吸血鬼を食う妖精


 最近の釣りはハイテクを駆使した大捕り物の様相を呈しているらしい。漁船に魚群探知機が装備されているのは当然だが、たかだが釣り船にも同じものが搭載され、漁師の勘、経験、度胸のいわゆるKKDに頼らずとも、的確に漁場をつきとめるらしいのだ。理屈は艦船のソナー・システムと同様である。何とも大仰なことだ。このノウハウは医療における超音波診断装置にも応用されており、無線機器メーカが日本でも有数の医療機器メーカを系列会社に持っていたりする。超音波診断の歴史がNHKの「プロジェクトX」に取り上げられていたことは記憶に新しい。
 日曜の午後、暇人しかTVを観ていないだろうと思われる時間帯に、よく「松方×樹、世界を釣る」などという番組が流れている。二世俳優の放蕩オヤジが大型回遊魚をトローリングで釣るのが番組の趣旨だが、大概は掛かった大物をバラしてしまい、「これでストップ・フィッシング、今回は残念でした」という本人コメントと共に港へ引き返し、岡で最早表芸と化した得意の包丁さばきで腕を揮っている相棒の「辰アニイ」の料理を食べるのが結末だ。海外のリゾートにアシアゴ付きで旅行し、釣り道楽を撮ってもらい、相棒に板前をさせ、ニートなお姉さん(ニートなお姉さんは食べてはいけないのかもしれないが)までアシスタントについて、ギャラまでもらうとはいい気なモンである。この番組にもよく魚群探知機が登場するが、本命の回遊魚を捕捉するのではなく、それらの餌となる小魚の群を探知するのが常だ。小魚というのは大量につるんで群を成しており、まるで大型の魚の餌になるために泳いでいるようなところがある。群全体が一個体であるかのような行動を取る。大型の魚にしてみれば群を襲えば一網打尽で食糧を得ることが出来るが、群全体としてはさしたる損害ではないかのようだ。この一網打尽というのは、人間の男性にとっては夢に見るような状況である。杜氏もたまに海に潜って大量の魚を手中に収めるような夢を見ることがある。
 これと似たようなことが陸でないのかといえば、案外そうでもない。杜氏が子供の頃、通学路は水田に覆われており、その脇にアシの生い茂った湿地帯があった。季節になるとカルガモの群が移り住み、杜氏が通りかかる気配を察知してか、一斉に飛び立ったものだった。これらをカスミ網か何かで一網打尽に出来ないものかと、何度思ったことか。無論、実行には移さなかった。そのうちに、カルガモは皇居の堀から丸の内の通りを渡る「可愛い生き物」の代表となり、無闇に捕獲できない存在になってしまった。惜しいことをしたものだ。
 昆虫にとって、このような夢の狩場は夏の夕刻にやってくる。ウンカやカの群翔である。ウンカは元々、雲霞であるから多数の個体の集合体が雲か霞みと見まごうばかりに飛ぶ生態を持つ。カも蚊柱といって群が柱に見えるように群れる。これらは決して、捕食者に身を投げ出しているのではなく、個々に配偶者を求めての生殖の欲求に根ざした習性だ。どこぞの国の新興宗教が主催している集団見合いのようなものかもしれない。群翔するのは雄なので、蚊柱といっても直接は危険性がない。だがそれに雌が呼び寄せられるとしたら、やはり警戒は怠るべきではないのかもしれない。この群翔はコウモリなどの捕食者にとっては夢のような漁場であると思われる。
 トンボも他の昆虫を食糧とする代表的な肉食昆虫だ。特に大型な種の多いヤンマは貪欲である。オニヤンマのような特に大きな種類は捉える食糧も大型の昆虫となる傾向が強いように思える。攻撃性も高い。だが、ヤンマでもさほど大きな種とは言えないものがあり、カなどを好物としているものもある。

 カトリヤンマは腹長が47〜53mm程度。小型のヤンマに属する。オニヤンマは日本最大のトンボであるが、カトリヤンマはオニヤンマの66%の大きさしかない。トンボの大きさはなぜか、頭部、胸部まで含めた全長ではなく、腹部の長さで表現される。だから、カトリヤンマも頭部まで入れれば7cmほどにはなる。他の昆虫と比べれば見映えのする大きさである。だが、どうしてもヤンマであるせいか、オニヤンマ、ギンヤンマと比較してしまうので、控えめな印象が強い。黒地に淡い黄色の紋が入った腹部はスマートで胸部から急激に人間の腰に相当する部分がくびれている。そして何といっても胸部、頭部は雄は水色、雌は緑色を基調に宝玉のような輝きを持つ。複眼は大きく、その色彩が特に目を惹く。目立たないが、スタイリッシュかつ色彩の美しい昆虫である。
 この色彩は見る角度によって、赤みや紫を帯びた虹色めいてもいるので、タマムシと同じような透明な層が重なったことによる偏光から生じる構造色に近いような気もする。雄と雌では偏光の度合いが違っているために色に違いが出るのかもしれない。羽化した直後には、この色彩は見られず、極めて地味なヤンマとしか思えないが、成熟するにつれて彩りが増してゆく。配偶者競争と何か因果関係があるのかもしれない。
 目立たないのには理由がある。オニヤンマ、ギンヤンマのような日中に活動する昼行性ではないのだ。昼は藪の中などで植物の葉などに掴まってじっとしている。多分眠っているのだろう。そのためかどうか、カトリヤンマの肢は他のヤンマより長く発達しているように見える。そして、蚊柱が立つ夕刻にどこからこンなに集まったのかと思うほど多くのカトリヤンマが蚊柱へのホロコーストを実行する。無論、これはジョークに過ぎず、カは種を根絶やしにされるほどのダメージなど決して受けない。ただ、カトリヤンマにしてみれば、無抵抗の餌を大量に摂取する好機である。ヤンマの多くはオニヤンマに象徴されるように、直線的で悠々とした飛翔を見せるが、このヤンマに限っては地上低くせわしない滑空を示す。食糧であるカの動きに合わせているのである。この辺りも、ヤンマらしくないヤンマと言える。
 カトリヤンマの棲息の適地は水辺でカが集まりやすく、産卵にも好都合で、昼間に隠れ住む藪が近くにある場所となる。つまりは山の中の水田である。意外なようだが、人里に近いことも条件であろう。カの雌は吸血する人畜がいないところでは産卵に足るエネルギーが得られないことから大量には発生しないし、雄も雌も餌となる果樹園や花蜜が必要である。これらはカに対して、人間の住む環境が最も有効に提供するものだ。
 日本ではここ数十年減反政策が採られて、水田自体が減少した上に、制限された水田も農薬に汚染されることが多い。勢い、カトリヤンマのニッチも狭められている。ところが、今度は自然食ブームで、無農薬有機栽培などが脚光を浴び始めている。これはカトリヤンマには追風となっていると思われる。かつては水田と隣接していることも多かった都市部郊外の住宅などにはめっきり少なくなったが、水田や自然が残っている農村などにはいまだにカトリヤンマが群翔しているのではあるまいか? かつてはシオカラトンボ並みに見ることが出来たカトリヤンマもめっきり姿を消した。だがそれは杜氏が正に水田の消えた都市部の郊外の住宅地に住んでいるからなのであって、居る所には居るハズなのだ。
 カトリヤンマのヤゴは、典型的なヤゴらしいヤゴであり、好感が持てる。かつては杜氏も水田の中でよく捕らえたものだ。そもそも稲の害虫ではないのだから、農薬で駆逐されるなどとばっちりもいいところである。
 カトリヤンマは発生時期も7〜9月とカの発生と同期し、水田、藪、人家と徹底的に環境に順応した生態を持っている。減反、農薬は一時的な大打撃だっただろうが、そこはそれ、日本はコメ文化の国である。コメ不足の折にはタイ米などが奨励されても、やはり国産のコメの豊かな味わいには敵わない。コシヒカリ、ササニシキ、アキタコマチなどのブランド米は不滅の存在だろう。郷愁と共に語られることが多いカトリヤンマではあるが、これらの産地はかえってカトリヤンマのパラダイスとなっているのではないだろうか。
 日本のトンボの中で、最も遅い時間帯に活動する昆虫である。虹にも似た光彩は、日盛りの中でこそ輝くのに、日中は密かに葉陰に潜み、薄暮に大きな複眼への残照を受ける。何とも奥ゆかしく控えめなことか。杜氏の前から姿を消してしまった昆虫ではあるが、何年かに一度は、稲作地帯へ出向いて遭遇して見たい味わい深い昆虫である。



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