ニホンキバチ

もし、この世に花がなければ


 太古、植物は花など着けなかった。石炭、石油等の化石燃料は、古代において巨大に聳え立っていたシダ植物が残した恩恵である。植物の繁殖は種子ですらなく、胞子で事足りたのだ。生物の中で、無機物質を有機物質へと変える作用を為すことができるのは、植物のみである。恐竜時代から、有名なティラノサウルス・レックスやアロサウルスのような強力な攻撃力を持つ肉食獣は存在したが、まず食物連鎖の起点にはバクテリアのような微生物と植物がいる。草食獣が植物の摂取により生育しない限り、肉食獣としての生き方も成立しない。草食獣であるためにも、植物の同化作用あっての話である。
 自然はこの豊かな稔りの源を成す植物に多様化の道を採らせた。胞子に代わって種子を稔らせるものが登場し、被子植物と裸子植物に分化する。昆虫は現在でも地上に存在する種の75%以上を占めている。恐竜が地上を席巻しても、人間が地形を変えるほどに蔓延っても、地球史上最も繁栄してきたのは昆虫であり、これらと共存することが植物にとって最も有効な生き残り手段だった。やがて、実の近くの葉の形が変化して、種子の元である胚を包み込むような構造が出来る。葉は昆虫に強く認識出来るような多彩な色を帯びるようになり、芳香を発するようになっていった。それが花だ。ただ、花の在り方も多様で、隠花植物、顕花植物の別系統を辿ったり、昆虫の媒介を利用する虫媒花とそれらに頼らない風媒花に分かれたりしている。雌雄異株で雌花と雄花がそれぞれ別の個体に着くのも、同化受粉、自家受粉、つまり近親交配を回避する有効な手段である。
 花の登場が、植物の繁栄ばかりか、昆虫の繁殖にも恩恵を与え、延いては生物全体の爆発的な多様化をもたらしたことは想像に難くない。蜜や花粉を貯蔵したり、花に引き寄せられる小昆虫を待ち伏せる肉食性昆虫の習性も、食虫植物も、花というシステムがなければ存在し得なかった。だが、花が登場する前から昆虫は地上に生命の謳歌を歌っていたハズなのだ。だからこそ、植物は昆虫をパートナーに選ぶことになった。だとすると、花の登場前の昆虫はどのような生活を営んでいたのだろうか。

 膜翅目昆虫はある意味で、最もソフィスティケイトされた生活様式を確立した昆虫である。巣というシステムを単に揺籃や次世代への遺伝子継承の機能だけではなく、集落による社会生活にまで発展させた目は他にいない。それ以外にも、次世代のために狩った獲物を麻酔針で生きながら身動きを取れなくしたり、同種である膜翅目昆虫を中心に寄生する性質を持ったり、様々な生活史を営んでいる。営倉ひとつ採っても、単純に地面を掘るものから、土や木の繊維を唾液と混ぜて堅牢化するもの、自分の身体の部位を使って寸法を測るもの、物干し竿、軒下のような人間の文化を利用するもの、産卵の物理的、化学的刺激で植物の一部を変形させて中えいを作りその中で幼虫が育つものなど、千差万別である。だが、それも花の登場をいうドラスティックな変化が招いたものであると考えられる。
 では、それ以前の膜翅目はどのような生活をしていたのか? 完全に植物を食糧とすることに依存していたと考えられる。ハチの種類にはハナバチ以外に、ハバチ、クキバチ、キバチなどがいる。それだけ聞くと植物のフルコースの趣きだが、個々の類が独立して葉、茎、木を食糧としてきたのだ。これらの種は身体の組成からすると、単純で原始的なものに過ぎないらしい。つまりは花の恩恵に浴さない時期に専ら草食を貫いてきたのが、これらのハチである。進化論を肯定すればの話だが。
 キバチは主に針葉樹を植樹とする。マツ、スギ、モミ、ヒノキなどである。だが、スギ、ヒノキは特に人間が建築物の材とするために、ニホンキバチ,ヒゲジロキバチ,オナガキバチといった代表的なキバチは害虫とされている。元々、なぜ針葉樹が木材として使われることが多いのか考えてみよう。建築物に使うに足る大木として生育し易かったり、加工が容易かったりもするのだろう。だが、それだけではない。スギ、ヒノキの人間にとっての心地よい要因となっている芳香は、昆虫を妨げる物質のゆえである。また、針葉樹はもし樹皮の表面が傷ついても、ヤニを出して傷口を固め、その傷を作る原因となった外敵(昆虫)をその中に封じ込めてしまう。琥珀は古代の針葉樹から排出されたヤニが物理的圧力などで岩石化したものである。中に封じ込められた昆虫が透けて見えるものは虫入り琥珀などと珍重される。映画「ジュラシック・パーク」で、恐竜を現代に蘇らせた技術とは、恐竜の血液を吸ったまま琥珀に閉じ込められた蚊などから恐竜の細胞を抽出し、クローニングを施すというものだった。
 脱線したが、この針葉樹のシステムは人間のリンパ球、白血球などによる微生物、異物撃退の仕組みを思わせる。つまりは、針葉樹は容易に昆虫の食害を寄せ付けないのだ。
 だがキバチの方とて、易々と針葉樹の防御策に駆逐されているようでは、繁殖がままならない。キバチが育つのは過熟木,衰弱木,伐倒丸太などが主である。健全な樹木の場合、ほぼ完全に幼虫が羽化して脱出する可能性はない。ライオンが狩ることができるのが、草食獣の群れの足手まといになる年老いたものや、怪我を負っているものであり、犠牲を払うことが草食獣の群れにとってもメリットであることに似ている。また、衰弱してすら侮れない針葉樹の抵抗力を警戒して、キバチは木材腐朽菌(アミロステリウム属菌)の胞子を胎内に持っているらしく、産卵時にそれを産卵箇所に植えつける。孵った幼虫は調理済み部分を比較的容易く食糧にすることができるのだ。
 ところが、キバチは原始的なハチであるせいか、あまり賢くはなく、次世代へつながる可能性皆無な健全な樹木にもお構いなく産卵してしまうらしい。雄と雌による異性交渉による生殖でなくても必ずしも構わないらしく、未交尾の処女雌も産卵に及ぶらしい。健全な木に産卵される率も馬鹿にならない。キバチにとっては木材腐朽菌でも、材木を商品として扱う人間から見ればそれは木材黄化菌となるらしい。これらに犯された樹木は伐採した断面に独特の星形の模様を呈する。星の尖った部分に産卵の痕跡がある。星形を成すということは、産卵痕が数箇所に及ぶのを示す。こうなってしまった木材は商売ものにはならないのだろう。
 体長は代表的なニホンキバチで30mm。かなりしっかりした身体つきで、膜翅目の中では大型である。産卵管を体内に内蔵する仕組みがないのか、常に露出してかなりの長さとなっている。ハバチ、クキバチを含めて、草食性のハチに外敵を刺して攻撃する習性があるのかは杜氏にはわからない。ただ、樹皮に穿孔して産卵するのだから、針の威力は相当なものだろう。ライフサイクルは一年とされているが、不明な点が多いようで、産卵から羽化まで二、三年を要する場合もあるようだ。

 本来、キバチはこの世を去りゆく老木を朽木に変えるべく、引導を渡しているような昆虫だ。老木が枯死したまま姿を留めるのは、次の世代の樹木には不都合だ。動物の遺骸を片付けるシデムシやバクテリアと同じく、キバチや他の朽木を好む昆虫は、は植物の遺骸を片付ける。「風の谷のナウシカ」で、腐海の底に沈んだアスベルとナウシカは汚染された水や土を、腐海の樹木が浄化しつつ、枯死して清浄な土へ変わってゆくことを知る。そういった作用の中間工程を請け負っているのが、キバチなどの昆虫であるともいえる。
 だが、キバチにとっても益体のない行為である健全な木への産卵を咎められるというのも不自然な話だ。それはキバチが爆発的に増えても生態系に支障を来たすことからの自然のフィードバックなのだ。木材を建築物に使うという不自然な行為ゆえに、キバチの報われない産卵が罪と見なされる。悲しいのは人間の業の方だ。
 花が登場する以前のハチは、そのルネサンス以後の多様化からは取り残されている。だが、人間の戯言とは無関係に、巧まざる共生関係を植物と結んできた。もしかすると、こういった共存の在り方が、植物を花による昆虫とのコラボレーションのモデル、原型となったのかもしれない。またキバチのような植物との関係が、植物にとっても貴重なものであったから、花の登場以後の目まぐるしい自然淘汰をしり目に、キバチのような存在が飄々と生き延びてこられたのかもしれない。
 キバチの存在もまた、自然にとって決してささやかとは断言できない必然なのだろう。



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