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幼い頃、「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉の意味がわからなかった。子供の目から見れば銀も金も、一様に美しい金属であり、銀が金に準じる存在でしかないことが理解できなかった。その言葉を実感として捉えることが出来たのは徳川夢声の朗読を聴いてからである、などというのは無論冗談。子供に言葉の間に横たわる沈黙の重さなどを感じることはできない。陰影のない文字通り金ピカな金より、寧ろいぶし銀の銀に好感が持てるということもあるのかもしれない。
オニヤンマは堂々たる日本最大の蜻蛉だ。飛翔力に長けた蜻蛉の中でもズバ抜けて姿形が美しい。オニヤンマの悠然たる姿が上空をよぎると、それだけで場が華やぐように感じる。黒に黄色のカラーリングは人間社会だと工事現場のようだが、動物にとっても注意を喚起する信号なのかもしれない。ハチが来れば人間は「逃げなければならない」と自然に感じるし、海蛇でも毒の強い種はああいう目立つ縞模様をしている。姿を隠して狩猟するのではなく、網を張って姿を顕しつつ餌を待つ蜘蛛の中でも特に貪欲なコガネグモ、ジョロウグモにはやはりオニヤンマと同じ配色が施されている。
ヤンマ類は他の蜻蛉や蝶蛾の鱗翅目の昆虫のように四枚の翅をバラバラに動かして空中で静止するようなホバリングをしない。グライダーのように大気を翅で捉え、直線的に跳ぶ。従って飛翔速度は速いものの、コツさえ掴めれば簡単に捉えることができる。ヤンマの飛翔が予測される経路にターゲットを想定して、そこに網を構えていれば捕獲の可能性は高い。この経路はヤンマ道と呼ばれるものらしい。多分、その空間には食糧となる他の昆虫が多かったり、生殖の対象となる異性の存在確率が濃厚なのだろう。特にオニヤンマは強大な蜻蛉である。他にオニヤンマの行く手を阻むような存在は少ない。誰憚ることなく飛んでいるオニヤンマを見ると、揺るぎない自信のようなものを感じる。
ところが怖いものなしに思えるオニヤンマにも天敵はいる。ムシヒキアブという肉食性の虻である。虻としては大型だが、オニヤンマの長大さには比ぶるべくもない。特に堂々とした風采を持っている訳でもない。だが、意外にもこの虻にヤンマ類は弱い。あまりに無防備に飛んでいるので、簡単に捉えることが出来るのかもしれない。杜氏もムシヒキアブが自分の身体の何倍もあるヤンマをくわえて飛んでいるショッキングな光景に何度か出くわしたことがある。自信家で端正な姿をしたヤンマも、この風采の上がらぬ、くすんだ印象の虻にミンチにされて食われてしまう。ムシヒキのヒキは挽肉の挽きであろう。
そういえば、くすんではいるものの、ムシヒキアブの体色も、オニヤンマ、ハチ、コガネグモに近い黄色に濃い褐色のトゥ・トーンである。ヤンマにとって危険な昆虫が他の昆虫にとって安全であるはずもない。
さてギンヤンマである。風格において蜻蛉の代表は確実に「金」たるオニヤンマであるが、ギンヤンマはあくまでスタイリッシュで機能美を醸している。オニヤンマより小型ではあるが、充分に大きな身体であるのに、敏捷性や方向転換の自在さにおいてギンヤンマには特筆すべきものがある。オニヤンマより遙かに捕らえにくい。静止して休んでいるギンヤンマは見ることすら難しい。静止した写真も少なくはないが、撮影には熟練した技術を必要とするはずである。銀とは言うものの、胸は淡い緑、胸に近い胴の部分が爽やかな水色である。金たるオニヤンマに準じるという意味合いが強いに違いない。近い種類にクロスジギンヤンマやカトリヤンマ、ヤブヤンマなどがいる。それぞれ生態やニッチによって微妙に大きさや体色が異なっている。
単独で悠々と飛翔することが多いオニヤンマに対して、ギンヤンマ、ヤブヤンマなどは群翔する生態がある。カ、ウンカなどの大量に群れる小昆虫をやはり群で捕らえにいくのだ。その当たりにも効率的な印象がある。
大きくて、すばしこくて、ヤンマに共通した飛行に適合したデザインを持ち、捕らえにくくて、色彩が美しい。捕獲者たる人間の子供の興味を強く喚起する要因を数多く持っている。これでは人気を博すのも無理はない。
このトンボを捕らえるのは容易ではないので、特殊な方法が用いられることが多い。鮎の友釣りに近い手法だ。原理もほぼ同じ。逃げないように糸で胴体を結びつけたオスをギンヤンマのテリトリに放ってやる。糸は振り回しやすい程度の長さに切った棒へ結びつけ、手に持つ。そうすると、必然的にテリトリを侵されたと感じた先住のオスは、闖入者を排斥しようと寄ってきて、攻撃を仕掛けてくる。攻撃に躍起になって、第二の外敵を警戒する働きが疎かになっているオスを網で捕らえればいい。このとき、とりもちなどを用いると、せっかくの端正なギンヤンマの姿を台無しにしてしまう。あくまで網でそっと採るのが得策で、飛行名人のギンヤンマにはやはり最大限の敬意を表さなくてはならない。叩き落とす手もあるが、これも損傷の可能性が高い方法だ。
メスを囮にする場合もある。やはりオスが寄ってくる。しかし、目的は領空侵害に対する迎撃ではない。人間の男性の皆さんにも共通する目的である。スケベ心が身の破滅を招くのは、昆虫の世界でも同じ事情であるらしい。
「蜻蛉釣り 今日は何処まで行ったやら」 加賀千代女の句だったろうか。この場合、なぜ蜻蛉取りではないかと疑問を感じたことがあるが、千代女の昔から、こういった手法が用いられていたのかもしれない。
杜氏の所属していた陸上競技部のユニフォームは手抜きで、上のランニングシャツだけ決まっていたが、下のランニングパンツは別段何を着ても良かった。シャツの色は淡い水色だった。如何にも弱そうな色である。高校のユニフォームはオレンジのシャツに真紅のパンツであり、身に着けるのが恥ずかしくなるような派手さだった。出来るだけ派手にして負けたらみっともないような色にしようと言う意図だったと聞く。裏返せば自信の裏付けである。だが、大学のユニフォームはそういう気概や志の高さが微塵も窺えない影の薄いものだった。同級生の我が儘な実力者はこれの着用を嫌がり、関東インカレの決勝でもユニフォームを着ないで、真っ赤なアディダスのランニングで専門誌のグラヴィアに載ってしまった。幹部からお目玉を食ったが、彼としてはユニフォームが示すメンタルな印象も競技パフォーマンスの一部だったのだ。気持ちはとてもよくわかる。
実は大学のユニフォームも下の色も定められていた。同じ水色であった。色彩のセンスに自信がない杜氏だが、さすがに同色の組み合わせは気が引けた。まるで宇宙服のようだと感じた。そこで、アシックスが当時出していた蛍光色っぽい「パールグリーン」を選んで、競技会用に使うことにしていた。つまりはギンヤンマの色のコンビネーションである。確か明確に意識していたと思う。上下が逆? それは致し方ない。上だけは支給品であったのだし。
金は絶対的な価値の象徴かも知れないし、銀はあくまで金に次ぐ存在なのかもしれない。でも、杜氏は揺るぎない自信に裏付けられた沈黙よりも、生きるためにあらゆる手段を講じてジタバタとして忍び寄る危機には俊敏に反応する銀の雄弁を選びたいと考える。