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たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
平家物語は冒頭近くでそう語る。たけき者は具体的には平清盛を指すのだろうが、何しろ戦記物でものの哀れを綴った語り物なので、登場人物の半数がそれに相当する。猛々しさを誇る者は大概、自分以上に猛々しい者に駆逐される。誰も自らの死を想定して戦いには臨まないだろう。一騎打ちになったとしても自分の武芸または武運に自信を以て敵と対峙した者が殆どだったのかもしれない。だが、強さとは相対的なものに過ぎず、勝ち負けには多分に運も影響を及ぼす。
だが、並ぶべき者とてないような強き者も不死ではない。意外な足元を衝かれて突然の死を迎える強者も少なくない。トロイ戦争でのアキレウスはトロイ軍最強を謳われたヘクトルを完膚無きまでに倒すが、恨みのためにその遺体を必要上に引き回した残虐さに祟られたのか、色事には長けているが武芸はカラキシと思われるトロイ王子パリス(戦争の原因を作った好色息子)の矢を唯一の弱点である踵に受けたことが原因で落命する。このように逸話では、強者は弱者に足元を掬われて滅びることが多い。
カマキリは間違いなく、貪欲かつ獰猛な肉食昆虫で、たけき者に相当する。他の昆虫でカマキリを駆逐するものはさほど多くはない。モズなどの鳥には敵わないが、大変に強い昆虫と言える。ところが、このカマキリにも鳥以外に天敵がいる。寄生性の微小な昆虫である。
カツオブシムシの幼虫は衣服や絨毯・カーペットの害虫で知られる。しかし、自然界にこれらの人工の食糧が存在するワケではない。その名が物語っているように、鰹節のような乾燥したタンパク質を好む。逆に言えば湿気を嫌うのだろう。その条件に人間の衣料品が合致し、生育・繁殖の条件に恵まれた屋内で活動する生態へと自然と向かったと思われる。だが成虫はマーガレットなどのキク科の植物の花を訪れ、花粉や蜜を食べて暮らす。完全に屋内の生活に依存しているワケでもない。
人間の生活とは全く接点がないまま一生を送るカツオブシムシもいる。カマキリタマゴカツオブシムシもそのひとつだ。名前が既に生態を物語っていて、ネタバレ同然だが、この昆虫はカマキリの卵嚢に産卵し、中の卵を食べながら育つ。カマキリの卵嚢は卵と共に排出された気泡を多く含む粘液が発泡スチロール状に固まった温床となっている。冬の寒さから隔絶されているし、雨や雪、露などの湿気によって卵や幼虫が危害をこうむることを避けている。冬でも快適な環境と言えるが、それはカマキリにとってのみではなく、乾燥を好むカツオブシムシにとってもお誂え向きの環境なのだ。3〜4mmと鞘翅目昆虫でも大変に小さな部類に属するカツオブシムシはこうして、猛々しいカマキリを駆逐してゆく。
ただ、カツオブシムシのライフ・サイクルは年一度ではなく、二化である。春と秋に羽化するのが常だ。春に羽化するものは冬の間、カマキリの卵を食べて生育する。だが、秋に発生するものは幼虫期に何を食べるのだろうか? これが何と卵が孵った後に残ったカマキリの卵嚢であるらしい。カマキリの卵は数ヶ月を雨風を凌いで草の茎、木の枝で卵を守っている。頑丈な素材だ。初夏になってもそのまま残っているのだろう。その廃屋にも似た卵嚢にカツオブシムシが目をつける。卵が入っていようといなかろうと、カマキリタマゴカツオブシムシはカマキリの卵嚢に反応するように出来ているのだ。
だが、卵そのものとその残骸では栄養価に差がないのだろうか。卵の黄身と白身には当てはまらないだろうが、それに近いものがある。いや白身ではなく卵の殻だろうか。そンな要らぬ懸念などどこ吹く風で、カマキリタマゴカツオブシムシは元気に二化を続けている。ということは、カマキリが卵の保護のために分泌する物質にもかなりの栄養価が含まれているということなのだろう。
こうしてカマキリタマゴカツオブシムシは、他のカツオブシムシが被っている衣類の害虫という汚名を免れ、その生活史を屋外で展開している。いや、カマキリが種々の栽培害虫を駆逐する益虫だとしたら、それを害するカマキリタマゴカツオブシムシも害虫なのだろうか。人間の益虫/害虫の概念などかくの如く身勝手でしかない。ただ、カマキリタマゴカツオブシムシの場合、「気に懸けられていない」というのが当てはまるかもしれない。
衣類、住まいの害虫とされるカツオブシムシだが、変わった活用をされているらしい。動物、鳥類の標本は博物館などでよく見掛ける。いわゆる剥製である。多くの場合、皮(毛皮)だけを剥いで中に詰め物や木、針金などで補強し、生きていたときの姿勢を保つように作られる。だとしたら、残りの肉、骨はどうするのか? 肉は腐食させたり薬品で骨から剥離させるらしい。骨は骨で骨格標本にする。だが関節の細かい部分の肉を取り除くのは人間の手ではとても難しい。そこで、かねてより飼育してあるカツオブシムシを骨にたからせる。干し肉の類が大好物であるカツオブシムシは、喜々としてかどうかはわからないが、きれいに余分な肉を食べてしまうらしい。ただ、度が過ぎると関節のジョイント部分の組織まで食い尽くして、骨格標本ならぬただのバラバラの骨にしてしまう失敗も多いと聞く。カツオブシムシに「いい加減のところでやめておけ」などと言い聞かせることなど出来ない。活用するのなら、制御は人間側で行うべきなのである。
多分、人間が自然界に登場して、衣類、乾物などの格好の食糧をカツオブシムシに供与する以前は、シデムシ、ヒラタムシ、ハネカクシなどによってあらかた肉が取り除かれた動物の死骸から、カツオブシムシが更に乾燥した肉の残骸を片付けていたのだろう。そして骨だけが残り、それもゆっくりと土に還ってゆく。人間がカツオブシムシにとってもっと簡単に手に入る食糧を用意してしまったために、自然界の葬儀の段取りも変わってしまったのかもしれない。
カツオブシムシは前述のようにマーガレットなどの花に住んでいることがある。あれは大概産卵を終えた後の成虫であるらしい。普通は産卵のために成虫は栄養を摂るが、カツオブシムシは違うらしい。「無駄なこと」とも言われているが、生活史が人間の文化に接近し大きな影響を受け過ぎたためらしい。本来は花で補給した栄養は産卵に使われていたはずだ。その生態が残ったと言える。あるいは人間に依存しなくても自然の摂理に再び戻ってゆく可能性を残しているのかもしれない。人間がいつか滅亡することを視野に置いて。
カマキリは花の近くでじっと静止しながら、寄ってくる昆虫を待つことが多い。花は格好の狩り場である。だが、カツオブシムシはカマキリにはあまりに小さく、鞘翅目の常として硬い甲冑に被われているから補食の対象にはならないだろう。卵の仇を成虫が取るような図式は考えられない。カツオブシムシの天敵は他の肉食昆虫などが存在するが、最大最強なのは人間だろう。それも、キンチョーとか白元とかエステー化学とかである。
戦乱渦巻く国に介入して、その最大勢力に次ぐ存在を庇護した挙げ句、かつて庇護した存在の増長を攻撃するという事態を繰り返す、どこぞの超大国に似てはいないだろうか?
超大国に住んで豊富な物量に恵まれていることに麻痺してしまえば、小国で起きている簡単には解決不可能な民族的、宗教的な事情を背景にした紛争などは矛盾の元凶とされる団体、もしくは人物を除けば解決するものと思ってしまうのかもしれない。介入によって生じる矛盾や論理的な理不尽さなど、物量が埋めてくれるなどと。ただ、それが超大国の中に閉じた、例えば選挙対策などの個人の利害から出発していれば、やがて昆虫におけるカマキリのような超大国といえども、カツオブシムシに例えられるような小国に手ひどい報復を受けるかもしれない。そういった矛盾から、人類は地上から去らねばならない羽目に陥るかもしれない。
カツオブシムシが人間から100%恩恵を受けずに、成虫がマーガレットに群がったり、一部はカマキリの卵に糧を求めていることを、人間はもっと真剣に受け止めるべきであろう。
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