ブドウスカシバ

由緒正しい真性害虫?

 アダムとイヴが蛇に唆されて口にし、神の怒りを買い、エデンから追放になった原因である「知恵の木の実」はリンゴであるとされる。リンゴを囓ると歯茎から血が出るかもしれないが、知恵がつくとは寡聞にして耳にしたことがない。杜氏は青森近辺に親戚がおり、毎年リンゴには事欠かなかったが、さほどの好物でもなかった。さては知恵が足りないのもそのせいとみえる。(もっと、基本的な問題? ごもっとも)
 だが、世界最古の栽培植物にして、現在でも世界中で最も多く栽培されている植物は残念ながらリンゴではないらしい。ブドウである。日本にはブドウを発酵酒に仕立てる習慣がないが、世界各地で古くからワインは醸造されていたのであろう。ヤマブドウならちょっとした森林、野山に当たり前のように繁っているし、あまり世話をしなくても丈夫に育ちそうにも見える。ワイン醸造業者にしてみれば、栽培にも収穫時期にも細心の注意を払うのだろうが。

 このブドウ。当然栄養があり、生命力も強かったから、今の繁栄を遂げてきたのだろう。この木をホストにして繁殖する昆虫がいてもおかしくはない。その代表がブドウスカシバである。オオスカシバと同じスカシバの類だが、飛翔の態がハチに似るオオスカシバの特徴に加えて、更に念の入ったことにブドウスカシバは姿までハチにそっくりである。スカシバというくらいだから、鱗翅目の特徴である鱗粉が少なく、透けている羽を持つ。折り畳むと黒褐色に見え、これもハチと見間違う特徴である。当然、腹部には黄色と黒褐色のツー・トーン・カラーが見られる。止まっている様子までアシナガバチに似ている。
 ブドウに害を及ぼすのはご多分に漏れず幼虫で、葉ではなく蔓の中に入り込んで幹を食べる。ブドウスカシバの幼虫はブドウムシ、エビヅルムシと呼ばれ、これらが巣くっている蔓は5センチ以上の長さの脹らみとなっているのですぐにわかる。エビヅルは代表的なヤマブドウの種類で、同時にブドウの蔓を指すので、この二つの呼び名は同義語である。成熟した幼虫は5センチ程度とかなり大型に育つらしい。ブドウムシ、エビヅルムシは古来から川釣りの餌に用いられてきたらしい。ヤマメ、イワナの好物であるらしい。
 同じように蔓の中身を貪る幼虫にはブドウトラカミキリがいるらしい。トラカミキリの類も奇しくもハチに似た飛翔で天敵の目を欺くことで知られる。偶然だろうか。必然性、因果関係があるのだろうか。ブドウトラカミキリとブドウスカシバは、外からは糞の出し方で見分けられるらしい。糞を適宜外に出すのがカミキリで、一切出さないのがブドウスカシバだそうだ。
 蔓の末端にまで水分を送る幹を蝕むのであるから、ブドウスカシバのいる箇所から先はいずれ枯死する。そうなると、ブドウムシは根の近くに居場所をシフトして飽食を再開するらしい。実を着けるのは当然蔓の先の部分であるから、食われたブドウの蔓は結実することが出来なくなる。ブドウ栽培農家が頭を悩ませるのも当然だ。

 だが考えてみてほしい。ブドウは古くから栽培されていた植物であるかもしれないが、人間が栽培、収穫をする前までは野生で、誰にも所有されていないヤマブドウに過ぎなかった。ブドウにとっての一番の害獣は、繁殖条件を拘束され、文字通り不自然な品種改良などで生物としての本来の形質を歪められ、地に落ちて次代の種子となるべき実を果物として食されたり、発酵してワインにしてしまう人間にほかならない。たかだか巣くわれた蔓の先をブドウスカシバやブドウトラカミキリに枯らされたり、葉の表面をエスカルゴとして料理されてしまい、酔狂な粋人によってそのブドウから出来るワインの肴にされてしまうカタツムリに削られたとて、本質的な被害など被らない。寧ろ、実を作るエネルギーの為に余分な枝葉を間引くことで、最終的には植物にとって益となるかもしれない。自然のバランスというのはそういう仕組みになっている。
 実を不自然に美味しく加工したり、ワインとしての格を上げるために生態をねじ曲げる方が遙かに罪は重い。ワインを嗜むのがブームとなり、元からそういう風習のなかった日本人でも文化人(というか芸能人、スポーツ関係者の類)が尻馬に乗っている。やれポリフェノールがどうとか、年代や産地(どの畑で収穫されたかまで忖度する!)がどうとか、貴腐菌がどうとか、ボージョレ・ヌーボがどうとか・・・。杜氏の同世代でもそういった人達は多い。どうせ彼らの少年少女時代などにはワインというか葡萄酒といえば、砂糖を混ぜたように甘ったるい赤玉ポートワインを盆や正月に、「お前も飲むか?」などと言われて舐めていたに違いない。彼らが本当にワインの味がわかるのか甚だ疑問である。少なくとも私にはわからない。優れたソムリエはプロとして尊敬に値するだろうが、そこいらの文化人のワイン嗜好にはヘルシー志向と文化的な臭気を身に纏い、大衆からのイメージを変えたいような意図が透けて見える。There is no accounting for the taste. 人の嗜好にケチをつけるのは妥当ではないが、杜氏個人としてはヨーロッパの格式張った文化の上にあぐらをかいているワイン文明に傅きたくはないと感じている。

 ヨーロッパ人にとって特別な作物であるブドウなのであろうが、そういう付加価値は植物としてのブドウにとってはありがた迷惑なものでしかない。ましてや、その神聖なブドウを侵害するからといって、ブドウスカシバが文化の敵、正真正銘の害虫と指弾され、それこそが害毒である農薬の犠牲になるのは不当であろう。ヤマブドウにもブドウスカシバは巣くう。ワイン用の畑の蔓に棲む幼虫が悪で、ヤマブドウをホストにするそれが悪ではないなら、人間は善悪を自然に成り代わって判定する不遜な存在であるとしか思えない。そもそもヨーロッパ人が信仰するキリスト教的な価値観に照らせば、ブドウスカシバもCreatureであり、人間と同じ神の創造物で独自のミッションを授けられているのではないか? 身勝手にも程がある。

 杜氏もブドウを栽培したことがある。庭の隅の方に棚を吊った憶えがある。その蔓には約束されたように膨らんだブドウスカシバの幼虫の棲み拠が出来た。アシナガバチに似た成虫の姿も周囲に見ることが出来た。他に家庭菜園に成った茄子や胡瓜やトマトや南瓜、馬鈴薯を収穫し食した記憶はあるが、残念ながら檸檬と共にブドウの恩恵に与ったことはなかった気がする。また、同時に蔓に宿ったブドウムシを掴まえて渓流釣りの餌に利用したこともない。ただブドウが蔓を延ばし、その一部にブドウスカシバが住まいを借りる自然の摂理を眺めるのが楽しかった。
 誰もがそうは考えないことはわかっているが、植生を楽しむというのはそういうことだと杜氏は理解している。従って杜氏の園芸は躍起になって害虫を駆除し、一方的に植生を保護する昨今の高尚な趣味であるガーデニングとは似て非なるものなのかもしれない。



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