ヨツボシケシキスイ

ニッチャーの愉悦


 欲しい庭木はクヌギだった。ミズナラ、コナラでも良い。でもクヌギがベストだ。別段どんぐりが欲しいワケではない。欲しいのは昆虫少年の基本にして王道、カブトムシ、クワガタが集う夜の夏の虫が集う饗宴だ。
 それはカミキリムシから始まる。大型のカミキリムシはクヌギ、ミズナラ、コナラの幹に産卵する。孵化した幼虫、テッポウムシと呼ばれる細長いイモムシは、幹にトンネルを掘って木屑を食べながら成長する。カミキリムシが羽化して巣立った後にも穴は残る。そしてそこから程よく醗酵した樹液が滴り始めると、それに魅せられて多様な昆虫が集まってくる。

 最初はチョウだ。ヒカゲチョウ、ヒョウモンチョウ、タテハチョウの類だ。森に住むチョウは渋い色合いの羽を持つものが多い。陰影の濃い周囲の景観に適合した色彩の種が残りやすいためだろう。横槍を入れるのがヤセバエ。どこか不気味な外観を持つ。カナブンは樹液のスポットに最も多く見られる昆虫だ。ありがたみも薄いが、クロカナブンや緑の光沢がある種もあってバリエーションはそれなりに楽しめる。ありがたくないのが、スズメバチ。この大型のハチは案外頻繁に樹液を求めてやってくる。無論、刺されると非常に痛いどころか、危険でもある。そしてメインイヴェンターはカブトムシ、クワガタである。樹液採取の一番良い場所を巡って、彼らは格闘を繰り返す。珍しいというよりも高価になってしまったオオクワガタが現れない限り、横綱、グランドチャンピオンはカブトムシである。
 単に食糧確保の問題ではない。同種の昆虫が集まる場所は案外決まっている。雌も当然訪れるクヌギの樹液スポットはそのまま昆虫にとっての出会い系サイトとなるのだ。力が強く、他の雄との死闘、クワガタ等との異種格闘技戦を勝ち抜いた雄には雌との接触機会も自ずと頻繁になる。人間で言えば、合コンで富と名誉を併せ持つらしいシ族なる賊がおいしいところをさらって行く構図と似ているのだろうか? 合コンなどに参加しない杜氏は、その当たりの事情に明るくない。余談だが、シ族とやらにはどこまでが入るのだろう。消防士や自動車整備士が残念ながら付け入る隙がないのは想像に難くないが、税理士、公認会計士、司法書士まで入るのだろうか。いずれにしろ、嫌な上に意味のないカテゴライズである。
 そういった争いに加担せずに木の表皮の間に潜り込んで一体化するように樹液を吸っている種族もいる。小型の甲虫、ケシキスイがそれだ。芥子粒のように小さな木を吸う昆虫という意味か。中でも背に四個の星状の紋様を持つヨツボシケシキスイは頻繁に見ることができた。

 カブトムシ、クワガタは基本的に夜行性なので、こういうスポットには夜訪れるのが効率的だ。糖蜜採集法という補虫術がある。夜の森に入ったとて、おあつらえ向きの樹液を供給する傷を持った木が見つかる可能性は低い。砂糖と焼酎を煮詰めたものを持参して、クヌギ、コナラ、ミズナラなどの木の幹に塗って、お目当ての昆虫を待つのだ。「ジンとベルモットも持参するが、これは自分で飲む」とのたまったのは、昆虫愛好家でノンベでもある北杜夫。
 杜氏が子供の頃は夜出歩くなどは許されなかったので、早朝、ラジオ体操が終わった頃に決まったスポットに仲間達と出掛けたものだ。朝帰りを決めこんだカブトムシと遭遇する率も高かった。人間考えることは誰しも同じなのでカブトムシの諍いと相似関係の争いも勃発する。小学四年生の夏休みのある朝お馴染みのスポットに私達が到着すると、既に先客がいた。近所の六年生だった。そして先着者の既得権とばかりにスポットの占有を宣言した。上級生風を吹かせたくもあったのだろう。当然諍いが起こる。しかし、身体の大きな上級生に向かって行く者は誰もいない。仕方なくさほど怒ってもいない杜氏が代表選手として、先着者と渉り合うことになった。そして戦意が昂揚していなかったにもかかわらず、彼を組み伏せてボコボコにしてしまった。考えてみれば、杜氏は相撲で誰にも負けた記憶がないプチ金太郎的存在だった。
 ほうほうのテイで逃げ帰った六年生のことなど忘れて、虫取りに興じていると、逃げたハズの六年生が取って返してきた。その手には水中で魚をつく銛が携えられており、しかもアダプターのゴムが弓の弦のように杜氏に向けて引き絞られていた。これにはさっさとホールドアップして退散せざるを得なかった。

 さてケシキスイだった。彼らはスポットに飛来するカブトムシを代表とする他の昆虫と違い、昼にもスポットに見ることが出来る。そしてケシキスイが飛翔するところを見たことがない。もしかすると、クチキムシやキマワリといった樹液目的ではない甲虫類同様、ケシキスイもスポットに常駐しているのではあるまいか。前述したように身体は小さく、おそらく体積にしてカブトムシの数十分の一あるいは百分の一以下かもしれない。カブトムシらの栄養摂取や生殖行為の邪魔になる可能性は少ない。それに木の皮に潜り込んでいるかのような印象なので余計に他の昆虫との共存が容易だ。というより競合自体が発生していないようにすら見受ける。

 ジャイアントな企業と真っ向から対峙するコンペティタも一つの企業の在り方だが、業界の特殊な分野でその企業しか持ち得ない技術力、流通力で狭いながらも市場を掌握している企業群もある。生物の適応居住範囲を示すニッチから、それらはニッチャーと呼ばれている。ナンバー・ワンより強いものはオンリー・ワンという格言が業界にはある。創業当初のソニー、ホンダなどはニッチャーそのものであった。フロンティアという言葉は日本語英語では先鋭的な語感を含まされているが、何のことはない、アメリカ西部開拓時代の開拓最前線の「辺境」に過ぎない。ただ、図体がデカく身動きが遅い巨大企業が手をこまねいているうちに、ニッチャーが先行して手掛けていた技術が時代の推移で花形になることもある。昨今では時代の推移のテンポが速い反面、技術が世界標準のお墨付きをひとたび得たら、独占禁止法抵触ギリギリにその企業が市場を寡占する傾向にある。

 昆虫の世界でデファクト・スタンダードがそう簡単に遷移することはなく、カブトムシ、クワガタは依然クヌギの樹液スポットの横綱、大関であり続けるだろうし、子供達からの人気も不動だろう。でも、ヨツボシケシキスイはニッチャーとして堅実な生態を示している。身体が小さいのは子供達の人気において決定的に不利な要因ではあるが、ヨツボシケシキスイをよくよく見ると、形状といい羽の文様といい、ありふれてはいるもののなかなか味のある昆虫といえる。隠れたニッチャー、ケシキスイがもてはやされる時代が来ないとも限らない。


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