カナブン

道端の宝玉

 工場に治具と呼ばれるものがある。必要以上に深く閉じない仕組みのホチキスとか、紙を中出しした折り目の目印に合わせるマークのついた穿孔パンチとか、切った爪が飛び散らない爪切りとか、そういった類の作業を効率的に進める器具を指す。大企業の地方生産工場などでは、治具作りに毎日明け暮れるような、本質を外したような現象も起こり勝ちらしい。使う側としては当たり前でも、無いととても困るようなシロモノだ。
 自然界には何の変哲もないものと人間から顧みられていない生物が、案外重要な役割を果たしていたりする。それが珍しいとか美しいとか、商品として価値があるなどと感じるのは人間側の勝手な論理である。役割などと生態を位置付けること自体が不遜かもしれない。生物はただ単に自分の本能の赴くままに生きて、そして死んでゆく。

 大量に繁殖している昆虫のことを、人間は希少価値がないと評価する。数が減っている(人間の活動により繁殖が制限されている)生物をレッドブックに載せて、絶滅危惧種など呼び、保護しようと試みる。でも、人間があらずもがなの危惧をする以前にも、数多くの種が勃興し、絶滅の憂き目にあっている。人間が増長し過ぎた現代の地球環境は望ましいものなのではなく、そういう環境に過ぎないのだ。箱船で洪水の地上から逃れたノアではないのだから、人間は自分達の手で残るべきもの、滅びるものを定めることなどできないハズである。
 大量に棲息している昆虫は生まれついて持ち合わせた本能が環境とうまく適合したのであって、何の変哲もないように見えて地上のサヴァイヴァル競争の現時点での勝利者とも言える。逆に美しいのに珍しいからなどと珍重されるものは劣勢におかれているとしか思えない。美しさを他の生物への警戒信号として発信するつもりが、かえって人間の目に留まり、乱獲されるなどの悲劇が起きてしまった。例えば日本の国蝶(何でそのようなものを定めるのか疑問だが)であるオオムラサキ。国蝶の選定理由には「日本各地どこにでも見られる蝶」というものもあったが、国蝶に選ばれたばかりに出現個体数は経る傾向にある。罪作りな話ではないか。鞘翅目、つまり甲虫類は、人間の手によって国甲虫などというものが定められなくて幸運だったかもしれない。

 さて、カナブン。これがまたどこにでもいる。カブトムシ、クワガタは基本的に夜行性で獲るのにも夜、クヌギなどの樹液スポットへ蚊に数十箇所を食われるのを覚悟で訪れなければならないが、カナブンなら昼行性で同じスポットにいつでも常駐している。よく、カナブンの写真を見るとヨツボシケシキスイと並んで写っている。取るに足らない小昆虫と見られるのか、追い払われることが少ないヨツボシケシキスイと同居しているのが、カナブンの生態を象徴している。それに群れる生態はないのに、それらのスポットに大量に留まっていることが多い。つまりは効率的に繁殖していることを示す。
 日本にいる主なカナブンはカナブン、アオカナブン、クロカナブンの三種だが、どれも正規化されたように3センチ足らずの大きさで、形状も似ている。アオカナブンがややスリムな体型をしているかなと感じさせる程度で、ナミテントウのように同じ種類の色違いヴァリエーションとも解釈できそうだが、そうではないらしい。コガネムシ科でハナムグリと近い種である。やはり樹液に集まるシロテンハナムグリなどはカナブンの特徴である四角い頭を持ち、なぜカナブンと分類されないのか不思議である。つまりはバッタとイナゴのように人間の都合や気まぐれで分類されているのかもしれない。
 どれもメタリックなカラーリングで、よく見ると大変美しい。だが、カナブンをきれいだなどと言う日本人は少ないだろう。杜氏個人としては黒光りして樹液スポットでも目立っているクロカナブンが好みである。海外には本当にゴールド、シルバーに煌めく種もいたりするらしい。杜氏は標本で見たに過ぎないが、金属で出来た作り物のような美しさだった。ウソのようなホントの体現である。

 鞘翅目の昆虫は、上から見れば(裏側を除けば)ボディの半分以上を被う堅牢な前翅で身体を物理的な衝撃(他の生物からの襲撃)から護るシステムを構築している。しかし、この優れた甲冑は飛翔には何ら寄与しない。甲虫類には前翅の付け根に三角形の機構がある。あれはおそらく前翅を容易に開くための治具として機能しているのだろう。ただ、開かれた前翅は空に羽ばたく翼にはならない。飛翔を司るのは専ら、普段は前翅の内側に畳まれた透明で薄い後翅である。従って鞘翅目の昆虫の飛翔力は他の類に較べればかなり低い。カブトムシなど身体が重いだけに、宙をヨタヨタした印象で進む。
 カナブンも例外ではないが、他に優れたシステムを持っている。前翅の併せ目に溝があり、前翅を畳んだまま飛翔することが出来るのだ。いかに甲虫といえども、飛翔時には前翅の武装を解かねばならず、その上飛翔が巧みではないとすれば、どう見ても甲虫類より飛翔が得意な鳥などの空中での襲撃に対しては、防御力が落ちざるを得ない。前翅を畳んだままの飛翔は、飛翔時の高いリスクを回避するという絶大な効果がある。

 昼行性のカナブンにとって、樹液スポットでの最大の脅威はカブトムシ、クワガタといった身体も桁外れに大きく、攻撃力も強い同じ甲虫類ではない。やはり昼行性のスズメバチである。スズメバチは主武器である針がなくとも、相当に力強い昆虫に属する。カナブンとの力関係において、スズメバチは優位に立っており、カナブンの方が樹液バーから撤退させられることが多い。だが、カナブンの甲冑はいかにスズメバチを怒らせようとも、針を跳ね返す強度を持っている。樹液の争いから殺戮に発展することはない。ヨツボシケシキスイ、ヨツボシオオキスイなどの樹液スポット住み込み(飛べるのか? 飛んでいるのを見たことがない)の小昆虫達とニッチを共存して平和に暮らしている。
 カルト・ムーヴィで「ハーダー・ゼイ・カム」というのがあった。ジャマイカのレゲェに興じる民衆に対する権力者層弾圧が舞台となっていたらしい。未見ではあるが。そのタイトル・テューンもそこそこヒットした記憶がある。無論、レゲェである。(当時はレガェなどと誤用され、ロック・ステディ、スカとも言われていたが) 原題は”The harder they come, the harder they fall”、つまり「ヤツらが高圧的に出るほど、手ひどく失墜する」である。英文法でお馴染みのthe+比較級の組み合わせだ。カブトムシやクワガタは積極的な攻撃用の武器を持つ。確かに食糧確保や生殖相手との交尾機会に大きな貢献を、あの武器は果たしているのだろう。しかし、種全体から見て果たして武力は繁栄に寄与しているのだろうか。要らぬ争いを敢えて引き起こす分、繁殖にはストレスとなっているような気がする。激しい生き方はより死に近い。カナブンの専守防衛姿勢の方が、繁殖には賢明な方法であるようにも感じられるのは、杜氏だけだろうか。

 小学生の頃、ラジオ体操が終わると仲間達と共に近くの樹液スポットに毎朝立ち寄ったものだ。そこで、お勤めを終えかけた朝帰り支度のカブトムシやクワガタに出くわす機会も多かった。だが圧倒的に多かったのはカナブンで、カナブンを軽視していた杜氏達は易々とそれらを放置した。逆にカブトムシ、クワガタを取り逃がすことなど滅多になかった。だが、夏の強い朝日を翅に受けたカナブンは、たとえそれがありふれたものであっても、宝玉のように輝いていた。どこにでもいつでも手に入れられる宝を、杜氏達は見過ごしていたのかもしれない。そこにカナブンのサヴァイヴァル戦略の秘密があるとも知らずに。



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