蓼食う虫

 虫に関する諺、格言の類は多いが、その通りの状況が目の前で展開すると、驚きや痛々しさを覚えざるを得ない。五分の魂を持った一寸の虫がその魂を杜氏の目の当たりに発揮するとしたら、かなりたじろぐだろう。飛んで火にいる夏の虫も、誘蛾灯に飛び込んで感電するガなど、高原の観光地などでは珍しくないが、その「ジュー」という無機的な音には落命のあまりの呆気なさに無常を感じる。

 風の谷のナウシカは、宇治拾遺物語の虫愛ずる姫君をモデルにしたそうだが、ホメロスのオデュッセイに登場する純情可憐な乙女・ナウシカァとは程遠い。

 世の一般的な傾向には合致するのだが、虫を引合に出したたとえ話には個別の例としては痛々しさが伴う。イソップの「アリとセミ(キリギリス)」など、その最たる例であろう。これは昆虫に愛着を覚える側だけに感じられるものなのだろうか。

 「蓼食う虫も好き好き」などというが、実際にはタデ科の植物の葉は栄養豊富そうだし、どこにでも普通に生えていて数的、量的な問題はなさそうであるし、群落を為すことも多く、豊かな生態系を形成していることが多い。イタドリの項でもそれには触れた。ここでいうタデ科植物とはイタドリは無論、ギシギシ、スイバといった野原や道端の代表的な雑草を指している。イタドリハムシはこれらの葉を幼虫、成虫共に食し、生活圏とする代表的な昆虫である。

 ハムシは鞘翅目昆虫の中でも、主に草木の葉を食料とするもので、小型で丸っこい体型をした一族で、複数の科、亜科に分類されているものの、ある種のイメージでくくることが可能だ。大きくても10mm程度で、身体は種によって色とりどりに彩られており、作物を食糧するものは害虫と呼ばれる。カミキリムシほどの人気はないかもしれないが、豊富なヴァリエーションには魅力がある。以前に形態が特に変わっており、興味深いハムシであるジンガサハムシについては既に触れている。

 イタドリハムシはヨモギハムシ、ウリハムシと並んでハムシの中でも普通種となっている。食草がどこにでも生えている環境に強い植物であることが隆盛のポイントとなっていると思われる。これが同じタデ科植物でもイタドリ、スイバ、ギシギシのペンペン草ではなく、蕎麦にでも付くのなら害虫と呼ばれるのだろうが、首都圏に住んでいると蕎麦の畑も、イタドリハムシが蕎麦に付くかどうかさえ、知ることが出来ない。ただ、イタドリハムシを害虫と呼んで目の敵にする傾向は知らない。人間に相手にされていない感もある。

 外観は黒字に後翅の三条(三対)または二条の横帯紋があるが、個体差が大きいようだ。紋は赤だったり、橙色だったり、黄色が強かったりする。いずれにせよ、目立つし美しい。体長は7.5mm9.5mm。ハムシとしては大型の方で、その面でも目に付く。同種で異なるヴァリエーションを持つというのは、テントウムシ(ナミテントウ)を想起させる。よくギシギシの若芽にアリマキがぎっしり取り憑いて灰色になっている場合がある。そういう場所は、昆虫の中でも特に貪欲さを謳われるナミテントウの格好の餌場でもあるだろう。つまり、イタドリハムシが貪婪で刺激を与えると嫌な臭いの液を出すナミテントウに擬態しているとも考えられる。実際にはイタドリハムシは外敵に対して特段の武器を持つワケでもなく、触れると擬死状態に陥り、地面に落ちるに過ぎない。

 目立つのに普通種として繁栄しているということは、他にイタドリハムシ自体が毒を持っていたり攻撃的であったりする警戒色の可能性もあるが、見る限り、そのようなエキセントリックな昆虫とは思えない。

 「蓼食う虫も好き好き」というのは、蓼類の植物の葉が弱酸性で酸っぱいことから、味の悪い葉への嗜好も虫(個人)の勝手という意味である。スイバという名は、端的に葉が酸っぱいことを示す。だが、当の人間が、イタドリは無論、スイバ、ギシギシなども湯がいて酸味を緩和し、おひたしにして食べてしまう。蓼は生物にとって決して重大な鬼門ではないようだ。ただ、酸味は多少のハードルにはなっているのかもしれない。そのせいでタデ科植物がニッチ化しているとしたら、イタドリハムシは隙間にうまくはまり込んで今日の繁栄を貪っているのかもしれない。人間から害虫という指弾を受けないだけで、次世代への継承率は格段と上がると思われる。

 本当はそのようなことではいけないのだろうけど。



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