ヒグラシ

盛夏の黄昏


 日暮里、鶯谷近辺に母方の菩提寺があった。鶯谷のすすけた駅で親戚と待ち合わせ、墓参りに出掛けたことを記憶している。この辺りは東京でもどこかくすんだ印象が拭えない。私鉄で言えば京成線沿線。それでいてどこか愛着がある。関西の落語家が「鶯谷ミュージックホール」というタイトルのレコード(当時CDなどない)を出したときは憤慨したものだ。なぜ、あの地域のことを知るはずもない人間にそのような歌を唄わせるのだろう。しかもストリップ劇場をパロディにした企画モノをである。
 日暮里は「にっぽり」と読む。地方から東京に出てきたばかりの知人が京成お花茶屋駅の近所に住み始めた頃、日暮里を「ひぐれざと」と読んだ。一説によれば、「ひぐれざと」だったのを、気の短い江戸っ子が「にっぽり」と縮めて呼ぶようになったという。それとも「ひぐらしのさと」だっただろうか。ひぐらしがこの場合、蜩を指すのかその日暮しを暗示するのかはわからない。ダブルミーニングである可能性もある。

 ヒグラシは郷愁を誘う蝉である。九州へ行くと圧倒的な音量を誇るクマゼミが主流で、早朝などはこの蝉の声で起こされたりする。杜氏が一時期住んでいたのは福岡の中心街だったが、先日沖縄出張の際にクマゼミの騒音に近い合唱に起こされて一種懐かしい思いがした。この場合のクマは、クマバチ、クマ焼酎同様、熊ではなく球磨であるようだ。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクホウシなどは昼間に鳴くし、どこか自己主張が強い印象がある。ヒグラシは違う。盛夏の夕方にどこか幽玄な響きで鳴く。他の蝉のように競い合うのではなく、一匹が鳴くとしばらく間を置いて他の一匹が呼応するかのように共鳴する印象がある。人はこの蝉の声に行く夏のはかなさを覚える。
 酣とはピークそのものを指すのではなく、ピークから盛り上がりが下降し始める形態を示しているという。曲線を示す式を微分して、一次微係数を取ると、上昇カーブでは正でもピークでゼロに達する。お御籤の大吉のようなもので、上り詰めたらあとは下るしかないということを形容した言葉が酣であろう。真夏に鳴き始めるこの蝉は、人間や他の夏に積極的に活動する生物達に「宴酣ではございますが・・・」と告げているように感じる。諸行無常の響きあり。それゆえ美しい鳴き声でもある。

 杜氏の幼少の砌、住んでいた某大手電機メーカの社員寮の脇には崖があった。崖はケヤキやエノキなどの潅木よりは少し高い木々に被われていた。それらの木々にアケビの蔓などが絡まり、ターザンごっこなどにはおあつらえ向きに出来ていた。杜氏もご多分にもれず、太い蔓につかまり「あ〜あ、あ〜」などと叫びつつ遊んでいた。
 ある夏の夕暮れ、ターザンになり切っていた杜氏はにわかに空腹を覚えた。体内時計がそろそろ夕食であることを告げていた。家は崖を上がればすぐ。一分とかからずに玄関に駆け込むことが出来る。ふと帰る方向を見上げると、木の枝と枝の間に、見事なコガネグモの巣が西陽を受けて輝いていた。ちょうど杜氏の位置からは逆光となって目に鮮やかな構図だった。その中央付近に巣の糸とは異質な光を発するものがあり、それを中心に巣全体が大きく揺さぶられている。光っているのは蝉の羽だった。一匹のヒグラシが蜘蛛の巣に繋って暴れている。巣を破らんばかりの勢いだが、糸は絡みついて拘束がジワジワ強くなるように見受けた。巣の隅では大きなコガネグモが今にもかかった獲物に襲い掛かろうとしている。
 杜氏は咄嗟に近くの石を拾い、巣に向かって投げつけた。小学校二年生のこと。一発で目的は果せなかった。四,五個目の石がようやく巣に命中し、真ン中に大きな穴が開いた。囚われのヒグラシは一瞬自由になった身に途惑うような動きを見せたが、すぐに態勢を立て直して林の奥へ逃れていった。
 杜氏はその前年、小学生最初の学芸会で劇の主役を演じていた。幼稚園のときの「へいたい・その3」から考えれば大抜擢だった。幼稚園児としてはお絵かきもお遊戯もヘタクソな劣等児だったが、学校に上がるとテストは満点ばかり。教育者の評価が如何に皮相なものかがわかる。もう一人の健康優良児的な好男子とオーディションを経て与えられた主役が蜘蛛の役だった。巣にかかった蝶(当然女の子が演じる役)に情けをかけて助けてやるという博愛主義的なストーリーだった。ジャングル大帝レオが森の動物を食わないような話と言っていいだろうか。杜氏の頭にはその劇のこともあったのかもしれない。
 いいことをした満足感で一杯だった。家でも父が勤めから帰るのを待ちわびて、着替え中の父を捕まえてその話をした。父も母もほめてくれた。
 でも、しばらくするとどこか釈然としないものが残った。果して杜氏は本当にいいことをしたのだろうか? 学芸会の劇の博愛主義は実生活でも通用するものなのか? 多分、直感的に否と感じていたと思う。ただ、やるべきことがいくらでもあった杜氏はそこで立ち止まって考え込んでいるワケにはいかなかった。

 ずっと後年のことになるが、怪奇漫画や中国物を得意とする諸星大二郎が、杜氏のヒグラシ・コガネグモ体験とそっくりなエピソードを漫画に描いているのを読んだ。結末は逃した虫にありつくことができずに餓死した蜘蛛に祟られて身を滅ぼすというものだった。諸星は杜氏がそのとき釈然としなかった気持ちを見事に代弁していた。そう。人間の好悪に関わらず、蜘蛛にとって他の昆虫を漁ることこそが、生の営みなのだ。それは自然全体から見れば蜘蛛が為すべき務めでもある。その食生活そのものが自然を円滑に営む役割を果す。人間の主観的な善悪や倫理観など、その前では意味を為さない。すなわち、杜氏が蝉を逃がしたことは悪行でしかない。

 ヒグラシの声はどこかもの悲しく儚げに耳に響く。これを毎年聞くたびに、杜氏は優等生時代の慙愧をかみしめる。

 東京の下町が寂しげで郷愁を誘うのも、そこが華々しい戦後の再開発から取り残された元から人の生活が感じられる町であるからだろう。都心のビル街、オフィス街はは休日になれば人影もまばらな人工の冷たいスペースと化すのに対して、下町には依然人の息吹が感じられる。ただし、そこにはハイテク武装された未来都市へと全面改造される可能性も見出せない。そこにあるのは江戸時代から築かれてきた文化の成熟とその限界だ。夏の酣にやがて確実にやってくる秋の到来を予感せざるを得ないヒグラシの声と、下町の風情を、杜氏はダブらせて感じざるを得ない。
 江戸っ子が心意気を込めて呼んだ「日暮里」という響きに、杜氏は独特の感慨を覚える。



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