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とっちゃん坊やはとっちゃんなのか坊やなのか? 坊やなのだろう。英語と違い、日本語に後置の形容詞はなく、後に位置するものが本質を示す。つまりはやけに老成した印象があったり、オヤジ染みた格好をしている子供という意味だ。だとしたら逆に子供染みたとっちゃんのことは何と呼ぶのだろう。そういう存在はあってはならぬものとして黙殺されているのだろうか。最近は黙殺できぬほどの存在になって来ている気もするのだが。
ヘビトンボは、そのデンで行けば蛇のような蜻蛉なのだろう。ただ、ヘビトンボは無論、蛇ではないがかといって蜻蛉でもない。脈翅目アミメカゲロウに分類される。つまりはウスバカゲロウ、トビケラ、カミキリモドキに近い存在だ。脈翅目昆虫は、その形態から他にもツノトンボのようにトンボの名を付けられたものもある。止まっているところを背中から捕まえようとすると、胸部と頭部を捻って噛み付くという意表をついた攻撃を見せることや、そのときの顔の表情(?)がやけに無機質的で爬虫類の冷酷さを思わせることから、そう命名されたと思われる。カマキリの仕草と似ているかもしれない。噛まれると皮膚が裂け、出血を伴うほどの威力があるという。この点、カマキリよりは強力だ。幸い杜氏は被害をこうむった経験はない。「風の谷のナウシカ」で、ベジテの王子アスベルを庇ったナウシカがアスベルと共に腐海の底に落ちて行くのを襲う長大な身体と鋭そうな顎を持つ昆虫が登場するが、あれはヘビトンボをモデルにしたのかもしれない。
成虫の姿はちょっと感動的なまでに長大である。体長は35〜45mmに過ぎないのだが、前翅が5cmからある。それが胸部から伸びているので、止まっていると体長は見かけ上10cm近くになる。また翅を拡げた開帳は10cmを優に越える。ヘビトンボは灯火にも寄ってくるのだが、大型の甲虫類のような低く大きな振動音を響かせて飛来する。音が大きな割には飛翔は下手で、大きな身体をやっと支えているような、墜落寸前の失敗作のプロペラ模型飛行機(竹材に薄紙を張った翼でゴムを捻った弾力でプロペラが回るヤツ)を思わせる拙劣さだ。翅が大き過ぎてうまくコントロール出来ていない印象がある。灯火に飛来する理由は、生殖のために異性を求めることにあるのだろう。杜氏の記憶ではカブトムシ、クワガタの社交場であるクヌギ、コナラ、ミズナラなどの樹液バーにも寄ってきているのを目にした。これも栄養補給と共に出会いスポットを求めての行動なのだろう。
ものの本には、成虫はものを食べず水分補給だけで凌ぎ、5〜10日しか活動できないとある。カゲロウの類に付き纏う「伝説」である。だが、樹液はカブトムシ、クワガタなどの頑健な甲虫を養う養分を提供する。明言はできないが、ヘビトンボが食糧を他の昆虫のような肉食に求めないにせよ、摂取した水分には栄養素が含まれているのではあるまいか。成虫の活動期間が短いので、あまり目にすることがないとされるが、同じ運命を辿るセミなどは同じ木に何頭も鈴なりに止まって鳴く。目に付かぬとはとても形容できない。ヘビトンボの夜行性、生活圏の狭さが、活動時間より寧ろ支配的に働いているようにも思える。
トンボと決定的に違うのは止まったときの翅の扱いである。トンボは大概翅を拡げたまま止まるが、ヘビトンボは蛾のように丁寧に背中に畳んで止まる。だが、鱗粉がなく翅はほぼ透明なので蛾と見誤る人はいない。翅は畳むと黄色い斑紋が目立つようになる。それも見る人によっては不気味さを想起させる原因となっているのかもしれない。
成虫の姿は異様で、出くわすと必ずギョッとさせられるものがあるが、実は有名なのは幼虫の方かもしれない。こちらも6〜7cmにまで育つ長大な幼虫である。マゴタロウムシと呼ばれ、淡水の止水域に近い緩やかな流れの石の下などに潜んでいる。獰猛な肉食昆虫だ。しかも、同じように肉食で知られるトンボの幼虫(つまりヤゴ)やゲンゴロウの幼虫を捕らえて食糧にする。武器となるのは成虫になってからも威力を発揮している強い大顎である。大きさとその獰猛さから水棲昆虫の王様と呼ばれることもあるらしい。
面白いのはその蛹だ。殆どの昆虫の蛹が眠れるミイラのごとく、活動を止めるのに、ヘビトンボの蛹は幼虫、蛹、成虫とあまり変化がない大き目の頭部を露出した形態を採る。そして「蛹は刺激に対して腹を動かす程度で、基本的に動かぬもの」という人間の既成概念を覆すかのように、その剥き出しの頭部で攻撃者には噛み付いてくるという。あくまでも攻撃的な昆虫であることを物語っている。
子供の疳の虫に効くらしく、頭部を串刺しにして何頭も並べたものを乾燥させて売っている地方もあるらしい。子供がそのような不気味なものを食うのかとも思うが、先入観がなければ案外スムーズに食べてしまうのかもしれない。媚薬として伝えられるイモリの黒焼きの類かもしれないが。イモリの黒焼きには滋養強壮効果はありそうだし、マゴタロウムシにも何らかの薬効があってもおかしくはない。
見かけは形容し難い。何に似ているかと言えば、ムカデだが、ムカデよりは遥かに身体が充実している。ムカデに似た脚のようなものが何対か尾の方まで付いているのだが、肢は前の三対に過ぎず、あとは根元にエラを持つナゾの器官で、自在に動いて移動に機能を発揮することはないという。これが成虫も幼虫の終令も巨大なだけあって、長く水に留まり続ける。やっと羽化するには、孵化後三年を要するらしい。昆虫としては大変な長寿だ。この辺りは、羽化後間もなく死んでしまうことも含め、セミの生態と似ている。マゴタロウムシは孫太郎虫なのだろうか。名前の由来ははっきりしない。長野の伊那地方では悪食の習慣が有名だが、そのひとつであるザザ虫は、特定の昆虫の種なのではなく、トビケラ、カワゲラの幼虫などの水棲昆虫の総称であるらしい。なるほど食うときは種類など関係なく、一緒くたにしてしまうということだ。その方が便利だ。もしかしたら、ザザ虫の中にはマゴタロウムシも入っているのかもしれない。だとしたら、一緒くたに扱うにはスケールが違うような気もするが。このザザ虫、長野の局所以外ではおぞましさを誘うだけだが、実は高級食材として料亭などで珍重されるらしい。料亭など縁のない庶民なので、ザザ虫は食したことがない。ただ、串刺しにされたマゴタロウムシの映像を見るに、旨そうに見えないこともない。
ザザ虫とされるトビケラ、カワゲラの幼虫は川の小石、水草などを集めて自分の身体を隠す巣を営み、それを背負って活動するが、マゴタロウムシにも同じ性質がある。カワゲラは分類上、違った系統だが、トビケラとヘビトンボは近接した種であるので、それも頷ける。
ヘビトンボ、マゴタロウムシは環境の指標となる昆虫とされている、清流とまではいかないが、汚染されていない水にしか住めないのだ。これも前述したヘビトンボの成虫を目にする機会が減っている原因のひとつだろう。都会に汚染を免れている河川などない。杜氏は幼い頃住んでいた横浜との境に近い追浜でヘビトンボを何度か目撃している。ムラサキトビケラと同じような経緯だった。渓流を抱える鷹取山が宅地造成された今、その姿は当地でも見出すべくもない。
ヘビトンボの最期はあまり人口に膾炙していないが、壮絶なものらしい。メスに限ってのことだが。生殖後、水辺の木の葉の裏などに産卵したメスは卵を守ってそこに留まる。そして自らの身体を溶かしながら、独特の悪臭を放ちつつ、捕食者の接近を避けながら朽ち果てるように絶命するというのだ。子の初めての食糧として従容と身を捧げるハサミムシと並び称されるような死であると感じる。ハサミムシは孵化した幼虫から攻撃されるのを避けないというだけだが、ヘビトンボは自らの働きかけによる死を以て次の世代を送り出すのだ。そこに意思が働いてはいないにせよ、哀切極まりない。
巨大にして飛翔が不得手、攻撃性が旺盛で蛹までが武装しているのに成虫は捕食はおろか、ろくな栄養摂取すらしない。しかも成虫はその気の強さに反して脆弱ですらある。強いのか弱いのか、さっぱりわからない。というよりも多くの矛盾を抱えている。不気味の一言で片付けるにしては、メスの最期はドラマティックですらある。
昆虫は概して、その殆どが害虫呼ばわりされていることから容易に類推できるように、人間の感覚では異様で不気味で不潔で有害で、受け容れ難い存在なのかもしれない。だが、視線を昆虫の高さに合わせてみると、その生態は底知れぬ魅力に富んでいる。そう思うと、形態の異様さ、不気味さも自然の摂理に適った調和を感じさせるものへと変わる。宇治拾遺物語に登場する「虫愛ずる姫君」の末裔は、多数派ではないにせよ、無視できない数に及んでいる。もしかすると、環境指標に留まらず、ヘビトンボはその矛盾を以て自然に順応する様が不気味であるか興味の尽きぬ魅力を醸して感じられるかで、個々の人間の昆虫に対する受容能力の試金石として機能しているのかもしれない。
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