イカリモンガ

チョウとガの界面


 昆虫と植物が図らずも互いを利用しつつ、繁栄を遂げていったのは疑う余地もない。人間にとって昆虫は植物を害するようにしか見えないかもしれないが、その行為の多くが枯死しつつある植物を安らかに葬るものであるように思える。そして葬られた古い世代に代わって、新しい世代の植物が新陳代謝するかのように繁茂する。それはあたかも肉食獣が病気や怪我で弱った草食獣の個体のみ捕らえることが可能で、健康な個体は逃げ果せる事実に似ている。弱った個体は草食獣の群れには足手まといにしかならないが、だからといって排斥するワケにもいかない。それに引導を渡すのが肉食獣だ。
 花の存在は昆虫と植物の関係をより強固なものにした。花は本来、葉が変化したものであり、原始的な植物には存在しない。より効率的な生殖行為のため、植物はやがて甘い蜜を湛えた花を着け、更に昆虫を惹きつける多彩な花弁を披露するに至った。さまざまな昆虫が花を訪れ、花粉を雌しべから雄しべへと媒介してゆく。そして、そこには花に集まる他の昆虫を待ち構える肉食昆虫さえ寄せ付ける。だが、花がなかった時期、昆虫と植物はどう関わっていたのだろうか?
 シダ類はキノコ類やコケ類と同様、胞子によって新しい世代へと生命を継承する。無論、胞子を発生するものは花を着けない。古代において、シダが全世界を被い尽くしていたことは、石炭、石油などの化石燃料が人間の文明の進歩の強力な牽引車となったことでもわかる。無論それらは有限であり、枯渇が心配されているにせよ、百年以上の長きに渉って最も支配的なエネルギー資源と成ってきたのは驚異的である。大変な量のシダ類がかつては我が世の春を謳歌していたのだろう。
 だが、顕花植物が全盛の現代ではシダは旗色が良くない。その役割を遥か古代に終えて、ひっそりと日陰にのみ生きている印象が強い。生物のうち何が一番食糧としてのシダの恩恵を被っているのかといえば、それは人間なのかもしれない。嘘だと思うのなら、立ち食いの山菜蕎麦のトッピングをよく見ることだ。ワラビ、ゼンマイ、コゴミなど、人間以外が食べるだろうか。
 ところが、未だシダ類を食草として育つ昆虫がいる。

 イカリモンガは単独でイカリモンガ科に分類されるガだ。類似種は他に、日本ではベニイカリモンガを数えるのみだ。濃褐色の翅のうち、左右の前翅に大きなオレンジ色の紋を持つ。この紋が錨に似ていることからその名がある。錨紋蛾だ。かなり小型の部類で、開帳は35ミリ程度。完全な昼行性であり、キク科の植物やカタクリなどに頻繁に吸密に訪れる。翅を畳んで止まる。触覚も細い。また特徴であるオレンジの紋もかなり大きく目立ち、彩りもヒカゲチョウやジャノメチョウよりは艶やかだ。一見したところでは、大きさからしてもベニシジミと間違えてもおかしくはない。ガというよりもチョウの特徴を多く備えている。ガの類は昼行性のものであっても、灯火に集まってくるものが多いが、イカリモンガは決してそうではない。チョウと位置付けられても少しも不思議ではない。だが分類上はガである。きっと、最初に分類した偉い先生がガとしてしまい、学問の体系上、チョウに分類し直すことが出来なくなってしまったに違いない。それほど、チョウとガの区別など曖昧なのだ。明確な基準など少なくとも杜氏には耳にしたことがない。海外では日本でチョウとされているセセリチョウの一族をガに定義付けている国もあると聞く。だったら、イカリモンガがチョウでもおかしくはない。だが、その場合はイカリモンチョウと改名をしなければならないだろう。
 これが幼虫時代にシダ類を食草とする。主な食草はイノデだが、これはイカリモンガのニッチである林縁に最も多く見られるシダであるからなのだと思われる。必ずしもイノデである必要はないらしい。
 年に二化する。出現時期は五月と八月。幼虫期、蛹期は二ヵ月弱程度と比較的短い。春型種の成虫期も短い。ところが、夏型の成虫は極端に長く生き延びる。成虫で越冬してしまうのだ。無論、冬に飛び回るワケではなく、落葉の下の陰などでじっと動かず過ごすらしい。そして気温が上がると活動を再開し、交尾、産卵に至る。五月に出現するのは越冬した世代の子達である。タテハチョウの代表的な種であるアカタテハ、キタテハなども成虫で越冬する性質を持ち、これに似る。ただ、タテハチョウは年一化であり、チョウの中でも例外的に翅を開いて止まる。翅の形なども似ているが、やはり大きく違う。惜しいところだ。

 シダが全盛を誇る時期から生き延びた種なのかもしれない。だが成虫は顕花植物との共存関係を持っている。チョウとガの境界であると同時に、胞子植物と顕花植物のどちらかに依存する種の境界でもあったのかもしれない。だが、前者はシダ類の衰退と共にやがて姿を消し、顕花植物にも依存するイカリモンガが生き残ったと思えなくもない。チョウがガから進化したものと仮定すると(そンなことは実証されているハズもないが)、イカリモンガが顕花植物の爆発的な台頭に順応して、タテハチョウの類へ変じていったと考えるのも楽しい。チョウと変わらぬ性質を帯びながら、ガと扱われるこの種に、境界に立つものの悲哀を感じてしまうのは、人間の勝手であろう。人間がどう呼ぼうが、イカリモンガは太古の昔からシダ類を食み、羽化してからは身近で豊富な栄養源である顕花植物の花を活用し続ける。チョウに分類されようが、ガと呼ばれようが、イカリモンガのライフ・スタイルには何の影響も及ばない。

 最初にイカリモンガをガと分類した偉い先生に、その理由を質してみたいものだ。



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