アニマル・アドボケートとは何か 山崎恵子氏講演会 *この時の参会者は8名でした。県職員、獣医師会会長、日本動物福祉協会阪神支部か ら応援に駆けつけて下さった方々を含めて8名です。地元市民参加は2名のみで、主宰者 として大いに反省材料となりました。 お話は素晴らしく、参会者の皆さん共々、目の前の霧が晴れ林全体を見通す視点が開 けた思いでした。もったいないので、会員さんとそのご家族の協力でテープ起こしした のが以下全文です。 猶、写真は当日のものではなく、ファーストストライク・キャンペーンのものです。第二回講演会事業 2OO3/9/13 鳥取市さざんか会館にて ご紹介有難うございました。仲市さんから、動物愛護やその他の間題に関してちょっと 鳥取で話をしてくれないかというお話がありました時に、私、たまたまこの9月の連休に 予定をいれていなかった日が今日だけありましたものですから、急遽決まって、急遽伺う という事になりました。ですから、仲市さんの方から一応鳥取の状況等をかいつまんでお 話戴きましたけれど、未だ鳥取の状況を私自身が熟知しているという訳でもございません ので、まあ、鳥取ではどうかという事に対してどれだけ提言を出来るか分かりませんが、 ジェネラルな、一般論として動物愛護というものは一体何かという事をお話させて戴きた いというふうに思います。 アニマル・アドボケートとは何かということが、今日の私のタイトルです。一人一人が 考える動物愛護、それから動物愛護というもの自体は、我々の社会においては人と動物の 関係の原点ではありません。要するに愛護をもって動物と接せよとかね、愛護が全てとい うような語り口で最近,生命尊重が語られていますけれど、私は決してそれには賛成して いる訳ではなくて、愛護以前に人と動物の関係というのはもっとあると、で、その愛護と いうのは人と動物の関係の一つの切り口であると、そういった形で話をさせて戴きたいと いうふうに思います。 で、なんか今日の新聞で、先程仲市さんに見せて戴いたのは、この講演の宣伝がちょこ っと今日載っていたんですけれど、このちらしに私の紹介として、私の言葉で、「私は獣 医師でも訓練士でもありません。私は専門家ではなく、一人の飼い主です。」という言葉 を載せて頂いたんですけれど、それを何処をどう間違えたのか、今日は某大手新聞に「獣 医師で訓練土の山崎恵子が鳥取に話に来る」という風に宣伝してあったのを見て「ガッ!」 と思いました。 え、まあこれを見て、私自身は、まあ、「またか」と思いましたけれど、こういった単 純な事でも、皆さんに是非教訓として学んで戴きたいのは、動物というのはメディアがと ぴつく題材であるけれど、いかに、いかに表面的で、いかにリサーチなしにメディアは動 物に飛びつくかという事で、メディアから流れてくる動物情報というのは、話し半分とい うより、7割方疑心暗鬼で受け止めて戴くのが恐らく正しいだろうと。 私自身、東京で女子大で教えておりますし、それから実は岡山の専門学校、あとは新潟 や福山の動物看護士や卜レーナーの学校なんかでも教鞭とっておりますけれど、そこで学 生相手に基礎講座で先ず最初に言う事は、動物関係の情報、メディアから流れてくるもの は常に斜に構えて見ろ、どこか問違っているかという態度で受止めて、問違っているかど うかを検証して、それからその情報を自分の身につけなさいというふうに教えています。 それくらい、実は動物というのはメディアにとって飛びつく割りにはB級課題なんです ね。芸能人の話題と大して変わらないというレベル。だからとんでもない間違いもありま す。明らかに「獣医師でも訓練士でもない。」と書いてある,ちらしのどこをどう見て、 「獣医師で訓練士の山崎恵子」という報道が出たのか分かりませんが、所詮メディアと いうのはバッと見て、ウオッと目についてダダッと書く。だから、「やっ、虐待事件」と いって書くのはメディアなんですけれど、はたしてそれが本当に彼らの視点が正しいかど うかという事も、こういった文字の間違いでも分かるように、皆犠方にも気を付けて戴き たいというふうに思います。 で、今日の話の主題に移りますが、ア二マル・アドボケートとは何かという事で、これ を、あの、何とか、えー、私もあまりカタカナ日本語は好きではないので、日本語にしよ うとずいぶん苦労をしたのですけれど、この言葉がどうしても日本語にならないんですね。 で、それで愛護家っていうのは、逆に言えばどうしても英語にならないんです。 動物愛護という言葉というのは、実は英語にはないんですね。英語にあるのはANIMAL WELFARE(アニマル・ウェルフェア)、福祉、動物福祉という言葉はあります。それから HUMANE MOUMENT(人道主義)という言葉はあります。 でも愛護っていう言葉は実はないんですね。これは日本特有の考え方です。だから、ど うしても日本語と英語の間には隔たりがあって、私が何を言おうかと思う時にカタカナが 出てきてしまうのはお許し願いたいと思います。 で、アニマル・アドボケー卜のアドボケートという言葉は提唱者とか支援者という意味 なんですね。ですから動物を好きと思う人とか、あるいは動物関係の仕事をなさる方々と いうのは、先ず動物を愛護する側の人問だという意識より先に、動物の支援者、というと またちょっと色がついてしまいますが、まあ代弁者ですね、あるいは動物の事を理解し、 その正しい情報を普及させる情報普及担当者のような、そういつた立場を先ず貫く事が重 要で、それで福祉を考えようとか、愛護という思想に乗っ取って何かをしようというのは 二の次だと私は思います。 先ず最初に、動物の為に自分は何か出来るかという事は、自分が先ず正しい情報を把握 し、正しい情報の提唱者である事、それがアニマル・アドボケートという事なんですね。 で、そういう意味においては好き嫌いは先ずおいて、動物にちょっとでもとっかかりを持 ちたいという人はア二マル・アドボケートであれと、動物関連情報の正しい提唱者であれ というふうに私は言っています。 で、どうしてこういった話をするようになったかと言いますと、先ず、私は動物関係の 仕事をしている人達やそうではない人達にも話をしますが、特に動物関係のブロを目指す 若い学生が来る専門学校なんかで講義をする事があります。その時に、一番最初に講義の 中で言うのは「あなたは動物が好きですか?」という事なんですね。こういった講演なん かも、来られる方というのは恐らく動物に対して関心があって、やはり好きだという気持 ちがあるから、こういう講演を聞きに来ようという意識がおありになるんだと思うんです。 ですから、こういう時にいつも先ず最初に皆さんに言うのは「自分は動物が好きか?」、 胸に手をあてて自問自答してみて下さいというふうに言うんですね。 で、あの、そう言われると恐らく皆さんは、それから動物関係の学校に入ってくる学生 も、最初は「そんな馬鹿な事言わないでよ。ここにいるって事が好きって事の証でしょ。 嫌いだったらこんな所にいないわよ。」、そういった考えを最初は持つんですね。でも、 私はそれに加えて言うんです。「恐らく皆さんね、私がね、あなた動物好きですかって聞 いたら、な〜に馬鹿なこと聞いてるんだって思うんだろうと思います。だけど、実はこの 動物が好きかどうかということはとっても重要な事で、最近私が遭遇した二人の大変著名 な方々とお話しして、改めて自分が自問自答するようになったので、これを皆さんに投げ かける事をお許し戴きたいと思います。 それはどういう体験かというと、先ず一人はですね、実は数年前、英国の王立虐待防止 協会、世界最大の愛護団体RSPCAの査察官、査察官というのは、虐待防止法に対して ちゃんとそれを遵守するような動物の飼育がなされているかどうかという事を、民間の査 察官の軍団を作って、じっさいにペットを飼っている方やペットショップ、それから農場 や屠殺場にまで査察をいれるんですね。 で、この査察官の、まあ、親分を長年勤められたフランク・ミルナー先生という方が福 祉協会の招きで、九州から北海道まで日本全国を講演して歩いた。その時に私も福祉協会 の山口千津手先生とご一緒に随行員をさせて戴いたんですけれど、その時にそのフランク ・ミルナー先生とお話してる時に、彼はこのインスペクターという商売というのは動物好 きの、まあエリートコースと言われてる。民問の愛護団体でインスべクターという商売を して、お給料を貰いながら動物虐待を警察に代わって摘発をし、それをしっかりと警察に 報告をする義務を持っているというので、みんな誇りを持って出来る仕事であって、若い 人では、最近、なり手がとても多い。 ただ査察官は、英国における動物法とかそれから調査方法、報告書の挙げ方云々と大変 厳しい勉強や訓練を受けなくてはいけないんですね。で、査察官になるためには、7カ月 間の集中講座を受けなきゃいけない。で、7カ月間の集中講座っていうのは、大体、毎年 限定30名以下なんですね、二十何名しか受けられないんです。ところが英国全土から、 RSPCAの査察官としてちゃんとお給料を貰って、そういう仕事をしたいという応募者 が二千名位来るそうなんですね。その内の本当に二十何名位を査察官の候補生としてRS PCAの研修コースに入れる。で、その選択は、まあ、査察官の親玉である自分が面接な んかもしなくてはいけない、一部の責任を担つているとミルナー先生は仰った。 で、私は「大変ですねー」と申し上げたんですよ、「いろんな人が来て、やっぱりお勉 強が出来る人がいいんですか?」って伺ったら「まあ確かに全くね、字も読めないとか書 けないとか、それは困るから、一応高率程度の勉強は出来るのは前提である。ただそれに 加え、面接をして人物や、信頼出来る人物か、それから言葉使いや服装等も我々から見て 直ぐに信頼出来るような外見もちゃんとしているか、そういったいろんな判断をするんだ けれども、とどのつまりは、一番重要なのは動物に関する哲学を持っているかどうか。」 と仰った。 それではっと気がついたんですね。動物に関する哲学を持っているかどうか。「それは どういう事ですか?」と伺うと、「動物に対する気持ちがなかったらこの仕事は勤まらな い。どんなに優秀で、どんなに頭が良くても。動物に対する気持ち、それから動物に関す る哲学、そういったものを持っていなければ査察をする事は出来ない。表面的に出来たと しても有効な査察は出来ない。」と書い切ったんですね。 これはすごいなぁーと思ったんですが、それと全く同じような言葉を、実はそれから暫 く経って別な方から聞きました。全く違うところから。この方は、獣医学の権威で、獣医 学の腫瘍学、癌の専門家で、アメリカのコロラド州立大学の獣医学部では、癌、いわゆる 腫瘍学の教授なんですね。世界的にも実は非常に有名で、且つ腫瘍に対処する療法食を作 ったというのでぺットフード業界などでも非常に珍重されている方なんです。グレッグ・ オーグルビー先生といって、その名は世界中に轟いている先生なんですが、その方がたま たま日本に講演に来られた時に、私がとっかかりのある雑誌が彼のインタビューをしたい という事で、私がインタピュアーを勤めるという事になって、彼と二時間位お話しをさせ て戴く機会を東京で得ました。 その時に獣医学のお話しをいろいろ聞きながら、私は獣医師ではないので、むしろ獣医 学のソフトウェア的な部分、例えば獣医師を教育するのにどんな所が大変か、獣医学のカ リキュラムというのは一体どういう所に重点を当てるべきか、そういった事を彼とお話し させて戴いたんですね。その時私は彼に、日本の獣医学教育の様々な問題点をお話しさせ て戴きました。 アメリカの獣医学教育というのは、今、実はロースークールの、法科大学院の話題が出 ているので、皆さん大変分かり易いと思うんですが、医者にせよ弁護士にせよ、獣医師に せよ、ああいった制度がアメリカではどの一専門分野にも存在するんですね。ですからア メリカで医者とか獣医師になろうと思ったら、先ず必要な一般教養単位を三年か四年かけ て取るんです。いわゆる4大で。その一般教養単位を取って準備が出来たら、その必要単 位というのは、獣医学部を受験する為にはこれだけ、医学部受験する為にはこれだけとい ろいろ明記されていて、必要単位を一般教養で学部制で取ったら、実は獣医学専科課程は 受け直しなんですね。医学もそうなんです。ですから大学三年とか四年になって、獣医学 部の専門課程を受けるんです。 そこから更に最低4年獣医学の専門教育を受けて、ですから教育で、卜ータルで、最短 距離で7、8年、インターンシップ入れたら実は十年かかるんです。獣医師になるのに。 且つ獣医学部の私立の学技の学費というのは大体年間、年間ですと、一年間の学費が、そ うですねえ、まあ五百万は下らないでしょうね。ですから州立大で、州在住で入っても恐 らく数百万かかる。それを8年間ということで、獣医学部を卒業した方はほとんどもう学 生ローンでがんじがらめです。ですからがむしゃらに大学病院や普通の市民病院等で働い て借金を返して、本当に寝る暇も惜しんで臨床をやって、借金を返していっぱしの獣医師 になったら、もう既に三十を越えてるという人がほとんど。お医者さんも全く同じです、 アメリカでは。 で、そういった課程がアメリカにあるのを知っていたものですから、日本での獣医学っ ていうのは全然違うんです、教育課程は、というお話しをさせて戴いて、18で決めて受 験するんですよ、且つ最近は、己れは獣医学部の先生方も嘆いているのは、獣医学部の偏 差値が大変上がってきてしまった為に、偏差値で選ぷ学生さんが増えた。農林省のお役人 さんになる為に獣医学部受ければいいやと。取り合えず、犬や猫飼った事ないけどまあい いかと、偏差値で入って来る学生さんが、実は、皆さん信じられないかもしれませんけど、 飼ったことなくて獣医学部に入って来る学生さんがとっても増えたんですね。で、そのこ とをオーグルビー先生に私はお話ししたんです。 「実はですね、先生、そういった現象が日本で起こってて、入った時に、犬は噛みつく と嫌だから、触りたくありませんなんて言う学生さんがいるんですよ。そういうのって困 り者ですよね!」ってオーグルビー先生に申し上げたら、そのオーグルビー先生が私の方 をすっごく不思議そうな顔をして見るんですよ。「ええっ!?」っていうお顔をして。え ーっ、どうしたのかなあと思ったら、暫く考え込んだ後で、彼が真面目な顔をして私に「 じゃあ、どうして獣医学部に来るの、その人は?」って私に聞くんですよ。で、私は困っ てしまってね、い、いや、その、どうしてって言われても、まあ、ヘ、偏差値が、もぞも ぞもぞと返辞にならないような事をもぞもぞ言っていたら、彼が「僕は獣医学の専攻課程 の審査員も勤めてる。」と、その中で優秀な学生が一杯獣医学部を志望して受けに来ると、 その中でー番重要なのは、勿論勉強が出来るのは必須だけれど、ー番重要なのは動物に対 する気持ちがあるかないかなんですよ。面接をして先ずそれを調べると。動物に対して気 持ちが先ず出来上がっていない学生は、採っても無駄ですからとか仰ったんですね。 獣医師に、だってなる意味がないでしょ。獣医師になる意味がないでしょう?受けても、 そんな、意味がないでしょう!それがない学生がどうして獣医学部にきてちゃんと出来るん ですかというような事をそっくりそのまま、私にボーンとそのままぶつけて来たので、私 もハッとしたんですけど、確かに又一つそこで開眼しました。 だから、ちょっと前置きが長くなったけれど、皆さんにも「動物が好きですか?」って いう事を聞くんですよ。動物に対する気持ちが、自分の中でこういうものがあるっていう 事が、ちゃんとね、自分でしっかり確認出来るかどうか。「可愛い」は、誰でも思います ね。可愛い〜って、誰でも思います。だけど本当にその動物に対して、自分がこの哲学で やっていきたいっていう、何かがあるかどうかっていうのは、やっぱり一人一人が考えて いかなければいけないものだと思います。 ただですね、この気持ちがある、ないっていうのは、感情に流される事とは全く違いま す。あの、感情的にやっぱり、「もう、可哀想だから何も考えられない」という風になっ てしまうと、逆に手先も鈍ってしまう、判断も鈍ってしまう。やっぱり一番、動物が好き である人間がやらなきゃいけないのは、情報に基づいて、動物の福祉に対してきちっとし た考え方を持って、その福祉が守られている研ぎ澄ましていくという事がー番大事な事。 それがアドボケートになる事じゃないかなという風に思います。 それから、動物に関してやはり、動物を好きという気持ちを少しでも持っている人は、 あらゆる動物問題に関して、意見表明をするという事を絶対躊躇しないでやって欲しいと いう事なんですね。例えば、トリマーさんの卵さんなんかにお話ししている時に、「貴女 は動物の専門家になる訳だから、例えば咬傷事故に関して意見を求められたら何か言える? 」と言うと、「私達には関係ないんじゃないですか?」って言う、不思議そうな顔をする 若い女の子が一杯いるんですけど、関係あるんですね。 一般の社会において、例えば自分が少しでもとっかかりがあって、犬猫に対しての愛護 のボランティア活動をやってる、あるいはちょっとした仕事としてトリマーをやってる、 訓練土をやってる、はたまた獣医師である、あるいは行政で動物担当の職場にいるとか、 そしたらその人が、動物に対してどれだけの知識を持っているとかね、獣医学部では、倒 えば愛護とか保護に関する勉遊はほとんどしないなんていう事は、社会には分からないん です。だから一般の人達が、ぱっと疑閤をぶつけてくる訳ですよね。 トリミングサロンやってたとしても、その卜リーマーさんに対してね、「近所でこない だポチ君がさぁ、太郎ちゃんていうね、家の近所の子噛んじやったのよ。やよねえ、犬っ てねぇ、噛みつくから。」って言ったら、それは卜リーマーとして犬を扱っている商売の 人だから、その人にぶつける訳ですよね。別にその人が訓練の事とか犬の行動の事、知ら ないなんて思っていない訳ですからね。そうしたらそのトリーマーさんが、「そうですよ ねぇ、噛みついちゃったの?まあー、嫌!」って言ったら、井戸端会議で、それで終わっ ちゃうんです。 でもやっぱり、ちょっとでも動物という何かがくっついた仕事とか、ボランティア活動 をしてる人は、その辺りで一味やっぱり自分を加えて欲しいんですよね。「咬傷事故って いってもさ、臆病で噛む子もいればね、非常に危なく積極的に攻撃的な子もいるけど、ど っちかって言うと日本には臆病な子の方が多いしね、日本犬タイプがね。そうするとあれ よ、逆に言えば子供がなんかワアって脅かしててね、びっくりして噛んだのかも知れない し、その辺探ってみないと何とも言えないのよね。」っていうような事をね、さらっとそ の場で言えたら、それで社会が−歩前進するんですよ。 ぼりぼりってそれを聞いた人がね、「あっそうか、犬が噛むったって、そりや確かに噛 む理由はあるんだよな。何で噛んだんだべえ?と考えなきゃ、人間やっぱり片手落ちかな ?」って、そこでその人が思えば、それは社会は一歩前進する事になる。で、動物関係者 っていうのはそういったたわいのない質問をぶつけられた時に、ア二マル・アドボケート って、社会をそこでどうやって一歩ピョンと前進させられるかという事を常に考えながら 答えを出して欲しいんですよね。 例えば去年か一昨年のワールドカップの時、韓国人は犬を食べるというのを、なんかね 朝日も日曜版なんかに出して、みんなで騒ぎましたよね。で、アメリカではものすごい、 CNNなんかが露骨な報道をして韓国を怒らせ、それから逆に動物愛護家も怒らせ、何か どろどろしたものが一杯。 で、それで皆が何を言ったかって、私の周りでも日頃「犬可憂いぃ」とか言っている飼 い主さん達も「犬食べちゃうんですって、嫌ね、嫌ね、嫌ね。」とか、その話しか出ない んですよ。でも、ちょっと待った!ちょっと待った、じゃ私達ってトンカツ食べない?食 べるでしょ?じゃあ貴女、豚と犬と差別する訳?猫と豚とどう違うの?」って、やっぱり 言わなきゃいけないんですよ。私、犬食べる事、別に擁護している訳じゃないんです。た だ、豚食べる、牛食べる、鶏食べる、魚食べるという所で、何か一番重要かって、食べる 事じゃないんですよね。食べる事じゃなくって、食べるまでの課程でしょ? 屠殺方法が人道的だったか、それまでの飼膏方法が苦痛を与えたり、とんでもない状況 で飼われていなかったか?死ぬ、その瞬間までね、死が来るのが分からないという状況で、 その動物がお肉になったかどうかという事の方が、私にとっては大切な事なんですね。 だから私は、まあ私自身もいろんな所を旅した事があって、幸運な事に犬を市場で見た 事はないんですが、台湾とかね、香港の食べ物市場の奥の、中国の人が一杯居る所に入っ ていくと、本当にそれこそもう半殺しで鈎り下げられている亀とかそんなものが一杯いる 訳ですよね。私にとって一番嫌なのは、亀を食べる事じゃないんですね。食べてもいいん だけれど、例えば生甲羅を剥がすのは止めて。それから犬を食べてもいいんだけども、ど うせ食べ物になる犬のね、ロと前足後ろ足全部ワイヤーで縛り付けて釣り下げて、お肉と して生きたまま売ってて、食べる前に撲殺するのは止めて。私にとってはそっちの方が重 要であって、犬を食べる事で人を責めるという気にはなれない。日本人が鯨を食べるとい うのと同じですよね。 で、鯨に関しては、私自身は、自分の育ち方かも知れませんけれど、捕鯨に関する情報 なんかに結構いろいろ興味があって、で、ずっと昔から、今でも思っているのは、人道的 な屠殺の方法が見つからない数少ない動物の一つなんですよね、鯨っていうのは。あの、 私、別に捕鯨大反対とか、グリーンピースの緑色に染まってる人間とか、そういう訳じゃ 決してないんですけれど、鯨の福祉っていう事を仮に考えたとすればね、それが良い悪い は別として鯨の福祉って考えたら、申し訳ないけど、もりを打ち込まれて直ぐに死ぬ訳じ ゃない。二時間、三暗間、下手すりゃ半日、出血多量と疲労で死ぬ訳ですよね。あの捕鯨 船を引き摺り回してね。 私だったら、やっぱりそういう死に方はしたくないなと思ったら、まあ、私はあんまり 鯨は食べたくない。で、そういう風に考える事で別に私自身は、自分がそれを運動にしよ うとは思わない。ただ情報を持って、それに対して自分が何が嫌か、何が自分にとっては 嫌悪感を持つか、何か受け入れられないか、何処までだったら受け入れられるか、境界線 はどこかって、そういう事を常に考えていくと、「キャッ!犬食べる!可哀想!犬を?嫌 ッ!」っていう自分の感情で、直ぐにバーンって打ち上げ花火のような反応する事を避け る事が出来る。それがやっぱり一番重要な、ア二マル・アドボケー卜である人間の役割じ ゃないかと思うんですね。 で、ア二マル・アドボケー卜にとって一番の敵はやっぱりメディアです。メディアって いうのはやっぱり珍ペット珍芸が大好きですから、あのお、私よくテレビ関係者の人なん かによく厭味を込めて言うんですけど、「貴方達にとってね、なあんの問題も起こさない、 ごくふつ〜の、純血種でもない雑種のペットを、社会的に問題を起こさず、日常生活淡々 と、誰にも迷惑をかけずにしっかりと飼ってる飼い主なんて報道にも値しない位つまんな い存在なのよね!」って言うと、メディアの人は「え、え、いい、いやいや、まあまあま あ、そういう訳じゃないけどね、まあまあまあ・・・」ってぶつぶつぶつぶつ言うんです けれどね、でもそうなんです。本当にね。報道に値しない位つまんない存在なんです。私 達のようにちゃんと動物飼ってる人間は。 でもそれが、仮にね、私が自分の家の猫にワイヤーかけて軒下から吊るしたら、メディ アは寄って来るんですよ。とんでもない女が東京に出没しました〜。そういったそのメデ ィアのフォーカスっていうのは、非常に、私としては理解出来ない部分というのがありま す。 最近では特に動物の事でも、動物愛護だけじゃなくて、例えば聴導犬とか介助犬、身体 障害者補助犬法が国会を通過してから、聴導犬や補助犬がものすごく全国的なフィーバー になりましたね、そうするとちょっとでも、聴導犬のちょの字がついたり、介助犬のかの 字がついた犬がいると、ドーッとテレビ局が行って直ぐに映しちゃうんですよね。 で、或るときですね、京都の障害を持つお子さんの家庭に介助犬がいるという噂を聞き つけて、メディアがそこに取材に行ったんですよ。それは今度降板する久米さんの番組な んですけどね。 で、我々はその介助犬がどういう犬か調べてみたら、実は介助犬ではなくてただのペッ トで、何かちょっと物を持って来る訓練はされてるけども、全然その子が介助犬という定 養に当てはめるような使い方もしてないし、犬も当然、社会的にそういった役割を果たせ るだけの資質のあるものではないんです。介助犬というタイトルでそれを報道されちゃう と、まっとうなな介助大使用者が逆に迷惑をするんです。 だから実はテレビ局に、久米さんの番組に抗議文を送って「あれは介助犬ではないんで すよ、厳密な定義では。ですから介助犬候補でも、何でもいいですけど、正規な介助犬と いう報道だけは止めて下さい。報道するなとは言いません。」と言ったんですけれど、い ざ蓋を開けてみたら「介助犬、介助犬、介助犬」と何度も何度も久米さんは連発してまし たけどね。 これがね、「みやび」というコーギーなんですよ。犬がコーギーなんです。で、筋ジス 卜口フィーの男の子の家庭にね、来るんですけれど、なんか良く分からないちょこまかし た動きをした挙げ句の果てに、その子が「おかあさ〜ん、またやったー!」って怒鳴って るんですね、これ、全部テレビで映るんですよ、ニュースセンターで。「おかあさん、ま たやっちゃった」って言うと、お母さん雑巾持って走って来るんですね。みやびは何と、 トイレの躾がしてないんです。畳をごしごしやってね、後ろのほうの陽気なナレーション がね、かなり真直目に「みやびが来てから、お母さんはめっぽう忙しくなりました」。 ・・え?誰が介助犬だって?みたいなね、でもこれがニュースセンターの報道として出る 訳ですよ。で、指喰わえてというか、顎が落ちそうになるというか、本当に情けない位に 報道陣というのは動物に関して無知な報道をします。 ー番最近、皆さんもご覧になったかもしれません。「家庭の魔法、我が家の秘伝」、ご 覧になった方いますか?いません?実はこれはですね、私の友達の獣医師の所にも依頼が あって、その獣医師が断ったんですけれどね、どういう依頼かというと、「奇跡的な犬の トレーニングの番組を作りたい、30秒位で犬の行動問題を犬の飼い主の目の前で直して くれる訓練土を捜してるんですけど、いませんか?」。友人の獣医師は「そんなもん、い ません。ガチャン!」って切ってしまったらしいんですけれど、実はいたんですね。 テレビのスイッチをつけたら居ました。 「この人は訓練土ではありません」。ナレー ターが言ってるんですよ、「名付けてミラクリスト」。笑っちゃうでしょ、ミラクリスト、 名付けて。 で、どんな卜レー二ングするかって、例えばね、一番恐ろしかつたのは、海辺のお宅で ジャックラッセルを飼ったんです。元気ー杯のジャックラッセルを飼ったんだけど、水を 恐がる。お子さん違はー緒に泳ぎたいんだけれど、水辺に行くと水に入るのは嫌がるんで す。「何とか水恐怖症直せませんかね?」と言うと、ミラクリストが「泳げないのはいま せん。フッフッフ。」と言うんですね、それで「ワーッ気持ちわる、こいつ」と思ってい たら、何をするかというとジャックラッセルの首輪にリードをつけて、そのリードがナス 力ンがダブルでついてるやつで、もうー方のナス力ンをお水大好きのもう一方のラプラド ールの首輪につけた。河辺に連れて行ってポールをラプに見せて、川の中に投げたんです。 ラブラドールは、「ボールだあ!」ぼちゃぼちゃぼちゃ。そこで何も知らずに座つている ジャックラッセルは、突然ゴーン、ふと気が付いたら水、っていう感じだったんです。そ れで勿論生き物ですから必死に泳ぎます。だって死んじゃいますからね。だからラブに引 き摺られて川ん中入っちやったから、ポチャポチャポチャポチャポチやって顔を出して必 死になって犬かきをしてたんです。そしたら先ず馬鹿な飼い主が「わあー、本当だあー、 泳いでる。」ってニコニコしてるんですね。 「お前の犬死ぬよ。」とか思って、私テレビ見てたんですけどね。それで、その気持ち 悪いミラクリストという訓練土が、「言ったでしょう、泳げない犬はいないんです。ニコ ッ」。フゥー、凄い番組でしょ?もうねえ、身の毛もよだつ。 もっとひどかったのは、レザーのソファーを齧って仕様がない犬がいた。で、ピターア ップルとか、いろいろ犬の嫌がる忌諱剤とか一杯ありますよね。まあワサピなんか塗る人 もいますけど、私なんかも唐辛子塗った経験ありますけど、その人は犬がもっとも嫌うも のを使います。キンカンを。お家の璧にキンカン塗りたくって、「これ、ちょっと家族も 犬も死ぬぞ」みたいな・・・。でも、・・・「ほら、一発で嫌がったでしょ。」と、そりゃ 嫌がるの当り前なんです。 どう考えても安全性とか、いわゆる犬の賢明な行動学的な対処方法とか全く知らずに、 飛びつきのゴールデンはなんと、直ぐ飛びついた顔の目の前でクラッカーをバーンって鳴 らされた。もう「ヒャッ!」って言って、一瞬にして飛びつきは直りました。これでV、 ミラクルなんですね。でも、ねぇ、その後でゴールデンが例えばクラッカー恐怖症になつ たり、あるいはそこから更に又とんでもない情動行動とか恐怖行動が出て、問題犬になっ てもそれは後の祭りで、「いいんです、飛びつきさえ治れば」っていう、そういう感じな んですね。 で、家人が夜寝た後で、お家のコードを齧って困るというビーグル犬。どうしたと思い ます?皆さんだったらどうします?当然寝てる間、繋いで下さい、閉じ込めて下さいとかっ ていう手ですよね。その方は、コードの保護の仕方一生懸命教えてました。コードにゴム ホースを被せてガムテープでやって、こうやっていくと犬が醤っても大立夫です。「大丈 夫な訳ないだろう」と思うでしょ?当然クレートに入れるとか、そういう事が普通に出て くる訳でしょ。でも普通の解決策ではきっと面白くないんですね。だから問題行動を直す という事に対していかにお茶らけているかって、ただそれをねえ、正直、実は真面目に聞 いてやってしまう飼主がいる所が恐いんです。実はそのクラッカーとか掃除機で脅すって いうやり方に関しては、既にやってしまったという飼主さんの弊害が友達の獣医師の所で 出てます。何かちょっと恐がって、余計吠えるようになったんだけど、どうしようか?・・ いるんですね、そういうのやっちゃう飼主さんが。本当に何も考えずに。だからメディア の弊害って凄いんですよ。 たまたま実はその番組をやっている時に、私は30人位の愛犬家や訓練士さんと一緒の 会合の席に居たんです。皆で一緒にご飯食べてたんです。で、それを見た時に、みんな大 関係者ですから、お箸を休めて「ギャア!」っていう声を挙げて、それで何とかしなきゃ あと、その場でTBSにみんなで抗議の電話をして、それからその日の内に抗議の文書を 作成して、それに20人、30人の署名と職業を書いて、ちゃんとそれこそ、獣医とか訓 練土とか皆の職業全部を書いて、翌日連名でTBSに直ぐに送ったんですね。そしたら、 実はその次の次の週位に、二時間スペシャルで再放送して下さっちやって、その馬鹿番組 を。且つ、その特別放送の時にアナウンサーが、「犬の行動間題の反響はとつても凄く、 沢山あって、飼主さんやいろんな方からご連絡を頂いたので、今度は定期的にこの番組で 犬の問題に対処するコーナーを設けたいと思います」。つまり、ア力ンベーって事ですね。 だから良きにせよ悪きにせよ。、反響はテレビ局やメディアにとっては「私達の勝利」 という風に思ってるんです。本当に恐ろしいと思います。そういった恐ろしいメディアと いうのをー体どうやって是正していくのかっていう事は、我々が考えていかなきゃいけな い事なんですけど、メディアを変える事は出来ません。彼らには彼らのストーリーがあり、 彼らは自分達で報道したいものを報道する。だから私達は、少なくとも正しい情報をメディ ア以外からも入手し、何か正しくて何かそうじゃないかっていう事を識別する審美眼を持 つ事が重要だと思うんです。 更にまた、考えていかねばならないのは、人と動物の関係のスぺクトルを全部知るとい う事。つまり人と動物の関係の中で、動物愛護っていうのはほんのーつのジャンルだって いう話をしましたけど、愛護もあるんです。だけど、それ以外に例えば動物愛護と関係な く、動物実験ってどう考えるべきかとか、産業動物ってどう考えるべきかとか、野性動物 との共存は?動物園に対する倫理は?あるいは学校動物は?ペットの社会問題は?人と動 物の関係という、この要から扇の骨が一杯出てるんですよね。扇の骨が一本づつぜーんぶ 別々にあって、そして扇面全体が人と動物の関係学で、それの全部の専門家っていうのは 在りえないんですよ。どっかの骨一本、やっぱり自分が集中して見ていかなきゃいけない。 だけどやっぱり一本の骨であるという認識が必要なんです。自分はこれだけじゃなくて、 この骨はあるけど他の骨もあり、全部の骨がないと「関係学」の風を吹かせる事は出来な い。そういった概念を持っていないと、自分が動物を好きっていう気持ちを逆に見失って しまう事になるという事なんですね。何に対してでも意見を持つ、それから動物に関する 問題に対して常に自間自答する。自分はどう思う?世間がどう思うかはいいんです。私が 今どう思う?これに対してという事を、自分に聞いて自分で答えられるという事を、自分 で磨いていく必要があると思います。 もう一つ必要だと思うのは、全ての問題に対して、ま、日本人はディベー卜が下手だと 言われていますけれど、ディべートというのは、賛成反対両陣営がバランス良く、どうし て反対か、どうして賛成かという理由をぶつけ合う事なんです。喧嘩じゃないんです。ディ べートっていうのは。それを自分で自分の中で出来るようにして欲しいですね。 例えば、避妊去勢は良い事悪い事じゃなくって、避妊去勢をする、あるいは無駄な繁殖 をするレない、繁殖は無駄という言葉は又いけないですね。又、逆に繁殖するしない、し たら何処かいいの?でもしたら何処かいけないの?これを自分で秤にかける。YESか NOかっていうのは、その人でみぃ〜んな答えが違うんです。ただ、そのYESかNOに 対して自分の曖昧な感情に流されたり、問違った情報に流されたりしないで、全部の情報 を自分の頭の中で、こういう風に振り分けていく作業を毎回毎回して欲しいという事なん ですね。 まあ例えば、避妊去勢の話になりましたから少しそれに執着をして、ちょっと例題とし て取り上げてみるとしますよね。避妊去勢するかしないかっていうのは即ち、さっき言っ た通り、繁殖するかどうかって事にもある程度繋かってくる訳です。繁殖するかしないかっ ていう所で、何が問題になってくるかって言うと、繁殖っていう言葉、これが一番のキー ワードなんですね。 繁殖は何かという所から問題の定義を始めなきやいけない。繁殖って一体なにか?繁殖 っていうのはやっぱり辞書の定義があるし、動物の世界は犬猫以前に家畜の世界では、繁 殖家という概念はあります。繁殖家って一体なにかと言ったら、繁殖家はより良い個体を 作る為に、家畜のちゃんとしたかけあわせをしていく人達が、牛とか馬とか羊とかの世界 では、ずっと繁殖家という名前で生きてきた訳ですよね。 で、そうじゃない人達が繁殖をする事は、これはただの趣味になります。で、いわゆる バックヤード・ブリーディング、裏庭繁殖と私は呼んでいますけれど、繁殖に対する知識 も情報も科学的な分析も無しに産ませちゃあ、産まれちゃった、産ませたい、やっちゃお うっていうのは全部、裏庭繁殖なんですね。それは「えせ繁殖」なんです、本当の繁殖で はない。で、そのえせ繁殖をするとして、「それはどうしてしちやいけないの?だって、 家のポチの子が見たいもん。家のタマの子が見たいもん。だからいいじゃない。どうして やっちゃいけないか?」。 じゃ、それはNoって言った場合、何故Noかという事を幾つか考えてみる。一つはや っぱり、皆さんもご存じの通り、どの都道府県を見ても処分問題というのはとても大さな 問題ですよね。やっぱり飼いきれなくなった犬猫というのは行き場がないというのは、ど の都道府県を見てもその問題を抱えている、どの愛護団体を見てもその問題を抱えている。 じゃあ、もうこれ以上飼い切れないものを殖やしても仕方がないから、やっぱりただ、た だポチの子が欲しいからといって産ませるのは止めようという理論が成り立つ。 だけど例えばね、「でもいいの、もう山田さんと鈴木さんと近藤さんの三人が、何匹生 まれても全部引き取ると言ってくれたから。私はいらない動物を作る訳じゃない。だから ポチの仔を産ませたいから産ませる。その≡軒に分ければ、私はもういらない動物を殖や してる訳じゃないからいいの!」って逆に言ってこられたらじゃあどうするか。じゃあど ぅするかっていったら、逆にそこに今度は倫理の問題というのが入ってくる訳です。 我々ね、みんな子供の頃、私もね、子供の頃、ご飯の時言われた覚えがありますけれど、 ご飯中に「ピーマンいらない」と言って残すとね、母親にね、「出された物は全部食べな さい。世の中にはご飯食べられない子もいるのよ」。ね、「インドやアフリカにはご飯食 べたくても食べられなくて栄養失調で死んでく子がいるんだから、あんたはピーマン残す んじゃありません。」って言われると、やっぱりねえ、本当に小学校位の自分はちょっと 憎たらしい悪ガキで、「だったらインドにピーマン送ってやればいいじゃない。」なんて グチグチ言ってみる訳ですよね。だけど、子供はそういう幼稚な反応するけど、もうちょ っと大人になると、親が言っていることが分かってくる訳ですよ。別にこのお米粒をイン ドに送る事が出来る訳じゃない。だけどそういう人達がいる中で、私がお米粒を残す事は ものすごい申し訳ない気がする。人間として倫理上やっぱり嫌な気持ちがする。これが倫 理観なんだなぁって分かってくると、やっぱり食べ物を粗末にしちやぁいけない。自分が 粗末にしないからと言ってね、アフリカの子供達が助かる訳じゃない。だけど、粗末にし ちゃいけないっていうのは、それが人間の倫理観なんだ、それが分かってくる。 だから繁殖もそりゃ同じような事なんですよね。ここで例えば、近藤さんちがポチが産 んだ仔を貰わなかったら、近藤さんは今度の県の譲渡会に行って犬や猫を貰ってくれるか っていったら、「や、別にポチの仔じゃなかったらいらない。」って貰ってくれないかも しれない。だからポチの子を産ませるって事は、譲渡会の子が行く行先を一つ直接的には 削った訳じゃない。だけどやっぱりね、食べ物を残した時に良心が痛むのと同じように、 これだけやっぱり命がいらない、いらないって言われてる中で、もっとこれでもかこれで もかって、命を何となくっていう理由で生産してしまうっていうのは、人間として倫理観 が許すべきではない。そういう意味で、処分問題と繁殖っていうのを繋げて考えるべきだ ろうという風に思います。 それから、そこで逆に百歩譲って、「繁殖をしたい、私はえせ繁殖家とか裏庭繁殖家に ならないから、自分の子は良い子だと思うし、この子の子孫はこの種を保存するためにい いと思うから。だから産ませるんだ!」って言う人。本当にブリーダー、繁殖家であると いう人達が、本当にそうであるかっていう所は繁殖家としての義務を果たせるかという所 を考えないと、繁殖させていいかどうかは分からない訳ですよね。 で、繁殖家としでの義務は何?先ず一つは、例えば繁殖家としての義務は、その子が健 全な個体として、社会に問題を与えるリスクを最小限に食い止めて社会に送り出す事です よね。という事は、育成過程を考えなきゃいけない。やはり、仔犬なんかの場合は特に生 後最低で五十日、出来れば六十日、母犬の元、兄弟の元に置いて出すのでなければ、社会 化が上手く出来ずに、将来的に行動間題を起こす危険性が出てくる。 最近、実は英国ではね、これを法律的に、法律の網を被せたんですね。犬の販売と繁殖 に関する法律というのが制定されまして、確か繁殖家、正規のブリーダーであっても、二 カ月、6O日末満の仔犬を売ってはいけない。これ違法行為になってしまいます、売った ら。そういった網を被せるようになってきました。日本では未だ違法行為ではないですけ れど、やっぱりあの、いろんな事があるんですね。 猫はまた、全く社会化とかの過程が犬とは違うんですけれど、犬の場合には特に社会性 が非常に高い動物ですから、母や兄弟の元で学ぶコミュニケーションの手段というのが、 将来的に人間社会の中で上手くやっていくかどうかを決めるんですよ。 噛みつき抑制一つでもね、仔犬同士が、自分達が目が輝いててじゃれるようになってか ら、じゃれて何を覚えるかといったら、お互いに上になったり下になったり小競り合いを しますよね。その時にぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ、相手をこう甘噛みをする訳ですよね。 で、一方の仔犬がもう一方の鼻面をちょっときつく、キュって本気で歯を当てちゃうと何 が起こるか分かりますか?ぎゃぃんぎゃぃんぎゃいんって、こっちが鳴くんです。そうす ると、噛んだ方は滅法びっくりするんです。「ワァア!これは天災が起こった!いや、違 う。こいつが反応したんだ。いやあ、こいつがこんなとんでもない反応を引き起こしたの は、私のさっきの行動だったな。ありゃあ、ちょっと気を付けなきゃいかん。」といって、 噛みつき抑制を学んでいくんですね。 だから、実は犬っていうのは、成犬になると、一発でばしんと歯を入れる子は問題のあ る子以外はほとんどいないんです。噛んだといっても、ばんと歯を当てて人を威嚇する程 度で、最初から皮膚を破るような噛み方をするっていう子はものすごい問題なんですね。 逆に歪んじやってるんです。通常の犬の噛み方っていうのは、正しい社会化をしてれば噛 みつき抑制っていうのが出来ているから、ガシンじゃなくてバンってやる事を鴬えるんで すね。それを、でも覚えないでね、人間の家庭に入れたらどうなるかと言えば、ずーっと それを覚えないかもしれない。 あるいは、排泄の習慣。仔犬を育てた経験のある方はお分かりかもしれませんけれど、 仔犬でも仔猫でもそうですね、最初に末だ目が開かずに何も出来ない頃は、母犬が授乳を した後でお尻を刺激しながら排泄をさせて、排泄物を全部処理しますよね。だからそのま んま巣の中はきれいです、汚れません。でも、ちょっと目が開いて手足が動けるようにな ると逆に、母親は定期的に巣から離れ、ポーンと追い出したりしますよね。それは巣を汚 さない為なんです。これは自然の野性の中でも、巣で汚染が起こらないように巣の外に放 おり出して、それで排泄をしたらまた、その頃には母親の暖かさとか、それから自分の嗅 覚とか目とかいろんなものを使って巣に戻る能力はもう出来てますから、ポンと放うり出 されたらそこでおしっこをする、うんちをする。それで又ダーアって這いつくばって巣に 戻って来る。これで、巣の中、つまり自分がキュウーッて寝た所で、起きていきなりジョ ーッてするような習慣っていうのはなくなる訳ですよね。 巣を汚さないっていう習慣は母犬が、母猫が、そこでつけ始める訳です。でも、それが つく前に、それこそほんの生後何遇間かでも、ペットショップに連れて行くためにせり市 を経て、ペットショップの店頭に生後五十日で出たって事はね、せり市に出るのがあって せり市まで来る過程があって、考えたらかなり早くから母親から離されてる訳ですよ。そ うするとその習慣なしに動かされて、ペットショップのあの小さなウィンドウの中でペッ トシーツの上でうんち踏んで、糞味噌で生きてたら生活習慣はつかないんですね。 だから皆さんの周りでも、よ〜く耳を澄ませていると排泄のしつけが出来ないっていう ペットが実は最近増えてます。中々排泄の躾がしにくい。ショップから来た子は非常にそ ういう子が多いです。で、これは全てがそうだとは言いませんけれど、この衛生習慣が、 巣の中で母親によって教育をされている過程っていうのが踏まれていない子が非常に多い からなんですね。 で、そういった事全部を考えると例えばね、小さいものなら別として、自分の飼ってい るものがラブラドールだとしたら、大型犬って下手すりゃ十匹近く産みますよ。じや、ラ ブラドールが7匹仔犬を産んだら、その7匹の仔犬を60日、自分の家で、きちっときれ いに、衛生的に管理をして出す、出せるまでちゃんと育てられるかと言ったら、これは実 は私の母親も大きさは違いますが、ヨークシャーのブリーダーを一時しておりましたけれ ど、並大抵の事ではありません。時間、労力、お金、ものすごくかかります。私も、もう 何匹の仔犬を離乳をしなきゃいけない時期に母親に駆り出されて、「何で私がこんなただ 働きしなきゃいけないのよ!」と言いながら、家の中で犬まみれになって仕事をしてきた ほうだから良く分かるんです。 でもそれをする気力とか、意欲のない人はフリーダーにはなれないんですね。なれない んですよ。外の犬舎にころがしときゃあ育つなんてもんじゃないんです。だつて、30日 位とか40日位というのはやはり、要するに60日で出すという段階までの間って、離乳 はあるは、それから母犬の母体免疫は低下するから、それから予防接題の効力が出るまで の間、やっぱり非常に脆弱な時期があるから、ストレスはかけちゃいけないは、ものすご い大変なんですね。 で、その時期を乗り越えていくっていう事が、それをやるっていう意識がなきゃあ繁殖 家なんかは出来ない。物理的にはそう。もう一つ、さっき言ったー番大切な事、牛馬の繁 殖家っていうのは、一体どういう過程を踏んできたか?例えばサラブレッドの繁殖、あの、 私は決して競馬が好きなわけじゃありませんけど、まぁ一つの例としてサラブレッドを繁 殖させるという事を考えたら、何を考えなきゃいけないかっていったら、美しい栗毛色の サラブレッドが出来ました。すごい鼻筋通つているでしょ、足が長いでしょ、きれいに均 整とれてるでしょ、でもこの子走れないんです。膝が抜けちゃうから。それ、サラブレッ ドじゃないですよね。そういうサラブレッド作る人は繁殖家になれないし、繁殖家として も認めて貰えないし、繁殖牧場がそんな事したら一遍で潰れちゃいますよね。本当の繁殖 家はそうなんですね。 だけど今の純血の犬猫の世界、最近はちょこっと兎とかそういったペットの世界にもそ ういった傾向が少し広かってきたんで、大変だなあーって思ってるんですけど、純血の犬 猫に関しては遺伝性疾患がものすごく多いです。猫は犬ほどじゃありません。でも猫でも スコティッシュフォールドのような、例えば耳の垂れた奇形というような、あれは奇形な んです、元々ね、そういった子だけを繁簸させているとやっぱり、あの、スコティッシュ フォールドは他の子と比べて内蔵疾患なんか多いんです。で、ましてや犬なんかは遺伝性 疾患は最大の間題に現在なっています。 で、繁殖家っていうのはさっき言った通り、良い個体を作る為に、きれいな羊なんです けれど毛並みが悪いんですじゃあ、これは羊毛にはならない。いいサラブレッドなんです けど、三百メーター以上走ると膝が抜けるんですじゃあ、これはサラブレッドじゃない。 美しい肉牛ですけどこれ肉固いんですじゃあ、これはちょっとダメなんです。で、それが 社会に受け入れられないのと同じように、本当はペットの社会でも受け入れちゃいけない んです。 でもね、例えば今、股関節形成不全なんかが大型の犬にどれだけ蔓延してるか考えたら おそろしいですよ。日本では正確な数字が出ないんです。何故かというと日本では、いわ ゆる全国的な登録を牛耳っている某畜犬団体は、そういった辺りに関しては総合的な情報 管理をしてないからです。だけど、情報管理を実際にしたらきっと凄い多い。恐ろしい数 字が出ると思います。アメリカで、股関節形成不全の新しい診断方法を開発する時に、ゲー ル・スミスというペンシルバニア大学の先生がその方法を確立していく過程において、自 分の住んでる町で無作為に、この犬種百頭とかこの犬種何百頭とかやっていく中で、例え ばゴールデンレ卜リバーを自分の佳んでいる地域社会で百頭、飼主さんに適当に声をかけ て連れてきて貰った子違の股関節のレントゲンを撮つたらなんと、6O頭の軽度から重度 までの股関節形成不全の素因がでた。六割ですよ。 で、これはですね、介助犬の情報センターである日本介助犬アカデミーが、同じような 検査をしているんですね。これは頭数は少ないです。ラブラドールに関して、「レトリバ ー」という雑誌に広報を出して、股関節のチェックを日本のラプラドールに関して試験的 にやってみたいので5O頭まで無料で、我々が推奨した大学病院でレントゲンを撮り、且 つそれの診断をしますから、飼主さんで連れて来られる方はどうぞという呼びかけをした んですね。そしたら、その中から確か三割以上股関節形成不全の素因が出ました。で、多 分もっと高いと思いますよ、全般的には。何故かって言うと、それは「ラブラドール」と いう雑誌を読んで、且つ自分のラブは例えば緊殖に使おうかなとか、いいに違いないと思 い、そして大学病院に連れて行こうと意識も高く、労力も手間暇もかけようと思う飼主さ んが対象になっているんですよ。ね、結局。そういう所にひっかかってくる飼主さんがー 番、やっぱり、来る訳ですからね。その五十頭から三割以上から素因が出たっていう事は、 本当にそこら辺で売る為に、一杯ラブを犬舎に入れて作っている人とか、庭で繋いで飼っ ている人とか、そういう人達をいれたらどれくらい股関節形成不全の遺伝子が出るかって 考えたら末恐ろしい。 でも実際にはアメリカなんかでは、犬種団体が非常に賢明な意識改革をし始めてます。 例えばダルマシアンの犬種団体、ダルメシアンクラブ・オプ・アメリカが例の「1O1」 の実写版、ディズ二ーの「101匹ワンちゃん」の実写版映画が出た時に、やはりダルメ シアンをみんなが飼いたい、繁殖したいとかっていうお祭り騒ぎになる事を懸念して、ど こかの雑誌で発表しました。 「ダルメシアンというのは実は、両側性、片側性の難聴がとても多い犬種ですから、繁 殖には非常に気をつけて下さい。」と。で、「今現在、ダルメシアンクラブ・オブ・アメ リカが把握している限りにおいては、軽度から重度、両側、片側全部いれると、アメリカ の全ダルメシアンのやはり三割近くは難聴の問題を持っている」という事をはっきり発表 しています。ダルメシアンのブリダー達の団体が。 ですからそれ位に股関節形成不全や難聴とか、そういった遺伝性の疾患というのはとて もね、大変な問題なんですよ。ところがどうしてこれがメディアに出ないんですかね。そ れも私不思議なんですよ。メディアが大好きそうな話題じゃないですかね?三菱欠陥車を リコール、ね?私、動物を物扱いにするっていう事に関して、物凄い反対諭を唱えるつも りはありません。逆に言えば、それを逆手にとって私は議論するんですね。「物で結構、 動物をね、例えば動物を殺したら器物損壊で訴えた方が罰金が高いなんて、そりやあ馬鹿 げた事だっていう風に仰る方もいるんですけど、そりや確かに動物は物じゃないですよ、 私にとって、命ですよ。だけど物として社会が扱うんだったら物で結構。物で結構。だっ たら、物の品質をちゃんと管理してない人間は削除して下さい。だってそうでしょ?走れ ないサラブレッドはサラブレッドじゃないと同じように、私は例えば五体満足のチワワを 飼おうと思いました、ところが、頭がべコべコで全然ここが塞がりません。これはいわゆ る正規の商品ではないですね?欠陥商品ですね。60分テープを買った時に、30分でテ ープの録音終わってしまったら、私怒ります。それと同じに動物の繁殖に関しても、同じ ように基準を設けて頂いて結構。本当に物として扱いたいんだつたら、そうやって物とし て扱って下さいという凰にはっきりと、私は申し上げる事が出来ます。 そういった中で、私達が繁殖一つを考えるだけでね、これぐらい、何というんでしょう、 避妊去勢っていう事をかる〜く考えて、とどのつまり、こう突き詰めていって、議論をし て、ディべートをしていくと何処にぶち当たるかっていうと、繁殖問題と遺伝性疾患間題 と、それから畜犬団体の在り方、ブリーダーの在り方、ただただ処分というだけじゃなく そこまで行き着くんですね。だから全ての問題が実は繋がってるんですよね、こういう風 にね、全部輪になって繋がってる。 身の回りの小さな題材からそういう風に考えていく事が、実はア二マル・アドボケート になるっていう事、この辺りを私達はもう少し真面目に考えるという事が、本当の意味で 動物の福祉とか、動物の、まあ強いて愛護という言葉を使うなら、愛護という事を推進し ていく事じゃないかなという風に思います。 もう一つ申し上げたいのは、自分で自問自答するという事を先程申し上げましたけれど、 本当に自問自答するという事を自分の想像力を使って、いろんな所で考えて欲しいという 事ですね。 例えば何年か前に埼玉で、学校の兎が野犬に噛み殺されたという事件を皆さん聞いたこ とがあるかもしれません。これは埼玉だけじゃなくて、幾つか日本全国を見ると起こって ますよね。学技の兎小屋に誰かが犬をけしかけて、兎が殺されていたというような話。 ま、人間が殺っちゃったというような場合もありますけれど、犬が殺ってしまったとい う事は、実は何年かの間に続けて何件かあったんです。特に埼玉では二回連続してあった ので、非常に私もその時にいろいろ考えたんですけれど、そこで何を思うか? 「嫌だな。残酷だな。」ては誰もが思うことですよ。でもア二マル・アドボケートとし て思って欲しいのは、謎がやったんだろう?そして、どうやってやったんだろう?それを もっと「嫌!」とかいう拒絶反応じゃなくて、淡々と考える自分があって欲しいんですね。 例えば、例えばですよ、野犬?ありえませんね。学校なぞという人里にある所に、野犬 がそんな所に楽々入り込んで、しかも檻、兎小屋というような閉鎖された空間においそれ と入って来ません。野犬というのはものすごく警戒心が強いです。だから、野犬というの は人間の里で、そんなに大胆な悪さというのを、しょっちゆう繰り返しするという事は事 例としてそんなにありません。つまり人間がけしかけた。網を破いたというのは犬が破い たんじゃないだろう、人間が破いたんだ。じゃ、学校の兎小屋の網が破けたとか、あるい は壁に穴があいていてそこから犬が入ったという事を考えたら、私先ず考えたのは、穴の 大きさからしてどれ位の体高までの犬しか入れないかって分かるじゃないの.という事は 体高何センチ以下の犬しか入れないから、それ以外の犬は先ず除外出来るって考える訳で すよね。で、勿論証拠なんか無くなってしまっていますけど、現場がそのまま残されてい たら兎の死骸から多分短頭種か長頭種かは分かります。つまり、ここの形が分かるんです よね。 こういう鼻の犬か、こうぃう鼻の犬かというのは、明らかに見れば分かります。噛み傷 を見れば。それから、本当に細かく人間の殺人現場のような検証をしたら、兎の毛じゃな い毛が落ちてる筈ですよね。兎の毛じゃない毛まで検証出来たら、どんな色の犬か、下手 すりゃあ犬種タイプまで分かってしまう。 もぅ一つは、皆さんの飼っているのがワンちゃんならそれを考えて欲しいんですが、仮 に自分の犬が、小動物を追い掛けるという姿を想像して、最後まで何頭も噛み殺すという のを自分の犬がやるかどうか?やっちゃう子もいるかもしれませんが、オオカミって、獲 物を追い掛けてとって殺して食べます。犬はオオカミの子孫です。しかし実は人間が長年 の間作り変えてしまった動物で、オオカミの最後の殺して食べるという部分の、狩りの最 後の衝動ってぃうのは、人間が作り変えていく過程においてかなり緩和されていっている んですね。 だからラブラドールはポールを追い掛けるけれど、持って帰って来る。あの、鳥猟犬っ ていうのはね、ズドーンって撃った鳥を取りに行つて、その鳥をくわえて帰って来るけど ばくばく食べませんよ。そういうふうになっている犬の中で時折、実は先祖帰りしてガァ ーってやっちゃう衝動の強い子はいます。いますよ、でもそういう子は実は少数派であり、 且つ、少なくとも私達の住んでる地域社会の中では、恐らく愛犬家グループの中では評判 になるだろう。「あそこんちのねえ、コロちゃんってねえ、実は前、猫殺っやった事ある のよ。」なんて話をね、皆さんも闘いた事あるかもしれない。そういう事っていうのは必 ず評判になるんです。 という事で、体高が分かる、大よその顎骨の形が分かる、下手すりゃ毛色、長毛か短毛 か犬種タイプまで分かる。それから、非常にそういった追い掛け、追い込み、食いつき衝 動が強い犬だって分かる。且つ、恐らく車で何十キロも運転して犬は連れて来ないだろう。 半径何キロ位に限定する。それ位の物証が挙かってれば、半径何キロで訓練所や愛犬家グ ルーブで聞いていったら、噂で大体そういう衝動の強い犬に辿り着きますよ。ほぼ問違い なく犯人捕まえる事が出来ますよ。 私は埼玉の学校の兎が立て続けに襲われたって話を聞いた時に、先ずそれを考えたんで す。自分でじっくりね、「う〜ん、何か出来るのかな?私は?」つて、犯人を捕まえる訳 じゃないけど、「私ならこうする論」っていうのを頭の中でひねり出したんです。で、そ れを実行するか実行しないかは別ですよ、あの、旦那が警察に勤めてる友達に言ったら、 「あんたねぇ、人間が殺された事件でも迷宮入りが一杯あんのにねえ、家の旦那達それで 足を棒にしてんのに、悪いけど兎にまで手間暇かけらんないのが現状だよ。」と友達には 言われました。 それはそれで良いんです。別に警視庁の人達にそれを全部やれとは言いません。ただ、 やろうと思えば出来るという事を覚えといて欲しいんですね。地元の愛護団体とか、獣医 師会とかの、そういう方達の助けを得れば、そこまでの現場検証恐らく出来るだろうし、 犯人を特定する位の所までもっていく事は出来るだろう。で、それを覚えておいて欲しい と同時に、仮にそれをやらないとしても、こういうメソードもあるんですという事をちゃ んと知ってて欲しいんですよ。ただね、「どうなっちやったんでしょう、今の社会の倫理 ・・・」みたいなお馬鹿な記事を沢山書くだけじゃなくて、こうやって問題解決をする事 も可能なので、将来的にはそういうシステムを考えなきゃいけませんなあ、という位のね、 やっぱりちゃんとしたコミュニケをどっかが出して欲しい。警察が出しても、愛護団体が 出しても、学校が出してもどこか出してもいいんですけれど、そういう事がやっぱり動物 愛護の意識を高めていく。 社会に成程と思わせる、動物を守る流れを、成程と思わせるような路線上に乗せる事が 出来るんですね。その辺りを考える事が、この事だけじゃないですけど、繁殖の事なり、 この事なり、こういう風に頭をひねっていく事がア二マル・アドボケートになるという事 を皆さんに是非意識をして、これから動物情報に関して統合していって欲しいと思うんで す。 じゃ、次にちょっと野性動物の飼育の話をしたいんですけど、ちょっとここで十分位 トイレ・ブレークをとりたいと思いますので、少しお休みをしましょう。 休憩 えー、それではまた後半、お話しを統けさせて戴きたいと思います。後半は少し野性動 物、エキゾチックと言われるものにも私の意見表明をしたいと思うのですれど、エキゾチッ クというのは、野性動物でペットとして飼われているものを総称して、そのように言って います。それをどうして飼うか、どうして飼っちゃいけないか、これも今、社会的な議論 になっていますよね。イグアナを飼うべきか?プレイリードッグは漸く問題視されて、皆 さん飼わなくなりましたけど、エーッ、洗熊のラス力ル君ときた日にゃあ、古都鎌倉を荒 らし回り、神奈川県の山の中には約二千匹いるそうです。実は本当に、鎌倉くんだりでは 荒らしまくって凄いんですね。神社仏閣のお池の鯉を洗熊がこうやってガブガブ食べてい るのを目撃したとか、神奈川の動物行政のお役人さんのお話しを闘いたら、恐ろしい事に、 カナダより温暖なので繁殖サイクルが速まっている。 そんな中で、一体この現象は何なんだというよりも、先ず我々がペットとしてそういっ たものを飼うという事に対して、どういうスタンスをとるべきなのかという事なんですね。 私は、基本的にはエキゾチックア二マルを飼うという事には絶対的に反対です。で、何故 反対かっていうと、理由は四つ程あるんですね。 一つは基本的な生命維持、特に、先ず食べさせるという事、食を確保するという事、こ れが出来ない動物を飼ってどうする?という部分があるんですよね。この子飼ったんだけ ど、ご飯食べない。で、餓死して死んじゃったというような状況、それほど短絡的じゃな いかもしれませんけど、それが非常に多い。 で、食を確保出来ない動物を飼う事の、これはもう不合理というか、ただの馬鹿という か飼っちゃいけないって言わざるを得ないですよね。で、どういう事かって言えば、難し い食を確保したりするっていう事の話じゃないんです。「この子は生き餌じゃなきや食べ ない」とか、そういうややこしい事とかそういう話じゃないんです。もっと、もっと基本 的な所で、私は恐ろしい事例なんかに遭遇したことがあるんですね。 例えば、昔の知り合いで、東京の近郊で獣医師を開業している女性の方がいて、彼女は たまたま誰かさんの蛇かトカゲを診てしまったおかげで、ちょっとそういつた変わったも のを診てくれる先生という評判がたってしまった。彼女はそれをとても嫌がってたんです。 けど仕様がない、診ちゃったから。また評判で口コミでいろんな変なものが来るようになっ ちゃった。ある時、彼女の所に生き物、トカゲを持って来た人がいる。「ペットショップ から買って来たんですけど、実はもう数日間この子食べないんです。餓死しちゃうといけ ないんで、心配になってきて、この子病気なんですかね?飼育が悪いんですかねえ?」と 言われても、彼女はそのトカゲを見て何なのか分からない。どうしようと思って、こわご わと「これは一体何というトカゲですか?」と聞いてみたら、まあ熱帯の〇○トカゲで、 実はこの子は肉食で、生き餌しか食べないからこれを持ってけというんで、ミルアームみ たいの、売っていますよね、そういったものをペットショップで買わされて持ってきたん です。で、これを目の前に置けとか、ピンセットでこうやってみろとか言われたんですけ ど食べないんですって。で、まあ普通の肉とかもやってみましたし、中にコオロギなんか も入れてみたんですけど、それでも食べないんです。 で、困っちやって「このままおいといたら死んじゃいますよね?」って言うから、「ま、 そうですね、食べなかったら死んじゃいますね」。で、う〜ん、どうしたもんか、全然分 からない。熱帯の○○トカゲねぇと言いながら、彼女はいろいろ考えて、図鑑を持ってき て見たそぅなんですね、もう恥を忍んで、「すみません、私、あんまりこのトカゲの種類 知らないんでー」ってよ〜く見て、「あ、成程これだな・‥」って見て、「う〜ん、本当 にそうなのかなあ〜、私には判断がつかない」。で、自分の知ってる自然動物園の方とか、 そういった所に電話して、いろいろな情報を統合すると、最終的に役女が出した結論は、 それ、正しかったんですけど、これ熱帯の肉食の○〇トカゲじゃなくて、同じ熱帯の草食 のXXトカゲだったそうなんです。食べられないんです。食べたくないんじゃなくて、出 されたご飯が食べられない。草食のトカゲに一生懸命お肉あげても食べられない。だから 可哀想にそのトカゲは、腹減ったなあ、腹減ったなあ、何かくれよ〜って、きっとひもじ 〜い思いをしてたんだけども、目の前をコオロギがビョンピコンビョンなんていって、ワ ーアとか思ってたんでしょうね。 で、そういう事なんですよ。そういうアクシデントは決してね、今、これは笑い話みた いになっちゃってますけど、そういうアクシデントは私の周りだけじゃないと思うんで、 すごくいろんな獣医さんが経験しているし、いろんな人達が獣医さんの所に行くまでもな く、死んでしまうような子達もいる。いわゆる根本的にね、食を確保するのは、こういっ たものしか食べないから、それを確保するのが難しいというような事じゃなくて、肉食か 草食か、何食べんだっていう所で既につまづいちやっているような、ものを売っている、 商売をしている人が世の中には沢山いるんですね。そう考えたら、先ず生命維持出来ない なら売らないで下さい。買わないで下さい。という、当り前の事になる訳ですね。 もう一つは環境。生命維持のもう一つの重要な要素というのは環境ですよね。勿請、環 境に空気がなけりゃ窒息しちゃう。環境が乾燥した所を好む子は、濡れた所に置いといた ら湿気にやられて死んじゃうとか、環境維持。これもですね、基本的な環境維持が、野生 動物に関してどれだけ私たちに出来るかというと、これは動物園でさえ大変なんですよね。 動物園でさえ不適切な環境に置いて、動物が常同行動を繰り返しているような所なのに、 野性の動物を私達が家庭でどれだけ適切な環境が与えられるか? 先程の熱帯のトカゲの話に戻りますけれど、最近本当に爬虫類とか両生類一杯売られて いる中で、皆さんお気づきでしょうが、熱帯の太陽のもとで育ったものには熱帯の太陽が 必要なんで、ヒーターとかサンランプ、適切な紫外線を当ててくれるサンランプも一緒に 買わなきゃいけないんですよね。そういったサンランプを買ったとしても、残念な事にね、 私は宗教家じゃないですけど、神様が作り給うた太陽を人間が真似する事は先ず出来ない んです。だからサンランプをつけてあげても、やっぱりクル病になって苦しんでしまうよ うな熱帯の爬虫類なんかは決して少なくありません。これは私は獣医師ではないですから 統計は分かりませんけど、やっぱり獣医師の方に伺ってみると、結構いるみたいですね。 だから、環境も整えてあげられないのにどうして飼うの?殺すために飼う訳?殺すために 飼うんだったら止めて頂戴、という事になりますよね。 あとは行動管理。行動が管理出来るか?犬や猫でさえ大変な人達が、じゃ行動管理出来 るんですかっていったら、野生動物の行動っていうのは変えられません。もちろん条件付 けでいろんな事をやっていく事は出来ますけれども、野性動物の行動っていうのは変えら れません。だから洗熊が一杯捨てられるんですね。洗熊って言うのは、小さい頃はラスカ ル君で可憂いんですけれど、大きくなると洗熊にとってはやっぱり爪と牙は使うためにあ るんです。何かあった時にハフッて食らいつくっていう行動は、別に洗熊が嫌な奴だから する訳じゃないんですよ。人間が大嫌いだからする訳でもない。ただ物にグッて食らいつ くとか、柱にガシッてやるっていうあの行動はあるんですよ。それはね、例えば犬に吠え るなって言うのと同じようなもんですよね。犬は吠えるんです。で、その犬の吠えるとい う行動をどう管理するかっていう事は、人間が行動管理としてやらなきやいけない事。で、 洗熊とかプレイリードッグ、そういう動物に関する行動管理というのは恐らく不可能に等 しい。 その最たる例が蛇なんかですね。蛇で、小さい蛇を飼っている分にはそれ程弊害は出て 来ないかもしれないけれども、東京の近郊の埼玉の方で、河原に大蛇が一杯捨ててあつた というとんでもない事件を、皆さん新聞で何年か前に読んだ事があると思いますが、結構 蛇オタクで、太さな蛇を飼っちゃう人いるんです。これが、埼玉の例はそんなに悲惨じゃ なかったですけれど、アメリカで二年か三年位前に新聞記事になつたもの凄い悲惨な例が ありまして、お父さんがやはり大蛇フリークで、大蛇を何匹か飼っていたんです。それを ちゃんと温室みたいな部屋に入れて、大きな水槽のような所に蓋をちゃんとして日中はそ こに入れておく。で、お父さんがちゃんと管理してたんですけど、ある時蓋がずれててそ の大蛇が出ちゃったそうなんですね。出ちゃったまでは良かつたんですけど、お母さんが ドアを開けて台所に入ったら、その家の7歳の女の子の周りに錦蛇が完全に紋め殺す体勢 でとぐろ巻いてた。女の子は真中で青い顔をしてたそうなんです。 何故かっていうと、蛇にとって、蛇は確かに目で見る時に、自分の周りの人間の顔を認 識すると言ってます。私は蛇飼った事ないですけど、飼った事ある人は認識出来ると言い ます。だけどそれとは別に、大蛇は本能的にどうやって食を求めるかっていうと、お腹が 空いた時には体温で感じるんですね。つまり、「お腹がすいたぞー、何か食べるものない か」ってぃった時、フウーッと何か暖かい哺乳類とか動物の体温を感じたら、シュルシュ ルシュルシュルって本能的に巻くんです。それは別にね、あ、お父さんだから巻くのはよ そうなんて言わないんです。それは蛇が本能的に出来ない事なんです。これは蛇が邪悪だ とか悪い奴だからじゃなくて、蛇だからなんですね。で、それやっちゃうと今度は、よく 皆さん、蛇が穴に入ってしまうと引っ張っても鱗逆立てて絶対出ないっていう話を聞いた 事あると思いますが、同じように蛇は、ー旦とぐろを巻いたらほどけないんです。蛇が絞 め殺しモードに入ったら蛇も自分を止める事は出来ないんですね。ちょっと、止めなさいっ て頭叩かれたから「ゴメンナシャイ」ってしゅるしゅるしゅると巻き戻しは出来ないんで す。これ、犬や猫と違って蛇だからなんですね。 で、その時にお母さんが見っけた。ギャア〜!家の子が〜!どうしよう!家の子が!も う、息も絶え絶え青い顔している。蛇がキューッていってる。もうそれこそお母さん必死 ですよね、もう叩いて、台所ですからまな板だの包丁だの使って多分やったんだと思うん ですけど、何とか蛇を止めさせた時には、もう女の子は死んでたんです。紋め殺されちゃっ てた。これ、誰か悪いかって、まあ−番悪いのはお父さん、管理してたお父さんが悪いん でしょうけど、誰も本当は悪くないんですよね。だって、その女の子は多分蛇に対してち よっかいを出すような事もしてはいなかったでしょうし、蛇だって、あ、飼主のお嬢さん だ。でもあいつ嫌いだから紋め殺して喰ってやろう。」と思ってやった訳でもないだろう し。ただ野生動物だからそうなっちやったんですよ。 それがね、例えばロッ卜ワイヤーが隣の子に噛みついたら何とかはずす術っていうのは、 犬の管理が出来る人だったら分かるんです。犬だから。だけど野生動物はその野性の衝動 がドーンと出た時には、家畜管理をしている人達のノウハウではどうしようもないんです ね。だから行動管理は出来ないんですよ。 プレイリードッグが、最近では漸く、やと病だのペストだのと言って、どこぞやの国の 農林省が漸く飼うのを止めさせるような方向に進んでますけども、一時はペットとして非 常に流行ったプレイリードッグも、実際には穴掘り行動とか、噛みつきがひどくて捨てら れる子が一杯いました。東京のド真中に住んでる私の友達もガレージの真ん前に、その家 たまたま犬とか猫とか飼っているから置いていかれたんでしょうかね、衣装箱に蓋をした ままドーンと置いてありましたね。「私はプレイリードッグという動物です。飼って下さ い。」とマジックで衣装箱の蓋に書いてありましたね。馬鹿野郎!と思ったけどどうしよ うもない、置いていかれちやった。 そういうプレイリードッグが大変多かった時期がありましたけど、私の兄というのはア メリカのコロラド州のデンバーに住んでいるんですね。で、デンバーは見渡す限りドーッ と草原が広がってて、標高は高いんですけれど草地がこう、結構自然が残っているんです。 で、プレイリードッグがそこの下に物凄いトンネルを一杯掘ってて、まさにもぐら叩きの 世界なんです。春に行くと、こういう地面からピョコンってプレイリードッグの顔が出て、 キュッキュッキュッと周りを見ると、又ヒュッと引っ込んで、ふと見ると又こっちからポ コンって出てキュッキュッキュッ。本当にもぐら叩きのゲームのようにちょこまかちょこ まか、いろんな所からプレイリードッグが顔を出しているんです。 で、そういう所から見ていると、元気一杯に遊ぶんですね。遊ぶっていうのは、動物に とって遊びというのは体操であり、自分が食べ物を確保したり、獲物として追われた時逃 げるための体力を維持したりするためのとっても重要な生活の一部なんです。プレイリー ドッグ達の遊びってどういう遊びかって、凄いプロレスごっこするんですよ。見てるとね、 お互い首根っ子噛みあって、爪入れあって、ゴ口ゴロゴ口っていうプロレスごっこをする んですよ。だけどプレイリードッグの毛って凄い密なんですね。だからあのすごい爪とす ごい前歯でガチガチガチとやりあっても傷つかないんです。プレイリードッグにとっては 日常的にそぅいった遊びで自分の体を鍛えていくというのが自然とある訳ですから、やら ざるを得ないし、やらせない事はとっても可哀想な事なんですね。 でもね、あの爪と歯で自分の家の子供とか私を相手にやられたら、べリべリのバリバリ のズブズブになっちゃいますよね。洗熊もそうですけども。でもプレイリードッグは別に それを攻撃としてやっている訳じゃなくて、プレイリードッグの性なんですよね、それが ね。習性行動学ってそういうもんですよね。そういった行動をちゃんと管理するなり、受 け入れたりする事が出来ない動物は、とっても危険で飼えない訳です。だからこそ、野生 動物は行動管理が出来ないから飼えない。 四点目、人獣共通感染症。これはプレイリードッグでさっき出ましたけど、動物と人間 の間で双方うつしあえる病気は沢山あります。で、犬や猫に関してはかなり研究も進んで ぃるんで、ー応どういう風に気をつけたらいい感染症管理のガイドラインもありますし、 獣医さんとかお医者さんがちゃんと教えてくれます。でも最近ね、プレイリードッグがや と病とかベストを持ってきたと言われてますけど、野性動物には人間にとって恐ろしい病 気というのは一杯あります。 例えば蝙蝠。最近は蝙蝠なんかも珍獣として売られてますけど、一番恐いのは蝙蝠です ね。蝙蝠が狂犬病の伝染に強い関わりを持っているという事が言われている。ただ蝙蝠に 関しては、何でそこの蝙蝠から狂犬病がうつったかという事例が南米の方であるんですけ れど、分からないそうです。蝙蝠に噛みつかれた訳じゃない。蝙蝠の棲息地に入っただけ でなってしまった人がいるので、それが果たして本当に空気感染とかってあり得るのかと 未だ謎の部分が多いので、そう考えるととても恐いんです。 だから蝙蝠も恐いし、プレイリードッグのペストというのは黒死病ですよね、疫病です。 ヨーロッバ全土を全滅させたあの黒死病、中世の黒死病というのがペストなんですね。何 がベストを運ぶかっていうとノミなんです。そのノミが何にくっついて動くかと言えば森 の小動物が大体ノミを運ぶ。スカンク、リス、プレイリードッグ、そういう動物というの はベスト菌を持ったノミを抱えてる事が結構あるんですね。日本ではもうないと思います が、欧州とかアメリカでは未だあります、ペストは。昔の黒死病程ひどいものじゃないで すけれど、アメリカの獣医師会の情報なんか見ますと、年間十数件はベストに懸染した犬 や猫の症例が出てきますね。その猫にひっかかれたテク二シャンが熱を出したという例を 何年か前に見た事がありますけれど、どこから来るかというと犬や猫が山歩きして、山で 勝手に遊ぴに放す飼主さんが、そういう山の奧でスカンクとかプレイリードッグが持って るノミをもらって帰って来て、それでうつってくる。そういった症例ですね。 で、それは実は私は、ペット研究会「互」という自分の情報誌を持っているんですけれ ど、その情報誌ではもう六年か七年位前にそういったペストの話とかもしてるんですけれ ど、漸くどこぞやの農林省が去年位になって「えーっ、ペストもどうやら問題になるとい ぅ事が発見されましたので、云々」・・?発見されたって、いつ発見されたんだ!と、私 はちょっと怒ってしまったんですけれど、漸くプレイリードッグに少し規制がかかったと いう事なんですよね。 あとは、爬虫類とか両生類のサルモネラ。特に爬虫類のサルモネラというのはあんまり 皆さん問題にしてないですけれど、特にお祭りの亀釣り、ミドリ亀というのはサルモネラ 常態菌ですからミドリ亀からのサルモネラ感染は皆さんが思ってる以上にあります。家も ミドリ亀います。これは「捨て亀」候補で、実はどうしようもなく家に引き取った亀なん ですけれど、ミドリ亀います。ミシシッピー赤耳亀ですよね、あの悪名高き。子供が水槽 なんかを清掃した後は、必ず殺菌剤入りの石鹸でよく手を洗うように言い聞かせてありま すし、亀をいろんな所に放したりする事はしません。 で、どうしてこういう事をね、メディアがきちっと報道しないのか、あるいは獣医師会 とか、逆にペット業界がちゃんと言わないかと、私いつも不思議なんですけれど、例えぱ 数年前にアメリカのタイム誌が、亀等のペットによるサルモネラ感染の特集を載せたんで すよ。その時にアメリカでは年間、お子さんなんかが自分のペットの爬虫類から、軽症に せよ何にせよ、サルモネラ感染する症例が、大体年間9万件近く報告されているという事 が言われてるんですね。それ位頻繁にあるんですよ。 一番有名な話は、これはもう何年も前の話ですけれど、アメリカの模範的な動物園と言 われているサンディエゴ動物圏、ここはもう本当に棲息地を模倣したような展示をしてい る良い動物團なんですけれど、そこの自然教室で大トカゲの生態を学ぶ為に、小学校の野 外教室に来た子達が、集団でサルモネラ感染した事があるんですよ、大トカゲから。だか らそれ位ね、サルモネラ感染というのは一般的にどこにでもころかっている。これも人獣 共通感染症ですよね。だからそういうふうに考えたら、エキゾチックのペットというのは 専門家でさえ難しいんだから、一般の家庭で、特に小さなお子さんのいる家庭では絶対に やめて頂きたい事なんですね。 もう一つこれに加えて言えば、動物介在療法、ア二マルセラピーと言われているものに 関しては、もうどんなに理由があろうとも家畜以外の動物を使う事は絶対にやめなければ ならない。先程の大トカゲの生態教室は動物介在教育のAAEですけれど、それも危険で す。でも更に病気だとか、高齢で脆弱であったり、障害がある方々はね、犬や猫のように、 獣医さんがクリ一ンであるという事をはっきりと保障出来る家畜以外の動物とね、触れ合 うという事は、私は絶対に反対です。行動管理からして難しいですよね。 つい最近、去年でしたかしら、新聞に出てましたよね。和歌山かどこぞやの施設でイル カとの触れ合いの最中に、イルカに後ろから突撃されて女性が腰骨を折ったという。ねえ、 イルカセラピーという、もう勘弁してくださいって思いますよね。イルカは、人間大好き じゃありません。人間とコミュニケーションが出来るかも知れないけれど、野性動物です。 凶暴です。大きいです。怒って人間殺そうと思えば、イルカのカでは難なく人間を殺す事 も出来ます。現実問題として、例えば水族館でダイバーと一緒におちゃらけているしゃち、 海のギャングと言われてますよね。あのしゃちは、確かにあざらしなんかを獲ってパクー ンと食べちゃうんですけれど、自然の中でイヌイットのエスキモーなんか、よく、しゃち と同じ海に狩りに出かけるんですけれど、文献を見てみるとしゃちが自然の中で人間を襲 ったり、人間を傷けた事例はほとんどありません。でも、しゃちに人間が殺された事例と いうのは、過去に何件もあるんですね。全て水族館です。 そういう事なんですよ。野性動物の行動管理は人間には出来ないんです。一見やってい ると思ってもね、鰯の為にピッといったら輪くぐりをするイルカがね、「しないよ。」っ て言ってこっちに向かって来た時に、トレーナーはどうしようもありません。「お座り」 って言った時に「ウウッ、やだ!」って言った犬には、私にだって対処出来ます。その違 いなんですね。 或る犬の有名な卜レーナーさんの本を最近読んだんです。アメリカ人の方で、野生動物 の調教も経駿ある方で、オオカミを訓練せよと言われたら私でも訓練出来ると、或る章に 書いてあるんです。だけど、オオカミと犬の決定的な違いは何かといったら、いざという 時に私はオオカミのコントロールは出来ないと彼女は言ったんですね。どんなに根性曲が りで嫌らしい、攻撃的で凶暴な大きな犬でもオオカミより扱い易い。何故かと言うと、「 あんたに向かってこういう顔をするぞ。」というのは人間の存在を意識している証である。 オオカミは人間の存在を意識しない。居ても居なくてもいい。オオカミは人間を意識しな い。あんたに誉めて貰う事なんて、オオカミにとって何の意味もない事だ。人間の存在は オオカミにとって、ただもうーつ生物がいる、それ以外の意味がない。だからこそ何かが 起こった時には、完璧に、私は管理が出来ない、お手上げだ。それが犬とオオカミの違い であるというふうに言ってました。 それなんですね。だから野生動物は家畜と違う、飼えない、飼わない、飼わない方がい い。まして教育だのふれあいだの現場で野生動物を使う事の危険性というのは、もっとも っと、もっと世の中がね、そのリスクを大きな声を出して言わなきゃいけない。 ましてやねぇ、イルカの入っているブール、プールでのふれあい。あのイルカのプール というのは、実はイルカの体の老廃物や排泄物が一杯浮かんでるんですね。そうでしょう? だって、イルカがその空間、水の中でやってる訳ですからね。その中にちょっとでも感染 症に対して感受性の高い人間を入れますか?そういう視点から考えなければ、イルカとの ふれあいはすばらしいなんて言って欲しくない訳ですよね。そういう風に考えると、本当 に世の中、人と動物の関係とぃうものがいかに歪められているか、その辺りを私達はもっ ともっと考えていかなきやいけないと思うんですね。 で、私達が飼っている動物、家畜、家畜とさっきからいろんな話をしてきましたけれど、 家畜とはー体何かと言えば、人間が何千年もの問選択的な繁殖で変えて来た動物なんです。 だから例えば、我々が生きている問に、新しい家畜が家畜のレパートリーに加わる事は多 分ないでしょう、今の段階では。例えば捕獲されて、そして捕獲された状態で生まれた二 代目、三代目のサル、鹿、力バ、ー家畜ではありません。人口飼育下で生まれた野性種で す。 犬猫、牛というのは、虎でもなければオオカミでもなければ、バッファローでもないで すよね。これは人間がそういった祖先から作り上げて、何千年かけてですよ、自分の思う 通りに作り上げた動物です。家畜と野性種との違いは何かといったらそういう所で、そし て家蓄に対して人間はどういう役割を持っているかといえば、人間は野性で住んでいたも のを、人間の里に住めるように何千年かけて変えて来た訳です。だから、家畜の故郷は人 間の里です。 つまり、犬や猫にとって、野山を駆け巡らせるという事は必須ではないんですね。それ がー番の幸せではないんですね。人周の里で、人間のお膝下で幸せに生きられるような生 活が出来るような躾をして貰って、行動管理をして貰って、世話をして貰って、感染症管 理をして貰って、且つ正常な社会性を発揮出来る環境を与えられるのが、犬にとってはペ ストである、猫にとってはペストである。オフリードで、たまに森を走った方がいいとか ね、あるいは、やっぱり猫は放して森をうろうろしてから帰って来ないと猫じゃないわ、 というのは、これは人間の幻想です。人間の作った家畜は人間の里で、いかに動物が幸せ に暮せるかという事を人間が考えてあげなければ、他の故郷はありません。 つまり野山から熊を捕まえて来て、檻で暮らさせるのがいかに虐待かというのは、皆さ ん良く分かると思います。でも人間の御膝下で暮すように作られた犬や猫を野山に放って、 活が出来るような躾をして貰って、行動管理をして貰って、世話をして貰って、感染症管 理をして貰って、且つ正常な社会性を発揮出来る環境を与えられるのが、犬にとってはペ ストである、猫にとってはペストである。オフリードで、たまに森を走った方がいいとか ね、あるいは、やっぱり猫は放して森をうろうろしてから帰って来ないと猫じゃないわ、 というのは、これは人間の幻想です。人間の作った家畜は人間の里で、いかに動物が幸せ に暮せるかという事を人間が考えてあげなければ、他の故郷はありません。 つまり野山から熊を捕まえて来て、檻で暮らさせるのがいかに虐待かというのは、皆さ ん良く分かると思います。でも人間の御膝下で暮すように作られた犬や猫を野山に放って、 もう帰って来るなと捨ててしまう事は、同じ位虐待だという事を言わなきやいけないんで すね。人間の里でしか暮らせない動物を作った人間は、何か何でも人間の里でその子違が きちっと暮せるように工夫をする義務があるという事なんです。 どういう事かって、もっと詳しく説明すると、例えばオオカミの発達段階と犬の発達段 階を比較研究したコッピンジャーという有名な行動学者がアメリカにいるんですが、オオ カミの発達段階、子オオカミが生まれて、目が見えるようになってから群れの構成員とし て狩りに参加するまでの段階を4つ位に分けているんですね。 最初の段階は目が開いて手足の自由がきく。一番最初はオオカミが巣穴から顔を出す。 巣穴の世界を初めて見る。びっくりして、「キャア、どうしよう!」って巣穴に引っ込む。 出て、引っ込む、この繰り返しが第一段階。 その内自信がついて巣穴から外に出る。巣穴から外に出ると、母親とか兄弟達と一緒に たわむれながら、じゃれながら、そこで社会性を身につけながらより広い世界を見ていく。 その次に母親とか同腹の兄弟と遊んでいる所で、今度は物、落ちて来る葉っぱにじゃれ ついてみたり、棒切れを加えてみたりという対物、物で遊ぶという段階が出て来る。それ から今度は獲物を追う。追うというのは未だ未だ獲物を獲るのの前の段階ですよ。仔犬で も仔猫でも何か動く物をピッと見ますよね。あの段階というのは狩りに出て行く前に必要 な発達なんですよね。動いているポールをじーっと見て、捕まえる瞬間を窺っている。場 合によっては、動くものをダーッって追っかけて行く。あれは獲物に執着をするという最 終的な発達段階。そこからは狩りに丁稚奉公みたいにくっついて行って、本当に獲物を追 いかけて捕まえる大人を見ながら学んでいくんですよ。 それを見ると、コッピンジャーは何を言うかというと、犬は未発達のオオカミだ。ヒュ ツと見て「わっ、怖い!ワンワン」と吠える、これ番犬タイプ。そこで止まってるタイプ の犬もいる。それからやたらじゃれたり、物を持って歩いたりするのが好き。プードルと かレ卜リバーとか、ああいった遊びとか芸当が大好き、とっても得意な犬というのはそこ で止まっている。それからもう一つ高い段階までいって、限りなく狩りに近い、ヒュツっ て物を狙う。牧羊犬によくあるタイプです。ポーダーコリーなんかそうですね。動くもの を見たら、スーッって、あれストーキングって言うんです。ストーキングっていうのは、 元々きれいなお姉さんを見たお兄さんがスーッってやっていく行動じゃなくて、獲物を狙 うっていう英単語なんですね。ス卜ーキングっていうのが最後の段階なんですよ。それを やるのはボーダーコリーなんかやりますし、コーギーなんかもよくやりますし、そういっ た、限りなくオオカミに近い犬種というのはあるんですね。ボーダーとかコーギーを飼っ ている人はご愁傷様と思うんですが。その辺で追いかけたりする衝動は本当に強い。だけ ど獲物を本当に追い込んで殺して食べちゃう所は、ほぼ人間がそこで遮断する事に成功し ている。 それは犬である。つまり野山で生きていく、狩りに参加する成体でありえない動物を人 間は作ったから、この子達の里は野山ではない、人間の里で人間の保護下でなければ生き ていけない。これ、一種のネオテ二ー(NE0TENY)、幼態維持ですよね。幼態で止めてし まった。終生仔犬にしてしまったから、仔オオカミにしてしまったから山には行かれない。 だから人間は犬を人里で飼わなきゃぃけないんだよっていう事なんです。猫もそうなんで す。 猫はデニス・ターナー先生というスイスの方で、猫の本を何冊か畜産出版で出している がいるんですが、その方の本を読むと、野性の猫科の大きな生物を見ていくと、成体 でじゃれる生物というのはいないんですね。小さい頃はね、ピューマとかライオン、虎は 蝶々とか、じゃれるんですよ。だけど大人の猫になったら、野性の猫はじゃれないんです。 となると、私達の飼っている猫は、幼態維持なんですね、やっぱり。子供の行動習性が止 まって大人になり切れない部分が残ってる事になる訳ですよね。 だからどこを考えても、我々にとってのペットというのは家畜であり、家畜というのは 野性の中で生存する事が出来ない未熟な野性動物、あるいは人間が野性動物から成熟度を 取り上げて未熟なまま人間の里に薯しやすい形に作り上げてしまった動物、そういった動 物を野性の中に戻すという事は出来ない訳だから、だから同じように考えて下さい。野生 動物を山から引き離して人間の里で無理矢理暮させる事は虐待だけれど、人間の里にいる 動物を幸せだろうからと山に放す事自体、やはり同じ位残虐な行為であるという風に考え なければいけないという事ですね。 で、ここで、今までのお話の中でしてこなかったとても大事な事をお話したいと思うの ですが、私がよく聞かれる、人と動物の関係とか癒しって一体何ですかという事なんです ね。最近セラピーとか学校動物とか、動物との関係、絆という言葉がどんどん独り歩きし てて、じゃ関係って何?絆って?どうして癒される訳?って、よく皆、あんまり真剣に考 えずにそのトレンディーな言葉だけ、「癒し系」とかね、そういった言葉だけどんどん一 人歩きしちゃってる。その中で一番原点なのは、私がこの講演のタイトルに書いた「動物 愛護とは人と動物の関係の出発点でもなければ原点でもありません。」という由縁で、じゃ 原点は何かといったら、私の言う所の「原始の血の説」というやつなんですね。 この「原始の血の説」て一体何か?非常に単純な事で、人間は自分の環境と交じわる様々 な能力を遺伝子レベルで持っているんですよね。寒くなったのを感知したら物を着るとか、 そういった事って別に温度計を見なくても出来るでしょう?人間。「あ、二十度より下にな ったから靴下はこう。」、温度計見ながら一々やっている人いない訳ですよね。そういっ たその環境と自分が折り合いをつけていく遺伝子レベルの能力の中で、私達と動物の関係 はどういう関係かとぃうと、動物は私達にとって環境因子なんですよね。私達が動物を環 境因子として受け入れて来たというのは、人間が地球で二足歩行を始めて、人間ですと言っ たその日から今現在までこれ位(両手を広げて)だとしましょう。その中でね、文明社会 で犬だの猫だの、あるいは牛だの馬だのって言っている時代なんてこれ位なんですね(親 指と人差指をちょっとあけて)、本当にこれ位なんです。そうすると二足歩行から動物達 との折り合いをつけて来た、ここで(両手を広げて)出来上がるんですよ。文明社会取り 除いて、ここで(両手を広げて)出来上がっているんです。 じゃ、ここにおいて動物と人間はどういう関係だったかと言うと、さっき言ったように 動物は人間の環境因子。食料でもありました、当然。動植物は人間の食料であると同時に 環境因子でぁった。どういう環境因子であったかと言うと、私達にとって、例えば森に入 って行った。小鳥がピーチク囀っていた。こう非常に穏やかに囀っていたら、原始人はど う思ったか?あ、今日は森は平和だ。平和という概念はないかもしれないけど、囲えば肉 食獣は襲って来なさそうだとかね、急に嵐が来る様子もなさそうだ、だからここでちょっ と日光浴でも出来るなと思ったかもしれない。鹿の群れがゆっくり草を食べてる様を見た ら、鹿の群れが今、危険を察知していないという事は、自分にとっても捕食性の動物が後 ろから来てガァーッて食べられる危険性もないし、襲われる心配もないから自分も腰掛け て居眠りしても平気かなって思った訳ですよね。ところが、ビーチク言っていた小鳥がビ タッて鳴きやんだらどうするって?人間は「ウッ?」って思わず緊張して後振り返ったり とかしますよね。鹿の群れがそれまで憩う姿見せてたのに、ピキッて耳を挙げてドドドド ドドドって向こうに走って行ったら、人間も「おっと、俺も逃げなきゃいけないんだな」 って、石から飛び上がって、戦おうか走り出そうかと取り敢えず準備で体を緊張させます よね。それが人間にとってー番自然に動物を受け入れて来て、動物を遺伝子レベルで、自 分と折り合いをつけていたというのはそういう事なんですよ。 それが出来上がってきて、私達の血の中に何かあるかっていったら、動物は環境のバ口 メーター。仔猫がすやすや眠っているのを見て、私達が本当に物理的にね、フーツと落ち 着いて血圧が下がるというような事を、最近お医者さんなんかも随分いろいろと実験して やっているみたいですけど、どうして血圧が下がるのかって、仔猫が可愛いから血圧が下 がるんじゃないんです。まあね、本当は可愛いからとして、えーっ、科学的にはそこでゆ ったり寝ている仔猫は「ここ安心して寝られるの。あんたも食われないから寝れば?いい 環境よ。」って青信号出してくれてるんですよ。そこで深呼吸できるんです。そうか、私 も襲われる心配ないなーって,遺伝子レベルの声が聞こえてくるんですよね。 で、どんなに可愛い仔猫でも、二ャン二ャン二ャン二ャン言いながらあっち行ってこっ ち行ってと落ち着かなかったら、それ見てて私達も落ち着かないでしょ。どうしたの?どっ か具合悪ぃの?とかね、やあねえ、地震でも来るのかしらねえと思いながら、「あれ部屋 寒い?え?出たい?おしっこしたいの?」って何かいらいらしてきて落ち着かない。おし りがムズムズする。これはストレスがかかる状況ですよね。それが続くと、胃が痛いとか 頭痛いという状況になってしまう訳ですから、それって別に私達が仔猫を可愛いと思って なくても、大好きって思ってなくても、見て何となくそういう事が伝わって来るというの はあるんですね。これ動物の好き嫌いと関係なくして、どの人間にもあります。ただそれ を意識している人と、いない人とは多分いるだろうと思いますけれど、動物が出すオーラ というのは明らかに嫌だと感じる事の出来る人もいれば、それを無意識に感じているとい う人もいるんですね。でも、私は確実に感じてると思います。 だから例えば、学校に兎小屋がある。あの兎小屋の前を通った子供達は、何を感じるか? 「ここはね、あんたも肩の力抜いてゆったり勉強してご覧。だあれも、やな思いはさせな いから、安心して勉強してご覧。」って、兎小屋の前で兎からそういうメッセージを受け 取っているのか?あるいはね、「ここはね、時々嫌な事が起こるんだよ。ここは暮しにく いんだ。あんたにとっても暮しにくいに違いない。」というメッセージを受け取っている か?子供が兎に興味があってもなくても、そのメッセージってやっぱり肌で感じるんです。 だからその辺りを考えてみると、すごく分かり易いと思うんですよね。単純なんですよ、 人と動物の関係学というのは。それが尺度なんです。彼等がハッピーなら我等もハッピー で、彼等が不幸なら我等も不幸になるんです。非常に単純です。好き嫌いは全く関係ない。 そう考えると、情操のためといってペットを飼ってる家庭は、本当に情操か?って、ポ チ君がね、小さい内は可愛くて家の中で可愛かって飼っていたんだけど、花瓶ひっくり返 して、畳を掘って、カーペットの上でおしっこしちゃったからポチ君は玄関先に出されち ゃつたと。二メーターの鎖でね、雨風に晒される所へ、雨が降ると泥んこになる。爪はこ んな伸びて、目脂こんなに出て、浮かない顔して毎日毎日こうやって座っている。そのポ チ君がその家族に対して、家の環境をどうメッセージを与えているか?毎日毎日ポチ君を 見る家族は何も感じないかもしれないけれど、やはり深い所では決していい影響は受けて いない。 虐待の話になると全く別のジャンルになるので、虐待の話は皆さんの資料の中にありま すから、後で読んで頂きたいのですが、例えば神戸の少年Aのお宅に、最初の頃取材に行っ た取材陣からちらっと聞いた裏の話なんですけど、お玄関先に干からびた亀、死んでるん でしょうけど、干からびた水槽がポンと無造作に捨ててあつたと聞いてますけれど、それ が本当かどうかは別として、やはり動物の環境が悪いという事は、人間の精神を蝕んだり、 人間の環境も悪いという事と直結する。 アニマルセラピーなんかも同じ事なんですよ。そこを尺度にするといろんな事が見えて 来る。どうして学校動物をきちっと飼わなきやいけないか、どうしてちゃんとした形でな きゃふれあい動物園なんか作っちゃいけないか、どうしてペットをきちんと飼わなきゃい けないか?どうしてア二マルセラピーといっても、どんな動物でも連れていっていいとは 限らないか?よく動物介在療法と言われるのは、患者さんの為にしっかり訓練した動物じ ゃなきゃ駄目だ。しっかり訓練した動物であれば、例えば犬なんかはね、よく言われるん ですけど、しっかり訓練して何をやられても「待て」をね、ちゃんと崩さずにお利口さん でいられる子が一番いい訪問犬だとか言われてるんですけどね、決してそうじゃないんで す。その動物がいいオーラを、先ずいい環境のバロメーターとして医療施設の中に入って 行かなければ、セラピーそのものが本末転倒な訳ですよ。 大人しくね、もうびしばし訓練されてるから、動いたら叩かれるからもう絶対動きませ ん、待てって言われたら、もう絶対動きません。「待て」って言われたらって、こういう 顔してね、触られてる。 「クソーッ、人間に触られるのは嫌いなんだよね、本当は。でもしばかれるからな大人 しくしてんだよ。全く、手どけろよ、このくそジジイ。」とか思いながらね、触られてた ら絶対いいものはセラビーの中で伝わりません。出来ないんですよ。 だから、野生動物は使えない。ここにも入って来るんですね。要は環境のバロメーター として野生動物がセラピーとか、それから様々な教育の現場で、本当にいい環境のバ口メ ータとして人間に何かを提供してくれているかと考える所が一番犬切なポイントになるん ですね。ア二マル・アドボケートとして一番番えて欲しいのはこの点なんです。 好き嫌いじゃなくて、私達が遺伝子レベルで感じてる動物とのその接し方というか、動 物と無意識のレベルでの接触というのがいかに大切かって、それを意識的に子供に教える 事は出来ます。動物と一緒に育った子というのは、意識的に何か嫌っていう、その、動物 があまりいい思いをしていないようなものに対する拒絶反応を、言葉に現わせないけど持っ ているんですね。 私もそうだったんですけど、私の子供達は小さい時から一度もサーカスを観た事がない んです。払が愛護の精神から観せなかった訳じゃないんですよ。私も小さい頃、昔ポリシ ヨィサーカスに父に連れていって貰った事があるんですけど、幼稚園以降サーカスに行っ た記憶がないんです。行きたいっていう意識もあまりなかつたような気がするんだけれど、 自分が子育てをしてみて、お友達からの誘いがある時に娘達を見ていると、「あ、成程、 自分もそうだったのかな?」って漸く思えるようになりました。もう大分大きくなりまし たけど、未だ娘達が幼稚園の頃、「一緒に観に行こう。今、ポリショイサーカスが来てて、 熊がなんたらこったら_」、そうすると「ううん、いい。私は見たくない」。4オか5才 の頃言うんです。それも、私は別に無理矢理見せるつもりもないけれど、でも母親の意識 を押しつけたくないから、「見に行こうか?一緒に?」て言うと「ううん、行かない」。 そのままきて、漸く最近それが又分かったのは、行かないと言っていた二人の娘の内、 一人が、上の子が、高校生位になって(今はもう来年大学卒業ですけれど、)何気なくテ レビを観ながら、テレビで何か動物が出てたのを観ながらポソツと私に言ったんです。 「ねえ、私さぁ、ママ、小さい頃ねえ、幼稚園とか小学校で一番やな事って何だったか分 かる?」と言ったんでね、「ギェッ、もしかしたらいじめられてて、私が気がつかなかっ たのか?母親失格か!」とか思ったんですけれど、恐る恐る「なあに?」つて聞いてみた ら、「動物園の遠足が嫌だった」。今になって告白みたいに言われたんですね。 「ヘぇっ?」「例えばさ、ふれあい動物園に行くとさ、皆ね、うさぎの耳持とうとする子 とかお馬鹿一杯いて、私が交通整理するのに疲れちゃう」。そりゃあ分かったんですね。 彼女が皆にね、こう持っちゃ駄目とかね、優しくしなきゃ駄目って友達に怒るので疲れち ゃうから嫌だ。でも、もう一つねえ、「動物に嫌な顔されるんで疲れちゃう。」って言っ たんですね。「動物園歩いて行くと、動物がみんな嫌な顔をして私の方を見る。それがす っごい嫌だ」。 彼女に言われて、私も動物園あんまり好きじゃないんで、本当にそうなんだよねって思 いました。だから彼女がどうしてサーカスに行きたがらなかつたのか、その頃は多分、漠 然とした「いやだっ。」っていう思いしかなかったんだと思うんですけれどそれを自分で 頭の中でいろいろ考えてたんですよね。で、ふと高校生位になって、何であれが嫌いとか、 やだなぁと思ってたんだろうなあって自分でも思ってみて、ふと気がついたのは、「あ、 そうかぁ、動物園に行くと動物達が私の方、嫌な顔して見る。そうだな、きっとそうなん だよ。」って、自分で分析した結果なんだろうと思うんですけれど、彼女の言う事は、私 はすごく良く分かりました。 ア二マル・アドボケー卜を育てるという事は結局そういう事なんですよね。一つ一つ、 なんで?と思う事をやっぱり考えていく。それをどうやって言葉にするんだろうという事 を考えてみる事が、とても重要な事だと思います。 動物園の話で、もう少しお話をしたいのは、末だ多分裁判やっていると思うんですが、和 歌山にアドベンチャーランドという問題のある動物園があるんですが、そこで象のピコと いう象を虐待死させたという二ュースが、カメラの隠し撮りがニュースで流れた事があっ たんですね。かれこれ二年前になると思うんですけど、それを告発したのは元飼育係の人 で、ピコという象が中々調教出来ずに、上手く調教出来ない。その飼育係の人はいろいろ 政治的な事もあって辞めさせられたんですね。その後でタイの象使いが雇われて、タイの 象使いって結構荒っぼい調教をするんですよ。鉄のフックがついた棒を使って象の耳の後 ろとか、足の一番敏感な所を鉄のフックで責めるんですね。自分の育てたビコがそういう 思いをしているのを見て、彼としてはもう、いてもたってもいられない。 その時愛護団体は、私も連絡会の幹事団体をやっていますが、アドベンチャーランドに 対してそういう状況を検証して事実関係をちゃんと公表して欲しいという抗議文はちゃん と送りました。アドベンチャーランドから頂いたお返事の中には、「ビコが上手く調教出 来なかった、それで自分達としては象の専門家である、タイの象使いを呼んでハンドリン グをして貰うのが一番いい方法であると考えた。我々は、専門家として彼等に能力がある と云々。」という事で、長々としたお返事を頂いた。だけど、その時に私が一番腹が立っ たのは、これは実は動物園全般に私が腹を立てている事なんですが、「専門家」という言 葉、これでいかに嘘をつけるかという事なんですね。 先ず、ピコの問題は根本的に何か問題か、どうしてそんな事が起こってしまったかと書 えば、実はピコはアジア象じゃないんですね。アフリカ象なんです。アフリカ象とアジア 象は明らかに違うんです。で、タイの象使いはアジア象しか扱わないし、扱えないんです。 そんな事も知らずに、動物園が動物を熟知した専門家として?よく言うよ!(失礼、私は 時々下品になるんですけれど)と思いながら、そういうお答えを頂いた時に、一番私がフ ッと思ったのはね、だってもうねえ、アジア象とアフリカ象の違いの論文なんて6o年代 に出てるんですよ! 一番有名なのは、ニューヨークのブロンクス動物園でリース博士という人が、アジア象 とアフリカ象の知能較べというのを、ちょっと実験としてはおちゃらけてたと思うんです が、どっちか知能が高いかという事を実験した事があるんですよ。で、アジア象の方がは るかに知能が高いかのような実鹸結果は出てるんですね、リース先生が既に60年代、ブ ロンクス動物園でやった実験は!何故かといえば、リース先生曰く、アフリカ象が馬鹿だ という事ではなくて、知能テストをする状況や器具に慣らすまでにマネージメントをする 事自体、アフリカ象にとっては至難の技である。つまり人間がそこまでね、知能テストを する所まで行動管理をして、アフリカ象をそれに向けていく事自体が難しいから較べよう もないというのがリース博士の結論なんですよ。 で、これはもう本にもなりましたしね、象っていうのは物凄く感受性が強くて、頭のい い動物です。アジア象とアフリカ象はそれぞれ感受性が高く頭がいいんだけれど、人間と の親和性とか他の種に対しての行動を調整する能力とか意欲とか、多分全然違う訳ですよ ね。その全然違うものに対して、「調教が上手くいきませんでした。マル。」というよう な平べったいお答えを頂いちゃうとね、動物園って一体何なの?専門家って一体何なの? これに対して動物園水族館協会は何か言って下さった訳?て、私としては物凄く塵が立つ んですね。 その辺りが結局、全ての事に関して専門家と言われる人の言葉をどこまで信用するか、 最近ではインターネットでも何でも、私達情報たくさん得る事が出来るんです。だから専 門家がこう言うって、一人の人の話を鵜呑みにする必要はないんです。だから、私が今日 皆さんに話している事だって嘘八百かもしれませんよ、ちゃんと調べて下さい。それをね、 やっぱり検証するという事を、その労力をかける事がア二マル・アドボケー卜になる一番 大事なステップなんですよね。 だから、動物園というのは今、種の保存の為にズーストック(ZOOSTOCK)計画といって やってます。これは、例えば日本では一時朱鷺が非常に騒がれましたけど、地球上でいな くなってしまうものを管理してもっと増やそうというのは悪い事じゃないですよ。人間が 一杯色んなものを駄目にしてきたから。だけどもう一歩考えれば、でも作ったものをどこ に放すのといったら、作ったものも人工飼育するしか、もう戻る自然もなかつたりする訳 ですよ。作ったものを保存し、その動物達が一番自然な、人工的ではなくて、本来あるべ き姿で居る所が、どこまで払達が作り変えられるかという事も併せて考えなければ、ズー ストックなんて絵に書いた餅ですよね。 パンダ一杯出来ました。でももう竹林はありませんからガラス箱に飾って皆で観ましよ う。パンダさん御免、おリンゴ食べて暮らしてねって。−、これでいいんかい?そういう 事なんですよ。それを考えると、本当に、実は勘繰りたくなる部分沢山出てくるんですね。 ズーストックって一体何の為?人間の自己満足の為? 例えば今ですね、英国なんかでは動物園関係の愛護団体も沢山あるんです。そういった 所が、どれ位お金が何にかけられているかという事を調べ上げていくと、ま、英国の団体 ですからポンドで表示しているんですが、年間の世界各国の野性動物の動物園を維持して いく為の予算とか必要な経費というのは十億単位ボンドで表示されています。でも、年間 のアフリカの国立公園全部を維持していく為に出されている予算は六千万ポンドなんです。 ちょっと待って、おかしいねって。一生題命、朱鷺を作る為にお金幾ら使った?じゃあ、 その朱鷺が自然に戻れる、朱鷺の周辺的なものも抱き込んでくれるような環境整備に幾ら 使った?ねぇ、かたや学者に一杯お金払って、飼育係に一杯お金払って、かたやボランテ ィアでゴミ片付けましようなんて、まさか言ってないでしょうね? そういう凰に考えていくと、「?」て思う事が世の中には沢山出てきます。シャチは自 然の中で、長い子で80年生きます。大体50年から80年。今、大分飼育環境が良くなっ て来て20何年位生きてるシャチはいますけれど、英国のその動物園の調査を見ると平均 寿命が12年位だそうです。12年と80年。それでも飼うか?白熊の赤ちゃんって可愛 いですよね。で、動物園で赤ちゃんが生まれた映像を皆さんどこかで見た事あると思いま す。白熊の赤ちゃんが1才未満で死亡する確率は、人工飼育下ですと自然よりはるかに高 いです。つまり成体まで成長する確率は、人工飼脅下だと非常に低くなる。これでも種の 保存か? そう考えていくと、実は私にも答えが出ない疑問が沢山あるんですね。その疑問一つ一 つを考えていく事が、ア二マル・アドボケー卜になると思うし、これ愛護とか動物を大事 にしましょうとか、生命倫理という事だけで考えられる事じゃないんですよ。こういう話 をずーっと掘り下げていくと、生命倫理とか命の尊重がいかに薄っぺらい言葉か分かって くるんですね。命を大切にしましょうだって、そんなのはクウちゃんのコマーシャルの下 に出てるだろう!所詮その程度のものだ! で、クウちゃんのコマーシャル、ちょっと蛇足ですけど、あれクウちゃんのコマーシャ ルに出てくる「命を大切にしましょう」というあのテロップ、あれも実は愛護団体がひっ ちゃきになって抗議して漸く出たんですよ。ちょっと話逸れてしまいますけど、去年の8 月クウちゃんのコマーシャルが初めて出た時に、「動物との共生を書える連絡会」の幹事 団体の一つの「自然との共生を考える市民会議」というのがあって、その市民会議の事務 局がアイフルの本社に抗議文を出したんですね。「私達は動物を保護している団体ですが、 いらない犬猫の処分問題でいつもみんな頭を悩ましています。その中で、衝動買いを助長 するようなコマーシャルを流されては困ります。」という抗議文をね、淡々と書いたもの をアイフルの本社に出したんです。そしたらアイフルの本社から返ってきたお返事を事務 局長が見せてくれたんですけど、「こんなん、返ってきましたー」。おっしやる通りです って書いてあるんですね。「ですから私達はコマーシャルキャラクターを選ぶのに大変苦 労しまして、若い人ではなくて中高年で。」まあ、要するにね、お金も地位もちゃんとし た良議もありそうな中高年のキャラクターを選んだからいいじやん、っていうお返事なん ですね。つまりアイフルからしてみれば、お金があって社会的な地位もあって、責任もあ りそうな中高年ならば、動物でも衝動買いしていいよっていうお返事だったんですよ。 それでもう市民会議がびっくりして、お言葉を返すようですが、例えどんな人であろう と、老若男女誰であろうとも、動物を衝動的に飼うからこそ問題が起きるので、やはりそ こはご注意頂きたいと書いたら、「分かりました。十月一日から、動物を大事にしましょ ういうメッセージをコマーシャルの中に入れます。」といって出てきたのが、あのサブリ ミナですね。ピコッと出て一瞬の内に消えちゃうんですけど、そういったいきさつがある んです。そういうの知ってると面白いでしょ。なんであんな物が出来たかってね。 結局ね、そうぃう事を全部頭の中で総合しながら、生命倫理とかよりむしろ動物がいる、 人間がいる。それで、じゃあどうなんだという事をもっと平たく、且つもっとむしろ科学 的に、冷たくてもいいから分析的に情報べースで考えていきながら人に話していく事が出 来れば、恐らく我々は、動物達と一緒にまっとうに暮らしていける生物に、自分達を作っ ていく事が出釆ると思うんですね。 先程象の話が出たので、 最後になりましたけれどもう少し象の話を付け加えますと、 昔、アメリ力に有名なリングリングブラザースというサー力スがあって、そこでたらいの 上に座る芸を得意とする象がいたんですね。あの象の巨大なお尻をこんなたらいの上にボ ンと乗っけてて座るわけですから、見た目には可愛いというか面白い。子供達に大変人気 のある芸だったんですよ。ところがある時象がたらいの上に座った時に、たらいがぐらつ いて象が尻もちをつきそうになった。ああいう巨体にとってひっくり返る事はすごい怖い 事ですから、それ以来恐怖症になって、たらいの上に座る荒をやらなくなった。調教師は すごく困ってなだめたりすかしたりおだてながら、もちろん虐待なんかせずに、一生懸命 説得して何とか芸を取り戻させようとしていた。暫くしたら、何か月経って漸く象はたら いの上にまた座るようになった。で、調教師は、良かった良かった、漸く僕の説得を聞い てくれて、芸がもとに戻ったって喜んでいたんです。 ところが興行が始まって何日か経ち、或るサーカスの関係者が調教師に「ちょっとちょ っと、座ってない。見て。」と言うと、大きなたらいの上に象が座る芸のまっただ中で、 本当に象は、たらいの上にお尻を数十センチ上げた状態で座ってないんです。中腰なんで す。あの巨大な象にとって、そんなとんでもない格好をする事がいかに苦痛か、いかに大 変かという事は、多分皆さん分かると思うんですね。中途でしゃがむ。体が六トン位ある 訳ですよね。それを途中で自分で止めるという事がね。凄い!すばらしい!象の順応能力 というのか、あるいは調教師が象をこれだけ説得して、調教師のためにこれだけやってく れた象との絆が素晴らしいとか、感激出来る部分は一杯あると思うんですが、私はちっと も感激しません。 すっごい悲しい話しだと思います。そんな事まで象がしなきゃいけない立場に象を追い 込んで、それに気がつかないような人間は動物扱っちゃあいかん。サーカスたためちゅう に。 だから、それなんですよ。それが自分とってどういう教訓になるかという事を考えて、 明日から、犬でも猫でも自分がどう向かっていくかという事を、一人一人が考えて欲しい と思います。どうもご清聴有り難うございます。 (拍手)