アオオサムシ
地を這う宝玉
ある人にとってはこの上なく価値のあるものでも、別の人には何の感興も呼ばないことはよくある。早い話、異性の好みを思い浮かべればいいだろう。愛する存在について、何であンな人がいいの、などと人から訊かれて、即答できる人がいるだろうか。光源氏が末摘花に走ったのにも理由があるのだろうが、光源氏本人とてその理由を明確に説明することなど不可能だ。昆虫を愛好する人達は大概特定の分野を持っている。チョウの好きな人はチョウ屋などと自称するし、甲虫屋はチョウには無関心だったりする。この「屋」というのが、杜氏には鼻につく。他の人達とは明確に違うのだという選良意識と、それでいてイイトシしてムシが好きなどという性癖への引け目を徒党を組むことによって開き直ろうとしているような臭気紛々たるものがある。鱗翅目愛好家、鞘翅目マニアではどこがいけないのだろうか。とにかくわざとらしい。
甲虫屋は鞘翅目昆虫が余りに多岐に渉る生態、形状に別れているので、更に細分化される傾向を持つ。美しい姿をしたセンチコガネ、ダイコクコガネなどの糞虫を好む者、堂々とした風采で多様な種類に恵まれたカミキリムシしか眼中にない者、オーソドックスなカブトムシ、クワガタを好み、在来種では飽き足らず外国産種に手を伸ばす者、ゲンゴロウなどの水棲昆虫一辺倒の者、美しく俊敏な殺戮者ハンミョウを追いかける者。・・・etc. 杜氏は甲虫類が好きだが、採集や標本蒐集はしない主義である。とてもとても「屋号」などを掲げるつもりはない。
その中でもゴミムシ、オサムシの類に目がない人々がいる。ゴミムシは文字通りゴミを好むし、朽木や動物の死骸などにたかる。また、オサムシもミミズ、ナメクジなどを好むし、それらが死骸であっても腐敗していても平気で食糧にする。決して清潔な生活を営んでいるワケではない。普通の神経を持った人間なら気味の悪い存在としか認識しないかもしれない。だが、種類がとても豊富であり、地域的に生活圏が封鎖状態に陥ると、同じ種であっても地方独自の適応分散のような順応ぶりを示す。それに身体にメタリックな光沢があり、色鮮やかな種類が殆どだ。歩く宝石などと呼ぶ人もいたりする。杜氏はカミキリムシに最も魅力を覚えるクチだが、確かにオサムシに傾倒する人の気持ちも理解できる。
有名な話だが、故手塚治虫は昆虫好きだが、そのペンネームの由来はオサムシだったという。ある日、見慣れぬ昆虫を採集した手塚は、その虫が痩せてひょろひょろしており、メガネをかけたひ弱そうなさまに自分の姿と共通するものを見出したらしい。調べてみるとオサムシだった。手塚の本名は治。名前まで似ている。その昆虫がすっかり気に入った手塚は本名に虫の一字を加えてペンネームとして名乗ったという。それがアオオサムシだったらしい。だが、待てよと思う。見慣れぬ昆虫というのが解せない。東京のオサムシのスタンダードはアオオサムシだ。特に珍しくもなく、むしろ最もありふれた普通種で、杜氏の子供の頃は五分も外をほっつき歩けば出くわすような存在だった。だが、手塚の育った関西ではアオオサムシが滅多に見ることができない種類だったのだ。
アオオサムシは鮮やかな緑のメタリック色に覆われた、体調30〜35mm程度の見映えのするオサムシである。翅に縦に走る筋の繊細で、良く見ると大変美しい昆虫だ。杜氏は子供の頃、うっかりこの虫を捕らえてしまい、放屁にも似た強烈な臭いの攻撃を受けた。洗っても洗っても、しばらくは臭いが落ちずに難儀した記憶がある。ゴミムシ、オサムシの類が大概用いる防衛の常套手段だった。アオオサムシ、マイマイカブリも例外ではなく、このヘッピリ攻撃を仕掛けてくる。だがヘッピリムシの名称で有名なのはミイデラゴミムシで、別々に体内にキープしている物質を、放屁によって化合させることによって、臭気だけではなく火脹れが残るほどの高温をも招くという。捕まえたのがアオオサムシで、杜氏は幸運だったのかもしれない。それ以後、不用意にこれらのムシにチョッカイはかけないようにしている。
肉食で前述のようにミミズやナメクジを主食とする。なるほどこれらなら、容易に確保することが可能で、しかも動きが緩慢で捕らえ易い。他に小昆虫や昆虫の死骸などをも食べるらしいが、ミミズやナメクジの方が手に入れやすいと思われる。緩慢な生物を捕食する割には、オサムシの歩行速度は驚くほど速い。走っているが如くの敏捷さだ。捕食だけではなく、敵からの逃亡も考えると、それは無駄な敏捷さなどとは言えない。それもそのはず、オサムシは後翅が退化してしまって飛ぶことが出来ないのだ。マイマイカブリなどに至っては、前翅も開かない構造になっているらしい。つまりは身を守る甲冑の役割しか果たしていないのだ。ゴミムシは灯火に集まる種類も少なくないので、オサムシのように完全に飛翔能力を放棄しているのではないことがわかる。地を這って捕食を続けていれば必要な栄養分は充分に補給可能だ。そのうちに飛翔する必要などなくなってしまったのだろう。逆に地を這う速度には自然に磨きがかかったと思われる。
ファーブル昆虫記でも、フランスではオサムシが「庭の番人」と呼ばれ、重宝されていることに触れている。例によって実験好きなファーブルは庭を往来する数種類の生物をオサムシに与え、その益虫としての特性を実証している。結果、毛虫のようなものには顕著に反応したものの、庭に最も甚大な被害を及ぼすカタツムリには無反応だったという。エスカルゴはお気に召さなかったらしい。それは当然で、マイマイカブリのような細長い胸部を持たない限り、危機を察したカタツムリは殻の中に逃げ込み、逃げ果せてしまう。また、粘液を発するカタツムリは、一筋縄ではオサムシを食いつかせないようだ。マイマイカブリは粘液を無力化して肉に食いつくための消化液を分泌する機能を持っているという。アオオサムシの身体も全体としては細長いが、胸部と頭部を嘴のように機能させてカタツムリに食いつくだけの細長さは持っていない。
オサムシは世界各国に版図を広げているが、特に寒冷地への順応性が高いらしい。同じ種であっても寒冷地ほど色鮮やかな個体が多くなる傾向にあるという。寒冷地ほど気温が低くなると、周囲の動植物が減り、色鮮やかな昆虫が余計に目に付く。目に付けば捕食される可能性が高くなる。だが、アオオサムシも他のゴミムシ類と同じく、不快な臭気のガスを発する。つまり、食べても旨くない。それを経験則で知る捕食者達が避けるがゆえに、警戒色を呈しているアオオサムシの光沢の強い個体の遺伝子が世代を追うごとに強くなっているのではあるまいか。また、人間のような本能が壊れた種ですら、色鮮やかな動物が口にすると危ないものが多いことを、知識ではなく感覚で覚っている。たとえばウミヘビは色が美しいものほど、毒が強いし、人間が美しいウミヘビに出会うとその美しさに反応して警戒を強める。このように、北方のアオオサムシは動物の経験、本能両面に視覚から訴えることで危機を回避してきたのかもしれない。だがそれでも、キタキツネなどはオサムシが大好物らしく、その糞にはきらびやかなオサムシの翅が多数混入していることが多いということだ。
オサムシを捕らえる基本的な手段は腐肉採集法と呼ばれるトラップだ。腐肉に限らず、動物性蛋白質を紙コップなどをトラップにして中に仕込み、コップの中身が露出した状態で土に埋めて置く。動物性蛋白質はイカの燻製とか塩辛といった酒の肴のようなものがいいらしい。臭気の強い、アルコールで発酵したようなものがより多くのオサムシを集めるという。そういえばオサムシの好物であるナメクジもアルコールを好むようだ。何か相関でもあるのだろうか。
また、オサムシは成虫で越冬する。土の中で活動を停止し、静かに眠っているらしい。活動的な季節では単独行動しか取らないのに、冬眠は同種が集団でするという。冬眠の適地が限られており、必然的にそうなるのかもしれない。その適地とは日当たりのいい斜面だという。また冬眠中のオサムシは強い麝香の匂いを発するらしく、オサムシ蒐集家は崖で鼻を利かせて集合住宅を探すのだという。ひとたび見つかると、一網打尽の状態で捕獲できるらしい。蒐集家にとっては至福の瞬間なのであろう。
防衛のために昆虫本来の飛翔という性質を甲冑と共に封印し、更に甲冑の美しさは外敵の警戒の度により、オサムシが好むと好まざるに関わらず、自ずと磨かれてゆく。決して得難いほどすばしこい生物を獲物にするワケでもないのに、その歩行は飛翔のできないことを補うかのように敏捷である。たとえ生活が人間にとって衛生的ではなくとも、嫌な臭気を発する昆虫であっても、多面的な魅力を帯びた昆虫であることは確かだ。この妙味ある昆虫を、オサムシ愛好家だけに独占させておくのは妥当ではないかもしれないと思えてくる。
歩く宝石も興味がない人の目には単なる邪魔な昆虫だ。ところが自然界に邪魔な存在などひとつもない。