ジャコウアゲハ

香気の誘惑


 「わがままフェアリー ミルモでポン」というアニメを見ていたら、ははぁと思うことがあった。そういう番組を杜氏が見ないと思ったら大間違いである。いや結構好きだったりする。もうこの年齢になったら怖いものはあまりない。オタクっぽいと言われようが、そういう大層なものではないのだから、一向にこたえない。件の番組はギャグのセンスが「これがホントのミルモ無惨」といった具合に、適度にオヤジ入っていてくすぐったかったりする。
 感心したのはマスク・メロンの語源を述べていたくだりだった。「麝香の香りがすることから、いわゆるマスク・メロンと呼ばれている」と。
 それだけでは説明になっていないようにも思えるが、麝香=ムスクであることを思えば解説は不要だ。ムスクはMuskと綴る。なるほど英語読みならマスクであろう。動物で麝香と名の付くものは多い。ジャコウジカ、ジャコウネコ、ジャコウネズミ、コケジャコウソウ、etc. 本当の麝香はジャコウジカの生殖腺近くの球状の小さな突起物を乾燥させて得られるらしい。種々の薬効がある貴重なものである。ある夕刊紙のエロ連載小説に、閨事の最中に性的に昂ぶってくると麝香の香りを呈し、やがて絶頂に及ぶと咽ぶがごとき香気に被われるという実在の女性を求めるという筋の小説があった。ありがちな設定である。ありがちだからこそ猥雑感も伴う。因みにその夕刊紙とは「東スポ」である。杜氏の知る限り、三〇年間は同じことをし続けている。十年一日の数倍上を行っていることは、ある意味偉業である。何でそンな小説の連載を知ってるかって? ゴホン、話を先に進めよう。
 フェロモンのことが比喩であるにせよ、安易に取り上げられ過ぎていると感じる。人間の女性が男性を誘惑する際に発する香気ぐらいの意味で用いているのかもしれない。実際のフェロモンは人間の嗅覚には無色無臭である。で、多くは雌よりも雄が雌を呼ぶ際に分泌される。農作物に害を為す蛾を駆除するのに、多数の雄にフェロモンを分泌させ、誘われて寄ってくる雌を一網打尽にしたりする。本家の麝香の元であるジャコウジカの麝香も、雄の鹿からしか取れない。人間はフェロモンなど分泌しないし、第一それに反応する感覚を持たない。巷間用いられている表現は嘘でしかない。
 ただ麝香の名を冠する動物のほとんどが、その香気を生殖に関する働きに活用していることは事実だろう。

 黒いアゲハチョウは普通のアゲハ、キアゲハ、アオスジアゲハのような明るい原色系の種に較べて陰影が色濃い印象がある。クロアゲハ、ナガサキアゲハ、モンキアゲハなどがそうである。さしづめ喪服姿の貴婦人といったところで、これも一歩踏み外せば三文エロ小説のモティーフとなってしまう。
 モンキアゲハといっても猿とは関係がない。後ろ翅に一対の大きな紋様があり、これが黄色であるから「紋黄」なのである。ただ、陽光の下では紋は黄色には見えない。鮮やかなまでに黒い翅の地と比較すると白く見える。実際にはアイヴォリーというか象牙色というか(同じこと!)黄色味がわずかにかかった白である。夏の昼下がりにモンキアゲハが堂々と飛んでいる様には風格を感じる。杜氏が好きな数少ない鱗翅目の昆虫である。
 ジャコウアゲハはモンキアゲハと較べるとより数多く目にすることが出来る。翅の色は大まかに言って黒いくは見えるが、よく見るとグレーの色合いが強い。蝶の翅を凧に喩えると、ジャコウアゲハは骨の部分が黒い筋を成し、紙の部分は白っぽく透かし状に色が薄くなっている。紋様も後翅の縁の部分に小さな蛇の目様のものが五対ほど見られる。大きさもモンキアゲハと比較すると小型である。正直言って、あらゆる意味で見栄えや風格からしてモンキアゲハには見劣りする。見かけてもありがたみが薄いなどと言うのは、人間の勝手ではあるが・・・。概して蝶の中では大型のアゲハであるから、ジャコウアゲハも華やかな印象ではないとは一概に言いきれないものの。
 ジャコウアゲハの「ジャコウ」は実のところ性には無関係である。確かに捉えると強い臭いを発するが、それは異性を誘うものではない。敵をたじろがせる武器に属する。ジャコウアゲハの幼虫の食草はウマノスズクサ。毒草である。当然、成虫も身体に毒を蓄えている。鳥などの天敵が食べると、死にこそ至らないが消化器官にダメージを受けるという。それでも気づかずに捕食しようとする敵に向けて、麝香に似た臭気の液体が分泌されるらしい。ジャコウアゲハの姿が人間に頻繁に目に止まるのも、このことに無縁ではないようだ。
 杜氏達が飛翔する昆虫に勝手に感じる風格は、身体の大きさ、鷹揚な印象もさることながらスピードでもあることはオニヤンマなどを見ても明らかだ。ジャコウアゲハの飛行は他のアゲハに比べて速度が遅い。毒を身に孕んでいることをデモンストレーションするかのような、「ひけらかし」の飛行をする。だから人の目にも止まりやすい。そしてそれは速度が緩いのにもかかわらず、堂々としているというよりはチャラチャラした印象しか残さない。
 数種類の蝶がこのアゲハに似ていることで、外敵から身を守る恩恵に与っているところを見ると、毒の威力は相当あると感じられる。その一種類であるアゲハモドキが、ジャコウアゲハのいない北海道にも棲息するのは謎と、どこかに書いてあったが、こういった「擬態」はその種全体が意図したものではなく、たまたまジャコウアゲハに似た種が生き残る確率が高いという「現象」に過ぎない。アゲハモドキの天敵が気温の関係から津軽海峡を容易に越えないとしたら、擬態の元のモデルであるジャコウアゲハがいようがいまいが関係がない。それはアゲハモドキにとって、北海道が適地であるということを単に物語る。

 日本で最も美しい城で、白鷺城の別名がある姫路城には裏の方にお菊井戸がある。怪談「番町皿屋敷」のお菊さんのことである。芝居では番町、つまり今の地下鉄麹町駅付近の事件になっているが、実際には播州・姫路でのことだったのだろう。家宝の皿を割るという失態を演じた女中菊は、後ろ手に縛られて井戸につるされるという今ならセクハラ、しかもかなり重度のセクハラ染みた折檻の末に、その井戸に身を投げたことになっている。その後に井戸近辺から縛られて吊るされたような形状の昆虫が大量に見つかり、祟りの一部と恐れられた。その虫はオキクムシと呼ばれることになる。オキクムシは鱗翅目の蛹であることは想像に難くなかった。殆ど全ての鱗翅目の蛹が、縛られ吊るされたと見えなくもない形状をしている。実際に自らを木の枝に縛りつけて落下を防ぐことを試みている蛹も多い。
 このオキクムシ、実はジャコウアゲハの蛹であったらしい。お菊井戸の周辺に食草のウマノスズクサが繁っていたのだろう。毒のことといい、臭いの目的、機能といい、どうもジャコウアゲハには人間の怨念めいた情念を喚起するような趣きがある。さしずめ魔女の蝶だろうか。以前、すっかり文化人系のバラエティ・タレントと化した感がある飯島愛が、お菊さんの扮装をして皿を数枚手に携えて登場し、「一枚・・・」と恨みがましく数え始めるところを、「飯島愛」と自己紹介するショート・コントを見た記憶がある。これぐらいしないとジャコウアゲハの情念は浄化されないのかもしれない。
 因みに杜氏がなぜ、姫路城にお菊井戸があることを知っているかと言えば、小学生の頃、人がロンメルだゼロ戦だのと騒いでいるプラモデルで、何と姫路城を「築城」しようとしたからだ。そこにちゃんと「お菊井戸」も存在した。芸が細かい。田宮模型のディテイルへの拘りを改めて感じる。そういったあまりの煩雑さに放棄してしまったのは、お菊の怨念、ジャコウアゲハの呪いのせいなのかもしれない。
 擬人や過度の思いこみは自然観察には禁物だが、ジャコウアゲハにはそういう妄想を掻き立てる何かがあるなどと感じてしまったら、もう既に罠に落ちたということなのだろう。

 人間は自然の、または化学的に生成した香料で身を飾りたがる。それは主に異性を多いに意識したものだ。麝香のように生殖に大きな役割を果たすと思われる自然のものが、こういった目的に流用されるのも必然かもしれない。万年湘南青年の兄弟、ブレッド・アンド・バター(ザ・タイガース解散直後の岸辺シローのバック・バンドだったことは決して積極的には語られない)が「湘南ガール」でこう歌っている。「ムスク薫る耳たぶが今は懐かし過ぎるよ、とても・・・」 芳醇な香気を放つ歌詞である。
 香水屋であるアラミスの関係者が何かに書いていたことを思い出す。香水はただ芳香を調合したものではなく、ほんの微妙な糞尿の臭気の要素を混ぜることが決めてなのだそうだ。多分それらの芳香に隠れた悪臭は人間の知覚には認識されないのであろう。あるいは映像のサブリミナル効果のように、人間が包み隠している性衝動を引き出す効果を呈するのだろうか。または、ジャコウアゲハの毒性のサインのように、攻撃的、排他的な機能を潜在させているのだろうか。



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