アカスジキンカメムシ
こいつは何かの審判か?
陸上競技や水泳競技の審判は大概はフォーマルな格好をしている。あまり派手な格好はしない。する必然がないからだ。陸上競技の場合、紺か黒系統の上下、協会のロゴが小さく入った帽子などを被っている。他の審判と異なった格好をしていると具合が悪い。格闘技などの場合も概ね同じだが、プロの場合、競技者が実際に相見える現場に立ち会うレフェリーは幾分派手な格好をしているだろうか。だが、球技の場合、フォーマルな格好では一緒に競技の流れを追って動くことが難しいので、軽妙な服装をしているし、競技によってはそれを着て街を歩くのが恥ずかしいような奇抜な縞模様などの服を着る。ラグビーなどで対戦相手とのユニフォームが似ていると、協議の上でどちらかがセカンド・ユニフォームを着て譲歩することがある。ユニフォームが紛らわしいと、敵味方がわからなくなり、相手にパスを出してしまうようなこともあり得る。審判も「レッド・ボール」とか「ブルー・ボール」とか、ユニフォームの色でジャッジを下すこともあるから、両チーム同じ色では具合が悪い。見ている方もわかり辛い。で、ゲームが白熱して審判も識別できずに、パスなどを出されても困るから、明らかにどちらのチームとも識別できない縞模様を着るようになったのだろうか。プレイヤーの中でもゴール・キーパーだけ違うユニフォームというケースも多い。そもそもユニフォームというのは、単一のデザインをチームで着用するという意味だから、キーパーの服はユニフォームとは言えない気もする。この理由はよくわからないが、何か重大な意味があるのかもしれない。
縞というのは明確に普通のものとは違うという記号となっていることは明らかだ。外国の古典的な漫画の囚人服は、上下黄色に黒の縞模様だったりするが、「この人は悪いことをして収監された」という記号になっている。実際には収監されて他から隔離されているのだから、特に派手な格好をしている必要はない。大学時代の実験パートナーの父親が、終戦間際に東南アジアか南太平洋戦線で俘虜となったそうだが、その際にゴワゴワした履き辛いズボンを支給されたという。後でよく考えるとそれはブルー・ジーンだったそうで、「オレは日本人で初めてジーパンを履いた人間だ」などと変な自慢をしていたという。囚人服というのは父も「青かんば」などと呼んでいたが、そういう地味なものでしかないのだろう。
昆虫の中にはそういう作り物のような派手な縞模様を呈している種が案外多い。ハチなどは典型的であるし、多くのハチのエピゴーネンも同様だ。ウミヘビなどは毒性の強いものほど、派手な色の縞模様を持っている。海の中では陸上よりも色の識別がしにくいせいだろうか。これらの多くが捕食者にとっての警戒信号となっている。黒に黄色は工事現場や交通信号などに利用され、最も識別し易い危険のサインとなる。誰だって、黄色に黒の飛行物体が近づいてきたら、ハチに刺される痛みを連想して咄嗟に難を逃れようとする。
アカスジカメムシも、「どうしたらそのような色の模様になったのだろう」と訝るほどはっきりとした模様を持つ。ユニークな模様などと評されるが、そうではない。あまりにシンプル過ぎて、人工のデザインでは用いないようなシロモノと言える。黒字に赤の縞が、胸部から腹部を覆う前翅に真っ直ぐに走っている。念の入ったことに、胸部と腹部で明らかに身体が分離されているのに、身体の継ぎ目が判別できないほど縞模様は連続している。数えたことはないが、縞は7本程走っているだろうか。昆虫の体色はよく見ると原色ではなく、どこか輻輳した色であることが多いが、アカスジカメムシの場合、黒は黒、赤もこれ以上はないほどの赤なのだ。赤と黒、どちらが地でどちらが縞なのかと判別しにくいなどとよく言われるが、赤の縞には幅に個体差があり、棲息する地方、季節、つまりは気温によって赤の色は薄れたりもするので、明らかに黒が地で赤が縞だ。つまり、ネーミングは妥当である。赤の色が異なることがあると書いたが、杜氏が認識している「赤は赤」のアカスジカメムシは、関東地方で盛暑に活発に活動している最も目に付くアカスジカメムシのことを指している。
カメムシは不完全変態を遂げる。幼虫は成虫と同じ形態をしており、身体だけが小さく、翅が発達していない。そして蛹の時期を経ない。アカスジカメムシの幼虫は、やはりセリ類を食草としており、未だ翅に包まれていない腹部が褐色だが、胸部の縞は既に有している。身体の三分の一だけ赤黒の縞で、見習いの球技の審判のようだ。
杜氏はこのカメムシを単独で見たことがない。見れば確実に群れている。セリ、ウィキョウ、ニンジン、ドクゼリ、ウド、アシタバといったセリ科の植物の花や実に群生して、その汁を吸っている。群生していると、華やかな体色は余計に目立つ。体長は10〜12mm程度。カメムシとしては中型だろう。一円硬貨の重量が1gであるように、身体の大きさについては個体差が殆どなく、正規化されているようにすら見える。雄雌でも差がないのではあるまいか。セリ科の植物は臭気が強い。人間の食物としても、それがセリの特徴である。カメムシはご承知の通り、臭気を発するが、アカスジカメムシのそれは特に強いとされる。食草による影響は大きいと思える。ソクラテスが「悪法も法なり」と言い放って決然と仰いだのはドクゼリ入りの杯だったようだが、このカメムシには悪妻の毒気にも堪えた哲学者を屠った毒も効き目がないようだ。人間の子供にも、このセリ類に共通する臭気を持つニンジンが食べられない者が多いが、そういう個体はカメムシのように香りの強いものから栄養を摂取し、ベータ・カロチンを活用することも出来ないということなのだろう。これは人間の本能の退化を物語っている。
アカスジカメムシの彩りが警戒色であると何の疑念もなく断じている人が多いようだが、それは疑問であると杜氏は感じる。以前にマルカメムシの項でも論じたが、カメムシの臭気は外敵からの防御目的で発せられるものではなく、同種同士の信号フェロモンであるという。危険を知らせあったり、生殖相手を募ったりするカメムシ同士のコミュニケーション言語が臭気なのだ。少なくともハチのように明らかな攻撃性を帯びるものではない。結果としてそれが人間を含む哺乳類にとって悪臭にもなったのだろうし、派手であることが生き残るために役立ち、派手な遺伝子を濃縮させて持つようになったことは考えられるが、そこに因果関係を見出していいものなのだろうか。ただ「警戒色」という概念自体、人間の定めた因果関係であり、結果と原因を強引に結びつけることに意味などないのかもしれない。奇妙なほどの几帳面な色彩とデザイン、それだけで一つの自然の解なのだ。
夏になると当たり前のように群れていたこのカメムシも、ご多分に漏れず首都圏では姿を見ることが少なくなっているらしい。畦道には必ず生えていたセリ、藪に入れば珍しくはなかったウドなどのセリ類が減っているということだろうか。だが今はガーデニング・ブームであることに加えて、ハーブ栽培が密かに流行している。香草でもあるハーブには香りが強いセリ類も多数含まれている。これがこのカメムシのニッチ確保に役立てばいいと思っている。もっとも、ガーデニングを嗜む人達には、悪臭源となり、吸汁によって植物の生育を阻むカメムシは駆除の対象にしかならないのかもしれないが。
7〜8月の夏の盛りを元気よく動き回り、強い日差しを受けて縞模様を輝かせているこの昆虫は、夏が好きな杜氏にとっても好もしい存在だ。やがて暑さの中にも微かな秋冷を感じさせる時期になると、鮮やかだった赤が退色し、それに呼応するようにヘリカメムシと共通するような翅の縁の地味な縞模様の方が相対的に目につくように感じられる。それは杜氏にとっての「小さい秋見つけた」でもある。終わらない夏、死を免れない生など存在しないことを思い知る現象だ。
この球技の審判の模様をした小さな昆虫は、杜氏達に何の審判を下しているのだろうか?
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