カメノコテントウ
仲間を食う生態系
よく、「ナマコを初めて食べた人間は偉い」などと言うことがある。それは理論的にとてもおかしい。人間が衣服で身を覆ったのは、アダムとイヴがヘビに騙されて知恵の木の実を食べてからのことであるし、火を制して食べ物の煮炊きをしたり、エネルギーとして二次的に利用するようになったのは、プロメテウスから教えられた以後のことだ。それ以前は、人間も自然の営みに包含された創造主の産物として、本能の赴くままに生きていた。ナマコであろうとネズミであろうと、野生の動物としての人間はそれが食べられるものであることを本能で悟っていた。
婦女子はケムシ、イモムシを忌み嫌う。確かにケムシの長い毛足の毛は邪魔である。イモムシの青いヤツからは、いかにも青臭そうな印象を受ける。だが、土の中、樹の幹で植物の根や茎を食糧にしている甲虫類の幼虫は、栄養分を身に満たしたチューブのようですらある。実際、カミキリムシの幼虫は焼いて食すると香ばしくジューシィな素晴らしい味がするそうであるし、信州ではハチの仔も珍重される。また、地中、樹中で丸々と太った甲虫類の幼虫は、オーストラリアの原住民、アボリジニーにはこの上もない栄養源になっているそうだ。中国人は何でも食べてしまう食欲旺盛な民族だ。セミの成虫を油で揚げたものも香ばしく美味いらしいが、羽化を間近にした終令幼虫は格別なご馳走らしい。中国人が鳩を食おうが、韓国人が犬を食らおうが、日本人が鯨を好もうが、それは個々の食文化であり、欧米人が自分達の価値観、嗜好からとやかく口を差し挟む問題ではない。カエルやカタツムリを好んで食べるフランス人だって、他の民族から見れば充分におかしい。
だいたい、変と思うこと、違和感は愛情につながるのだ。人間は自分と全く同じ存在に恋焦がれたりはしない。自分にないものに惹かれる傾向にある。杜氏の交友関係を考えてみても「変なヤツ」と思っているうちに、いつの間にか仲良くなっていることが多い。婦女子がケムシを忌み嫌うような強い違和感には、恐怖さえ伴う。恐怖が畏怖となり、畏怖から畏敬が生じる。畏敬が敬愛となり、愛情を抱くに至る。これを酒の席のヨタ話として提供したら、「それ考えるのに、どれくらいかかりました」などと、抜作な感心のされ方をした。一瞬に決まっているではないか。屁理屈なのではなく、それは人間の中に予め備わっている感受性なのだから。それに既にジグムント・フロイドの妹のアンナ・フロイトが唱えている説でもある。これだから、知識しか信じられないくせに、その知識すら感覚として消化できない似非インテリにつける薬はないのだ。
インディ・ジョーンズ「魔宮の伝説」の中に、インディらが迷い込んだ宮殿のマハラジャが客人をもてなす料理が出てくる。巨大ゴキブリを蒸したヤツが前菜だったりする。だがショックだったのは、メイン・ディッシュと思しき、サルの脳味噌の姿造りだった。なぜだろう? サルが人間と同じ霊長類(何て傲慢な命名!)で、自分達の似姿であるからだ。だが、杜氏にはそこで失神して見せるケイト・キャプショウとか言う不美人女優の反応の方がおぞましく感じられたのだが・・・。
人間が人間を殺すこと。つまりは殺人だが、通常のメンタリティでは起こり得ず、いくら憎しみや怒りに捉われていたとしても、精神が病的に蝕まれた状態でなければ不可能であるらしい。さしづめ戦争は国家理由とかイデオロギーとか宗教とかの不自然な理論で、参戦する人々の精神を強制的に歪めることで成立するのだろう。だから、ピーター・フォンダが一時期ライフワークにするのではないかと思えたベトナム戦争経験者の病的行動を描いた映画が説得力を持つ。フォンダには限らない。「地獄の黙示録」「ディア・ハンター」「フルメタル・ジャケット」「ハンバーガー・ヒル」・・・。枚挙に暇がない。
同胞を殺す行為は人間だけと考えられているが、ボスがグループを統べる権力志向のサルの世界でも、旧ボスが複数の配下のサルによって惨殺されるような事件が稀に起きるらしい。ニホンザルの群でそういったことがかつて起きたと、物の本で読んだことがある。だが、他の哺乳類でそのような惨事が日常的に起きているなどついぞ聞いたことがない。
昆虫の場合、案外そういったケースは多い。ハサミムシのメスは必死に守ってきた卵から孵った幼虫の最初の食糧として、生きながらその身を従容として捧げる。カマキリのオスが産卵で多大な栄養分が必要なメスに、交尾中に食われてしまうのも有名な話だ。また、単位面積以内に基準以上の個体数が存在する幼虫の世界では、共食いが日常的に起きる。スズムシのような草食の昆虫にさえ、それは起きる。
だが、そこには人間やサルの露呈する悪意など微塵も感じられない。ハサミムシのメスの最期は、天寿を全うした個体だけが辿り着く、遺伝子の刷り込みの最終ページであるし、カマキリのメスも動くものには襲い掛かるという本能に従っているに過ぎない。襲われても尚、自らの遺伝子を継承する作業を優先するのも、オスの本能だ。共食いは個体制限として作用する。それが種全体の維持にはプラスとなるのだ。そこには憎しみも悪意も何もない。
また、同種同士のこういった命の遣り取りはあっても、類似した種同士での捕食関係は殆ど皆無である。空の殺戮者であるトンボが、トンボ同士で争うのは縄張りと配偶者のためであり、決して殺し合いにまでは発展しない。そのトンボまで食ってしまうシオヤアブも自分と似ているハチは襲っても、捕獲するにリスクが少ないハズの同種には見向きもしない。タガメも獰猛な水棲昆虫だが、餌食とするのは専ら小魚、カエル、おたまじゃくしなどで、同じ半翅目のタイコウチ、ミズカマキリなどを捕食することはない。ヘビを食うヘビなど考えにくい。
ところが、例外的に同じ鞘翅目昆虫ばかりを襲う甲虫がいる。それがカメノコテントウである。
異形のテントウムシである。テントウムシは大概、人間から好かれる存在であり、その理由の一つに小さいということがある。だが、カメノコテントウは大きい。おそらくテントウムシとしては日本最大である。11〜13mmというから、1センチ以上である。それでも小さいと思われるかもしれないが、テントウムシのご多分に漏れず、カメノコテントウも表面張力で生じた草の露のような球形である。同じ体長の昆虫と比べたら、身体の容積が最大限に充実している。従って大きくも見える。ナミテントウやナナホシテントウが6〜7mmとカメノコテントウの体長の半分である。だが、容積≒体重は、縦×横×高さとそれぞれに効いてくるから、八倍の巨大さになる。身長2mの競技者がスリムに見えても体重100kgを越えることが多いのと同じ理屈である。カメノコテントウのことを、テントウムシというよりはコガネムシに近いと評する人もいる。で、大き過ぎて可愛げがないと。杜氏にはそうも思えないのだが・・・。
身体を覆う前翅は赤と黒の紋様で彩られる。黒が地なのか、赤が地なのか、判然としない。どちらも同じ程度の面積を占有しているように見える。これが亀の甲のようなので、カメノコテントウなのだそうだが、どこが亀の甲なのかわからない。ナミテントウのように異なったヴァリエーションの紋様もあるように見受ける。ナナホシテントウの赤は朱がかっており、黒い紋もやや褐色を帯びているように見えなくもない。だが、カメノコテントウの黒はあくまで黒い。また赤も赤、混じりけなしのレッド、ロッソ、ルージュである。カメノコというよりは、ジュリアン(・ソレル)テントウとか、スタンダール・テントウと呼びたいほど、鮮やかである。これがまた光沢が強い。鞘翅目昆虫の光沢はメタリック系が多いのだが、テントウムシの場合、ニスやラッカーを塗ったような透明感を帯びる。その度合いが殊更に強く、大型であるためによく映える。確かに可愛げこそないかもしれないが、堂々とした赤と黒のコンビネーションといい、まっすぐこちらへ向かってくるようなデカイ態度といい、風格が感じられる。
胸部には目玉に擬したと思われる一対の紋があるのだが、興奮させるとこれも赤に変わる。「風の谷のナウシカ」のオウム(王虫)の怒りの色のようだ。
卵も赤なら、幼虫も黒のトーンに胸に縦筋の赤のワンポイント。テントウムシの幼虫は元々どれも成虫の可憐さが嘘のような獰猛な悪魔のような姿をしているが、赤と黒の装いは、ここでも一段と凶悪さを強調している。成虫が威嚇のために肢の付け根辺りから出すアルカロイドの液も赤で、これは鮮血のようだ。ギョッとさせられる。
このカメノコテントウが、同じ鞘翅目昆虫を専ら食糧にする。クルミハムシ、ドロノキハムシ、ヤナギルリハムシ、ヤナギハムシ、ミヤマヒラタハムシなどが犠牲になる。だが、圧倒的に好まれるのはクルミハムシのようで、サワグルミ、オニグルミの木の近くで観察されることが多いようだ。杜氏は幼い頃、カメノコテントウではなくクルミハムシテントウと間違って憶えていたほどだった。もし一種のみを食糧とする昆虫がいたとしたら、食われるものより食うものの方が個体数は確実に少なくなるハズである。成虫に達するまで、複数の、ことによると数十頭の幼虫が犠牲になるのに対して、食う側は一頭に過ぎない。カメノコテントウの貪欲さに抗し得るには、成虫として生き長らえるクルミハムシがカメノコテントウ一頭に対して、数頭必要となる。にも関わらず、カメノコテントウの方がクルミハムシよりも頻繁に人の目に留まる確率が大きいのは、その鮮やかな姿ゆえなのだろうか。
多分。生育する場所によって、カメノコテントウは次善の策、つまり大好物のクルミハムシ以外のハムシで食糧を間に合わせているのだ。都市部などでは水辺に多いヤナギの木の近くで、ヤナギルリハムシ、ヤナギハムシを狩っているに違いない。カメノコテントウの種の繁栄の命運は、ハムシの旺盛な生命力に依存している。おそらく、大きな身体を培うのにはアリマキでは非効率で、禁断の同じ鞘翅目、ハムシに食指を伸ばすようになったのだろう。大型になり過ぎたゆえの帰着なのかもしれない。
五、六月の初夏に成虫としての姿を現し、その後、夏、秋と成虫のまま活動を続ける。大きなだけあって頑丈でもある。そしてあろうことか、冬を成虫の姿で越すことになる。意外なことだが、カメノコテントウには群を作る習性があり、越冬も木の洞、木の皮の間、岩の隙間などで大群を作って為される。見たことはないが、色鮮やかな個体の群は不気味なほどであるという。互いの体温で寒さを凌ぐ必要があるのだろうか。そういえば、冬以外でも、三、四頭の個体が連なってじゃれているのを多く見かける。何らかのメリットがあるに違いない。成虫の期間も食糧は同じくハムシだが、幼虫ではなく、卵であることが多いらしい。
鞘翅目数多いる中で、同じ鞘翅目昆虫を食糧とするのは、カメノコテントウだけであるらしい。昆虫自体に分類学の知識などあるハズもないが、近似種を害さないというのも本能の一部であり、カメノコテントウは異色の習性の持ち主であるのだろう。そうならざるを得なかった理由があるに違いない。そう思うと、大きな身体も艶やかな色彩も艶やかな光沢も異常に長い成虫期間も、どこか妖しく悲しいものに映る。
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