ビロードハマキ
ガの美麗、チョウの不気味
松下のCMに出てくる「きれいなおねえさん」は、清楚な容姿容貌を持ちながら、その実、家で電気シェーヴァーで腋毛などを剃っているところを弟に見せびらかしたりしている。脱毛をした後の取り繕った姿がきれいなのか、取り繕う過程の腋毛を剃る姿が猥褻できれいなのか、よくわからない。CMはその二面性を仄めかしているように見える。紙切り芸の完成作品と作品を切り取った残骸に等しく価値があるのと似ている。水商売のきれいなおねえさんは「夜の蝶」などと呼ばれるが、一般的にチョウは昼行性で夜には活動しないから、例外的な意味で夜活動する人間のチョウのことをそう呼ぶ。CMのきれいなおねえさんのイメージは昼行性なので、この呼称には相応しくない。逆に昼間仕事をしている身だしなみが行き届いていない女性のことを、「昼の蛾」などとは呼ばない。そンなことをした日には、方々から石が飛んでくるに違いない。
そもそも同じ鱗翅目で、習性や体型も殆ど変わらないのに、なぜ人間はチョウを美しいもの、ガを地味なものとイメージするのだろうか。天照大神が神々しい輝きを放つ八百万の神の長なのに対して、弟の月読命は陰気で影が薄い印象が否めない。森羅万象を闇で包み込む神秘の魔性を与えられてもおかしくないのに、どうも夜を象徴するものは分が悪い。夜の闇ではなく、太陽の光を受けてこその月の属性を与えられているせいだろうか。ガも月読命のような扱いを受けている。オオミズアオのような殆どのチョウより大きく、美麗な存在も、チョウからは明瞭に識別しうる幽玄な隠微さを漂わせている。スズメガは主に薄暮から咲くマツヨイグサなどの花に飛んでくるが、夜咲く花があまり多くないことから、やや昼行性に傾いている。オオスカシバなどのように地味なところがあまり見られないスズメガも多いが、それでもチョウとは区別される何がしかの雰囲気を持つ。
ガは確かに色彩も地味でパッとしないものが多い。だがそうとも限らない。最も美麗なガな最も地味なチョウより遥かに華やかであるどころか、最も美麗なチョウが外国産のモルフォチョウのようにけばけばしいことを思うと、遥かに趣味のいいデザインを持っている。ところが、ガは美麗種ですら、夜灯火などに寄って来ただけで、不吉がられたり果ては不快害虫という何だかよくわからない理由で排斥されてしまう。この差はどこにあるのだろうか?
ビロードハマキという名を聞いて、ガを連想する人はあまりいないと思う。こういった、何の類か名だけではよくわからない、こちらのイメージを喚起させるような命名を、杜氏は好む。ビロードツリアブを採り上げたから次にこの昆虫を選んだワケではない。全く別の味わいを持った昆虫である。ビロード(ヴェルヴェット)のような印象の翅を持ったハマキガの一種である。ハマキガは形状が葉巻のようであるからそう呼ばれるのではなく、幼虫が食樹の葉を巻いて、その中に逃れながら過ごすことからその名がある。ところが、ビロードハマキは止まっていると葉巻を想起させるような形状と見えなくもなく、事情を複雑にしている。これが美麗なガである。常に表に出ている前翅は黒っぽい地に中央付近がややくすんだオレンジ、全体に繊細な細工物のような白い斑点が鏤められている。良く見ると地の色の部分が細かな支脈の部分で、本当の地は白斑であるようにも思えてくる。また、前翅を開くと覗く後翅は鮮やかなオレンジの地に黒っぽい紋が複雑な幾何模様を成して走っている。後翅の末端は左右とも朱色に彩られており、止まっている状態で翅を合わせると、尾が頭のように見える。鱗翅目昆虫の幼虫にはよく見られる傾向だ。尾状突起や蛇の目模様、反り返り行為などがそれである。捕食者を欺くように機能していることはいうまでもない。ビロードハマキは成虫がそういう構造を持つ。
開帳は雌で55mm、雄が35mm程度と性差がかなりある。雌だけなら中型か、むしろやや大型のガに属するが、雄の場合かなり小型寄りの中型と見なすことが出来る。
食樹はカシやケヤキだそうだ。これも変わっている。カシだけ、ケヤキだけなら納得も行くが、カシとケヤキは全く違う種類の植物である。栄養素としての成分も異なるであろうし、命名の元となった特徴である幼虫の葉巻行為も、カシとケヤキでは葉の大きさも形状も全く異なっており、普通は同じ方法で営巣が可能だとは思えない。どの食樹を好もうとビロードハマキの勝手ではあるが、あまりに統一性、普遍性を欠いているように思える。どこまでもトリッキーなガである。
オオミズアオはあくまでシンプルな色彩で月明かりを集めるかのように青白く光るが、ビロードハマキは複雑な模様、意表を衝く後翅の彩り、理解に苦しむ幼虫の食性、尾を頭と欺くような形状と、どれを採っても一筋縄ではいかない特徴を備える。この二種が日本の代表的なガの美麗種とされているが、在り方は対照的ですらある。
チョウが多くの人間をその翅の美しさで魅了しながら、頭部、つまり顔つきは昆虫の中でも特に不気味な部類に属することは折に触れて書いている。ガとは、人間にとってチョウの影のような存在であり、チョウにはなきものと見なしているような顔つきの(人間の感覚に照らしての)醜さ、鱗粉が容易に剥離する退廃的な脆弱さを一手に引き受けさせてられている趣きがある。芸術の類型にアポロ的、デュオニューソス的というのがある。明瞭で普遍的な表現、描写により、ものの本質を白日の光の下に詳らかに描くのが太陽神アポロに準えられたアポロ的芸術である。酒による酩酊、演劇の予め約束されている欺瞞を象徴する神であるデュオニューソス(バッカス、バッコス)に準えられた芸術は人間の叡智が辿り着くことが出来ない深淵の闇を持つ。デュオニューソスは一説には、各国神話に相似関係を見出すことが出来る男根神であるとも言う。論理を超えた情念に支配されているのがデュオニューソス的な芸術であることを思うと、それもむべなるかなである。だが、アポロンのように明晰一辺倒の人間も、デュオニューソスのように酩酊して乱暴狼藉ばかり繰り返す人間も実際には存在しない。人間はアポロ的要素、デュオニューソス的要素を併せ持っている。アポロですら、自分の所有している日輪の馬車を勝手に乗り回した息子が焼死した時には激情に駆られ泣き叫んだではないか。芸術を安易に類型化するのも如何なものかと思う。
ところがものごとを類型化しなければ安心できないのも人間の業であろう。アポロチョウという種があるように、明瞭な性格を持つものがチョウ、不明瞭で混沌とした性格を帯びるのがガという区別をして、鱗翅目全体が持つネガティヴな要素をガの側に押し付けてしまったのだ。皮肉なことに、その不明瞭、不可解な性格を凝縮したような形態、生態を持つビロードハマキは、普通のチョウには及びもつかない美麗種となっている。またアポロ的に明瞭な色彩、形態を持つオオミズアオも、ガというだけで醸している幽玄な香気と相まって、キメラ的な妖気を発するように見える。これらは人間の勝手な解釈が生んだ歪みを、鏡を覗くように我々が見ているに過ぎない。
CMに出てくるような清楚な「きれいなおねえさん」もムダ毛の処理はおろか、汗もかけば、口臭、体臭もあるだろうし、排泄行為だってする。夜の蝶にしても脂粉を凝らして媚態を付加価値に換算するのは職業上だけのことで、個々の人間として清廉な心根と高潔な矜持をも持っているに違いない。「チョウだからこう、ガだからああ」といったトコロテン製造機のような類型化でしか価値判断が出来ないような、脳味噌を働かせない価値観でいると、ロクなことにならないと感じるのは、杜氏だけだろうか。
チョウがチョウであり、ガがガであるのは、人間の幻想の産物に過ぎないのではないだろうか?
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