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「行春や鳥啼魚の目は涙」 芭蕉
蝙蝠が周囲の状況によって鳥に与したり、獣になびいたりして結局どちらからも信頼をなくす話がある。「奥の細道」とは関係ないが、その寓話を聞くと芭蕉のこの句を思い出してしまう。足に出来るウオノメはもっと関係ない。蝙蝠が哺乳類であるのは広く知られるところだが、その飛翔は影の大きさから見れば鳥としか思えず、かといって鳥とは羽ばたき方が明らかに違う。大型の鱗翅目昆虫ではないかと咄嗟に感じることもある。哺乳類にとって飛ぶことは、哺乳類ではないと断じられるほどの特殊能力であるのに、蝙蝠の飛翔にどこか異端者の悲哀が漂っているように感じるのは杜氏だけだろうか。
飼い猫や飼い犬が自分のことを人間であると認識していることは前にも触れたが、自分が人間だと思っていた者が突然、「お前は実は世界で一番優秀なオランウータンだったのだ」などと宣言されたらどンな気持ちがするだろうか。その辺りを小説にしたのが、F.K.ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」で、人間そっくりに作られ、労働力として活用されていた人間としての記憶や気持ちまでプログラムされたレプリカントが反乱を起こし、その撃退専用に訓練されたブレード・ランナーが反乱の鎮圧に立ち向かう話。有名な映画「ブレード・ランナー」の原作である。
ホソカミキリという種がいる。文字通り、身体の細い小型のカミキリムシだ。類似の種がいくつかあり、ホソカミキリ亜科というグループにカテゴライズされていた。どこをどう見てもカミキリムシにしか見えない。朽木や衰弱木に寄ってきて、産卵し、幼虫はそれらに巣を穿つこともカミキリムシの代表的な生態である。ところが、最近、いつの間にか、誰の許可を得たのか知らないが、ホソカミキリはホソカミキリ科として独立したらしいのだ。クーデターやお家騒動や遺産相続や暖簾分けがあったワケではない。ホソカミキリはホソカミキリのままだ。何でも触覚のついている位置が微妙に他のカミキリムシとは違うらしいのだ。どこかの世界的に権威のある学会で、オーソライズされたのに違いないが、研究者ならぬ一般大衆、ましてやカミキリムシ達には大きなお世話だ。
カミキリムシを好む昆虫愛好家は多く、蝶に次ぐ程度の人口を持っているかもしれない。しかも彼らのマニア度合いは特に強いように感じる。どこぞの学会でホソカミキリはカミキリムシではないと決まったところで、手のひらを返すようにホソカミキリを排斥するワケにもいかない。しかも、ホソカミキリは普通種である。細長い体型だけが特徴で、前翅の彩りが美しいとか、形状が変わっていてカッコイイとか、身体が特に長大であるとかの突出点(大概のカミキリムシ・マニアはこれらで種の値踏みをするのだが)はない。従前通りカミキリムシの一種として採集され続けているようだ。
ホソカミキリは釣りで言えば外道のようなもので、この種を目当てに採集へ向かう御仁は少ない。灯火に容易に寄ってくる種なのだ。だが蒐集家というのは因果なもので、普通種であっても、せっかく捕捉したものはコレクションに加えなければ気がすまないらしく、哀れ囚われのホソカミキリの多くが、毒ビンの露と消えることになる。釣り人と違って、キャッチ・アンド・リリースの習慣は採集家の世界ではあまり耳にしない。最近はデジカメもビデオも発達、普及したのだから、何もあえて殺生をする必要もないと思えるのだが。何としても標本にしなければ気が済まない人が大多数なのであろう。因果なものだ。蒐集家達はほぼ間違いなく、昆虫のことが好きである。彼らが蒐集のために昆虫の命を奪ったとて、種の繁栄にとってはあまり影響がないのかもしれない。ただ、彼らの行為は殺戮である。この矛盾が受け容れられなくて、杜氏は蒐集家になることがどうしても出来なかった。
ホソカミキリの色は黒味を帯びた褐色で、ナラ、ブナといった食樹の幹の肌にまぎれるに相応しい。形状はそれなりにニートな感じだが、如何せん地味なのが人気薄の理由かもしれない。正確な大きさを調べようとしたが、身体のスケールに触れたHPがどこにも見当たらない。私も記憶が曖昧であり、いい加減なことは書けないと感じている。身体のスリムさがまず目立つが、肢はそれに比例して細いワケではない。木にしがみついて生きているカミキリムシの習性の一端がここでも窺える。
普通種であるということは、人間には有難みがないにしても、生存競争上の目下の勝利者であることを意味する。嫌な言い方だが、勝ち組ということである。ルリボシカミキリが有難がられるのも、鮮やかな彩りの妙ばかりではなく、そこかしこにごろごろしているワケではないからでもある。希少価値が認められるということは、繁殖が必ずしもうまくいってはいないことを示す。
分類など、生物学の中でも更に局所でしかない昆虫学の狭いフィールドでしか意味を持ち得ない。分類などなくても、昆虫は周期的に際限なく生の営みを繰り返し、その時代の条件にそぐわないものは滅び、また、条件に即した突然変異を遂げて新種を生じたりもする。ホソカミキリは人間にさほど顧られることがないゆえに、地味で慎ましい繁栄を迎えている商売上手なのかもしれない。そういえば、カミキリムシには第一次産業従事者から不倶戴天の敵であるかのように「××の大害虫」などと呼ばれる主が多い。単なる害虫ではなく、大害虫である。これには怪獣バルゴンと大怪獣ゴジラほどのグレードの差を感じる。だが、一方でホソカミキリは単なる害虫とさえ呼ばれない。シイタケのほだ木などにも出没することが伝えられるので、シイタケにとって害を為さないワケはないと思えるのだが、ここでも地味さが幸いしているのだろうか。
蝙蝠は暗い場所を好むし、人間にとって気持ちのいい形状をしていない。実際に巨大な吸血性蝙蝠(Giant vampire bat)なども存在する。映画「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」の前半でストーリーの行く末を暗示するように大群で飛んでいたヤツらだ。だが、吸血蝙蝠であろうと、邪悪な意思で行動しているワケではなく、本能に忠実なだけに過ぎない。鳥と獣の間を狡猾に渡り歩いているワケでもなく、狡猾ということならネコ科の肉食獣には及ばない。鳥なき里で威張っていることもない。すべてが人間の妄想の仕業だ。
何でも分類しなければ気が済まないのは学問に携わる者の使命感が為せる業なのかもしれないが、触覚がどこから出ていようが、カミキリムシは依然カミキリムシだ。そういう重箱の隅をほじくるような仕事は、それが好きな人達に任せておくに限る。ひょっとして、いつかマニアックなクイズ番組で、「シロスジカミキリはカミキリムシ科だが、ではホソカミキリムシは何科?」という問題が出て、あなたは家族に博学ぶりで面目を施すことがあるかもしれない。だが、概してこういった命題には、最大の反論といわれる常套句を返されると二の句が接げなくなる。「だから何だ?」”So,what?” どうです? 何か言えますか?