ブタクサハムシ

ここで遇ったが優曇華の花

 斉藤晴彦というタレントがトルコ行進曲に日本語の歌詞をつけて、激烈な早口で歌い、好評を博したことがある。どこからともなく聞こえてくると、十字軍が震え上がったという勇壮なトルコ行進曲(向田邦子原作・脚本の「阿修羅の如く」のテーマに採用されていた)ではなく、それを元にモーツァルトが作曲した有名なメロディにメチャクチャな歌詞を当てたものだった。つまりは風俗産業の王者であった「トルコ風呂」のことを、トルコの国民がその命名に大使館経由で疑義を呈し、「ソープ・ランド」に無理やり改称させられたというエピソードを高らかに歌ったものだった。「行こう、トルコに金続く限り」といった歌詞が、斉藤氏の確かな歌唱力も相まって楽しかった。トルコ風呂はソープ・ランドなる名称が定着する前には、週刊宝石などが提唱した(?)「ロマン風呂」という呼び方もあった。だが、そちらは自然淘汰されてしまったようだ。
 トルコの宮殿の風呂は蒸し風呂であり、そこにハーレムを成している多数の美女がサルタンにはべった風習から、日本の「トルコ風呂」は命名されたようだ。ゴージャスな雰囲気を醸したかったのかもしれない。そりゃァ怒るよな、トルコ国民。
 このように無責任に変な名前を付けられているものは世の中に案外多いのかもしれない。特に生物は人間にトルコ国民のように文句を言えないので、そういった種が散見される。もっともひどいのが「ヘクソカズラ」で、悪臭を放つからといってそこまで言わなくても済むだろうにと感じてしまう。それに準じてあンまりなのは「ブタクサ」だが、豚を食肉として有効に活用していながら、豚を不潔で卑しい獣であるとイメージすること自体が豚に失礼なのである。実は豚は綺麗好きな動物であることが伝えられている。「痩せたソクラテス」だろうが、「太った豚」だろうが、当のソクラテスや豚にとっては大きなお世話だ。太ったソクラテスの如き賢人も、痩せた豚も世の中にはいるだろうに。
 ブタクサは既に触れたセイタカアワダチソウ同様、北米原産のキク科植物で、帰化植物である。米名のhogweedが直訳されたものらしいが、その名で呼ばれているのは似ても似つかぬセリ科のハナウドであり、ブタクサはragweedであるらしい。ragweedにしたところで、ボログサでしかない。いずれにしても人間から冷遇を受けていることに変わりはない。セイタカアワダチソウの項でも述べたが、秋の花粉症の多くはこの植物によってもたらされる。また原産地の北米では、枯草熱を引き起こす植物として嫌われているらしい。邪険にされるのに理由はあるが、それはブタクサのせいではない。ただ、国の花、都道府県の花、市町村の花には指定しにくいだろうと想像できる。

 このブタクサ、セイタカアワダチソウと同じく、天敵が日本に存在しなかったこともあって、所構わず蔓延し、在来種を圧迫することになった。だが、セイタカアワダチソウのように毒を発して他の植物を排斥したりはしないし、一年草なので冬になれば跡形もなく枯れてしまう。その代わり、花粉の害は甚大であるらしい。本家の北米より日本の方が蔓延っているだろうから、花粉症も酷くなる傾向にあるだろう。ヨモギに似た葉を持つが丈は2m程と高くなる。素顔は地味であまりパッとしない植物でしかない。
 ところが、猛威を揮っていたこの植物も二十世紀末には異変に見舞われることになった。ここのところ、東京や神奈川ではあれほどどこでも見られたブタクサをめっきり見かけなくなってきている。実はブタクサにとって由々しき大事が起きつつあるのだ。
 ブタクサには天敵がいない訳ではなかった。日本に天敵が存在しなかったに過ぎない。アメリカシロヒトリのように在来種から捕食者が自然と出て来る訳でもなく、向かうところ敵なしの状態を貪ってきた。ところが、ここに来て突然異変が訪れた。本国でも天敵だったハムシの一種が、なぜかボーダレス時代に乗って日本へと渡ってきたのだ。ブタクサにちなんで、ブタクサハムシと命名されたそれらは、豊富な餌であるブタクサに狂喜乱舞するかのように、爆発的繁殖を示し始めている。初めて確認されたのが1996年だから、ほんの十年も経ってはいない。それが今では北は岩手から南は熊本まで、広く分布するに至っている。その貪欲さは半端ではなく、あれほど猛々しいブタクサを完膚なきまでに枯死させるまで食い尽くすらしい。

 おそらく成田の東京国際空港を経由するケースが多かったのだろう。まず首都圏でブタクサの影が徐々に薄くなり始め、とうとう滅多に見られなくなってしまった。正にブタクサにとっては世紀末に訪れたラグナレク、ハルマゲドン、神々の黄昏であったろう。
 体長4〜6_のハムシとしては小型ではあるものの、標準的な範囲に入るサイズである。色は黄褐色で、何の変哲もない。ただ、背(前翅)の紋様が上下から流れて途中で消える縞を成しており、特徴的である。美麗とまでは言えない。猛威の原因は本国よりも気候などの環境が適していたのか、繁殖の度合いにもある。北米で年1〜2化だったのが、日本では4〜5化も繰り返すのだと言う。世代を重ねる毎に個体数も増えてゆく。短期でこれほどまでに繁殖したのも、確実にその世代の頻度にも依存している。

 なぜ、ここに来てブタクサを仇敵が襲ったのだろうか。おそらく何か特定の輸入品か、特定の作業に携わる人物達に着いて「密航」してきたのだろう。その特定の何かが、ここ十年のトレンドであったことが想起される。これまで仇敵から遠く離れて我が世の春を謳歌してきたブタクサにとっては天国から地獄への豹変であっただろう。敵の敵は味方という論理からすれば、人間はブタクサハムシを益虫と呼んでも差し支えないだろう。だが、それについては慎重な態度が取られている。ブタクサハムシはブタクサと同じく、キク科の植物を食草とすることが出来、事実ヒマワリは既に餌食にされ始めているという。人間がハムシを益虫と呼ぶなど、これまでの経緯からして考えにくい。いつか××の大害虫とでも呼ばれるに違いない。
 世界各国で活動するルパン三世の前に必ずどこからともなく現れて立ちはだかる銭形警部のようだ。もっとも、ルパン三世の場合、いつもやられるのは銭形のとっつぁんの方であるが。テリトリ意識が強いと思われる警察という組織で、よくもまあ、所轄に割り込んで越権行為的な振る舞いが出来るものだと感じていたが、銭形警部はインターポールに出向中であるらしい。それにしても所轄に煙たがられているだけのように見受けるが。ブタクサハムシはインターポールのように自在な動きなど出来ようもない。ただただ、可能性の低いチャンスが突然訪れたという印象だ。梵語で、三千年に一度姿を見せるという優曇華の花だ。もっとも大陸の表現は「千載一遇」(千載の載は年のこと)のように大仰なものが多く、それらには及ばないが。出会う可能性のあるものはいつかは出会うというのも、マーフィーの法則なのだろうか。

 日本のハムシはウリハムシ、ヨモギハムシ、イタドリハムシ、ヤナギハムシ、ハンノキハムシのように、食草と組み合わせた単純な命名をされることが多い。ブタクサというそれまで天敵が存在しなかったに等しい存在を好むという事実にはインパクトがあっただろうから、ブタクサハムシのネーミングは分類学者には当然のことだったのかもしれない。だが、もしブタクサハムシに読解力があったら、そンな名前で呼ばれるのはとても心外であろう。クサギカメムシと似たケースであるが、クサギカメムシはクサギカメムシで、その臭気から忌み嫌われている。トルコ風呂の例を引くまでもなく、あまり屈辱的な命名はするものではないと感じる。
 帰化生物は人間のライフサイクルのスパンで考えると、日本の気候風土に定着し、生態系の一部へ組み込まれているように見えるかもしれない。だがそれは、地球の悠久の歴史からすれば、ほんの一瞬の出来事でしかない。ブタクサハムシがブタクサを殲滅する勢いで貪欲さを発揮したとしても、帰化生物同士のバトルなど、正と負がキャンセレーションを起こしているようなもので、日本本来の生態系とは独立して無相関であるように見受ける。ゴジラとモスラが日本にそれぞれ渡ってきて、富士の裾野辺りをリングに決闘するようなものだ。プロレスならゴジラがヒールで、モスラがベイビー・フェースなのだろうが、そのような偏った人間の価値観で正と負、善悪を決めるなど傲慢な所業でしかない。



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