アゲハモドキ
控えめな模倣者
理系の学科では実験が大きな比重を占める。週一回は実験の時間が二コマ以上通しで設定されており、終わらなければ帰れない構造になっている。実験が未済のまま帰ってもいいのだが、それではレポートが書けずに単位を落とすことになる。実験の単位を落とすと、進級には致命的なダメージとなる。落第したくないのなら、その週に与えられた実験を時間内に完遂しなければならない。実験は通常二人をグループとして同じテーマを2グループで行われる。つまりはこの四人が一グループという捉え方も出来る。
杜氏のパートナーは巨漢だった。身長188cmで体重は100kgはあった。巨漢の鷹揚さとか粗雑なところはなく、てきぱきと俊敏で快活だった。その癖、巨漢にありがちな強引さや傲慢さは持ち合わせていた。ある意味始末が悪い。もうひとつのグループの片割れはサッカー部のキャプテンであり、陽気で、ある程度頭が良かったが、怠惰で不真面目だった。ある新規に大学が購入した数十万円の実験機器を、踏切の信号に見立てて「チン、チン、チン」などと鳴らして遊んでいるうちに、ものの三分で壊したことがあった。実験を担当していた助手は泣きそうになっていたが、当の本人は笑っていた。もう一人の片割れは、全くデキ悪い上に怠惰で、実験を放り出してパチンコ屋へ駆け込むような男で、杜氏達が結果をプロットした対数グラフ用紙のデータを、普通のセクション・ペーパー(方眼紙)にトレースしようとするハチャメチャぶりだった。
杜氏もハンマーを投げていたぐらいだから、身体は重い。杜氏達のグループは200kgコンビと言われていた。二人併わさると強烈という意味らしい。杜氏はともかく、パートナーは強烈で、主にその箸にも棒にもかからない片割れは徹底して彼の攻撃対象となった。サッカー部のキャプテンの方は、パーソナリティが強力なのでちょっとやそっとの攻撃ではへこたれない。杜氏も毒舌という意味ではその攻撃の一端を担っていたのかもしれない。だが、その男の怠惰さは通り一遍のものではなく、指弾されても致し方なかったと今でも思う。ダメなヤツがいじめられるのをしり目に、サッカー部のキャプテンは「お前ら、人を傷つけるの上手いよな」と妙な関心の仕方をしていた。やがて、200kgコンビは「200kg陰険コンビ」と言われるようになった。サッカー部のせいである。杜氏はパートナーに合いの手を入れていたに過ぎない。だが、サッカー部に言わせると、それが絶妙なコンビネーション攻撃になるのだそうだ。
その巨漢パートナーは巨漢に似ずお洒落で、アラミスのムスクのコロンを使用していた。ジャコウジカ、ジャコウネズミの麝香である。芳香なのだが、どこか動物的なところが窺われる。柑橘系のように植物系の爽やかさ、悪く言えば底の浅さはない。生々しいと言うのが適切かどうかはわからないのだが、生々しい。マスクメロンが、表皮の網目がマスクのようだからそう命名されたのではなく、ムスク(Musk)の英語読みから来ていることを知ったのは、寡聞にして最近のことだった。恥ずかしいことだが、チビまるこちゃんに出てくるハナワ君に教えられた。昆虫でこの形容を冠しているのはジャコウアゲハである。毒チョウであることは前にも述べた。
このジャコウアゲハの模倣者と目されるものが、同じ鱗翅目昆虫にいる。アゲハモドキである。
本来はジャコウアゲハモドキと呼ばれるのが適切であろう。しかもメスにしか似ていない。モドキなどという不名誉な命名をされた上に、手抜きな名前でアゲハモドキもさんざんである。チョウではなく、ガに属する。というか、人間がそういうカテゴライズをしている。確かに翅を開いて停まるし、灯火にもくるので、どことなくガに分類したくなるのもわかる。腹部が同じ太さの寸胴型であり、真ん中が膨らんで尾が尖る形を採るアゲハとは異なるところが、ガを思わせないでもない。だが昼間にも活動し、花蜜などを採っているようだ。チョウの特徴も持っている。無論、無毒である。透かしの入った感じの上翅の色、後翅の紋など、驚くほどジャコウアゲハに似ている。ただ開帳55mm程度と大きさだけが本家の半分程度の印象、ちょうどアオスジアゲハと同じような感じかも知れない。数はあまり多くないと言われるが、とりたてて珍しいものでもなく、普通種である。一年に一度は灯火に寄ってくるのを見る程度だろうか。
杜氏が初めて実物を見て驚いたのは、図鑑に載っている図版より遥かにジャコウアゲハに似ていたことだった。図鑑は故意に矮小化して示してあるのではと思えたほどだった。そういったイメージが付き纏うのも、ネーミングのせいなのかもしれない。
あまり多くないというよりは、目立たないといった方が適切なのかもしれない。ひょっとすると本当にジャコウアゲハと見間違えて見過ごしているのかもしれない。よく見ると明確に違うのだけれど、感心するほど似ている。捕食者達も、一瞬幻惑されるのだろう。大きさは違うけれど、ジャコウアゲハかもしれないと。捕食者達も痛い目には会いたくはないだろう。ジャコウアゲハのヴィジュアル・パターンが一瞬過ぎり、危険信号を発信せざるを得ないパスが捕食者にも出来ているのだろう。「怯む」という表現が適切なのかもしれない。それはほんの一瞬のことかもしれない。だが、アゲハモドキにとってはその一瞬の猶予が計り知れないアドヴァンテイジとなる。
よく夏に電車の社内にハチによく似た昆虫が紛れ込み、客が追い払おうとしている図を見かける。大概が吸血性のないアブの類である。無害だ。だが、追い払おうとしている客は教えてあげるまでは、それをハチだと認識しているかもしれない。ハチを追い払おうとチョッカイを掛けるなどもってのほかで、二重の誤りなのだが・・・。それと良く似ているのかもしれない。人はジャコウアゲハを食べないのでわからないが、鳥や肉食昆虫にとってジャコウアゲハのヴィジュアル・パターンは拭い難い危険信号なのかもしれない。
アゲハモドキの飛翔はアゲハのように力強いものではなく、ガの典型に相応しく弱々しくて、やはりアゲハとは異なるという見方もあるようだが、それには異論がある。確かにモンキアゲハのような立派なアゲハは風格もあり、なかなか人には捕まらないような飛翔を見せる。だが、毒チョウであるジャコウアゲハは自分がジャコウアゲハであることを捕食者達に認識してもらわないと困るところがある。だから、自分がジャコウアゲハであることを見せつけるようなノロノロした飛翔を行う。アゲハモドキの緩慢な飛翔もこれと符合する。おそらくこれも擬態として効能を発揮しているに違いない。
食樹はミズキやヤマボウシである。杜氏の母がハナミズキが好きで、庭に植えたことがある。これが運のない樹で、建て替えて間もない新しい庭に植えたところ、たまたま歴史的に強くなった春風に災いされて根付くことが出来なかった。それで今度は似たような種のヤマボウシを母は買って来て植えた。これはようやく根付くことが出来たが、なかなか花を咲かせない。ハナミズキもヤマボウシも、結局、アゲハモドキの温床としてしか機能していない。
幼虫もちょっと変わっている。とても自然のものとは思えないような白いレースで彩られたような形態となる。これは身体を蝋のような物質で覆うことから来ている。幾何学模様っぽい、ちょっとお洒落な感じの装いだ。手で触れたりすると意外と簡単に落ちてしまう。なぜそのようなことをするのかはわからない。身体を大きく見せるためか、捕食者から捉えにくくするためか・・・。縁もゆかりもないハバチの一種の幼虫がやはり白蝋で身体を覆うらしく、アゲハモドキの幼虫と区別が付きにくいらしい。このハバチもやはりアゲハモドキがレースを纏っているのと同じ理由でこういった生態を示しているのだろう。だが、その理由がわからない。理屈で解明できない部分があるから自然には興味が尽きないし、これらの幼虫の生態もそのひとつに数えられる。終令幼虫は4〜5センチにもなり、それなりに立派なイモムシである。もっともアゲハモドキもガとしてはかなり大型の部類なので、それもむべなるかなである。
杜氏の大学での実験グループを昆虫に準えると、巨漢パートナーはジャコウアゲハやハチのように自ずと危険信号を発信して警戒を周囲に促すタイプであろう。一番ダメだったヤツは武器ももたないから、擬態などで防衛策を講じるべき存在だったかもしれない。だが、彼はあまりに無為無策だった。せめてアラミスのコロンでもつければ少しは違ったかもしれない。それが出来れば苦労はしないのが人の世の常なのかもしれない。
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