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カリウドバチの生態を知ったのは、小学校一年の頃だった。ファーブル昆虫記に登場するフランスのカリウドバチが麻酔針を獲物のキリギリス類の神経中枢に打ち込み、動きを封じるさまは、小学校一年生に上がったばかりの少年には充分に官能的な香りを醸していた。カリウドバチは自分の食糧を狩っているのではない。自分がこれから産む卵から孵化した幼虫を育てるために獲物を集めるのだ。したがって、長い幼虫期に獲物が腐ってはいけない。カリウドバチに狩られた獲物は死んではいないのだ。生きながら腐敗を免れつつ、幼虫に体液を蝕まれてゆく。
日本で最も多く見られるカリウドバチはジガバチである。蜂の類の胴は女性のウェストになぞらえられるほどに細くくびれているが、この蜂は細い棒か糸のような特に細い胴体を持つ。しかも、それが長い。造形的には蜂の中でも図抜けて洗練されたところがある。人はこの蜂が獲物のイモムシの類、つまりチョウやガの幼虫を土に埋めながら「似蛾、似蛾」(我に似よ)と鳴くことからこの名を付けたという。おそらく、呪文の甲斐あって、獲物を埋めた地面から羽化した成虫のジガバチが飛び立つところまで確認しての命名だろう。
どこかに「蜂の刺された痛さランキング」が載っているのを目にしたことがあるが、華奢なスタイルに似ず、ジガバチは結構上の序列を得ていた。馬鹿にしていると痛い目を見るだろう。子供の頃庭によく飛んでいて、家の壁に泥で幼虫の巣を作っていたのはキゴシジガバチで文字通り腰が黄色い。近似する種のベッコウバチ同様、クモを幼虫の食糧に捕らえていた記憶がある。愛嬌のある徳利そっくりの巣を作るのはトックリバチ。これも庭によく徘徊していた。
真夏のとても暑い日、日盛りを歩いていたとき、獲物を抱えたジガバチに遭遇したことがある。小学校高学年の頃だった。見ているだけで暑くなるような白く固まった地面を、そいつは自分の身体より大きなヨトウムシを引きずっていた。と思うと、ジガバチは仕留めて眠らせた収穫を脇におき、とても固そうな地面を掘り始めた。アッと驚くようなスピードだった。白く硬化しているはずの地面にごく小さな弾丸で射抜いたような完璧な円形の穴が開き、ハチは豆腐を箸で刺すような用意さで、穴の中に姿を消していった。
私は歩いて二〇分かかる学校を出発して、家まであと百メートルのところまで辿り着いていた。喉が渇いて家の冷蔵庫から冷えた麦茶をガブ飲みしたい気分だった。でも、目の前のドラマから目が離せなくなり、足は強い照り返しを反射させている地面に貼りついてしまっていた。
ジガバチは地面を斜めに掘り進み、巣の底に幼虫が潜む卵型の部屋をひとつ設けるという。銃痕に似た穴へと消えたジガバチは部屋を築く作業をしていたのだろう。だが、それを終えて地面に再び姿を現すのに三〇秒は要さなかった。ヨトウムシを穴へ引きずり込み出てくるまでの時間、産卵をしていたかどうかはわからない。ただ、そのインターバルが三〇秒より更に短かったことは確かだ。そして、完璧な銃痕は、その細工を施した者によって、手早く埋められてしまった。呆気にとられる私の視界から、ジガバチは何ごともなかったように飛び去っていった。あとには元通りの白く固い地面が残った。
あまりの手際の良さに、ことが終わってからしばらく、その場を離れることが出来なかった。冷たい麦茶のことはすでに意識になかった。仕留めた獲物はおろか、産み落とした卵にさえ、何の感興も覚えていないような手早さに一種の感動を覚えた。学校の近くにたまに出没して、鉄人28号や鉄腕アトムやオバQの形にベッコウ飴を焼いて見せる胡散臭い飴屋の職人芸を見せつけられた印象だった。
蝉になぞらえるまでもなく、昆虫が成虫であり続ける時間は短い。その間に生殖、食糧の確保、幼虫のための営巣、産卵を済ませなければならないジガバチにとって、その水際立った作業は当然のことで、それが出来ない個体は次世代に子孫を残せないのだろう。それでも、私の前で真夏の暑さを忘れさせるほどの鮮やかな手際を見せてくれたジガバチが、その造形の見事さも含めて強い印象を残したことは間違いない。