フユシャク
モノトーンの隠遁者達
声が大きい人間は何かと得をする。会社のような種々雑多な性格を持つ人々が、企業論理という不確かな原理の下ひしめき合っているような場所では、声が聞こえないよりは大きい方が認められる可能性が高い。その声が正しいのかそうではないのかという問題は、二の次だったりする。何が正しくて、何が間違っているのかという価値判断は、企業のような集団では判然としないところがある。
そういった場でも、平家物語の「盛者必衰」の例がないこともない。企業でしか通用しない論理を振りかざして、分限を超えたことをすると、今般のダレゾのように東京証券取引市場を混乱に招き、社会的、道義的責任を問われることもある。正しいと信じたことをしていても、企業を取り締まる種々の法規に知らず知らずのうちに抵触してしまうこともある。
日本人はそもそもどこから来たのか? 有史以前には島国ではなく、大陸と地続きで、人の往来があったようだ。今の列島の形態になってからは、島に留まった元々大陸からの渡来者が土着していたのだろう。それを済州島から攻め入って、侵略したのが騎馬民族とされている。半島から列島を陥れた、声のデカい連中だ。その侵略を正当化したのが「天孫降臨」である。原住民はどうなったか? 戦いに敗れて、辺境に追いやられた。熊襲やら蝦夷、アイヌなどと蔑まれて。騎馬民族による中央集権制度が確立した後も、原住民は夷荻として圧迫を受けた。武人の最高位が征夷大将軍などと呼ばれ、「夷を征する」という意味を持つのもその証左だ。
坂上田村麻呂が最初の征夷大将軍とされるが、倭健命などの全国各地での征伐の物語も、見方を変えれば侵略の歴史だ。源頼義、義家父子はまつろわぬ民の代表として、安倍氏を攻めたが、安倍氏側から見れば、頼義の謀略に陥ったという印象が強い。
後三年の役で、乱の首謀者とも言うべき悪党のはずの安部貞任が源義家に一首坂という土地で追い込まれた。弓の名人として知られる義家は敵の髪を斬り取る威力を持っていたその名も「髪切」と呼ばれる強弓に矢をつがえて、「衣の館はほころびにけり」という和歌の下の句を詠みかけた。安部貞任が風雅を解さぬ野蛮人であったら、そのまま射殺すつもりだったらしい。だが貞任は振り向き、馬首を義家に正対されてから、間髪を入れず「年を経し糸の乱れの苦しさに」と詠み返した。義家は武骨一方の軍人ではなく、和歌に長けていると評価の高い文化人でもあった。貞任の鮮やかな返答に感じ入り、攻撃をやめたというが、実際には文武両道の健康優良児が、田舎侍に一本取られて唖然としてしまい、取り逃がしたのではあるまいか。
大体、下の句を与える方は自分の発想で自由課題を相手に強いるのだから楽である。それを瞬時に返す側にセンスと運動神経が求められる。この勝負、貞任の勝ちと見るのが妥当である。貞任は極悪非道な謀反者ではなく、先祖の代から辺境の地にに追い込まれてはいながら、はスマートな教養人だったのである。それは貞任一人ではなく、安倍氏、清原氏(後の奥州藤原氏)に共通して当てはまることだと思われる。
こうした侵略民族と先住民族の戦いは、ちょうどイギリスのケルト人とアングロ・サクソン人の攻防を思わせる。違うのはケルト人文化がアーサー王伝説などを介して、スコットランド、ウェールズなどに肯定的に継承されているのに対して、日本人が先住民を完膚なきまでに駆逐してしまったことである。人気の「ハリー・ポッター」の源にはケルト伝承がある。映画版が「エクスカリバー」のセットのセコハンで行われたことは、濃厚にケルト文化の色彩が窺われる。日本でも鎌倉幕府設立は虐げられてきた東国武士革命だとも評価されるが、侵略民の武人の末裔が東国に派遣され疎んじられた鬱憤が爆発したに過ぎず、そもそも侵略民の武人は現地調達ではなく、陶芸、機織、建築等の文化と同様、渡来系のテクノクラートだった。
中国でさえ、元、清といった異民族支配の時代を持つというのに・・・。
日本では先住民族は次第に騎馬民族に圧倒され、北と南両極端の辺境に逃れ、中央の武力が及ばない土地で抵抗を試みる。生物ではどうであろうか? 肉食の獰猛な天敵に対して、保護色、擬態、警戒色といった消極的手段で身を守る手法が定着しているものの、地理的に生活圏をシフトして攻撃を逃れるといったことはあまり耳にしない。
フユシャク、フユエダシャクと呼ばれる鱗翅目昆虫のグループがある。シャクはシャクトリガ、シャクガのシャクだ。幼虫はシャクトリムシ。細長い身体の前後に分かれた肢、尾翅で木の枝を掴み、尺を測るように前進するからシャクトリムシの名がある。つまりシャクは尺だ。フユは、無論冬である。冬に活動するシャクガという意味である。
なぜ、生物の活動がこぞって不活性化する冬を活動時期に選んでいるのだろう? 増してや変温動物であるのに。容易に思いつくのは鳥や肉食性昆虫といった天敵の活動時期を避けた結果であることだ。だが、冬に見るこの種のガは、いかにもはかなげに頼りない飛翔しか見せない。実際に低温に徹底して強いのかと思えば、そうでもなく、活動が許容される温度は6〜7℃限界であるようだ。しかも、飛翔するのはオスだけで、メスには翅すらない。温度効率のいい生活を強いられるうちに退化したようだ。
冬の色をなくした世界の更に荒涼とした木の枝に同化するようにしてしがみついているメスは、地味な色合いをしている。いや殆ど色など持っていない。メスが木の幹に止まってしまうと、そこに昆虫がいるという意識のある熟練者ではなければ、容易に見つけ出す手立てがない。
メスにしてみれば、成虫の機能とは生殖と産卵のみであり、飛翔することなど不要なのだ。それに要するエネルギーを産卵に振り向けなければ子孫は残せない。メスは木に止まったまま、性フェロモンを発散して飛来するオスを誘引する。だが、このフェロモンもたかだか数メートルの範囲にしか届かないらしく、出会いは殆ど偶発的ですらある。この発散の弱さも、低温環境を生きるための制限に起因するのだろう。
翅を持つとはいえ、オスの翅も恐ろしく地味である。冬のモノトーンの世界に溶け込んでしまう印象が強い。同じ成虫越冬する鱗翅目昆虫でも、芸者の艶やかさに準えられるクジャクチョウ、冬に日向ぼっこをしている姿が散見されるアカタテハ、キタテハなどの彩りの豊かさとは対照的である。フユシャク、フユエダシャクのオスは灯火にも飛来するが、地味で羽ばたきも弱々しく、極端に影が薄い。
だが、そうまでして冬に成虫として活動するのは退化ではなく、進化の結果であり、フユシャク、フユエダシャクにとっては必然的なことなのだろう。山奥のカバ類の葉を食糧とする幼虫は人間に害虫呼ばわりされることもなく、あまりの影の薄さゆえか、婦女子に気味悪がられ、目の敵にされることすらない。
今の日本の拠所となった朝廷を武力を以て守り、先住民討伐に力を尽くした武人達は、最初こそ渡来系テクノクラートだったかもしれないが、辺境に赴任を続けるうちに先住民と交わり、血統上、渾然一体化したのかもしれない。先住民の逆襲が始まったのが、武家階級の勃興と同義とも考えられる。源氏、北条、足利、織田、豊臣、徳川と、鎌倉幕府以来、この国の為政は武人出身者達の手に委ねられてきた。首都機能はかつて騎馬民族系統の朝廷が蔑んでいた東日本へと移って久しい。声の大きな関西人達が反中央、反東京意識をその特性を最大限に活用した声高さで掲げるのも、東日本人が元々は先住民族で夷荻であり、自分達より劣った存在でしかないという拭い難い潜在意識が為せる業とも解釈できる。案外、先住日本人はしたたかであったのかもしれない。
とはいえ、この生命力の旺盛さを感じさせないガのグループが、夏を中心に活躍する主要な昆虫達を駆逐して主流を占める時代が来るとは考えにくい。ひょっとして、氷河期にサイクルがあり、地球温暖化の反動がそれを巻き起こした人類を襲うのなら別だが。
そう書いているうちに、地球の今後がその可能性を充分孕んでいるような気がしてきた。撤回しよう。フユシャク、フユエダシャクが主流を占める時代が、いつか訪れるかもしれない。
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