イネミズゾウムシ

水に落ちた昆虫のサヴァイヴァル


 飛んで火にいる夏の虫という言葉がある。昔は時代劇で、悪役に囮として捕らわれた弱者(女子供だが大抵は女性の方がヴィジュアルに映えるので姫君でも町娘でも女性が主流)を救済しに敵陣包囲網に入り込んだ主人公に、このセリフが浴びせられる。ところが、この主人公が概して三十六人斬りの荒木又衛門バリに強く、儚い命の夏の虫なのは悪の一味の方だったりする。もっとも、主人公を取り囲んでいながら、斬りかかるのは一人ずつだったりするので、それも道理だ。一斉に襲い掛かったら、主人公はたちまちナマスに切り刻まれてしまうだろう。それが子供の頃、謎に思えて仕方なかった。親に訊いてみたら、「大勢でかかると、かえって危ない」という釈然としない答えが返ってきた。だとしたら、吉岡一門全員を敵に回した宮本武蔵が、狭い畦道に逃げ込み、常に一対一で敵に対峙したという創意工夫(武蔵というより吉川英治の)は何のためだったのだろう。杜氏はこういった愚にもつかぬことを夜も寝られなくなるほどに思い悩む、妙なガキだった。
 大学の夏合宿の地だった富士見高原は、信濃境という八ヶ岳山麓の、その名の通り信州と甲州の境にあり、自然に恵まれたというか周囲を手付かずの自然に囲まれた環境だった。当然、虫も遠慮会釈なく飛んでくる。周囲に目立った建物は少なく、合宿所の電灯に集中して虫が寄ってくる有様だった。そこで宿舎側も高圧電流を伴う特殊な灯火を仕掛け、それに触れる昆虫をすべからく焼き殺してしまうという挙に出た。そのときに発する「ジュッ」という音は、部屋の中まで聞こえてきてしまい、昆虫好きの杜氏の胸を悼ませたものだ。正に飛んで火にいる夏の虫だった。
 そういったハイテク機器が普及したのも昭和50年代で、杜氏が子供時代を過ごした昭和30年代では、イネを害するニカメイガなどの害虫は、灯火の下に水を張った原始的な仕組みで駆除されていた。ニカメイガ、ツマグロヨコバイなどは泳げないので、水に落ちただけで簡単に落命してしまう。これが誘蛾灯である。今はフェロモンなどの誘引物質を用いて害虫を一網打尽にしているハズだが、そういったテクノロジィで周囲の同種の昆虫を根絶やしにしてしまうことは、生態系に少なからぬ影響を及ぼし、結局人間に罰として還ってくるようにも思える。その点、誘蛾灯の下に張られた水は牧歌的で奥ゆかしい。
 水に落ちた陸棲昆虫は淡水魚の餌食になることが多い。カワゲラのように幼虫時代を水棲で過ごすものも例外ではない。でなければ食肉性の淡水魚は生き延びることが出来ない。これも自然の摂理である。だが、水に落ちることが多い種のうち、水棲に適した形質を持ったものがその遺伝子を次第に濃厚に遺すようになり、やがて水棲昆虫となっていったのであろう。従って、水棲昆虫はすべからく水陸両棲の形質を残しているものだ。特に鞘翅目の水棲昆虫は夏の夜になると灯火に好んで寄ってくる。これらは誘蛾灯の犠牲にはなり得ない。だからこそ誘甲虫灯ではなく、誘蛾灯なのだ。害虫のみを適度に駆除するという意味で、非常に理に適っている。殺傷力のみ強化されたハイテク駆除装置よりも、機能としては優れている。
 今の水棲昆虫がなぜ水棲になったのかという理由のひとつには、天敵からの回避があるだろう。水中でも生存競争は苛烈であろうが、自由度の高い大気中よりも水という媒体は生命を守るフィルターとして機能することから、リスクが低いと考えられる。

 ゾウムシは案外種類が多く、千種類を数えるらしい。そして更に人間にとって未知の新たな種類が次々見出されているという。杜氏が子供の頃はオオゾウムシだろうがオトシブミ、チョッキリだろうが、ゾウムシ科で事足りていた気がするが、今はゾウムシ上科の下に更に細分化された科が拡がっている。つまりは多様な生活環境に順応して適応分散していることを示す。その名の由来となった長く頑丈な口吻も、種毎に異なる生活環境によって、長くも短くもなっている。
 元々、ゾウムシは鞘翅目の多様な分散系のひとつだ。特徴的な口吻は、朽木、つまりは枯死してバクテリアの作用である程度分解された植物の死骸を食餌とし、その中に穴を穿って安全性の高い場所に少量の卵を産み付け、効率よく次世代へ個体数を確保するためにある。木は化学的には繊維質、セルロースからなる。セルロースは糖類であり、炭素、水素、酸素の構成と割合は蔗糖、ブドウ糖などと変わらない。だが、組成上、生物の栄養分、エネルギー源に分解され、代謝されない。体内に消化酵素を持っていれば別であるが、そうでないものはある程度分解されて別の糖と化した朽木を利用することが多い。その名の通りクチキムシがそうだし、幼虫時代のクワガタも同様だ。カブトムシも人家に近く生活しているものは堆肥を好むが、山奥では朽木が頼りだ。それに対してカミキリムシの多くは、生木の幹にトンネルを穿って、枯死していない植物を直接食餌とする。外敵に食われる確率は朽木より低くなるが、今度は寄生する植物の生命力と戦うというリスクを受けることになる。
 ゾウムシの中には生の葉や幹を食べるようになった種も少なくない。その場合、口吻は無用の長物に近い存在となり、退化しかけている。こうしてゾウムシ自体が適応分散により多様化したのも、古い時代から今日まで脈々と生き残っている証左であろう。
 あろうことか、半分水棲昆虫のような生活を営むものも何種かある。そのひとつがイネミズゾウムシである。元来在来種ではなかった。アメリカ大陸原産のようだ。何らかの理由で渡航し、1950年代頃、初めて確認された新しい種といえる。イネ科の植物を専ら食糧とし、幼虫は根を、成虫は茎、葉を食う。イネばかり食べているワケではないが、稲作農家にとっては無視できない被害を及ぼす。幼虫はほぼ水棲で止水域の中に根を張っているイネ科植物の根を食う。おそらく原産地ではヨシなどの根を貪っていたのだろう。だが、イネミズゾウムシにとって好都合なことに、日本には水田という格好のニッチが至るところにあった。加えてこのゾウムシ、雌だけで単性生殖が可能であり、繁殖力旺盛である。日本に棲息する全てのイネミズゾウムシが雌なのだそうだ。しかも、新参者の帰化昆虫のご多分に漏れず、今のところ天敵らしきものが現れていないという。
 たかだか体長3ミリ程度の小さなゾウムシで、一頭当たりのインパクトは決して強くはないのだが、好適な繁殖条件に恵まれて爆発的に増殖した。稲作農家もそれを手をこまねいて見ているワケには行かず、駆除方法が考えられ、今は被害も一段落しているという。ヨシなどを食べていれば、決して大騒ぎにはならなかったろうに。
 成虫は陸のイネ科植物、たとえばススキなどを好むようだが、田植えの季節となると、すわチャンス到来とばかり水田に殺到するらしい。そこで水中をというより、主に水面を泳いで移動することも多くなる。泳ぎの巧みさは、もがいているというよりは泳いでいると表現する方が相応しく、水棲の鞘翅目を引き合いに出すと、ゲンゴロウ、ミズスマシよりは泳ぎが下手だが、ガムシよりは巧みということになる。つまりは普通の水棲昆虫とさして変わりがないというところだ。幼虫は根を食うし翅はないので、ほぼオールタイム水中に棲んでいるということになる。背中に何対かの突起があり、これが気門となっている。イネの茎にそれを突き刺し、穿孔してそこから呼吸をするという。幼虫の根への加害、呼吸のための穿孔、成虫の葉、茎への加害と、イネにとっては三重苦となる。幼虫は成虫より体長が大きく、20ミリに及ぶらしい。幼虫の期間は短く、初夏には水田の中で土繭を作って蛹化し、夏には羽化する。そして成虫のまま越冬して、田植えの季節を待って産卵する。ゾウムシの種類は身体が頑丈で、オオゾウムシなどは数年生き長らえる。イネミズゾウムシも成虫としての頑丈さゆえ、小型であっても比較的長寿を保つことが出来るのだろう。

 ゾウムシは主に朽木を生活圏に選んでいたので、人間との接点が少なかった。それも自在に多様化を遂げ、目立たない割りに隆盛を遂げてきた一因でもあったのだろう。だが、時折米びつで姿を見るコクゾウムシやこのイネミズゾウムシのように、人間が勝手に線を引いているゾウムシの分限を超えて、人間の利害を侵す種が出てきている。これを一方的に殲滅するのではなく、下に水を張った誘蛾灯のように緩やかに制圧するのが重要である。今のところ、イネミズゾウムシが田圃中に壊滅的な被害を与える可能性は少ないようだ。
 水面を意外に起用に渉ってゆくこのゾウムシの姿を微笑ましく見ていられる日々は永遠に続くのだろうか。



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