程度作者の中に予定されているが、最終的な結果は、火の具合、天候などその時々の自然の条件(いわば神の御心)に任せなければならない。

名工はもちろんあるレベルの作品を常に造れる能力を備えているから名工なのだが、そこには予想もしなかった傑作が生まれることもあれば、気に入らないものができる余地もある。

そこが焼物の面白さだろう。

写真も何か焼物を創るのに似ている、と思う。
2000.6.21
 今年も亦「ははこぐさ」撮ることができなかった。この地味な花をどう撮ろうかとずっと考えているのだが、どうしてもシャッターが切れなかった。 

 すべての写真において、シャッターが切られた瞬間は、2度とはない瞬間である。たとえば花はまた次の年も次の年も同じ花が、同じ頃に咲く。しかしそれは去年の花ではない。厳密に言えば同時期に構図や、シャッター速度、絞りや露出を全く変えずに、連続して撮った写真ですら、全く同じ花をとらえてはいない。

 光は刻一刻変わり、風の向き、強さも亦刻一刻と変化してしまう。自然の一端を捉えた写真はそれを撮る作者の意志を確かに反映しているのであろうが、それでも偶然の一瞬に過ぎないと僕は思う。

 そしてまた花や風景の写真を撮っていて思うのだが、花は花だけで美しいわけではない。美しい花の瞬間を支えるのは、バックを彩る他の花や葉であり、丁度そこに差しこむ光であり、風であり、水滴であり、その他諸々の脇役である。

 こうした脇役が揃ったときに、「ははこぐさ」が華麗に語りかけてくれると僕は思う。その瞬間を待っているのだ。

                                            

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