「安楽死」問題を考える
 ーピーター・シンガーの問いかけるものー    ちらし

 大阪市立大学助教授・土屋貴志氏講演内容(配布資料)


平成18年度事業を終えて

 第7回事業 12月3日、「安楽死」問題を考えるーピーター・シンガーの問い
かけるものーは、無事、終了しました。参加数が8名と少なく、動員数が今後の
課題です。
 講師の土屋先生は、数年前環境大学主催の「環境倫理」のフォーラムで鳥取
市に来られた事があるそうですが、地元の私達はそういう催しがあった事さえ
知りませんでした。今ならば必ず聞きに行ったでしょうが、無関心というのは
怖いですね。
 障害者社会参加支援の喫茶店・「レインボー」サポーターの方達が途中から
参加され、「一人を一人と数えると障害者の社会参加は難しくなる。二人(障
害者とサポーター)で一人と数えれば、障害者にも出来る仕事は少なくない。」
という趣旨のご発言があり、興味深く伺いました。
 捨て猫・捨て犬(市内では見かけなくなりましたが、山間部には捨て犬が見
られます。)をする人達は、「飼主あってのペット」という意識が欠けている
のではないか、「一人と一匹で一緒の世界」がペットの世界なのではないかし
ら・・?等、色々考えさせられました。

 人格を大型類人猿や犬猫、(存在するであろうと想定される)ETや(将来的
には)ITにも認めるというピーター・シンガーの考えは、動物音痴の参会者に
は「奇想天外」に感じられたようです。
 土屋先生からは、ピーター・シンガーが、権利を認める種の領域を広げたの
には賛成だが、一方で18週未満の胎児等には認めなくてもいいという割り切り
方、領域を狭めることはしなくてもいいんじゃないかというご発言がありまし
た。
 難しい問題ですし、ピーター・シンガーの名前すら初めて聞いたという方が
多く、主宰者側としては、年間を通した連続講座を企画し、その中に今回のよ
うな講座を挟んだ方がより理解しやすいかもしれないと考えたりした事です。

        


第7回事業
 ふらっとでミニ学習会
 「安楽死」問題を考える ピーター・シンガーの問いかけるもの

 現代社会の多岐にわたる「生と死」の現場では、既存の生命倫理では判断の
難しい問題が日々、生起しています。
 体外受精やクローン技術による生命の誕生、延命治療の中断による安楽死、
先天性重度障害新生児の親による治療放棄がある一方、動物問題では安楽死に
反対し、クオリティー・オブ・ライフを無視した陰惨な多頭飼育が社会問題に
なっています。
 生かし続ける事=絶対的な善、治療の中断や安楽死=絶対悪と一概に言い切
れない多様な現実があります。
 生命倫理を一貫して追求し続ける実践的哲学者、ピーター・シンガー(1946-)
の考察を「たたき台」に、参会者一人一人が生と死の倫理を再考し意見を交わ
す授業形式で行います。

  日時: 12月3日(日) 14:00〜17:00
  場所: 鳥取県立人権ひろば21ふらっと
  講師: 大阪市立大学 助教授 土屋貴志氏
  主催: 鳥取共生動物市民連絡協議会
  共催: 鳥取県立人権ひろば21ふらっと

        

 Peter Singer(1946年-)
  メルボルン出身。現代を代表する功利主義哲学者。主著に「動物の解放」
  「生殖革命」「生と死の倫理」「実践の倫理」「私たちはどう生きるべき
  か?」他多数。
  
  *倫理学でいう功利主義(Utilitarianism)は利己主義(Egoism)とは異なる

第一の
戒律
旧 人命をすべて平等の価値をもつもの
として扱え。
新 人命の価値が多様であることを
認めよ。
第二の
戒律
旧 罪のない人間の生命を決して意図
的に奪うな。
新 決定したことの結果に責任をもて。
第三の
戒律
旧 あなた自身の生命を決して奪うな。
また、人が自分の生命を奪うことをつねに
阻止するように努めよ。
新 生命に対する個人の欲求を尊重
せよ。
第四の
戒律
旧 産めよ殖やせよ。 新 望まれた子どもだけを産め。
第五の
戒律
旧 すべての人間の生命を人間以外の
生命よりもつねに価値あるものとして
扱え。
新 種の違いを根拠に差別するな。

                    (シンガー『生と死の倫理』樫則章訳)



        Animal Liberation、Animal Righats
    1975年、ピーター・シンガー(Peter Singer, 1946年-)は   「動物の解放」(Animal Liberation)によってAnimal Righats   (動物の権利)の考察を体系的に著し、人間が動物達に加える種    差別(Specieism)の現状を告発しました。  本著はもっとも苛酷な種差別の現場として、動物実験と畜産に各々一章を割いてい ます。  シンガーは動物の解放を「解放運動」として位置付け、本質的に黒人差別や女性差 別、少数民族の抑圧等と同様にみなしています。  人間同士間の倫理を、人と動物の関係に敷衍するのは行き過ぎでしょうか?そうと は思えない事例も少なくありません。飼主さんに評判の良い獣医さんが「動物は人間 ほどには苦痛を感じない。」「動物に感情はない。」などと間違った発言をするのを 聞いたことはありませんか?  犬猫と一緒に暮らした経験のある人なら、誰でも動物が苦痛に敏感で豊かな感情生 活を営んでいると確信しています。非科学的な発言の根底には種差別の偏見や固定観 念があります。  動物愛護法大改正以降、そういう発言も少なくなりましたが、必要な配慮を怠る口 実に動物の苦痛や感情の存在を否定し、「生き物」を「物」と見なすなら、「種差別」 は「人間同士の差別」構造と変わらないと言えるでしょう。  対象が人間/動物と截然と区別されても、行為の主体が人である限り差別や虐待、 所有や愛玩、人体(動物)実験等、共通した類似が見られます。人が人を人間と見な さず、生き物としての生理的欲求や習性を完全に無視した処遇をしてきた事例は、む しろ、ありふれたものだと歴史は教えています。人と動物の関係の多岐にわたる現場 を一つ一つ検証していくと、「動物相手に限ることだから」という言い訳は甚だ疑わ しくなってきます。  1792年、メアリ・ウォルストンクラフト(Mary Wollstonecraft,1759年-1797年)の 「女性の権利の擁護」が刊行されると、当時の碩学、トーマス・テイラー教授は匿名 で「動物の権利の擁護」を著し、フェミニズムを揶揄しました(第一章「すべての動 物は平等である)。  メアリの議論を敷衍すれば、女性だけでなく動物にも権利を認めなくてはならない。 そういう馬鹿げた結論に導くような議論の筋道が正当であるはずがない。彼はそう言 いたかったのです。  もし、トーマスがメアリの議論の正当性を認め、文字通り「動物の権利」を擁護し ていたら、彼の名はメアリ・ウォルストンクラフトと並んで歴史に記憶され、私達の 耳にもっと親しく響いたに違いありません。  歴史は、テイラー教授の論旨と異なる展開を見せます。1821年、リチャード・マー ティンが馬の虐待防止法を下院に提出すると下院は哄笑にどよめき、議員の一人が 「次は犬か!」と茶化し、別の一人が「猫もだ!」と叫ぶと爆笑はさらにひどくなり ました(第五章「人間による支配」)。  マーティンは戦術を変え動物の権利を主張せず、動物の所有者の私有財産保護の形 式に起草しなおし、漸く法案は通過します。  長い道程ではありますが、二百年後の今日、日本でも「動物虐待」を犯罪行為と認 め法整備が進んできました。  paternalismに裏打ちされた「愛護」から、「Animal Righats」の尊重へ。ピーター ・シンガーの「動物の解放」は世界的なベストセラーとなり、人と動物の共生を模索 する人々へ大きな影響を与え続けています。