ジンガサハムシ

生きている宝石


 人の目からいかに奇妙に見えようとも、昆虫の形態にはその生態に照らして合理的な理由がある。アリジゴクの後退しか出来ない体型は巣穴を掘るのに適しているし、アケビコノハの幼虫のひときわ大きな蛇の目は捕食者をたじろがせるに足る。カマキリモドキなどは鳥山明が描くセミ状のウルトラマンのごとく、カマキリのミニチュア然としているが、カマキリと見まごう捕食者も多いことだろう。ところが、どうしてこのような色や形態になったのか、人間の乏しい想像力ではどうしても考えが及ばないような例もある。外国産のカナブンにはフルメタリックに光り輝くものもある。しかも、ご丁寧にゴールドとシルヴァーがセットで揃っている。初めて標本を見たときには、金属で誂えた作り物としか思えなかった。

 ハムシは甲虫の一派で、蒐集家に人気があるカミキリムシと同じように様々なヴァリエーションを示している。なのにカミキリムシほどの人気はない。天牛などというロマンティックな命名もされておらず、ハムシは葉虫に過ぎない。羽虫ならまだしも葉虫なのだ。このことが不人気に一役買っているのかもしれない。ほとんどのハムシは植物の葉を食う。人間にとって食用として旨い葉は栄養価が高く、毒がないことが概ねの条件となる。それは昆虫にとっても同じことだ。従ってハムシのホストは大概野菜である。そしてハムシは「野菜の害虫」ということにされてしまう。考えてみればカミキリムシの多くも栽培植物を荒らす害虫とされている。なのにこの差別はどういうことなのだろうか。おそらく、ハムシが作物である野菜それも葉菜を直接食すことからなのだろう。またシロスジカミキリ、ミヤマカミキリのように5cmを越えるような大型種が無く、せいぜいが1cm、ほとんどが5〜7mm程度で見栄えが劣ることも挙げられるかもしれない。
 だが、テントウムシをやや縮小して細長くしたような形態はよく見ると愛嬌があるし、翅の色や模様も様々で妙味のある昆虫である。

 ジンガサハムシを初めて見たときは、昆虫とは思えなかった。翅が透明なのだ。そして翅の中にややくすんではいるものの黄金色に輝く身体が透けて見える。今風に言えばスケルトン仕様なのだが、昭和30年代にそのような表現は存在しなかった。一見してオモチャかボタンのような装飾品に見えた。無論、目を凝らせばそれが生物であるのがわかる。標本のように生命が宿っていなければ作り物と見間違えのするが、生きている昆虫の場合それはあり得ない。軽く触れてみると緩慢に動いたので、同様の振る舞いをするハムシの類と判った。サイズは1cm足らず、ハムシの中では大型の部類だ。しかし、やはり大きくはない。これが二倍ほど大きかったら、ブローチか何かになるだろう。
 食草はヒルガオ。ヤマノイモなどに見られることもある。食草自体、ありふれたものであるから特別珍しい種類とも言えない。ただ、いつでも目に付くようなものでもない。あのように派手な虫が当たり前に見られたら、もっと有名になっていただろう。そして乱獲されてかえってその数を減らしていたかもしれない。その意味からはよく出来ている。ヒルガオは栽培植物ではないし、あまり人に顧みられるような植物でもない。人間もこの昆虫を害虫とは呼びにくいだろう。

 名前の由来となった陣笠は、陸上競技の世界ではあまり有り難くない語感がある。インターハイではかつて出場競技者、参加指導者全員になぜか陣笠を配っていた。入場行進に使う訳でもないから、猛暑に行われる大会の日よけだったのだろうか。インターハイに出場するためには陸上競技の場合、ブロック大会で六位以内に入らなくてはならない。一種目で全国でも六六人しか出られないのだから名誉なことである。しかし、陣笠というのは戦国時代の農民が足軽として戦に駆り出されたようでとてもカッコ悪い。だから、出場するだけで予選を通過する見込みのない競技者は俗に陣笠選手などと陰口を利かれたものだ。因みに我が恩師は毎年欠かさずインターハイで陣笠をもらっていたが、三十代中盤から毛髪がなかったせいか、とてもそれが似合った。インターハイの陸上競技のスタンドは八月の猛烈な日差しで大変なことになるから、陣笠も先生には本来の効果を発揮したことだろう。
 恩師の名誉のために付け加えておくと・・・。恩師は頭の目を奪われることがなければ、高僧のごとき上品な顔立ちで尚かつ、高僧には見られないと思われる色気を具備している。その気品と色気で、幾多の教え子を魅了してきた趣がある。フォローになっていない語弊を招く表現かもしれないが、そうやって高校生達をその気に(競技に専心させる)させてきたのは事実で、姿形が際立っているジンガサハムシに似ていると言えなくもない。
 普通のハムシの場合、翅は透けていないので多くの甲虫の例と同じく、甲冑のように見える。それに比べたらジンガサハムシのそれが陣笠に似ているというのもわからなくはない。ただ、ジンガサハムシの特徴はその翅の形状ではなく透けていることにある。また翅を透かして除く身体のメタリック調にある。やぼったい陣笠はこの昆虫が見かけるたび息を飲むほどに美しいことを思うと、相応しくないとしか感じない。

 ジンガサハムシのことをどの文献で調べてみても、奇妙な形態や色彩のことには触れてあるが、なぜそうなったのかという仮説すら見られない。あれは人間が意匠を凝らしたデザインとしか思えない。しかも凡庸な発想ではなく、見る人の感覚の意表を衝くものだ。ありふれたヒルガオという植物の葉をはむ、1cm足らずの甲虫が気候、天敵、有効な生殖方法などの負荷を何代にも渉って繰り返し受けることで、宝飾品のようなデザインの遺伝子を磨いてきたことは間違いないことだ。
 人間から測り知れない遺伝子の構築経緯があっても不思議ではない。謎を未消化で残したままのミステリ文学、映画は見る側にストレスをもたらすが、ジンガサハムシにはジンガサハムシの事情がある。自然は未解決なままのミステリの宝庫であり、エンド・マークは未来永劫に近い時間の末に打たれる。おそらくその時代にホモ・サピエンスは生き残ってはいまい。



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