ドウガネブイブイ

不器用にもほどがある

 何を隠そう(「前を隠そう」と切り返すのは、小倉久寛のギャグだが)、杜氏は不器用である。ハンマー投といった複雑怪奇な種目を専門としていた癖にとても不器用である。小学生の時分、鉄棒とかマット運動とかは天敵に近かった。でも、相撲では(ケンカでも)負けたことがなかった。力はあるが身体をうまく制御することができなかった。人が右向け右をしていると、一人で左を向いていた。へそ曲がりと勘違いされる向きもあるだろうが、故意にではないのでへそ曲がり、天の邪鬼の類ではない。大真面目で左を向いていた。デングリ返しの類は未だ苦手が克服できていない。体育は2、美術は3だった。他の科目がほとんど5だったのに、器用さを問われる科目は極端に苦手だった。中学に入って、力やスピードでカバーする要素が多くなると体育は4になったが、三浦半島でトップ、県でも入賞可能な砲丸投競技者が学校ではデングリ返しに煩わされて5が取れなかった。
 不器用なことで色々損をしていると思う。字は下手だし、絵もカラキシ描けない。普通に行動しているような自覚があっても、あちこちにぶつかる。力があるから身体が傷まずにモノが破壊される。大工仕事をすれば怪我をするし、プラモデルは完成させた例しがない。その代わりに力が与えられたのかも知れない。でも料理は巧かったりする。あれは器用さより、味覚やセンスも問題かもしれないが。

 ドウガネブイブイという昆虫がある。ドウガネは胴金だろう。メタリックな緑の胴体をしている。よく見ればそれなりに美しいが、この昆虫を美しいと形容する人など珍しい。ブイブイは何だろう? 近頃では「ブイブイ言わせる」などとこの言葉を使う若者もいるが、その前からドウガネブイブイはドウガネブイブイだった。きっと飛翔する際の羽音から来ているのだろう。他に類似した種で例えばヒゲナガブイブイなりノコギリブイブイなりセアカブイブイなりがいるワケではない。ならばブイブイだけで通用しそうなものだが、あくまでもドウガネブイブイである。甲虫類、しかも、コガネムシの類である。だが、唱歌に唄われるような金蔵を建てるような金持ちにはとても見えない。いやむしろ、頭が悪いのではないかとすら思われる。
 ひたすら不器用である。先ほど「飛翔」と書いたが、それは適切な言葉ではない。ドウガネブイブイの飛行は突進でしかない。カナブンやハナムグリは花や樹液スポットといった目的地に敵を避けながら普通に飛ぶが、ドウガネブイブイはその意図が奈辺にあるのか疑問としか思えないほど直線的に飛び、障害物があればそれに激突する。運が良ければそこに掴まって泊まる可能性がある。泊まったところを捕らえようとすると、飛び立って逃げるのではなく、手を離して地面に落下する。甲虫類の常として頑丈な身体をしているせいか、その落下でこの昆虫がダメージを受けているようには見えない。落下してすぐに地面を歩行したりする。
 電灯の光に寄ってくるが、部屋にでも入ろうものなら、蛍光灯に激突しながら不器用な飛行を続けたりするので、鬱陶しくてたまらない。「ブイブイ」と羽音も大きく、激突音がその合いの手になったりする。性格は大人しいが、やたらうるさくて、方々にぶつかるけれど、身体が頑丈で害のない暴走族のようだ。明らかに草食なので、噛みついたり刺したりもしない。鬱陶しいことにさえ目をつぶれば、何の害もない昆虫だ。ただ、幼虫時代は地下で作物の根などを貪り、大量発生すれば農業従事者には大敵なのかもしれない。でも、幼虫のジムシも、カブトムシ、クワガタムシの小型版といった趣で害は感じられない。
 これが不器用な癖に、頻繁に部屋には入ってくる。網戸に取り付くのが苦手で、直線的に蛍光灯に突進するせいだろうか。これまた不器用な癖に、意外と飛行速度は高く容易に捕まえることができない。始末に終えないのだが、別段害はないので、うるさいことに耳を塞いで大概は放置される。ただ杜氏としてはそこそこ力とスピードがあり、ひたすら不器用なドウガネブイブイには身につまされるところがある。

 太古から現代まで種々の淘汰を受けながら生き延びてきた生物には、おのおの身を護るか積極的に補食を行うのに得意技を持っていることが多い。木の葉や花にそっくりだったり、強力な武器を持っていたり、強力な武器を持っている昆虫と見分けがつきにくかったり・・・。人間から見て、美しい色彩に見えても、捕食者達にとってそれは間違えて食すると自分に危害が及ぶというサイン(警戒色)だったりする。それらが独自の生態として、人間から見ても興味のつきないところなのであるが・・・。
 ドウガネブイブイにそのような技があるとは思われない。特徴といえば名前が特殊なだけで、それが武器になっているということなど考えにくい。だが、夏の夜になると必ず幾晩かはこの虫の訪問を受けることになる。繁殖力は意外と強い。ということは、産卵から成虫となって生殖行為に及ぶまでの生存率も高いということだ。
 極端に平凡な種が案外目立たずに繁栄を遂げるというのは考えやすい。でもドウガネブイブイは極端に不器用というネガティヴとしか思えない要因で他から際立っている。人間は醜いアヒルの子という寓話を考え出した。幼い頃醜さを蔑まれた者が、驚くほど美しい姿に変身して周囲を見返すことがある。見返したとは物語にはないが、そういうニュアンスは多分に感じる。ところが、大抵の醜いアヒルの子は、長じても醜いアヒルの親になるというのが通り相場である。三十年以上前に「白いブランコ」「さよならをするために」をヒットさせただけなのに、未だ商売をしている兄弟デュオ、ビリー・バンバンも「醜いアヒルの子が美しい白鳥になったのは、お伽話の中だけのこと」と詠嘆している。でも、ドウガネブイブイのことを考えてみると、醜かったり(少なくとも美しくはなかったり)不器用だったり愚かだったりすることも、案外生きてゆく上でボトルネックとはならずに、逆に何らかのいい効果を生んでいるのかもしれない。
 寧ろ、他人の美しさ、賢さ、富貴、地位、特権などを妬んで、いつも現状を嘆いている方が醜いことなのかもしれない。また、一夜明けると全く別の美質を備えた存在に豹変しているという「変身願望」も慎むべきことなのであろう。
 ドウガネブイブイの不器用な姿を毎年見ていると、杜氏も持って生まれた不器用さを無理に克服しようとして怪我をするよりも、不器用さを貫徹するしか生きる道はないのだろうと、一種の達観を味わうことができる。


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