アザミウマ

目立たぬことのメリット

 人間というものは、在り得ぬ組み合わせに興味をそそられる一面がある。「ウナギイヌ」「ケムンパス」などという単純な合成生物キャラで人気を博したのはギャグ漫画家赤塚富士夫だったが、その原形は赤塚の先人、手塚治虫がアイディアに窮してコマの隅に描いたヒョータンツギなる正体不明の生物だったのかもしれない。
 キメラ、キマイラと称するものは古今東西神話の古から受け継がれている。半獣半神(人)のケンタウロウスやミノタウロスやパン神、髪の毛がヘビのゴルゴン、人魚、一角獣、河童、カラステング、鵺、アマゾンの半魚人、人狼、etc. 枚挙に暇がない。お話しの世界では物足りないのか、レオポン、ライガー、オカピーなどのように、自然界に逆らった交配によってフリークに近い生物を見出したり、伝説の一角獣に似たクジラの一種であるイッカクを求めて地の果てまで冒険してみたりもする。変身ヒーローものの怪人、怪獣もキメラに近い造形が多用される。
 1984年に復刻後のゴジラ・シリーズに「ゴジラvs.ビオランテ」があった。公募で集めたシナリオから採用されたストーリーだったが、ゴジラ細胞を人間(何と沢口靖子!)の細胞とバラの細胞に組み込んだ何ともキテレツな組み合わせから成るビオランテに訴求力がなかったのか、興行的には低調だった。だが、逆に映画としてのデキは必ずしも悪くはなかった。ビオランテとは、北欧の神話で不慮の事態で亡くなった娘を蘇らせようとした老人が生み出したキメラであるらしいが実際の北欧神話には、ビオランテなる固有名詞は見当たらないらしい。怪獣化したゴジラ+沢口靖子+バラのキメラに対して、それを生成してしまった高橋幸治演じるマッド・サイエンティスト(沢口靖子の父)自身が、さもヒトゴトのように「あれはビオランテだよ」とノタまうシーンに、「あンたのせいだろ!」と後頭部に延髄斬りを食らわせたくなった鑑賞者は全体の八〇パーセントは越えていただろう。こういった脚本のアラや、沢口靖子の昇天シーンを見させられる気恥ずかしさといった欠陥はあったが、復刻後ゴジラの中では一、二を争う傑作であった。爬虫類と植物と哺乳類(しかも人間の美人)のキメラというのは強烈で、ある意味鵺以上のインパクトがあるし、想像を絶するだけにおぞましくもある。口にした人間の人間性を奪い、植物化してしまうキノコ、マタンゴのおぞましさ、恐ろしさに共通するものがある。ビオランテの造形はコメディ風味のホラー映画(演劇)である「リトル・ショップ・オヴ・ホラーズ」の「オードリー2」をパクッたという説もあり、脱力させられたというオチもつく。
 SFの定義のひとつに常ならざるものを扱っているという条件があるらしい。そのデンでいけば、神話に登場するキメラも数あるメタモルフォーゼ伝説も、SFの原形だったのかもしれない。
 男の子が昆虫を好むのも、こういった常ならざる形態、生態を昆虫に見るからである。殆どの女性、大多数の男性にはおぞましいだけの昆虫の生態、形態がたまらなく魅力的で愛しく感じられるのだ。想像力のキャパシティ、感受性の構成の問題なのかもしれない。あるいはSF関係者が言う「センス・オヴ・ワンダー」の有無を図るリトマス試験紙なのかもしれない。

 アザミウマはそのネーミングだけから想像すると、キク科の植物であるアザミと馬のキメラではないかと思い込んでしまうが、実際にはアザミなどの植物の花の奥に潜んでいる昆虫である。残念ながらキメラではなく、1mm10mmほどの微小な昆虫である。杜氏が少年時代には鞘翅目なのか、半翅目なのか判然としなかったが、今は独自のカテゴリーである総翅目に分類されているらしい。とにかく微小であるし、常に花の中に潜んでいるために人間が目にする機会は滅多にない。
 昔は子供達がアザミの花を摘んで、「馬出よ、牛出よ」と言いながら手で軽くたたいて、花の外に逃げ出したこの昆虫の数を争ったという。昆虫を馬や牛にたとえることが多かったらしい。今はウマの名を持つ昆虫はカマドウマとこのアザミウマぐらいなものである。頭部が細長く、馬面に見えないこともないが、これは後からのこじつけであろう。全体的にスリムでハネカクシにも似た形態をしている。翅は翅脈が退化し殆ど膜化している。その翅は周縁に繊毛を帯びており、それが総状であることから総翅目と分類されている。
 構造的には半翅目昆虫に近いらしく、進化の上でセミ、カメムシとは似たような位置づけと言える。ただ、完全変態なのか不完全変態なのかには、説が分かれるらしい。成虫になる前に一時期活動が鈍くなる時期があり、これを蛹期と判別する学派もあるという。ただ、活動が完全に停止するワケではなく、彼らの言う蛹期も二令に別れるらしい。その間、食餌摂取も行われる。何を以て蛹と定義されるかは判然としないが、どうも蛹らしくない。因みに半翅目昆虫は不完全変態を採る。
 マイナーな昆虫であると思われる向きも多いだろう。ところが個体数、種類の面で、トンでもなく多様化し、繁殖を遂げている一族を成している。おそらく様々なヴァリエーションを人間側で把握し切れていない。花ばかりではなく、土中に潜み、キノコ類、菌類などを食糧にする種が支配的でもあるらしい。人間との接点が極めて少ないだけで、実はとても繁栄している生物なのである。
 近年の研究では、群生しているアザミウマは膜翅目昆虫のアリやハチの一部と同様、社会生活を営んでいることが判明したという。侮れないチビスケ達である。進化論上、高等なのかどうかはわからないが、人間の介在という生物にとって最も種の存続を脅かされる要因から長い間無縁であったことから、外乱なく効率的な生態に辿り着くことができたのかもしれない。興味深いのはその生殖、繁殖の在り方である。多くの昆虫と同じく、アザミウマも雌と雄の交尾、交配によって生殖を為す。だが、生殖行為を行わなかった雌も単性生殖を為すらしく、交配なしに生まれる個体は例外なく雄なのだという。アリやハチは殆どの個体がハタラキアリ、ハタラキバチであり、その実態は生殖能力を持たない雌である。アザミウマは逆に雄が多く出生する必然でもあるのだろうか。そして雄が数的優位であってもおかしくないのに、交尾にあぶれて単性生殖する雌が毎世代現れるのも不可解である。
 生活史はあまり解明されていないようである。他の昆虫のように季節によって卵、幼虫、成虫のサイクルが規則的に営まれているのかもわからない。微小な昆虫なので、さして長期間生きているとも思えないのだが、越冬は成虫で為されるようだ。というよりも、気温が一〇度を少し切る程度で、活動が鈍化する生態を持つらしい。それ以上であれば普通に活動が可能だとか。
 カブトムシやカミキリムシ、アゲハチョウ、モンシロチョウ、各種のトンボのように温暖な地方の平地でよく目に付く昆虫は、人間の築いた環境に順応することで今日の繁栄を手にしてきた。生活圏が人間にとって快い条件とほぼ合致しているから、人目にも頻繁に留まる。だが、アザミウマは逆に好奇心の強い子供の遊び以外に、全く人間とは没交渉の環境に偶然にも生き続けたことで、決して広範な一族とも思えないにも拘わらず、驚異の多様化を遂げてきた。そもそも微笑であるがゆえ、人間とは同じスケールの生活観を持ち得ない。これがアザミウマには幸いしたのだろう。絶滅危惧種などというお節介なレッテルとも無縁である。
 だが、最近は何でも害虫にしてしまう人間の偏狭さに触れてしまう種も登場し始めているらしい。アザミウマの口吻は他の多くの昆虫とは違い、吸汁型の構造を持たない。つまり、植物に小さな穴を穿ち、最小限のダメージを植物の表面に与えることに留め、最大の実利を得るようには出来ていないのだ。吸収型であり、直接植物組織を破壊してしまう。多くの在来種は花の花粉を好んだり、土中の菌類を貪っているので問題にはならない。人間の目に止まってしまったのは、またもや帰化種であるらしい。トマトやナスといった作物を食害する害虫と見做される種が、ほんの最近、リスト・アップされ始めている。接点のなかったアザミウマと人間がとうとう干渉を始めたのだ。アザミウマが破壊した植物組織にバクテリアが繁殖し、二次的被害を及ぼすことも問題視されている。心配なのは、帰化種と在来種の区別などつかない人間が、無辜の在来種まで目の敵にして徹底した駆除を敢行しないかという点である。そうなる可能性は決して低くはないようにも思える。
 アザミウマの多様なヴァリエーションはオーストラリアに棲息する有袋類の適応分散を思わせる。殆どが草食性であるが、肉食の種もあるという。人間という現在の地上のターミナル・アニマルの影響下から自由であるがゆえ、その生活は何の干渉も受けることなく、勝手気ままに拡がっている印象が強い。杜氏はノアの筐船に一つがい載せる生物を人間が選んだというキリスト教の価値観に拭い難い傲慢さと愚かさを覚える。アザミウマの存在はノアのごとき愚者の目には止まらぬほど微小な存在であったのだろう。だが、微笑であろうと巨大であろうと、人間にとって愛らしくあろうとおぞましくあろうと、その生物の存亡には影響がない。

 先日、TVのタレントの素顔紹介のような番組で、ドリフターズの仲本工事が登場するのを見かけた。誰もが好人物だと評価していた。オレがオレがと前面に出たがる周囲から一歩引きことで、相手のウラを取るような芸風で一番おいしいところを結局持ってゆくのだそうだ。杜氏はドリフターズという存在に殆ど興味がなく、仲本についてもコメディアンとして重要な資質である身体能力の高さ、機敏さを他のメンバにはない武器として持っている優れた喜劇役者という認識しかなかった。その番組を観て、なるほどと思った。他の全員が攻撃的な働きかけを持ち味とする中で、引きの演技で他とは反対の反応をする存在は決定的な差別化要因となりうる。ただ引いているだけでは埋没するだけで、仲本には体操競技者出身の軽快な身のこなしのみならず、精神的にもそういった軽妙洒脱さがあったから、相手を裏投げで転がすような芸当が出来たに違いない。アザミウマに似ているなと感じた。
 アザミウマという一見キメラめいた昆虫は、ゴジラを筆頭とする自己主張の強い怪獣とは違い、「引き」の生態を活かして、人間の目には目立たぬうちに裏ニッチを獲得してきた。それはそれでセンス・オヴ・ワンダーを喚起するものがある。
 今、一握りのニッチ逸脱者の帰化種が人間のブラックリストに載ってしまい、人間との完璧な棲み分けが出来ていたアザミウマの平和にも、人間の魔手が忍び寄っている。この危機をどうしのぐかに、アザミウマの存亡がかかっている。



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