ミカドアリバチ

ハチという在り方、アリという在り方

 県大会の砲丸投に出場する子供達に、砲丸投を教えていたら、サークルの近くにハチが飛んできた。まず、ハチが好きな子供などいない。特に次に投げる順番の五年生の女の子はハチが大嫌いらしく、促しても怖がって投げようとしない。種類まで特定できなかったが、多分、セグロアシナガバチだった。アシナガバチであるから、スズメバチと並んで、よく人を刺す部類のハチには違いない。だが、放置しておけば害はない。構おうとするから刺される。ハチは大概刺す前に警戒信号、例えばスズメバチの場合には翅でカチカチと聞こえる威嚇音を鳴らす。こういった前兆を捉えておけば、ハチなど危険ではない。刺激するからいけないのだ。
 ハチはやがて、サークルの前に据えてある足留材に止まった。いよいよ、女の子はすくんで投げられなくなる。男の子達は、踏み潰しちゃえばいいよ、などと残酷なことを言っている。無残に踏み潰されたハチの死骸の横で練習を続けるのは心地よいことではない。「そのままにしとけば、すぐに他所に行っちゃうよ」という杜氏のいい加減な予言が的中し、十五秒としないうちに、ハチはどこかに姿を消した。砲丸の練習は無事に再開された。
 膜翅目昆虫にはハチとアリしかいない。ミツバチ、アシナガバチ、スズメバチなどや全種類のアリの生活ぶりから、社会生活を営む昆虫などと評されるが、圧倒的多数のハチは単独で行動し、営巣するものだ。どうも、この社会生活というもの、杜氏には馴染めない。殆どの個体は生殖能力を持たぬメスで、ハタラキバチ、ハタラキアリと呼ばれる。オスは生殖と産卵を担当するメス同様、巣に一頭しかおらず、必要な生殖行為を終えたら、あとは何もせず巣の中で右往左往するだけだ。女王バチ、女王アリなどと言っても、絶大な権限を以て巣に君臨しているワケでもなく、ある意味生殖を一手に請け負うマシンか奴隷のようにも思える。合理的な生き方をしているのかもしれないが、どの役割を取っても生き生きとはしていない。不自然で、不幸そうにすら見えるのだ。イソップ童話での気温が下がっても、暖かい巣で平穏に暮らしているイメージなど杜氏には想起出来ない。どこか、殺伐としたものすら感じられる。巣全体がひとつの生物といった見方も往々にして為されるが、それもかえって気持ちが悪い。「不思議の国のアリス」で、アリスを襲って追いかけてくる没個性なトランプの兵隊のようだ。無個性な生物ほど気味が悪いものはない。
 ハチとアリ、どちらが先に地球上に現れ、どちらがその祖から姿形を変化させていったのか? 別の言い方をすれば、どちらが主でどちらが従なのか? 翅という存在が無用となり、退化したという過程から見て、明らかにハチが先に存在し、そこからアリが生じたのだろう。アリはハチのひとつの在り方であり、部分集合に過ぎないという見方もすることが出来る。
 ハチはミツバチやクマバチ、ハナバチに象徴されるように、花を訪れ花蜜や花粉を食糧にする草食性のイメージが強い。だが、一方で、ジガバチトックリバチ、ベッコウバチ、ドロバチのように他の昆虫を捉えて幼虫の食糧にするカチウドバチ(カリバチ)や、セイボウウマノオバチのように他の昆虫に寄生するものといった肉食の主の方が数多い。より積極的、日常的に他の昆虫を襲うのがスズメバチ、アシナガバチで、鱗翅目昆虫の幼虫、つまりイモムシ、ケムシの部類を噛み砕いて肉団子にして幼虫に与えたりする。カリウドバチは獲物を麻酔で眠らせ、生きながら幼虫に貪らせる。麻酔で生きたまま動きを封じることで、いつまでも食糧は腐敗しないのだ。これをより緩やかに実現したのが、寄生という生き方だろう。寄生された側は寄生されながらも成長し、大概は蛹へ脱皮する。宿主が蛹になった時点で寄生側も本領を発揮し、動けない宿主を外郭を残しただけのがらんどうに食い尽くしてしまう。鱗翅目昆虫の幼虫を飼育した人の多くが、蛹まで育てたチョウやガの羽化を楽しみに待っていたのに、出てきたのは蛹に穴を開けた小さなハチだったりするという凄惨な運命を見届けるハメに陥る。これもひとつの貴重な経験であるし、人生勉強であったりもすると、杜氏には思える。
 即座に殺して食べようが、麻酔で眠らせてチビチビ食べようが、密かに産卵して自由に活かさせたまま寄生を続けようが、捕食という意味合いからはどれも同じであるように感じるてしまうのは、杜氏だけだろうか? ハチという種族の生き方にどうも好きになれないところを感じるのは、こういった残虐性ゆえかもしれない。効率的に生きるというのは、時に凄惨な方法であったりする。
 アリはこうしたカリウドバチから進化したものだと言われる。従って基本的には肉食である。だが主に他の動物の死骸を食糧として確保するというよりリスクの少ない方法が、雑食性へ進んだとも考えられる。砂糖などの植物の加工品も動物の死骸も、動かないという点では同じである。

 どう見てもアリにしか見えないハチもいる。その名もアリバチである。日本ではミカドアリバチがその代表的な種である。ミカドは三つの角などどこにも見えないことから、帝から来ていると類推出来る。偉そうな命名である。どこか高貴なフルマイでも見られるのだろうか。オスには翅がありものの、メスにはない。体長も12ミリほどでアリと変わりはなく、アリとして見過ごしている人も多いかもしれない。全身を細かな繊毛が覆っていることから、英米ではVelvet antとも呼ばれるらしい。完全にアリ扱いである。頭部、腹部は黒色であるが、胸部だけが赤い。アリはああ見えて衆に恃むと恐ろしい昆虫であるので、これはムネアカアリへの擬態であると指摘する人もいる。だが、形態的には明らかにハチであり、産卵管は他のハチと同じく、毒針として機能し、うっかり刺激すると刺されることもあるらしい。また、アリに似ているからといって、このハチがハチのひとつの在り方としてのアリへの中間的な種であるとは、どうも思えない。
 アリバチはすべからく寄生蜂である。地下に単独で営巣するタイプのハチがそのターゲットとなる。カリウドバチやハナバチに寄生する。ミカドアリバチの場合、トラマルハナバチに寄生する。寄生蜂であるので、アリのような社会生活は営まないし、こういう生き方がアリへ進化する中間形態であるとは考えにくい。
 セイボウなどもそうだが、どうもハチは同じ膜翅目昆虫に寄生するケースが多いようである。これは他の類には見られないケースではないだろうか? 哺乳類まで見回しても、あまり思いつかない。人間がサルを食うようなものである。映画「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で、インドを旅するインディらが「魔宮」でサルの脳味噌の姿造りの歓待を受けるが、それがおぞましく感じられるのも、人間とサルが同じ霊長類であるからだ。寄生蜂に限らず、スズメバチもミツバチの巣を襲ったりする。
 膜翅目昆虫がそれぞれ効率的な生き方をしているのは確かで、更に効率のいい生き方を求めると、同属同士を餌食にするのが一つの安定的な最適解に落ち着くのかもしれない。だが、擬人的な見方を動物の生態に適用するのはアンフェアであるというのが杜氏の持論だとしても、人間的な感覚からすれば、そこに浅ましさ、おぞましさをどうしても覚えてしまう。
 アリバチの生活史に詳らかな資料はあまり見当たらないが、当然のこととして宿主の生活史に依存するのだろう。杜氏の経験では夏に見かけることが多い。ハナバチやカリウドバチの多くが夏に成虫として活動するのと一致している。ツヤアリバチなどはハンミョウの幼虫に寄生するらしい。これも地下で生育する昆虫ということで、ハナバチ、ジガバチなどのカリウドバチと共通する。そもそもアリバチのメスが翅を退化させてしまったのも、地下に棲む昆虫(幼虫)をターゲットにしているため、翅で飛翔する必要がなくなったためであろだろう。ハナバチなどが地下に営巣するのも、外敵から目につかないし、襲われにくい安全性からであろうが、トンでもない天敵もいたものである。しかも、この天敵は、自らも地下で育つ点で、宿主の安全性までも貪っているのだ。
 どうもいけ好かないヤツらである。
 アリのおぞましさには、集団で残虐な行為をする点がある。その意味では単独行動に徹しているアリバチはまだマシなのかもしれない。人間にも暴走族、太陽族(死滅したが)、族議員、師族(医師、弁護士、代議士)、etc.と、仲間とツルんで悪事を働くヤカラが多い。ハチ、アリ型の生き方と言えよう。



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