アケビコノハ
身近な珍獣
帰化昆虫が天敵の不在のために爆発的な繁殖を遂げることがある。昆虫というのは多かれ少なかれ害虫の側面を持っているから、そうなった場合、人間社会にパニックが生じる。というよりも、人間という生物が不遜にも自然と敵対している存在であるから、ある特定な種の異常繁殖は人間に下される鉄槌となるのは必定だ。杜氏の子供の頃にはアメリカシロヒトリというヒトリガの一種が街路樹を裸に剥いてしまったし、思春期の頃には地中海ミバエが柑橘類に破壊的な脅威をもたらした。淡水魚のブラックバスも在来種を押し退け、湖沼の寡占状態を実現しつつある。
これらの異常繁殖の原因は天敵が皆無であることだが、それも短期のこと。見慣れぬうちはどの鳥も哺乳類も警戒を怠らなくとも、自然に天敵は生まれるものだ。今、外国産のクワガタが野生化の傾向を見せ始め、在来種を押し退けつつあるという。これについては、外国産のものが在来種の近似種と生殖行為が可能なことから、混血種が目立つという現象であるらしい。混血は劣性遺伝と優性遺伝が双方共に発生する可能性があり、それによって生じた形質が日本の気候風土にどう親和するかが問題である。生き残れなかったら、それはやはりこの国の自然には適合しなかったことになるし、生き残れたなら新種のクワガタが普遍的に定着することになるだろう。
よく生物をテーマにしたクイズ番組などで、一回に数万個も産卵する種の成熟するまでの生存率が問題になったりする。答えは自ずと決まる。一つがいの雄と雌から生じた次世代の種の継承は2前後となるのが自然の帰着である。それ以下では個体の減少、ひいては絶滅につながるし、それ以上だと異常発生となる。異常発生は種にとってのメリットであるようにも思えるが、直接的には限られた食物を異常に増えた個体が奪い合うのだから、決していいことではない。もし餌となる生物または植物が著しく数を減らすと、その影響が巡り廻って異常発生した種の首を絞めることになる可能性が高い。だから、地域で異常に個体密度が高くなったとき、トノサマバッタの一部は飛蝗化して他の繁殖地を求めることになる。
タラコや明太子が全てタラに成長することを考えると恐ろしい。タラはかなりの大きさに育つ魚であるし、貪婪であることでも知られる。これら全てが「鱈腹食った」としたら、海の資源は想像もつかないダメージを被るだろう。だがそうはならない。大量に産卵する種の行為は、種の継承であると同時に、動物性タンパク質が必要な他の生物にとっての食物提供なのだ。鳥の巣にある卵を狙って身構える蛇が悪役で、びっこを引いてまで蛇の気を引き付けて卵を守るいいモンであるという考えは、明らかに固定観念によって偏向している。
コンピュータによる解析に遺伝的アルゴリズムという手法がある。生物の遺伝に発生する種々の交配、交差、突然変異などを然るべき確率で仮定し、種の継承を何世代にも渉って反復させることで、最適な条件に収束してゆくという計算である。最適化手法のひとつである。昆虫には生存の為に戦略としか思えないような生態を有するものが多いが、それにしても完璧はあり得ない。またこれらは戦略でも何でもなく、天敵や気候風土による障害をフィルタとして通り抜け、2±α(一夫多妻でない種はもっと複雑な数となるだろう)という最適な種の継承率を保っていることは間違いない。神がいるとしたら、その確率を維持しうる条件であるとも言えまいか。
アケビコノハというちょっと特殊な昆虫がいる。蛾である。とても変わった蛾と言える。成虫は停まっていると濃い褐色の枯葉にしか見えない。よくコノハチョウが木の葉そっくりに擬態していると言われるが、コノハチョウはタテハの一種であり、羽を開いて停まるのが常である。閉じれば木の葉でも開いていればちょっと地味目で大型のタテハでしかない。その点アケビコノハは前翅長、つまり翅を畳んだ時の見掛けの体長も50mmと、ちょうど手頃な枯葉に近い大きさである。この蛾が面白いのは、擬態、保護色だけではなく、それがバレていよいよピンチとなったときの対策にある。アケビコノハにしてみればただ飛び立つだけに過ぎないのだが、このときに枯葉様の前翅に隠れていた後翅が見える。ややくすんではいるものの、前翅と比較すれば充分に鮮やかなオレンジ色で襲撃者の意表を衝くことは想像に難くない。このように静から動への二段構えの防御策になっている。
幼虫は更に変わっている。その名の通り、ムベやアケビの木をホストとしている。住む環境によるのか、黒っぽい紫のもの、淡褐色、淡い紫と様々なバリエーションがある。体色は典型的なウミウシであるアメフラシを思わせるものがある。また、鮮やかな緑といえば普通のイモムシなら珍しくはないのだが、アケビコノハの幼虫がこの色を呈していると変わって見えるから不思議だ。成虫がかなり大型の蛾なので、幼虫も最終令になると75mmとかなり長大になる。
しかし、特徴的なのは体色や大きさではなく、危機が迫った際の振る舞いにある。人間はそれを見て「威嚇」と解釈しているのだが、本当のところはアケビコノハの幼虫にしかわからない。シャチホコガという別種の蛾がいて、こいつも変わり者である。何しろイモムシのくせに長い六本の足を持っており、危険が身に及ぶとかなりの速度で移動しながら逃げる。また「威嚇」のためなのか、シャチホコのような形状を取る。だが、アケビコノハの幼虫の方がシャチホコガよりは更にシャチホコに近い気がする。
最も後方の足の吸盤を掴まっている木の幹から外し、尻を高々と持ち上げる。一方で頭の方を丸めひとかたまりの大きな頭のように見せる。これによって頭の近くの側面部にある二つの鮮やかな蛇の目模様が強調され、大きな頭を持った爬虫類のようにも見えるようになる。胴体はくびれ、尻はシャチホコ立ちした、そもそのどちらが頭で尻なのか、また何の生き物なのかわからない形状になる。少なくともイモムシにはとても見えない。これは捕食者にとってかなり度肝を抜かれる振る舞いであろう。当のアケビコノハは本能に従って、あるいは生命の危機に怯えて自然にそういう構えを取っているだけのことなのかもしれないが、捕食者にとってその振る舞いは確かに威嚇として機能するに違いない。
なぜかアケビコノハの幼虫はとても派手であるが、「威嚇」の仕組みはよく出来ている。
杜氏が子供の頃、「伊賀の影丸」という漫画があった。横山光輝の作品で、同じ「影丸」でも、エスタブリッシュメントへの反抗をモティーフにした白戸三平の「忍者武芸帳」に較べると、徳川幕府の意のままに働く影丸は「サラリーマン忍者」などといたく評判が悪かった。女性的(というか両性具有をにおわす成り立ちだった)でか弱く、すぐに敵の手に落ちて倒錯的な拷問を受けたりするのに、他の特技を持つ男性的な忍びが次々と倒れる中、最後に残るのは決まってなぜか影丸だった。その「必殺技が『木の葉隠れ』だった。木の葉を舞い散らせて敵を欺き目をくらますのだが、木の葉には「痺れ薬」が忍ばせてあるという設定だった。何と言うディフェンシヴな技だろう。まるでアケビコノハである。だが、攻撃的な術を弄する忍びよりも、影丸の方が生き延びるというストーリーには、なぜか説得力があった。
山田風太郎の忍者小説からのパクリなどと、身もフタもないようなことを言う友人もいる。そういう部分はなきにしもあらずだが、女性の形質を帯びたディフェンシヴな者が結局生き残るというリアルな不条理は「伊賀の影丸」のオリジナリティであったと思われる。影丸の生命力の前には、由井正雪の革命理論も金井半兵衛の槍の妙技も意味を為さない。正に力あるものが生き残るとは限らない自然界を象徴している。
だが、幼虫期の奇妙な姿と生態、成虫期の完璧な擬態と意表を衝いた逃亡といった仕掛けを持っていながら、アケビコノハは適正な個体数を保っているように見受ける。大発生して騒動が起きたなどとはついぞ聞かない。ということは、巧妙な生き残り本能をかいくぐって、アケビコノハとて少なからず捕食者の犠牲になっているはずなのである。その犠牲になり加減が絶妙なのであろう。強くなり過ぎた人間の間で戦争によるホロコーストがなくなり、少子化減少が自ずと発生したように。
成虫は果樹園の果物を好む。案外と口吻は頑丈に出来ており、アケビコノハに食われた果物は出荷出来なくなるらしい。食樹であるムベは古代、砂糖が稀少であった頃、甘味料として用いられていたこともあるらしい。アケビとは熟したものは大変甘い。葉にまでその甘さが及んでいようとは考えられないが、甘党の傾向を持つ印象が強い。成虫など灯火に寄ってくるものも動きが少なく、下手をすると数日その場に留まっているような運動量の少なさであるが、高カロリーの果汁を摂ってエネルギー源とする必要があるのだろうか。自然の中では、枯葉への擬態効果を呈するには余計に動きが少ないように思える。
アケビコノハはありふれた鱗翅目ヤガ科の昆虫で、それこそ日本中何処にでも普通に見られる。しかし、その生態は「珍獣」と呼ぶに相応しい興味深いものだ。都会にアケビやムベが少なくなっているものの、未だ杜氏の住む郊外にはちょっと道からはずれた藪に、アケビの実が紫に色づいているのを見ることが出来る。この普通の蛾がやがて、数の上からも珍種と呼ばれることがないように祈るばかりである。